婚約破棄された魔術師ですが、俺の婚約者を奪った騎士が全力で追いかけてきます

文字の大きさ
9 / 10
第6章 俺の公開処刑

俺の公開処刑

しおりを挟む
「『先妃の浮気発覚! 王太子とシスラ王女の廃嫡決定』――これは王位継承者の順位づけで揉めるぞ」
 ノクスは朝食のテーブルで朝刊を広げた途端、見出しに釘づけになった。めっきり背が伸びたルカはノクスの隣に立ち、紅茶のカップを片手に記事をちらと覗き込む。
「その前に王制が瓦解するかも。それよりノクス、この間仲間の画家に描いてもらったノクスの絵姿、俺たちの新聞に掲載してもいいだろ?」
「駄目に決まってる。あれはお前が持っていたいって言うから許しただけだ」
「だって、王家はノクスを故意に白髭の醜い爺さんだと言いふらして人気を下げようとしてるんだぞ!? 俺らが実像を知らせて対抗しなくてどうする」
「対抗したところでどうにもならん。逃げにくくなるだけだ」
 ノクスは紙面に目を伏せて呟いた。ルカはむっとしてノクスの顔を覗き込む。
「心配ないよ。ノクスが逃げ回る必要なんてなくなるんだから!」
「とにかく絶対駄目だ」
「ちぇっ。宝の持ち腐れだよ」
 文句を言いながら外套を羽織るルカに、ノクスは言い始めた。
「本当に修行は諦めたのか? 俺の名誉回復はもう十分だ。危ない事は止め……」
 ルカはみなまで言わせずノクスの言葉を遮った。
「ノクス、俺出かけるけど、絶対家を出ちゃ駄目だからな。昨日みたいにこっそり討伐にも行くなよ!?」
「わかった、わかった。俺よりルカだ。どこに行く気なん……」
「行ってきます!」
 ルカは座るノクスを強引にだが、そっと抱きしめた。駆け出していくルカの背中を、ノクスは眉を下げて見送る。新聞に目を落とした。
「話を聞けよな……。『元王太子は魔獣討伐隊入り、シスラ王女は修道院行き』か。アルバスの奴、これを狙ってあの偽日記を仕込んだな」
 亡くなって久しい先妃の浮気がなぜ今ごろ発覚したのか、記事に書かれてはいない。だがノクスには推測ができた。
 ヨハネス枢機卿に渡した『先妃の偽日記』。恐らくあの日記には、先妃の嘘の浮気の告白が仕込まれていた。オーティス陛下は枢機卿に唆されて先妃を偲び、王宮を探させて先妃の偽日記を見つける。シスラ王女と王太子が己の子ではないと信じ込んだ嫉妬深いオーティス陛下は、2人を廃嫡する……。今や王位継承権第一位はヨハネス・ファビウス枢機卿だ。
 ――『婚約を、と言われてはいた』『でも、これ以上進む事はない』『後でわかるさ』そう言ったっけ。アルバスはいつから画策していたんだろう。王位継承者の廃嫡、そして枢機卿の王位継承を。
 ノクスはテーブルの上で冷めていくスープを横目に見やった。
 アルバスはずっと不在だ。発作があと5日後に迫る今、焦燥ばかりが募る。体を動かして不安を紛らわそうと、密かに討伐に出ていたのがバレたのは痛い。
「アルバス、早く帰って来い。こんな情勢下で寝込みたくないぞ、俺は……」
 ぽつりと呟いた途端、近づいてくる馬の蹄の音にノクスはハッと耳をそばだてる。『遠見』の術で庭を視れば、背の高い男が黒馬から降り立つのが見えた。質素な商人風の外套を着て深くフードを被っていても、体格が良すぎて商人に見えない。
 ノクスはすぐさま玄関に走った。裸足で扉を開けて、びっくりした顔のアルバスと鉢合わせる。
「――アルバス! 待ってたぞ」
 ノクスはぐいとアルバスの手を引いて扉を閉める。アルバスは戸惑った顔で、身をかがめてノクスを覗き込んだ。
「待ってた……って、俺を?」
「何日家を空けたと思ってんだ。お前に決まってる。来い」
 ノクスはアルバスの手をぐいぐいと引いて廊下を早足に歩き出した。
「ノクス、どこへ行く?」
「今、ルカがいない」
