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■2.気づきはじめるメレンゲクッキー
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「……耀介。ちょっと寝とく?」
悠太は、無防備にこちらに頭を向けたまま、なかなか体を起こさない耀介に尋ねる。
「んー、そうしようかなあ……。なんか、どっと気が抜けて、今、すごい眠い」
すると、やけに気だるげな声が返ってきて、悠太は思わずクスリと笑ってしまった。
「わかった。じゃあ、時間になったら起こすわ」
「頼むー」
どうやら、弁当を食べて、たまにはしっとり系の焼き菓子もいいだろうと作ってきたスイートポテトも食べて、満腹になってからの睡魔に襲われたらしい。やっぱり体は起こさないままの耀介の声には、短い会話の間にずっしりとした眠気が帯びてきている。
そんな耀介が喋るたびに、少し短めながら触ると柔らかそうな黒髪が上下して、でも春よりは伸びたよな、なんて、どうでもいいようなことを悠太は思う。
もともと短いほうだったし、今でも長くはないけれど、新学期早々の調理実習があった春頃に比べれば、だいぶ伸びた。特に伸ばしているようではなさそうだから、そのうち切るとは思うものの、伸びた分だけ時間の経過を実感するようで、悠太は、自分の左手の甲にあるホクロを見つめて、きっかけは〝これ〟だったんだよなと、しみじみ感じ入る。
耀介が見つけてくれたから、一人で密かに楽しんでいたお菓子作りの趣味に鮮やかな色がついて、誰かに向けて作ることの喜びや幸せを教えてもらうことができた。
作るお菓子を考えるところからはじまり、材料選びや、アレンジやトッピング、どうやったら美味しそうに見えたり早く食べたいと思ってもらえるかを試行錯誤しながら作る。その過程を動画に収め、編集して投稿する――それはまさに特別な時間で、本当に楽しい。
実物を目の前にしたときの耀介の反応を何度も想像しながら作ったし、目をキラキラさせてお菓子にかぶりつく姿は、いつ見てもそのたびに言い表しようのない喜びが込み上げる。食べているときの笑顔や『美味しい!』は、悠太にとって最高のごちそうだ。
といっても、耀介がどんなリアクションをするか見るまでは毎回、ドキドキするし、回数を重ねてきた今でも、そのドキドキはそれほど変わらない。
以前、耀介は『悠太のだから、いいんだろ』とか『美味いに決まってるだろ、悠太のなんだから』と言って、初めて食べる前から悠太が作るお菓子に無条件に太鼓判を押してくれた。それがいい方向に作用して、悠太も最初から変に気負ったりプレッシャーを感じたりせずに作りたいように作れたところは大きい。でもやっぱり、それとこれとは別の話だ。
そんなふうに、セルフで趣味を完結させているだけでは感じられなかった気持ちや世界を、耀介がホクロに気づいてくれたおかげで見せてもらうことができた。
リアルでも自分の趣味はお菓子作りだと発信したとして、全員が全員、耀介のように手放しで受け入れてくれたり、食べてくれるとは限らないかもしれない。
でも、初めてが耀介だったおかげで、きっと周りの声に惑わされることはないだろうという芯のようなものが悠太の中にはできていて、それはもう揺るがない。
体育祭のリレーはクラスのみんなにとってのヒーローで、その後は一躍〝学校の〟が付くほど有名になったけれど、それよりずっと前から、耀介は悠太のヒーローだ。
それだけでもう、十分すぎてお釣りが出るくらいだろう。
それに今は、悠太が見ている限りではあるけれど、彼女の――遠野凪紗の、それでもある。
彼女の一挙一動をやきもきしながら見守ったり、前のように『遠野さんが呼んでる』なんて言って、彼女にも、自分が誰かに本気で想われている自覚がないだけの耀介にも、それとないアシスト的なことをすることはあっても、間に割って入ろうなんて微塵も思わない。
お菓子の独占権も、折を見て悠太が自分で回収してもいいくらいだ。
「……」
そんなことを考えながら右手でそっとホクロに触れ、悠太は緩く口角を上げる。
こうして、このままゆっくりと消化していくのだろうと思う。
