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第5章 誰かの匂い
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「来ちゃった、って……どうやってここに?」
ノクスは寝床に座ったまま茫然として尋ねた。本物だろうか。夢でも見ているのではないか。アンバーの香りが漂っている。夢でも香りがするものだろうか?
アルバスはぱきぱきと軽快に首を鳴らし、牢の中を見回しながら苦笑する。
「神殿にいる知り合いのつてだよ。ごめんね、急に来て」
「いや、そんな事はいいけど……」
ノクスはまだ己の目が信じられず、瞬きした。アルバスは入って来て、椅子にどさりと腰かける。ノクスの目を見つめ、ふ、と何か意を決するような息をつく。
「ごめん、我ながらしつこいのはわかってる。何度も面会に来たんだけど……長い金髪の神官が、『会いたくないと言ってる』って。手紙も返事がなかったから、嫌われたのかと思った。でも、君から直接聞かないと、納得できなくて。来た」
ノクスは怪訝そうに眉根に皺を寄せる。
「ルキウスがそう言ったのか? 何も聞いてない。手紙も受け取ってない」
「なら、握り潰されたな。――ふうん。ルキウスと呼んでいるのか」
アルバスの浮かべた微笑は歪んでいた。瞬きもせずノクスを見つめるアルバスの瞳は全てを見透かしてでもいるようだ。正視できないノクスは俯く。
「勝手に面会を断って手紙を握りつぶすなんて……俺が大罪人だから?」
「たとえ罪人でも、面会の権利はあるよ。彼はノクスに私的な思い入れがあるように見えたな。やけに棘のある態度だった。『私が世話をしている以上、ノクスに貴殿の助けは必要ない』とかなんとか言って。……君はまた男に惚れられたな」
「違う!」
ノクスはがばっと顔を上げた。必死でかぶりを振る。
「あれはそんなんじゃない!」
ノクスの形相を見て、アルバスは目にかかる髪をかき上げ、ため息をついた。
「ごめん、せっかく会えたのにこんな話はやめよう。羽織って」
アルバスはノクスの頭の上から白いローブを被せた。ノクスにフードを深く被せて顔を隠し、自分もフードを被る。ノクスはアルバスを見上げた。
「神官服じゃないか。まさか……俺を連れ出す気か?」
「もちろん。俺が君を置いて行くと思うか?」
アルバスは立ち上がった。扉の外へ耳を澄ます。小さなノック音と共に、扉が開く。潜めた声がアルバスに向かって囁く。
「時間です」
「わかった、身代わりをここへ」
アルバスが扉を開くと、腰の曲がった歯のない老人が入って来た。櫛を入れた事もなさそうな白髪と髭は薄汚れ、もじゃもじゃと絡みながら、へそあたりまで伸びている。ノクスと同じ手錠をかけられていた。老人はぎょろぎょろと茶色い目であたりを見回す。しわがれ声で礼を言った。
「誰だか知らんが、地下牢から出してくれて御の字だぜ。綺麗な所じゃねぇか」
アルバスはノクスの腕を掴んで立たせ、にこやかに言った。
「ああ、安らかに過ごせ。今日からお前はノクス・フェリスだ」
二人はすぐさま牢を出て石の廊下を走り出した。息を切らしながら、ノクスは小声でアルバスに尋ねる。
「あれは誰なんだ?」
「君は覚えてないだろうね。小川で君を誘拐して売ろうとした男だよ。他にも余罪があって、グラディウス家が地下牢に収監していた」
「あの時の……!?」
ノクスは自分がいた牢を振り返った。アルバスはふふ、と笑う。
「白髭に白い長髪の老人。王家が世間に喧伝していた大賢者像にぴったりだ」
「王家が喧伝していた? って、どういう事だよ」
案内役が石塀の前で手招きした。香草畑を横切って、案内役が開けてくれた扉から外に出る。神官服を着た案内役は小声で囁いた。
「御約束は果たしましたよ。例の件はどうぞご内密に」
「ご心配なく。貴方の献金横領については、決して他言しませんよ」
アルバスはそこにつないでいた黒馬にノクスをひょいと乗せ、自分も飛び乗った。
勢いよく走り出した馬の背で、ノクスは後ろのアルバスに問いかける。
「すぐバレて追手がかかるんじゃないか? あのお年寄りと俺じゃ姿が違いすぎる」
「問題ないさ。神殿内で君の姿を見たのはいったい何人だ?」
「……そうか! 一人だ。ルキウスだけ……」
ノクスはハッとして呟く。神殿への移送中、ノクスは常に覆面を被せられていた。ミラ王妃殿下が異例の出席を強行したためか、国王裁判では衝立に姿を隠すよう求められた。ノクスを裁いた司教達もノクスの姿は見ていない。神殿内での移動中も常に覆面である。牢は神殿から離れた隔離棟内にあり、ルキウス以外の神官は出入りを禁じられている。
「神殿の知り合いから聞いたんだ、君はずっと覆面姿だったと。俺の知人の新聞記者は、大賢者を白髭の愚かな老人として書くよう検閲官に命じられたと言っていた。君の平民人気を下げるためだ。徹底して君の顔を隠したのは、せっかく広めた偽りの大賢者像が嘘だとバレるのを避けたかったからだろう。神殿の上層部の者が君に心を奪われても困る。王は君をことほどさように恐れていた、ということさ」
アルバスは冷たい夜闇の中、手綱をとって馬を走らせ、前だけを見ている。ノクスは不安の中で囁いた。
「でも、ルキウスが騒いだら……!」
「彼が騒いだところで、罪人が入れ替わったかどうかを確認する術はない。だって誰もノクスの顔を知らないのだから。――それにね、ルキウスは何も言わないと俺は確信している」