 ノクスは端的にそれだけ言って、寝室の扉を開いた。見返ってアルバスを見上げる。アルバスの唇がうすく開く。かすれた声が小さく漏れた。
「……今、俺を誘ったか? ……君が?」
「何かおかしいか? 協力してくれるんだろ。さっさと済ませるぞ」
 ノクスはつま先立ちに伸びあがってアルバスの外套のボタンを外した。外套を脱がせたら次は上着のボタンだ。アルバスは無抵抗に立っていたが、かすかな声で呟く。
「……『さっさと』?」
 さっきからアルバスは断片的にしか喋らないし、ぎごちなく固まっていてノクスの言葉への理解も追いつかないようである。ノクスは小首を傾げた。
「今日はどうした。大丈夫か、お前。そうだよ、さっさとやっちまわなきゃな。思うに、時間をかけ過ぎるから邪魔が入るんだ。のろのろせずに5分で効率的に済ませてれば、今頃は雌化に悩まずに済んでた」
「は……?」
 アルバスのシャツの一番下のボタンを外していたノクスは、両肩にがっしりと重い手を置かれて「ん」とアルバスを見上げた。
「なんだアルバス」
「……君のデリカシーの無さは先刻承知だが、今回のは度を越してるぞ」
 アルバスの薄い唇は笑みを形作っているが、その青い眼は笑っていない。ノクスは口を尖らせた。
「ロマンティックな空気でも作れってのか。相棒相手にそんな妙な事ができるか」
「君にそんな高等技術は期待してない。だがせめて効率で行為を量らないでくれ。第一、5分で出せると思っているのか」
 問いつめられたノクスはぎくりとしたようにアメジストの瞳をそらす。
「――お、俺はいつも限界まで溜めているから……」
「術師の基準を人に当てはめるな。君は効率よく早くしろと言うが、俺の大きさがわかって言っているか? むりやり挿入すれば裂けるぞ」
 ノクスは目を見開き、青ざめた顔でアルバスを見つめた。
「……そうなのか?」
 ――そういえば前回急に指を入れられた時は、ちょっと痛かったかもしれない。
「『そうなのか?』じゃないだろう……」
 アルバスは長いため息をついて呆れたように顔を伏せる。
「ま、まあ、5分は無理でも、より短くいこう。時間は有限だし、お前も忙しいし」
 ノクスが慌てて言うと、アルバスはのろのろと重い顔を上げる。
「……やっつけ仕事みたいな事言われて気持ちが盛り上がらない」
「待て、今やる気を出してもらわないと困るんだ、俺は」
 ノクスは必死に訴えたが、アルバスは気だるげに目をそらす。
「……君から接吻してもらえればやる気が出るかも」
「俺から!?」
 ノクスは目を剥いた。アルバスはすたすたと歩いて寝台に腰かける。背を丸めた仏頂面で指一本、手招きした。
「来い。やれるものならやってみろ。君には無理だろうが」
「こっ……この野郎! それくらいできる」
 扉の前で棒立ちになっていたノクスは、ばんと扉を閉めた。ずかずかと歩み寄ってアルバスの前に立つ。アルバスはじっとノクスを見上げているが、動く様子はない。
 ――き、緊張するぞ。魔猪の前に丸腰で立ってるほうがまだマシだ。
 ノクスはごくりと唾を呑み、すーっと深く息を吸い込んだ。アルバスの頤に手をかけ、己の顔を近づける。
「……目を閉じろよ、アルバス」
「嫌」
 アルバスはすっかり機嫌を損ねた半眼で拒否する。
 ――クソ、もうどうにでもなれ。
 ノクスは強く目を瞑って、アルバスの頬にそっと口づけた。
「ほら」
「唇には?」
 これでいいだろ、と言いかけたところへ、食い気味にアルバスの声が覆い被さる。
「……な、……待てよ」
「俺にはできないか?」
 間近に尋ねられて、手首を掴まれた。アルバスの目がじっと己の顔にあてられているのを、ノクスは痛いほど感じる。
「……そのくらいできる」
 ノクスはぶっきらぼうにそう言い放つ。早鐘を打つ心臓を抑え、今にも震えそうな手を伸ばして、もう一度アルバスの頬にふれた。
 ――もう一気に行け! 躊躇えば躊躇うほど気まずいぞ!