名前はつけられなかったし、大事にしてやることもできなかったけれど、それでいい。
もしこの先、耀介の身の回りや心境に甘酸っぱい変化が起きて、月曜日の昼休みの試食会をやめたいと思ったり、実際にそう口にしたとき、快く頷いて背中を押してやったり、おめでとうと笑って送り出してやれる自分になっていられれば、それでいい。
「悠太ー……」
すると眠気たっぷりの声で呼ばれ、悠太は少し驚きながら耀介の頭に目をやる。
やっぱりまだまだ体を起こす気はないようで、というより、昼休みが終わるまで寝るのだから動かなくて当然だけれど、相変わらず、触ると柔らかそうな黒髪が悠太の目の前に無防備に差し出されていて、なんとなく落ち着かなくて目が泳ぐ。
「起きてたの?」
「いくら眠くても、そんなすぐにはね。てか、待ってるんだけど、まだ?」
「え、何を?」
「頭だよ。さっきからずっと撫でられ待ち。頑張ったって撫でてほしい」
「……は?」
けれど、耀介ときたら、これだ。
自分のするべきことの軸がしっかりしてきた感覚がある今は、驚きこそすれ、真正面から受け取って正直すぎるリアクションになることなく、それなりに受け流せるくらいには頭も心臓も落ち着いたけれど、まさかずっと待っていたとは思わなかった。
それでスイートポテトを食べて一心地ついたあとから無防備にこちらに頭を向けていたんだと理解が追いつくと、途端に耀介が可愛く見えてくるから、ちょっと困る。
でも、癒されたい気持ちはわからなくもない。
疲れすぎると甘えたがりになるのか、疲れすぎたからそうなっているのかは、悠太には判断のしようもないものの、甘いものが食べたくなる原理と同じかもしれないなと思うと、大人しく頭を差し出して撫でてもらうのを待っている姿が、どことなく、ふわふわもこもこの大型犬みたいに見えてくるから、それはそれで少しおかしい。
「悠太ぁー、まだー?」
「ふはっ。わかったって。耀介はよく頑張った、偉かった」
そんな中、間延びした声に催促され、悠太は笑いながら耀介の頭を撫でてやる。
変に渋って場の空気をおかしくするのも違うし、悠太のほうに純粋に労う気持ちで頭を撫でられない理由があっただけで、耀介のそれは、いつもの〝人たらし〟に違いない。
「んー、いいわー……。悠太はさ、いつも甘い匂いがするから俺の癒しなんだよねー」
「家が洋菓子店だからね。自分でも作るし。でも俺、今まで人から言われたことないな」
「え、そうなの? こんなに美味しそうなのに?」
「わはは。美味しそうって。でも、耀介自身がめちゃくちゃ甘党だからっていうのもあるんじゃない? もとから匂いに敏感な人はいるけど、誰かに言われたとか、自分でもそう思ってるわけじゃないなら、単純にお菓子の甘い匂いに鼻が利くのかもね」
「なるほど。それなら俺、もうずっとこの鼻でいいなー。あとちょっと高かったら、とか、形が良かったら、とか思ったりするけど、それと引き換えに俺の癒しが減る可能性が出てくるなら、この鼻もそんなに悪くないなって思えてくる」
「ははっ。大袈裟だろ。でも、癒せてるなら俺も嬉しいわ」
――ほら、こんな取り留めのないような会話の中でも、耀介は無自覚に甘さ増し増しの言葉を使ってくるし、頭だって悠太にされるがまま、好き放題に撫でられ続けている。
「って、俺と話してたら休めなくない? 撫でててやるから、もう寝なよ」
そう言うと、悠太はやや乱暴に会話を切り上げた。
ちょっと強引だったかも、とは思うけれど、昼休みには限りがあるし、満腹の耀介は眠さに加えて癒しを求めているのに、悠太と話していては目が覚めてしまうだろう。
それに、撫でられ待ちの無防備な頭も、大型犬みたいな甘え方も、お菓子の甘い匂いに癒されるという言葉も、やっぱり自分が受け取るべきものじゃないと悠太は思う。
耀介の中で、実際に口にするまで、こんなことを言ってもいいだろうかと葛藤もあっただろう『悠太だから言っちゃうけど』にもあったように、気を許してくれていることは純粋に嬉しい。でも、本来はそれも、悠太が受け取っていいものではないはずだ。
向けていい人も、受け取るに相応しい人も、ほかにいる。
「っ……」