アルバスの意味ありげな台詞に、ノクスは振り返る。
「なぜそう思う?」
「彼は今夜、神殿規範を破ってこっそり無断外出しているからだよ。知り合いが確認してくれたが、神殿の聖課行動記録簿にルキウスは今晩『一晩中牢の監視にあたった』と自筆で嘘の報告を書き込んでいる。監視していたのに罪人の逃亡に気づかなかったのはおかしいと、誰もがルキウスの関与を疑うだろう。……彼は地元のフローレス伯爵家の出だったね。問題を起こさなければ順当に司教になれる身だ。我が身が可愛ければ、何も言わないさ」
「ルキウスの家の事まで調べたのか?」
「神殿に入るつてを探していて知った」
愉快そうに馬を走らせるアルバスを、ノクスは振り仰いだ。
「アルバス、ありがとう」
「ノクスを取り戻すためなら何でもするさ。しかし、待つのは魔獣と戦うより辛いね。ルキウスが牢を離れるまで手が出せなかった。じりじりして、胸が焼けて……吐きそうだったな」
アルバスは苦く笑う。どうやらアルバスは、知り合いからルキウス不在の連絡が来るのを一週間も神殿周辺で待ち続けたらしい。『浄化』の話は墓まで持って行った方がいいだろう。
ノクスは夜露と草の匂いのする夜気を肺いっぱいに吸い込み、やっと戻って来た自由を噛みしめた。
ふとルキウスを思い出す。神殿に戻ったルキウスはノクス・フェリスが白髪の老人に変わっていてさぞ仰天する事だろう。『穢れた魔術で俺を騙そうというのか!?』とでも叫ぶかもしれない。
単純なルキウスは、憎みきれぬ男ではあった。違う環境で出会えていたら、友達くらいにはなれたかもしれない。
けれどノクスは、ルキウスの所有物になりたいとは思わなかった。ルキウスは、ノクスの意志についてはいつでも無視していたからだ。
――逃げ出せてよかった。あのままあそこにいたら。
ノクスの手が震えた。ひと息ついて顔を上げる。
「おかげで助かった。俺の恋愛運はぜんぶ相棒運に割りふられたんだな、きっと」
「返答に困る事を言うね、ノクスは。……まあ俺は他の人の分も君を好きだから、それで我慢してくれ。君の髪の寝癖から爪の形まで好きだよ」
アルバスはノクスの頭の上に自分の顎をとんとのせる。ノクスを支える左手に力を籠めた。聞いたノクスはドン引きして目を泳がせる。
「お前、そんな台詞吐いててよく歯が浮かねぇな……あとちょっと怖い」
「素直な気持ちを言っただけだよ。何が怖い?」
「お前、昔誕生日に俺の髪と爪を欲しがった事あっただろ……思い出すんだよ」
ノクスは体を硬くした。当時は幼かったのでよく考えずに渡したが、いまだにあれが何だったのか謎である。アルバスは言葉を濁した。
「あー……あれは別に」
「別になんなんだよ……捨てろって言っただろ、ちゃんと捨てたんだろうな」
「ごめん、あれはちゃんと用途があった。君の行方がわからなくなった時、捜すために保管してあるんだよ」
アルバスは平然と言った。ノクスはかっと目を見開く。
「呪術か!?」
「そう。グラディウス家には昔から専属呪術師がいるんだよ、極秘だけど。君は呪術は専門外だろ? だから言ってもと思って」
おっとりとアルバスは言ったが、専門外とかそういう問題ではない。
――『君が逃げても必ず探し出す』とは言ってたけど、コイツ本気だ……。
ノクスが鳥肌を立てている間にも、馬は順調に村はずれへと歩を進める。
「ちょっと見ない間に村が荒れたな」
ノクスは眼下に広がる冬の麦畑に目をやり、つぶやく。刈り取られて寒々しい畑の上をカラスがまばらに飛び、落ちた麦粒をつついている。魔獣に襲われて倒壊したままの家屋が目についた。
「都市部でも魔獣被害が増えたよ。ノクスの飛竜が飛び去って、周辺で大型魔獣を捕食しなくなったせいだ。ノクスと飛竜が王国を護っていたのに、王は自らその護りを放棄して、ノクスの話を聞きもしない」
「うん……」
「もうわかっただろう? ここに残る意味はないって」
そうだな、と、ノクスは呟いた。
※ ※ ※
アルバスは近くの町はずれの一軒家にノクスを招き入れた。煉瓦造りの家には柔らかな絨毯が敷かれ、磨かれたマホガニーのテーブルが置かれている。ゆとりのある商家の住まいのようだ。
「この家はドミティウス商家に借りた。君を助けたい人は、君が思ってるより多い」
「財産没収されたっていうあの豪商のか。お前、協力者探しの腕もあるんだな」
感嘆するノクスに歩み寄り、アルバスはノクスの被ったフードをそっと下ろした。聖錠で両手を使えないノクスの代わりに、胸元のボタンを外して神官服のマントを脱がせる。手持無沙汰のノクスは、テーブルの上に並べて置かれた新聞の見出しを目で追った。
――粗悪な紙だな。『魔獣激増! 王都でも被害相次ぐ。原因は大賢者の不在か』『魔獣被害、甚大なれど無策。大賢者を誤認逮捕した王家の失態』『大賢者の弟子語る「大賢者を解放せねばさらに魔獣被害は拡大する」』――
「はあっ!? 大賢者の弟子!? ルカの奴、新聞の取材を受けたのか!? こんな内容、検閲を通るわけないのに……」
ノクスは思わず大声を上げた。アルバスは新聞を取って広げて見せる。
「ご明察。巷で人気の秘密新聞だよ。ルカが作った」
「ルカが!? なんで!?」
「『師匠の役に立ちたいんだ!』って泣いてうるさいから、俺が資金を渡した。革命派の仲間と刷って売ってる。あいつ昔新聞の売り子だったんだって?」
「そうだけど! 王家を侮辱してる。見つかったら捕まって耳削ぎの刑だぞ!?」
ノクスはアルバスに詰め寄った。アルバスはノクスの肩に手を置いて椅子に座らせる。新聞を広げてテーブルに置いた。