 目を瞑って唇をごく軽く押しつける。急いで離れようとした途端、腰をぐいと引き寄せられてノクスは体勢を崩した。寝台に膝をついてのしかかるようにして見下ろせば、アルバスは薄く笑う。
「もう一度」
 どくん、と心臓が胸の内で大きく跳ねた。
 ――こいつはなんで俺の接吻なんかほしいんだ。まるで恋人みたいに、……俺たちは相棒だろ。これは一線を超えてる。
「あ、……」
 ノクスの声が喉でかすれた。ためらいを読んだようにアルバスの手が伸びてノクスの首の後ろにかかり、引き寄せて唇を奪う。こじ開けられた唇の間から入り込んだ舌が、ノクスと強引に絡み合った。
 接吻の間に寝台に引きずり上げられて、下に組み敷かれる。急くように衣服を脱がされたかと思うと、ふっと塞がれていた唇が離れた。
 と、急激に生温かいぬるぬるした感触がノクス自身を包む。
「……っ! あ、ああっ!」
 ノクスは思わず声を上げてしまい、己の口を己の手で塞ぐ。アルバスがノクス自身を口の中に入れて舐り、音を立てて愛撫し始めたのだ。
「ひっ……! そんなもの、舐めるな……!」
「どうして? 俺はずっとこうしたかったよ」
 アルバスはノクスの陰茎の裏筋を舐め上げた。先端の鈴口を口に含まれて舌先でなぞるように愛撫され、あまりの快感に抗議もできなくなったノクスは背をのけぞらせる。口淫で蕩けた躰の中に、ずぷっと何かが入って来た。アルバスの指が尻のあわいに入っていき、ぬるぬると蠢き始める。
「なあ、ノクス」
 アルバスはにっこり笑い、ノクスを見下ろす。
「効率よくと言われても、簡単に終わらせるつもりはないからね」

 あれからいったいどれほど時間が経ったのだろう。
 ――手淫だけで、1時間は経ってる……?
 ノクスは陶酔の中で嬌声を上げては口を押え、震える脚を閉じようとしてアルバスにこじ開けられながら、涙の滲んだ瞳を開いた。
『早くしろ』と言おうものなら怒ったアルバスが執念深い愛撫を追加するので、もうノクスは反抗せずアルバスの執拗な口淫と手淫に耐え続けていた。
 ――顔も胸も……脚も、脚の間もアルバスの唾液でぐちゃぐちゃに濡れてる。
「……ノクスは蜂蜜みたいに甘い。とろとろに蕩けて柔らかい」
 アルバスはノクスの中に指をいれたまま、かすれた声で囁いた。
「中に入るよ、ノクス」
 ノクスがかすかに頷くなり、想像外に大きな熱い塊がノクスのとろけた尻の間に宛てられた。硬く屹立し、はりつめたそれは、濡れた秘所でぬるりと入口を探っている。いつも涼やかに端然としているアルバスが今は荒い息遣いを隠そうともしておらず、とろりと蕩けて濁った瞳でノクスを見下ろした。
「あっ……え? ちょっと待て」
 ――大きすぎる!