けれどそのとき、体育祭前の試食会でのやり取りで感じたツキンとした痛みが胸に走って、悠太は思わず、耀介の頭を撫でる手がピクリとしてしまった。
やっぱモテるでしょ、と言ってみたときの、どんなにモテても〝好きな一人からがいい〟と耀介がはっきり言い切った、その会話の中で感じた痛みと同じものだ。
「悠太……?」
「ごめん。なんか勝手にピクついた。あるだろ、そういうの」
「ああ、そういうことね」
「だから寝な。ちゃんと撫でててやるから」
「ふはは。うん、そうするー」
自分から会話を切り上げておきながら何をやっているんだと思いつつ、上手く誤魔化せてホッとしたのと、しょうもない嘘をついてしまった後ろめたさを半々に感じながら、悠太は耀介の頭を撫で続ける。今度は途中で変に力が入ってしまわないように十分に気をつけて、そうしながら頭のほうでは改めて胸の痛みの正体を探っていく。
「……」
あのときは結局、どうして急に痛みが走ったのかもよくわからないまま、リクエストのメレンゲクッキーは上手に作ろうと思ったけれど、今ならなんとなく、わかる気がする。
実はめちゃくちゃ甘党だったり、リクエストの理由が可愛かったりするだけじゃなく、恋愛観に関しても自分の思いや考えをしっかり持っている耀介の、そういう格好いい一面を何人が知っているんだろうと思ったら、咄嗟にたまらない気持ちになったからだろう。
嫌だと感じたというか、独占欲みたいなものが湧いて、甘党なのも可愛いのも格好いいのも俺だけが知っていたい、見せるのは自分の前でだけにしてほしい、なんて無意識に思ってしまい、要はその〝独り占めできたらいいのに〟という気持ちが〝何人が知っているんだろう〟と作用して胸がツキンと痛んだんじゃないかと、そんなふうに思う。
それはつまり、無意識下の中における嫉妬と独占欲だ。しかも不特定多数の人へ向けてという、だいぶ斜め方向で、それでいて、強めのそれらだったりする。
そして今もまた、耀介が本音を言うのも甘えるのも癒しを求めるのも、それらを〝向けていい人も、受け取るに相応しい人も、ほかにいる〟と自己完結させようとした途端の、ツキンとした胸の痛みだ。やっと自分のするべきことの軸ができてきた感覚があって、それなりに受け流せるようになったと思っていた中でのそれには、悠太はもう苦笑するしかない。
――ああもう、なんで俺はこうもフラフラしてばっかりなんだろう……。
喉元まで込み上げてきた溜め息を寸前のところで慌てて飲み込み、悠太は、耀介が動く気配がないのをいいことに、実際に口元に苦笑を浮かべた。
どうやら、ちゃんと消化できるまでには、まだ時間が必要らしい。
具体的にどれくらい必要かとか、いつまでに、というのは本人である悠太にも断言するのは難しいけれど、でも、できるだけ早く消化したいと、そう思う。
そうすることが最良だと思うし、そうしないと耀介にも彼女にも申し訳ない。
悠太が考える消化が行き着いた先は、耀介に甘酸っぱい変化が起きたときに、快く頷いて背中を押してやったり、おめでとうと笑って送り出してやれる自分だ。悠太が気付いていないだけで、ひょっとすると、もう近くまで来ているかもしれないその日を友達として喜んだり祝ってあげられないで、一体、どうするというのだろう。
それから間もなくして五時間目の予鈴が鳴り、悠太は耀介の頭から手を離すと、少し肩を揺らして本人を起こした。もう一度、今度はちゃんと頭を撫ではじめてから十分か十五分そこらの間でどうやら本当に眠っていたらしい耀介は、眠そうな目を擦りながら「……もう?」なんて言って、続けてゆっくりと体を起こすと大きな欠伸をする。
怪獣みたいなその顔に思わず、ぶはっと噴き出してしまいながら、悠太は、でもこの顔は〝好きな一人〟の前ではできないよな、なんて思って、自分のポジションをちょっと誇らしく感じた。怪獣みたいな欠伸はきっと、友達の前だからこそできるものだ。耀介にちゃんとそう認識してもらえていることが悠太は嬉しく、けれどまだ、ほんの少しだけ切なかった。
そしてそれは、悠太の決心とも呼べる〝自分のするべきことの軸〟に抵抗するように、一学期が終わって長い夏休みに入っても、明けて二学期がはじまってしばらくしても、胸の奥で消化不良を起こしたまま、なかなか思うようにはならなかった。