「ルカは承知の上だ。大賢者ノクスの名誉回復のために闘うと決めたんだ。そして成功した。今や庶民は皆、大賢者の功績を称え、王に反感を募らせてる」
ノクスはアルバスを見上げたまま、唇を震わせた。
「……そんな事望んでない。俺はただ、ルカに安全に暮らしてほしくて」
「それはノクスの望みだ。ルカの望みは違う」
淡々とそう告げられて、ノクスは新聞記事に目を落とす。
「アルバス。お前も革命派と手を組んだのか?」
「さあ……どうかな。ルカは流通を任せてくれれば50倍の部数を売ると言われて呑んだらしいけど。俺はノクスと一緒にいられれば、後はどうでもいいから」
アルバスはどさっとノクスの隣に腰かける。頬杖をついてノクスを覗き込み、にっこり笑った。
「どうでもいいわけあるか。革命になればグラディウス家もただでは済まないぞ」
「何度も言うけど、家名は捨てた」
「……都にも魔獣が出るようになったって。そのままにしておくのか」
アルバスは肩をすくめる。何の掻痒も感じていないようだ。
「君を虐げた国がどうなろうと関心はない。君も国外逃亡に乗り気だっただろ?」
ノクスは苛立ってアルバスを見つめる。
「俺がいなくても国が対策を打つと思ったんだ。たったひと月でここまで荒れるとは思わなかった! 俺はステパノスを捨ておいていいとは思えない。俺が討伐の事しか考えないのは、自分みたいな奴を減らすためだ。これじゃ逆に増えちまうだろ!」
「そう言うと思った。だが、この状況では討伐も儘ならないよ。革命派について王を倒し、堂々と討伐に戻れる立場を取り戻すかい?」
「それは……」
ノクスは逡巡し、眉を寄せた。アルバスはふっと笑って目を細める。
「決断は今すぐじゃなくていい。疲れただろう、もう夜も遅い。休もう」
頷いた途端に軽々と肩に担ぎ上げられた。アルバスは大股に悠々と部屋を出て、薄暗くひんやりした一室の寝台の上にノクスを下ろす。ノクスの首元にすいと鼻先を寄せて、アルバスは匂いを嗅いだ。
「……聞きたい事があるんだ。馬に相乗りして気づいたけど……ノクスから乳香の匂いがする。どうして?」
間近にじっと見つめられて、ノクスは気まずく目をそらす。司祭の纏う香だ。ルキウスの衣から移ったのだろう。
「神殿に焚きしめられてた香だよ」
「あの神官から感じた匂いだ。不快だから、その囚人服は脱ごうか」
『汚れたから手を洗おうか』と言うような気軽さでさらりとアルバスは言って、ノクスの服の紐をほどき始める。
「この手錠じゃ、いくら貫頭衣の囚人服でも着づらい。……ルキウスが君の服を着せてたんだろう? 毎朝? 君の膚を見て……触れたか?」
アルバスの問う声はしわがれてい、最後は消え入りそうなほどかすれていた。ノクスは己の手首に目を落とす。怖くて、アルバスの目を見る事ができない。
「……いいや。ルキウスは俺の事を穢れた魔術師って罵ってた。俺には触らない」
アルバスは青い瞳を微笑ませた。ノクスを覗き込むようにする、その瞳の奥は笑っていない。
「嘘つきだね。ノクス。どうしてそんなに嘘が下手なんだ。あいつが触れないなら、君にこれほど濃く移り香が残るわけはないだろう」
ノクスの背筋に、ぞくっと寒気が走った。固まったまま何も言えないでいると、アルバスはノクスの耳もとに口を近づけて囁く。
「いいかい? 君は俺に抱かれる。今からだ」
ノクスはぎゅっと目を閉じて、うなずいた。
「アルバス、明かりを消し……」
言いかけたノクスは、アルバスがもう上着を脱ぎ捨てているのを見て目を見開いたなり絶句する。
――速い。
アルバスはノクスの隣にすべり込むと、ノクスの顎に手をかけてすばやく唇を奪った。温かい舌がノクスの舌を求めて絡みつく。息までも奪う勢いで噛みつかれ、ノクスは戸惑いの中でぎゅっと目を瞑った。
――らしくない。いつも涼しい顔のアルバスがこんな。
息を切らして食むようにノクスの唇を貪りながら、アルバスはノクスを己の身体の下に組み敷く。ノクスの唇の端から透明な液体がひとすじ零れて、顎を伝った。
体をまさぐるアルバスの手はノクスの囚人服だった麻衣の紐を乱暴に引いてほどいてしまう。下履きまで手際よく取り去られてしまうと、一糸纏わぬ姿のノクスはひやりとした冷気に体をすくませる。
と、ノクスは腕に抱き寄せられて、後ろからアルバスの熱い裸の体温に包まれた。
抱きしめられてほうと息をついた途端、ノクスの雄の徴はアルバスに握り込まれた。鈴口の先端を人差し指で優しく撫でさすられて、ノクスは「あっ」と甘い息を漏らしてしまう。
アルバスの左手の指はノクスの胸の蕾を摘んでは撫でてい、じりじりするような快感にノクスは身をよじった。
「……ノクス。ルキウスはここに触れたか?」
「触るわけ、ない……ッ」
ノクスは喘ぎ声を上げてしまいそうになり、声を殺しながら囁いた。アルバスの左手の指がノクスの後ろの尻の間をつぷりと割って入ってくる。
「ここも? 本当に?」
「あたり、まえ……っ!」
ノクスは息を呑んだ。アルバスの指が奥まで進んで、説明どころではなくなった。アルバスの大きな指が性急に押し入ってくるのを感じ取り、指を締めつける肉壁が甘い疼痛を訴えている。
「いッ……! 急に入れるな! 痛ぇ馬鹿!」
罵られたアルバスは恍惚と呟く。
「本当みたいだね。指だけでこんなにきつい。男の物が入る場所が馴らされていない。……よかった。俺も人は殺したくないから」
「……なんの話だよ……!?」
ノクスは喘ぎながらもぎょっとして、アルバスを見上げる。