 水浴びでアルバスの一物自体は見た事があるし、己のよりずいぶん大きいなとも思っていたが、臨戦態勢だとこれは規格外ではないだろうか。
 怯えて腰が引けたノクスの腰を掴んで、ずぷりとアルバスはノクスの中に肉の杭を打ち込んだ。
「あっ――」
 痺れるような甘い感覚に、ノクスの瞳の焦点は曖昧にぼやける。アルバスがずくずくと腰を振る度にアルバスとノクスの肉が擦れて、温い陶酔が広がる。
 ――何だ、これ…………。
 うっかりすると気をやってしまいそうだ。
 アルバスがねじ込んだ肉茎がノクスの深奥を穿っていく。侵入したそれがぬるぬると動いて、甘やかにノクスの心の中で堅く閉じていた抵抗の扉をこじ開けていく。
 ――だめだ、魔術師が快感の前に身を屈するなんて。
 超然としているべき――そんな考えがかすかに頭をよぎる。だが、腹の奥を重く突かれながら己を保つのは不可能だった。
 視界も脳裏もぼんやりと霞み始めたノクスに、アルバスは優しく囁く。
「ノクス、これ、好き?」
「……好き」
「ここに入れるのは俺だけだね?」
「……ん」
 ノクスが頷くなり、アルバスが激しく腰を突き上げた。息もできないほど責め上げられて、あふれる感覚の波に溺れそうになる。
「あッ! あ、あ、ああっ……!!」
「ははっ……君が俺の下で喘いでる……都合のいい夢の中にいるみたいだ」
 腹の奥に熱い肉の棒をつき立てられては抉られる。歪んだ笑みを浮かべたまま内臓を突き上げるアルバスの欲の強さに、ぐっ、とノクスは息をつまらせる。
「少し……加減しろ……ッ!」
「してるさ! これまでだって、どれだけ我慢したと思ってる。君の催淫作用は凶悪だったな! 眠る君の隣で限界まで自分を慰め続けて、寝床にまで染みついた精の匂いを誤魔化そうと香水を撒いた」
 ――それであんなに香水を撒いてたのか。噎せかえるほど濃くて酔いそうだった。
「……よく我慢したな」
 アルバスはうっすらと切なげな笑みをうかべた。
「解っていたからね。一度でも専門医の診察を受ければ雌化がバレて君の信頼を失う。術師の誇り高い君を発作に乗じてこそこそ目で犯しただけでも、……逃げられそうなのに……手なんて出したら……」
 切れ切れに呟きながらも獣のように腰を振るアルバスの攻勢に負けて、ノクスは何度目かの絶頂を迎えている。抑えることすらできないほど責め上げられて叫び続けたせいで、絶え間なく唇から漏れる声はかすれてしまっていた。それでもはちきれそうなほど勃起した己の陰茎はふるえたまま、まだ射精できずにいる。
「……アルバス……もう……」
「だめだよ」
 アルバスは囁いて腰を回転させ、ノクスの奥を深く抉る。
「ルカが……帰って……」
「やめろ」
 アルバスはノクスの陰茎の根本を強く握った。擦り上げながらきつく叱る。
「他の男の名を呼ぶな、ノクス」
「っ……だって……」
「駄目だ」
 ずん、と腹の奥に重い衝撃が走った。これまで以上に奥深くに、アルバスが這入ってきたのだった。脳天に甘い痺れが走り、暗紫色の瞳を見ひらいて、ノクスは背をのけぞらせ、声もなくかわいた唇をひらく。手足からくたりと力が抜けた。
「…………!」
 それから意識がない。
 ふと気がついて瞼を開くと真夜中らしく、闇しか見えない。闇に目が慣れると、うっすらと部屋の輪郭が見えてきた。
「まずい! ルカが帰って来てるはず」
 飛び起きた途端、腰に鈍い違和感が走る。アルバスのものが大きすぎたせいだろう。尻を伝ってまだ体液が溢れ出てきているような感じもする。
 ――俺は途中で気絶したみたいだな……。