悠太は、無防備にこちらに頭を向けたまま、なかなか体を起こさない耀介に尋ねる。
「んー、そうしようかなあ……。なんか、どっと気が抜けて、今、すごい眠い」
すると、やけに気だるげな声が返ってきて、悠太は思わずクスリと笑ってしまった。
「わかった。じゃあ、時間になったら起こすわ」
「頼むー」
どうやら、弁当を食べて、たまにはしっとり系の焼き菓子もいいだろうと作ってきたスイートポテトも食べて、満腹になってからの睡魔に襲われたらしい。やっぱり体は起こさないままの耀介の声には、短い会話の間にずっしりとした眠気が帯びてきている。
そんな耀介が喋るたびに、少し短めながら触ると柔らかそうな黒髪が上下して、でも春よりは伸びたよな、なんて、どうでもいいようなことを悠太は思う。
もともと短いほうだったし、今でも長くはないけれど、新学期早々の調理実習があった春頃に比べれば、だいぶ伸びた。特に伸ばしているようではなさそうだから、そのうち切るとは思うものの、伸びた分だけ時間の経過を実感するようで、悠太は、自分の左手の甲にあるホクロを見つめて、きっかけは〝これ〟だったんだよなと、しみじみ感じ入る。
耀介が見つけてくれたから、一人で密かに楽しんでいたお菓子作りの趣味に鮮やかな色がついて、誰かに向けて作ることの喜びや幸せを教えてもらうことができた。
作るお菓子を考えるところからはじまり、材料選びや、アレンジやトッピング、どうやったら美味しそうに見えたり早く食べたいと思ってもらえるかを試行錯誤しながら作る。その過程を動画に収め、編集して投稿する――それはまさに特別な時間で、本当に楽しい。
実物を目の前にしたときの耀介の反応を何度も想像しながら作ったし、目をキラキラさせてお菓子にかぶりつく姿は、いつ見てもそのたびに言い表しようのない喜びが込み上げる。食べているときの笑顔や『美味しい!』は、悠太にとって最高のごちそうだ。
といっても、耀介がどんなリアクションをするか見るまでは毎回、ドキドキするし、回数を重ねてきた今でも、そのドキドキはそれほど変わらない。
以前、耀介は『悠太のだから、いいんだろ』とか『美味いに決まってるだろ、悠太のなんだから』と言って、初めて食べる前から悠太が作るお菓子に無条件に太鼓判を押してくれた。それがいい方向に作用して、悠太も最初から変に気負ったりプレッシャーを感じたりせずに作りたいように作れたところは大きい。でもやっぱり、それとこれとは別の話だ。
そんなふうに、セルフで趣味を完結させているだけでは感じられなかった気持ちや世界を、耀介がホクロに気づいてくれたおかげで見せてもらうことができた。
リアルでも自分の趣味はお菓子作りだと発信したとして、全員が全員、耀介のように手放しで受け入れてくれたり、食べてくれるとは限らないかもしれない。
でも、初めてが耀介だったおかげで、きっと周りの声に惑わされることはないだろうという芯のようなものが悠太の中にはできていて、それはもう揺るがない。
体育祭のリレーはクラスのみんなにとってのヒーローで、その後は一躍〝学校の〟が付くほど有名になったけれど、それよりずっと前から、耀介は悠太のヒーローだ。
それだけでもう、十分すぎてお釣りが出るくらいだろう。
それに今は、悠太が見ている限りではあるけれど、彼女の――遠野凪紗の、それでもある。
彼女の一挙一動をやきもきしながら見守ったり、前のように『遠野さんが呼んでる』なんて言って、彼女にも、自分が誰かに本気で想われている自覚がないだけの耀介にも、それとないアシスト的なことをすることはあっても、間に割って入ろうなんて微塵も思わない。
お菓子の独占権も、折を見て悠太が自分で回収してもいいくらいだ。
「……」
そんなことを考えながら右手でそっとホクロに触れ、悠太は緩く口角を上げる。
こうして、このままゆっくりと消化していくのだろうと思う。
名前はつけられなかったし、大事にしてやることもできなかったけれど、それでいい。