「ルキウスが君に手を出していたら、殺さなくちゃいけなかったって話」
アルバスは無表情に言って、それから打って変わって顔をほころばせた。
「ノクスの中、きついけど柔らかいな。うねって指に絡みついてくる」
「な、何も言うな」
ノクスは恥ずかしさに頬を染めながら腕で顔を隠した。暴走していたアルバスはやっと落ち着き、優しくノクスの内側を撫で始める。ノクスは安心して甘い声を漏らし、アルバスに身を委ねた。
――アルバスに触られると安心する。ルキウスとは違う。気持ちいい。
ノクスがアルバスの指を複数でもすんなりのみ込めるようになった頃、アルバスはかすれた声で囁く。
「ノクス……我慢できない」
こくりとノクスは頷く。いよいよか、と思った瞬間であった。
バン、と扉の叩き開けられる音がした。走る足音が近づいてきたかと思えば、ノクスとアルバスのいる部屋の扉が、どんどんと激しくノックされる。
「だ……誰だ!? 追手か!?」
ノクスはアルバスを見上げ、小声で問う。
アルバスは瞳孔の開ききった眼で扉を見返り、苛立ちを隠しもせずに舌打ちした。
「追手より煩いのが来た」
扉を壊さんばかりのノックが続いている。アルバスはのろのろと自分の服を羽織ると、焦る様子もなくノクスに新しい上着を被せて丁寧に紐を結ぶ。自分ではたやすく服も着れないノクスはやむを得ずアルバスに任せたが、さすがに心配になってきた。
「大丈夫なのか? こんなに待たせて」
「ノクス、待たされているのは俺だ」
アルバスは虚ろな瞳でそう言って立ち上がると、やっと扉を開ける。
「ノクス! ノクス、無事だったんだな! ……ごめん、俺のせいだ。俺のせいでノクスが謀叛人扱いされた」
涙目のルカが弾丸のように飛び込んできてノクスに抱きついた。すっかり背の伸びたルカは、たんぽぽのように短かった金髪も長く伸びている。
ノクスはルカの体重を受け止めて、ゆっくり微笑む。
「どのみち陛下は俺を陥れるつもりだった。飛竜の件がなくとも、俺はいずれ裁かれただろう。……ルカ、少し見ない間に大人びたな」
「うん。もう大人だよ。ノクス、顔を見せてよ……怪我してない?」
ルカの肩を掴んでアルバスがノクスから引き剥がす。
「くっつくな」
ルカはアルバスを見返ってきっと睨みつけた。
「手を離せ、陰険ど助平野郎。明日の決行だと言ったのに、やっぱり嘘だったな。ノクスに何をしてんだよ!?」
アルバスの手を振り払って毒づくルカをノクスは落ち着かせようと試みる。
「ルカ、心配ない。な、何もされてないぞ。アルバスが牢から助けてくれて、休ませてくれてたところだ」
「それ! 俺も牢に救出に行く予定だったんだ! いい役独り占めしやがって!」
ルカに噛みつかれたアルバスはしらっと横を向いた。
「喚くな、耳が痛い。お前の聞き間違いだ」
「俺がノクスを助ける日を間違えるわけないだろ!? この腹黒インチキ野郎が!!」
――アルバスは俺の雌化を済ませてからルカを呼ぶつもりだったのか。
雌化の条件を知らぬルカがアルバスに怒るのは当然だ。とはいえ、説明を受ければルキウスのように強引な『善意』でノクスを雌化しようと決めてしまう相手もいる。ノクスは痛い教訓を学んだばかりだ。無暗に口外すべきではない。
――ルカはルキウスみたいな事はしないけど、だとしても子供に言うような事じゃないしな。
ノクスは気を取り直して咳払いをした。声をかける。
「ルカよ。お前最近、革命派とつるんでるらしいが……どういうつもりだ?」
ルカはアルバスを忘れたように振り返って、ノクスの前の床に膝をついた。
「放っておいたらある事無い事書かれて、ノクスの悪評がどんどん広まる。俺は真実を皆に知らせて、ノクスを貶める連中に思い知らせてやるんだ」
真剣な顔でこちらを見上げるルカに、ノクスは眉を下げる。
「気持ちは嬉しい。だがルカ。お尋ね者にしたくて弟子にしたわけじゃないぞ。俺の弟子なら、師匠の命を聞くべきだろう。革命派と手を切らないなら破門だ!」
厳しく言い渡すと、ノクスは唇を噛んで下を向いた。消え入るような声で呟く。
「……しょうがねぇよ……。俺、迷惑しかかけてねえもんな」
「ルカは討伐者になりたいんじゃないのか。両親の仇をとるんじゃなかったのか!」
ノクスが叱咤すると、ルカは顔を伏せたまま小さく言った。
「俺に討伐の才能はない。必死で努力してたつもりだったよ。でも次元が違った。何とか役に立とうとしたけど、結果として俺はノクスを反逆罪に追い込んだ。この腹黒の言った事が正しかった。俺は馬鹿で、弟子に相応しくない」
ノクスは慌てた。破門だと言えば諦めるかと思えば。
「弟子が師匠より拙いのは当たり前の事だろう!? そんな事で諦めるのか!?」
ルカは何とも言えない顔をした。は、と歪んだ笑みをうかべる。
「……ノクス、俺が倒せるのはせいぜい魔鼠くらいだって前に言っただろ。でもこの腹黒は、俺と同じ年でノクスは魔猪を討ったって言ってた。俺はノクスのようにはなれない。持ってる魔力の量も質も、違うんだよ、何もかも」
淡々とルカは言った。立ち上がって、ノクスの手を両手に包む。
「俺は足手まといのままでいたくない。必ずノクスの役に立ってみせる。そのための場所を見つけただけだ。だってあんたは、討伐に出たがる無力な子供を見捨てないでいてくれて、その子の罪を被ってくれたんだからね」
ノクスは寝床に座ったまま茫然として尋ねた。本物だろうか。夢でも見ているのではないか。アンバーの香りが漂っている。夢でも香りがするものだろうか?