 これで雌化が成功していればいいが、と思いながら、手を握り込んだり開いたりして体内の魔力の流れを感知してみる。
 ――腹は痛むが、魔力が枯渇している感じはない。そうか、射精する前に気絶したから。
 ノクスは息をついて手を伸ばし、枕元の魔燈にふれて魔力を流した。発光性の魔魚の鱗を綴り合せた照明器具である。
 翠色の光に照らされた枕元に、アルバスが椅子をひいてきて眠っていた。ノクスが目を覚ますのを待っていて、眠ってしまったのだろう。見下ろせばノクスは元通り服を着せられていて、体も綺麗に拭き清められている。
「面倒見のいい奴。――アルバス、寝床で寝ろ」
 ノクスは小声で呼びかけて、アルバスの肩を揺さぶる。アルバスは何度目かで目を覚まし、はっと体を起こした。座り直してノクスの顔を不安げに覗き込む。
「ごめん。痛くないか? 俺、人より力が強いのに……力加減してたつもりが、我を忘れたみたいだ」
「いい、大丈夫。ルカは?」
 アルバスは一瞬体を硬くして口をつぐんだが、のろのろと答える。
「日の落ちる前に帰って来たよ。君が気絶してるのを見て、何をしたんだって大騒ぎ。うるさいから軽く気絶させて自分の部屋に寝かせてきた」
 ――そっちも気絶させたのか……。
 ノクスはため息をついた。明日は弁明に苦しむ事になりそうだ。
「悪い、俺が気を失わなきゃ騒ぎにならずにすんだのに」
 頭をかいて言うと、アルバスは眉を寄せて苦く笑い、かぶりを振った。
「君のせいじゃない。俺が……最中にルカの名を聞いて、かっとなったのがいけない。俺は人一倍、独占欲が強いんだ」
 ノクスはアルバスを見上げる。
 ――己に無関心でいてほしいくせに、俺が他の誰かに関心を持つのは嫌なのか。
 ノクスは困ったように柔らかく笑った。
「それ、前も言ってたけど……変なの。お前が俺の唯一なのなんて自明だろ。どうして他と比べる必要があるんだ」
 アルバスはゆっくりと大きく目を見ひらく。
「……本気で言ってるんだろうな?」
「こんなこっぱずかしい事、嘘で言うほどイカレてないぞ」
 ノクスは言いながら鈍痛に顔をしかめて腹を押さえた。
「痛ぇ。これって雌化成功したのかな? なぁアルバス」
 アルバスはまだ目を見開いてノクスを見つめたままだった。ごくりと唾を呑み込み、一拍置いてからかぶりを振る。
「まだだ。まだのつもりで行動した方がいい」
「油断していて発作が起きたら困るしな……。対策は徹底しよう、また頼む」
 ああ、とうわ言のように言って、アルバスはノクスの手を無意識のように掴んだ。
「……ノクス、今言わなきゃ、一生言えなそうだから言うよ」
「なんだ」
 ノクスは腹が減っているような気がしてきた。思えば朝食も食べずに気絶して夜を迎えたのだ。キッチンへ行くか迷っていると、アルバスは常になくぎごちなくしゃちほこばって喋っている。
「その、俺は……君に他の誰とも、俺としたような事をしてほしくないんだ」
「する予定がねぇよ。ちょっと水飲んできていいか?」
 ノクスは言いながら寝台から足を下ろす。喉もカラカラだ。
「ノクス、予定の話じゃないし、真面目な話だ」
 ――そう言われてもな。相棒としての独占欲ってやつには、真面目につきあう気になれん。己に関心を持ってほしいと思えるような人に巡り会えたら、アルバスも結婚するはず。その時は『他の奴に抱かれるなと言ったくせに』なーんてじめじめ恨みたくないぞ。たった一人の相棒なんだからな。……まあ、アルバスが誰かと並んでいるところは正直見たくないし、想像だけでもやもやするし、祝福できる気もしないが。