もしこの先、耀介の身の回りや心境に甘酸っぱい変化が起きて、月曜日の昼休みの試食会をやめたいと思ったり、実際にそう口にしたとき、快く頷いて背中を押してやったり、おめでとうと笑って送り出してやれる自分になっていられれば、それでいい。
「悠太ー……」
すると眠気たっぷりの声で呼ばれ、悠太は少し驚きながら耀介の頭に目をやる。
やっぱりまだまだ体を起こす気はないようで、というより、昼休みが終わるまで寝るのだから動かなくて当然だけれど、相変わらず、触ると柔らかそうな黒髪が悠太の目の前に無防備に差し出されていて、なんとなく落ち着かなくて目が泳ぐ。
「起きてたの?」
「いくら眠くても、そんなすぐにはね。てか、待ってるんだけど、まだ?」
「え、何を?」
「頭だよ。さっきからずっと撫でられ待ち。頑張ったって撫でてほしい」
「……は?」
けれど、耀介ときたら、これだ。
自分のするべきことの軸がしっかりしてきた感覚がある今は、驚きこそすれ、真正面から受け取って正直すぎるリアクションになることなく、それなりに受け流せるくらいには頭も心臓も落ち着いたけれど、まさかずっと待っていたとは思わなかった。
それでスイートポテトを食べて一心地ついたあとから無防備にこちらに頭を向けていたんだと理解が追いつくと、途端に耀介が可愛く見えてくるから、ちょっと困る。
でも、癒されたい気持ちはわからなくもない。
疲れすぎると甘えたがりになるのか、疲れすぎたからそうなっているのかは、悠太には判断のしようもないものの、甘いものが食べたくなる原理と同じかもしれないなと思うと、大人しく頭を差し出して撫でてもらうのを待っている姿が、どことなく、ふわふわもこもこの大型犬みたいに見えてくるから、それはそれで少しおかしい。
「悠太ぁー、まだー?」
「ふはっ。わかったって。耀介はよく頑張った、偉かった」
そんな中、間延びした声に催促され、悠太は笑いながら耀介の頭を撫でてやる。
変に渋って場の空気をおかしくするのも違うし、悠太のほうに純粋に労う気持ちで頭を撫でられない理由があっただけで、耀介のそれは、いつもの〝人たらし〟に違いない。
「んー、いいわー……。悠太はさ、いつも甘い匂いがするから俺の癒しなんだよねー」
「家が洋菓子店だからね。自分でも作るし。でも俺、今まで人から言われたことないな」
「え、そうなの? こんなに美味しそうなのに?」
「わはは。美味しそうって。でも、耀介自身がめちゃくちゃ甘党だからっていうのもあるんじゃない? もとから匂いに敏感な人はいるけど、誰かに言われたとか、自分でもそう思ってるわけじゃないなら、単純にお菓子の甘い匂いに鼻が利くのかもね」
「なるほど。それなら俺、もうずっとこの鼻でいいなー。あとちょっと高かったら、とか、形が良かったら、とか思ったりするけど、それと引き換えに俺の癒しが減る可能性が出てくるなら、この鼻もそんなに悪くないなって思えてくる」
「ははっ。大袈裟だろ。でも、癒せてるなら俺も嬉しいわ」
――ほら、こんな取り留めのないような会話の中でも、耀介は無自覚に甘さ増し増しの言葉を使ってくるし、頭だって悠太にされるがまま、好き放題に撫でられ続けている。
「って、俺と話してたら休めなくない? 撫でててやるから、もう寝なよ」
そう言うと、悠太はやや乱暴に会話を切り上げた。
ちょっと強引だったかも、とは思うけれど、昼休みには限りがあるし、満腹の耀介は眠さに加えて癒しを求めているのに、悠太と話していては目が覚めてしまうだろう。
それに、撫でられ待ちの無防備な頭も、大型犬みたいな甘え方も、お菓子の甘い匂いに癒されるという言葉も、やっぱり自分が受け取るべきものじゃないと悠太は思う。
耀介の中で、実際に口にするまで、こんなことを言ってもいいだろうかと葛藤もあっただろう『悠太だから言っちゃうけど』にもあったように、気を許してくれていることは純粋に嬉しい。でも、本来はそれも、悠太が受け取っていいものではないはずだ。
向けていい人も、受け取るに相応しい人も、ほかにいる。
「っ……」
けれどそのとき、体育祭前の試食会でのやり取りで感じたツキンとした痛みが胸に走って、悠太は思わず、耀介の頭を撫でる手がピクリとしてしまった。