アルバスはぱきぱきと軽快に首を鳴らし、牢の中を見回しながら苦笑する。
「神殿にいる知り合いのつてだよ。ごめんね、急に来て」
「いや、そんな事はいいけど……」
ノクスはまだ己の目が信じられず、瞬きした。アルバスは入って来て、椅子にどさりと腰かける。ノクスの目を見つめ、ふ、と何か意を決するような息をつく。
「ごめん、我ながらしつこいのはわかってる。何度も面会に来たんだけど……長い金髪の神官が、『会いたくないと言ってる』って。手紙も返事がなかったから、嫌われたのかと思った。でも、君から直接聞かないと、納得できなくて。来た」
ノクスは怪訝そうに眉根に皺を寄せる。
「ルキウスがそう言ったのか? 何も聞いてない。手紙も受け取ってない」
「なら、握り潰されたな。――ふうん。ルキウスと呼んでいるのか」
アルバスの浮かべた微笑は歪んでいた。瞬きもせずノクスを見つめるアルバスの瞳は全てを見透かしてでもいるようだ。正視できないノクスは俯く。
「勝手に面会を断って手紙を握りつぶすなんて……俺が大罪人だから?」
「たとえ罪人でも、面会の権利はあるよ。彼はノクスに私的な思い入れがあるように見えたな。やけに棘のある態度だった。『私が世話をしている以上、ノクスに貴殿の助けは必要ない』とかなんとか言って。……君はまた男に惚れられたな」
「違う!」
ノクスはがばっと顔を上げた。必死でかぶりを振る。
「あれはそんなんじゃない!」
ノクスの形相を見て、アルバスは目にかかる髪をかき上げ、ため息をついた。
「ごめん、せっかく会えたのにこんな話はやめよう。羽織って」
アルバスはノクスの頭の上から白いローブを被せた。ノクスにフードを深く被せて顔を隠し、自分もフードを被る。ノクスはアルバスを見上げた。
「神官服じゃないか。まさか……俺を連れ出す気か?」
「もちろん。俺が君を置いて行くと思うか?」
アルバスは立ち上がった。扉の外へ耳を澄ます。小さなノック音と共に、扉が開く。潜めた声がアルバスに向かって囁く。
「時間です」
「わかった、身代わりをここへ」
アルバスが扉を開くと、腰の曲がった歯のない老人が入って来た。櫛を入れた事もなさそうな白髪と髭は薄汚れ、もじゃもじゃと絡みながら、へそあたりまで伸びている。ノクスと同じ手錠をかけられていた。老人はぎょろぎょろと茶色い目であたりを見回す。しわがれ声で礼を言った。
「誰だか知らんが、地下牢から出してくれて御の字だぜ。綺麗な所じゃねぇか」
アルバスはノクスの腕を掴んで立たせ、にこやかに言った。
「ああ、安らかに過ごせ。今日からお前はノクス・フェリスだ」
二人はすぐさま牢を出て石の廊下を走り出した。息を切らしながら、ノクスは小声でアルバスに尋ねる。
「あれは誰なんだ?」
「君は覚えてないだろうね。小川で君を誘拐して売ろうとした男だよ。他にも余罪があって、グラディウス家が地下牢に収監していた」
「あの時の……!?」
ノクスは自分がいた牢を振り返った。アルバスはふふ、と笑う。
「白髭に白い長髪の老人。王家が世間に喧伝していた大賢者像にぴったりだ」
「王家が喧伝していた? って、どういう事だよ」
案内役が石塀の前で手招きした。香草畑を横切って、案内役が開けてくれた扉から外に出る。神官服を着た案内役は小声で囁いた。
「御約束は果たしましたよ。例の件はどうぞご内密に」
「ご心配なく。貴方の献金横領については、決して他言しませんよ」
アルバスはそこにつないでいた黒馬にノクスをひょいと乗せ、自分も飛び乗った。
勢いよく走り出した馬の背で、ノクスは後ろのアルバスに問いかける。
「すぐバレて追手がかかるんじゃないか? あのお年寄りと俺じゃ姿が違いすぎる」
「問題ないさ。神殿内で君の姿を見たのはいったい何人だ?」
「……そうか! 一人だ。ルキウスだけ……」
ノクスはハッとして呟く。神殿への移送中、ノクスは常に覆面を被せられていた。ミラ王妃殿下が異例の出席を強行したためか、国王裁判では衝立に姿を隠すよう求められた。ノクスを裁いた司教達もノクスの姿は見ていない。神殿内での移動中も常に覆面である。牢は神殿から離れた隔離棟内にあり、ルキウス以外の神官は出入りを禁じられている。
「神殿の知り合いから聞いたんだ、君はずっと覆面姿だったと。俺の知人の新聞記者は、大賢者を白髭の愚かな老人として書くよう検閲官に命じられたと言っていた。君の平民人気を下げるためだ。徹底して君の顔を隠したのは、せっかく広めた偽りの大賢者像が嘘だとバレるのを避けたかったからだろう。神殿の上層部の者が君に心を奪われても困る。王は君をことほどさように恐れていた、ということさ」
アルバスは冷たい夜闇の中、手綱をとって馬を走らせ、前だけを見ている。ノクスは不安の中で囁いた。
「でも、ルキウスが騒いだら……!」
「彼が騒いだところで、罪人が入れ替わったかどうかを確認する術はない。だって誰もノクスの顔を知らないのだから。――それにね、ルキウスは何も言わないと俺は確信している」
アルバスの意味ありげな台詞に、ノクスは振り返る。
「なぜそう思う?」
「彼は今夜、神殿規範を破ってこっそり無断外出しているからだよ。知り合いが確認してくれたが、神殿の聖課行動記録簿にルキウスは今晩『一晩中牢の監視にあたった』と自筆で嘘の報告を書き込んでいる。監視していたのに罪人の逃亡に気づかなかったのはおかしいと、誰もがルキウスの関与を疑うだろう。……彼は地元のフローレス伯爵家の出だったね。問題を起こさなければ順当に司教になれる身だ。我が身が可愛ければ、何も言わないさ」
「ルキウスの家の事まで調べたのか?」
「神殿に入るつてを探していて知った」
愉快そうに馬を走らせるアルバスを、ノクスは振り仰いだ。
「アルバス、ありがとう」
「ノクスを取り戻すためなら何でもするさ。しかし、待つのは魔獣と戦うより辛いね。ルキウスが牢を離れるまで手が出せなかった。じりじりして、胸が焼けて……吐きそうだったな」
アルバスは苦く笑う。どうやらアルバスは、知り合いからルキウス不在の連絡が来るのを一週間も神殿周辺で待ち続けたらしい。『浄化』の話は墓まで持って行った方がいいだろう。
ノクスは夜露と草の匂いのする夜気を肺いっぱいに吸い込み、やっと戻って来た自由を噛みしめた。
ふとルキウスを思い出す。神殿に戻ったルキウスはノクス・フェリスが白髪の老人に変わっていてさぞ仰天する事だろう。『穢れた魔術で俺を騙そうというのか!?』とでも叫ぶかもしれない。
単純なルキウスは、憎みきれぬ男ではあった。違う環境で出会えていたら、友達くらいにはなれたかもしれない。
けれどノクスは、ルキウスの所有物になりたいとは思わなかった。ルキウスは、ノクスの意志についてはいつでも無視していたからだ。
――逃げ出せてよかった。あのままあそこにいたら。
ノクスの手が震えた。ひと息ついて顔を上げる。
「おかげで助かった。俺の恋愛運はぜんぶ相棒運に割りふられたんだな、きっと」
「返答に困る事を言うね、ノクスは。……まあ俺は他の人の分も君を好きだから、それで我慢してくれ。君の髪の寝癖から爪の形まで好きだよ」
アルバスはノクスの頭の上に自分の顎をとんとのせる。ノクスを支える左手に力を籠めた。聞いたノクスはドン引きして目を泳がせる。
「お前、そんな台詞吐いててよく歯が浮かねぇな……あとちょっと怖い」
「素直な気持ちを言っただけだよ。何が怖い?」
「お前、昔誕生日に俺の髪と爪を欲しがった事あっただろ……思い出すんだよ」
ノクスは体を硬くした。当時は幼かったのでよく考えずに渡したが、いまだにあれが何だったのか謎である。アルバスは言葉を濁した。
「あー……あれは別に」
「別になんなんだよ……捨てろって言っただろ、ちゃんと捨てたんだろうな」
「ごめん、あれはちゃんと用途があった。君の行方がわからなくなった時、捜すために保管してあるんだよ」
アルバスは平然と言った。ノクスはかっと目を見開く。
「呪術か!?」
「そう。グラディウス家には昔から専属呪術師がいるんだよ、極秘だけど。君は呪術は専門外だろ? だから言ってもと思って」
おっとりとアルバスは言ったが、専門外とかそういう問題ではない。
――『君が逃げても必ず探し出す』とは言ってたけど、コイツ本気だ……。
ノクスが鳥肌を立てている間にも、馬は順調に村はずれへと歩を進める。
「ちょっと見ない間に村が荒れたな」
ノクスは眼下に広がる冬の麦畑に目をやり、つぶやく。刈り取られて寒々しい畑の上をカラスがまばらに飛び、落ちた麦粒をつついている。魔獣に襲われて倒壊したままの家屋が目についた。
「都市部でも魔獣被害が増えたよ。ノクスの飛竜が飛び去って、周辺で大型魔獣を捕食しなくなったせいだ。ノクスと飛竜が王国を護っていたのに、王は自らその護りを放棄して、ノクスの話を聞きもしない」
「うん……」
「もうわかっただろう? ここに残る意味はないって」
そうだな、と、ノクスは呟いた。
※ ※ ※
アルバスは近くの町はずれの一軒家にノクスを招き入れた。煉瓦造りの家には柔らかな絨毯が敷かれ、磨かれたマホガニーのテーブルが置かれている。ゆとりのある商家の住まいのようだ。
「この家はドミティウス商家に借りた。君を助けたい人は、君が思ってるより多い」
「財産没収されたっていうあの豪商のか。お前、協力者探しの腕もあるんだな」
感嘆するノクスに歩み寄り、アルバスはノクスの被ったフードをそっと下ろした。聖錠で両手を使えないノクスの代わりに、胸元のボタンを外して神官服のマントを脱がせる。手持無沙汰のノクスは、テーブルの上に並べて置かれた新聞の見出しを目で追った。
――粗悪な紙だな。『魔獣激増! 王都でも被害相次ぐ。原因は大賢者の不在か』『魔獣被害、甚大なれど無策。大賢者を誤認逮捕した王家の失態』『大賢者の弟子語る「大賢者を解放せねばさらに魔獣被害は拡大する」』――
「はあっ!? 大賢者の弟子!? ルカの奴、新聞の取材を受けたのか!? こんな内容、検閲を通るわけないのに……」
ノクスは思わず大声を上げた。アルバスは新聞を取って広げて見せる。
「ご明察。巷で人気の秘密新聞だよ。ルカが作った」
「ルカが!? なんで!?」
「『師匠の役に立ちたいんだ!』って泣いてうるさいから、俺が資金を渡した。革命派の仲間と刷って売ってる。あいつ昔新聞の売り子だったんだって?」
「そうだけど! 王家を侮辱してる。見つかったら捕まって耳削ぎの刑だぞ!?」
ノクスはアルバスに詰め寄った。アルバスはノクスの肩に手を置いて椅子に座らせる。新聞を広げてテーブルに置いた。
「ルカは承知の上だ。大賢者ノクスの名誉回復のために闘うと決めたんだ。そして成功した。今や庶民は皆、大賢者の功績を称え、王に反感を募らせてる」