やっぱモテるでしょ、と言ってみたときの、どんなにモテても〝好きな一人からがいい〟と耀介がはっきり言い切った、その会話の中で感じた痛みと同じものだ。
「悠太……?」
「ごめん。なんか勝手にピクついた。あるだろ、そういうの」
「ああ、そういうことね」
「だから寝な。ちゃんと撫でててやるから」
「ふはは。うん、そうするー」
自分から会話を切り上げておきながら何をやっているんだと思いつつ、上手く誤魔化せてホッとしたのと、しょうもない嘘をついてしまった後ろめたさを半々に感じながら、悠太は耀介の頭を撫で続ける。今度は途中で変に力が入ってしまわないように十分に気をつけて、そうしながら頭のほうでは改めて胸の痛みの正体を探っていく。
「……」
あのときは結局、どうして急に痛みが走ったのかもよくわからないまま、リクエストのメレンゲクッキーは上手に作ろうと思ったけれど、今ならなんとなく、わかる気がする。
実はめちゃくちゃ甘党だったり、リクエストの理由が可愛かったりするだけじゃなく、恋愛観に関しても自分の思いや考えをしっかり持っている耀介の、そういう格好いい一面を何人が知っているんだろうと思ったら、咄嗟にたまらない気持ちになったからだろう。
嫌だと感じたというか、独占欲みたいなものが湧いて、甘党なのも可愛いのも格好いいのも俺だけが知っていたい、見せるのは自分の前でだけにしてほしい、なんて無意識に思ってしまい、要はその〝独り占めできたらいいのに〟という気持ちが〝何人が知っているんだろう〟と作用して胸がツキンと痛んだんじゃないかと、そんなふうに思う。
それはつまり、無意識下の中における嫉妬と独占欲だ。しかも不特定多数の人へ向けてという、だいぶ斜め方向で、それでいて、強めのそれらだったりする。
そして今もまた、耀介が本音を言うのも甘えるのも癒しを求めるのも、それらを〝向けていい人も、受け取るに相応しい人も、ほかにいる〟と自己完結させようとした途端の、ツキンとした胸の痛みだ。やっと自分のするべきことの軸ができてきた感覚があって、それなりに受け流せるようになったと思っていた中でのそれには、悠太はもう苦笑するしかない。
――ああもう、なんで俺はこうもフラフラしてばっかりなんだろう……。
喉元まで込み上げてきた溜め息を寸前のところで慌てて飲み込み、悠太は、耀介が動く気配がないのをいいことに、実際に口元に苦笑を浮かべた。
どうやら、ちゃんと消化できるまでには、まだ時間が必要らしい。
具体的にどれくらい必要かとか、いつまでに、というのは本人である悠太にも断言するのは難しいけれど、でも、できるだけ早く消化したいと、そう思う。
そうすることが最良だと思うし、そうしないと耀介にも彼女にも申し訳ない。
悠太が考える消化が行き着いた先は、耀介に甘酸っぱい変化が起きたときに、快く頷いて背中を押してやったり、おめでとうと笑って送り出してやれる自分だ。悠太が気付いていないだけで、ひょっとすると、もう近くまで来ているかもしれないその日を友達として喜んだり祝ってあげられないで、一体、どうするというのだろう。
それから間もなくして五時間目の予鈴が鳴り、悠太は耀介の頭から手を離すと、少し肩を揺らして本人を起こした。もう一度、今度はちゃんと頭を撫ではじめてから十分か十五分そこらの間でどうやら本当に眠っていたらしい耀介は、眠そうな目を擦りながら「……もう?」なんて言って、続けてゆっくりと体を起こすと大きな欠伸をする。
怪獣みたいなその顔に思わず、ぶはっと噴き出してしまいながら、悠太は、でもこの顔は〝好きな一人〟の前ではできないよな、なんて思って、自分のポジションをちょっと誇らしく感じた。怪獣みたいな欠伸はきっと、友達の前だからこそできるものだ。耀介にちゃんとそう認識してもらえていることが悠太は嬉しく、けれどまだ、ほんの少しだけ切なかった。
そしてそれは、悠太の決心とも呼べる〝自分のするべきことの軸〟に抵抗するように、一学期が終わって長い夏休みに入っても、明けて二学期がはじまってしばらくしても、胸の奥で消化不良を起こしたまま、なかなか思うようにはならなかった。
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