ノクスはアルバスを見上げたまま、唇を震わせた。
「……そんな事望んでない。俺はただ、ルカに安全に暮らしてほしくて」
「それはノクスの望みだ。ルカの望みは違う」
淡々とそう告げられて、ノクスは新聞記事に目を落とす。
「アルバス。お前も革命派と手を組んだのか?」
「さあ……どうかな。ルカは流通を任せてくれれば50倍の部数を売ると言われて呑んだらしいけど。俺はノクスと一緒にいられれば、後はどうでもいいから」
アルバスはどさっとノクスの隣に腰かける。頬杖をついてノクスを覗き込み、にっこり笑った。
「どうでもいいわけあるか。革命になればグラディウス家もただでは済まないぞ」
「何度も言うけど、家名は捨てた」
「……都にも魔獣が出るようになったって。そのままにしておくのか」
アルバスは肩をすくめる。何の掻痒も感じていないようだ。
「君を虐げた国がどうなろうと関心はない。君も国外逃亡に乗り気だっただろ?」
ノクスは苛立ってアルバスを見つめる。
「俺がいなくても国が対策を打つと思ったんだ。たったひと月でここまで荒れるとは思わなかった! 俺はステパノスを捨ておいていいとは思えない。俺が討伐の事しか考えないのは、自分みたいな奴を減らすためだ。これじゃ逆に増えちまうだろ!」
「そう言うと思った。だが、この状況では討伐も儘ならないよ。革命派について王を倒し、堂々と討伐に戻れる立場を取り戻すかい?」
「それは……」
ノクスは逡巡し、眉を寄せた。アルバスはふっと笑って目を細める。
「決断は今すぐじゃなくていい。疲れただろう、もう夜も遅い。休もう」
頷いた途端に軽々と肩に担ぎ上げられた。アルバスは大股に悠々と部屋を出て、薄暗くひんやりした一室の寝台の上にノクスを下ろす。ノクスの首元にすいと鼻先を寄せて、アルバスは匂いを嗅いだ。
「……聞きたい事があるんだ。馬に相乗りして気づいたけど……ノクスから乳香の匂いがする。どうして?」
間近にじっと見つめられて、ノクスは気まずく目をそらす。司祭の纏う香だ。ルキウスの衣から移ったのだろう。
「神殿に焚きしめられてた香だよ」
「あの神官から感じた匂いだ。不快だから、その囚人服は脱ごうか」
『汚れたから手を洗おうか』と言うような気軽さでさらりとアルバスは言って、ノクスの服の紐をほどき始める。
「この手錠じゃ、いくら貫頭衣の囚人服でも着づらい。……ルキウスが君の服を着せてたんだろう? 毎朝? 君の膚を見て……触れたか?」
アルバスの問う声はしわがれてい、最後は消え入りそうなほどかすれていた。ノクスは己の手首に目を落とす。怖くて、アルバスの目を見る事ができない。
「……いいや。ルキウスは俺の事を穢れた魔術師って罵ってた。俺には触らない」
アルバスは青い瞳を微笑ませた。ノクスを覗き込むようにする、その瞳の奥は笑っていない。
「嘘つきだね。ノクス。どうしてそんなに嘘が下手なんだ。あいつが触れないなら、君にこれほど濃く移り香が残るわけはないだろう」
ノクスの背筋に、ぞくっと寒気が走った。固まったまま何も言えないでいると、アルバスはノクスの耳もとに口を近づけて囁く。
「いいかい? 君は俺に抱かれる。今からだ」
ノクスはぎゅっと目を閉じて、うなずいた。
「アルバス、明かりを消し……」
言いかけたノクスは、アルバスがもう上着を脱ぎ捨てているのを見て目を見開いたなり絶句する。
――速い。
アルバスはノクスの隣にすべり込むと、ノクスの顎に手をかけてすばやく唇を奪った。温かい舌がノクスの舌を求めて絡みつく。息までも奪う勢いで噛みつかれ、ノクスは戸惑いの中でぎゅっと目を瞑った。
――らしくない。いつも涼しい顔のアルバスがこんな。
息を切らして食むようにノクスの唇を貪りながら、アルバスはノクスを己の身体の下に組み敷く。ノクスの唇の端から透明な液体がひとすじ零れて、顎を伝った。
体をまさぐるアルバスの手はノクスの囚人服だった麻衣の紐を乱暴に引いてほどいてしまう。下履きまで手際よく取り去られてしまうと、一糸纏わぬ姿のノクスはひやりとした冷気に体をすくませる。
と、ノクスは腕に抱き寄せられて、後ろからアルバスの熱い裸の体温に包まれた。
抱きしめられてほうと息をついた途端、ノクスの雄の徴はアルバスに握り込まれた。鈴口の先端を人差し指で優しく撫でさすられて、ノクスは「あっ」と甘い息を漏らしてしまう。
アルバスの左手の指はノクスの胸の蕾を摘んでは撫でてい、じりじりするような快感にノクスは身をよじった。
「……ノクス。ルキウスはここに触れたか?」
「触るわけ、ない……ッ」
ノクスは喘ぎ声を上げてしまいそうになり、声を殺しながら囁いた。アルバスの左手の指がノクスの後ろの尻の間をつぷりと割って入ってくる。
「ここも? 本当に?」
「あたり、まえ……っ!」
ノクスは息を呑んだ。アルバスの指が奥まで進んで、説明どころではなくなった。アルバスの大きな指が性急に押し入ってくるのを感じ取り、指を締めつける肉壁が甘い疼痛を訴えている。
「いッ……! 急に入れるな! 痛ぇ馬鹿!」
罵られたアルバスは恍惚と呟く。
「本当みたいだね。指だけでこんなにきつい。男の物が入る場所が馴らされていない。……よかった。俺も人は殺したくないから」
「……なんの話だよ……!?」
ノクスは喘ぎながらもぎょっとして、アルバスを見上げる。
「ルキウスが君に手を出していたら、殺さなくちゃいけなかったって話」
アルバスは無表情に言って、それから打って変わって顔をほころばせた。
「ノクスの中、きついけど柔らかいな。うねって指に絡みついてくる」
「な、何も言うな」
ノクスは恥ずかしさに頬を染めながら腕で顔を隠した。暴走していたアルバスはやっと落ち着き、優しくノクスの内側を撫で始める。ノクスは安心して甘い声を漏らし、アルバスに身を委ねた。
――アルバスに触られると安心する。ルキウスとは違う。気持ちいい。
ノクスがアルバスの指を複数でもすんなりのみ込めるようになった頃、アルバスはかすれた声で囁く。
「ノクス……我慢できない」
こくりとノクスは頷く。いよいよか、と思った瞬間であった。
バン、と扉の叩き開けられる音がした。走る足音が近づいてきたかと思えば、ノクスとアルバスのいる部屋の扉が、どんどんと激しくノックされる。
「だ……誰だ!? 追手か!?」
ノクスはアルバスを見上げ、小声で問う。
アルバスは瞳孔の開ききった眼で扉を見返り、苛立ちを隠しもせずに舌打ちした。
「追手より煩いのが来た」
扉を壊さんばかりのノックが続いている。アルバスはのろのろと自分の服を羽織ると、焦る様子もなくノクスに新しい上着を被せて丁寧に紐を結ぶ。自分ではたやすく服も着れないノクスはやむを得ずアルバスに任せたが、さすがに心配になってきた。
「大丈夫なのか? こんなに待たせて」
「ノクス、待たされているのは俺だ」
アルバスは虚ろな瞳でそう言って立ち上がると、やっと扉を開ける。
「ノクス! ノクス、無事だったんだな! ……ごめん、俺のせいだ。俺のせいでノクスが謀叛人扱いされた」
涙目のルカが弾丸のように飛び込んできてノクスに抱きついた。すっかり背の伸びたルカは、たんぽぽのように短かった金髪も長く伸びている。
ノクスはルカの体重を受け止めて、ゆっくり微笑む。
「どのみち陛下は俺を陥れるつもりだった。飛竜の件がなくとも、俺はいずれ裁かれただろう。……ルカ、少し見ない間に大人びたな」
「うん。もう大人だよ。ノクス、顔を見せてよ……怪我してない?」
ルカの肩を掴んでアルバスがノクスから引き剥がす。
「くっつくな」
ルカはアルバスを見返ってきっと睨みつけた。
「手を離せ、陰険ど助平野郎。明日の決行だと言ったのに、やっぱり嘘だったな。ノクスに何をしてんだよ!?」
アルバスの手を振り払って毒づくルカをノクスは落ち着かせようと試みる。
「ルカ、心配ない。な、何もされてないぞ。アルバスが牢から助けてくれて、休ませてくれてたところだ」
「それ! 俺も牢に救出に行く予定だったんだ! いい役独り占めしやがって!」
ルカに噛みつかれたアルバスはしらっと横を向いた。
「喚くな、耳が痛い。お前の聞き間違いだ」
「俺がノクスを助ける日を間違えるわけないだろ!? この腹黒インチキ野郎が!!」
――アルバスは俺の雌化を済ませてからルカを呼ぶつもりだったのか。
雌化の条件を知らぬルカがアルバスに怒るのは当然だ。とはいえ、説明を受ければルキウスのように強引な『善意』でノクスを雌化しようと決めてしまう相手もいる。ノクスは痛い教訓を学んだばかりだ。無暗に口外すべきではない。
――ルカはルキウスみたいな事はしないけど、だとしても子供に言うような事じゃないしな。
ノクスは気を取り直して咳払いをした。声をかける。
「ルカよ。お前最近、革命派とつるんでるらしいが……どういうつもりだ?」
ルカはアルバスを忘れたように振り返って、ノクスの前の床に膝をついた。
「放っておいたらある事無い事書かれて、ノクスの悪評がどんどん広まる。俺は真実を皆に知らせて、ノクスを貶める連中に思い知らせてやるんだ」
真剣な顔でこちらを見上げるルカに、ノクスは眉を下げる。
「気持ちは嬉しい。だがルカ。お尋ね者にしたくて弟子にしたわけじゃないぞ。俺の弟子なら、師匠の命を聞くべきだろう。革命派と手を切らないなら破門だ!」
厳しく言い渡すと、ノクスは唇を噛んで下を向いた。消え入るような声で呟く。
「……しょうがねぇよ……。俺、迷惑しかかけてねえもんな」
「ルカは討伐者になりたいんじゃないのか。両親の仇をとるんじゃなかったのか!」
ノクスが叱咤すると、ルカは顔を伏せたまま小さく言った。
「俺に討伐の才能はない。必死で努力してたつもりだったよ。でも次元が違った。何とか役に立とうとしたけど、結果として俺はノクスを反逆罪に追い込んだ。この腹黒の言った事が正しかった。俺は馬鹿で、弟子に相応しくない」
ノクスは慌てた。破門だと言えば諦めるかと思えば。
「弟子が師匠より拙いのは当たり前の事だろう!? そんな事で諦めるのか!?」
ルカは何とも言えない顔をした。は、と歪んだ笑みをうかべる。
「……ノクス、俺が倒せるのはせいぜい魔鼠くらいだって前に言っただろ。でもこの腹黒は、俺と同じ年でノクスは魔猪を討ったって言ってた。俺はノクスのようにはなれない。持ってる魔力の量も質も、違うんだよ、何もかも」
淡々とルカは言った。立ち上がって、ノクスの手を両手に包む。
「俺は足手まといのままでいたくない。必ずノクスの役に立ってみせる。そのための場所を見つけただけだ。だってあんたは、討伐に出たがる無力な子供を見捨てないでいてくれて、その子の罪を被ってくれたんだからね」
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