 ノクスはすたすたと歩き出して寝室から廊下へと出た。キッチンの水差しからコップに水を汲んでいると、落ち着かなげに後をついてきたアルバスが腕を掴む。
「ちゃんと聞いてくれ。俺はお前が――」
「ノクス!? 目が覚めたのか!?」
 扉が開く音がしたかと思うと、真っ暗な廊下から弾丸のようにルカが飛んできた。背後から抱きつかれて、ノクスはコップを取り落としそうになる。
「ルカ……危ねぇよ」
「ノクス、体大丈夫か!? コイツに乱暴されたんじゃないだろうな!?」
「心配するな、疲れが出ただけだ」
 ノクスが頬笑むと、ルカは泣きそうな顔をした。
「だから討伐になんか行くなって言ったんだ! 一人で行って何かあったら……!」
「あのな、あまり師匠を舐めるなよ。弟子に心配されちゃ立場がねぇ。ああそうだ、朝言い忘れてた。これは言っとかなきゃな」
 ルカはきょとんとしてノクスを見返す。ノクスはあっさりと微笑んだ。
「俺、近々処刑されるらしい」

「公開処刑は3日後。ほら、昨日教皇がオーティス王の破門を世界公開したろ? ゲオルギウス大司教と結託して神殿の財産を使い込んでた件と、神殿の名を使って豪商から財産を奪った件で。つまりオーティス王は『天界から追放されたる者』、アウレリア信者全員にとって王位に相応しくない人物となった。この状態で革命派に決起されたくないんだろう、先手を打って革命派の力を削ぐための『処刑』だ」
 ノクスはルカに言い、乾いた喉にグラスの水を流し込んだ。
 昨日、ルキウスから魔術書簡が届いたばかりだ。『お前の処刑日が決まったぞ! どうする!?』と。
 ルカは顔を引きつらせ、瞳を大きく見ひらいてかぶりを振った。
「そんな馬鹿な! 王の陰謀はノクスの発作ありきだったんだろ。身代わりは淫行事件を起こしてないし、起こさないんだから、処刑される罪状がない!」
 ノクスは肩をすくめる。なぜルカはこんなに拒否反応を示しているのだろう。
「判決を知ってるのは俺達と神官、王と王妃殿下だけだからな。報道も推測の域を出ないものばかりだっただろ、いくらでも誤魔化しが効く」
「そんな……そん……な……」
 ルカは青ざめ、下を向いてしまった。ノクスは戸惑ってルカの顔を覗き込む。
「心配するな、俺が観衆に紛れてこっそり身代わりを救出に行くから。とはいえ、どうせ魔術師が張り込んで術視をしてるだろうから、姿隠しの術は使えねぇ。万が一って事もあるから聞くが、俺の絵姿を新聞に載せたりはしてねぇな?」
 ノクスが尋ねると、ルカは俯いたまま小さく何か言っている。
「……き……なんだ……」
「うん?」
 ノクスは腕組みし、首を傾けてルカの声を聴きとろうと試みる。
 ルカはぱっと青い顔を上げた。
「だ……大人気なんだ……絵姿が飛ぶように売れて……印刷も追い付かないくらいで……男女問わず熱狂的な崇拝者がひと目会いたいって神殿に押しかけてて……お、俺も怖いくらいで……もう人気が革命派の枠を超えちゃってるんだよ。公開処刑なんてなったら、きっとノクスの崇拝者が大勢押しかけて大変な事に……」
 隣で話を聞いていたアルバスは舌打ちして横を向く。
 ノクスは腕組みで首を傾けたまま、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。叱りつける。
「戯言はやめろ。ありえないヨイショで俺を持ち上げて誤魔化すんじゃねぇ! 聞いてる俺が虚しいだろ。ともかく掲載したんだな!? この馬鹿! 紛れ込めねぇじゃねえか!」
 ルカは絶望的な面持ちを上げてアルバスと目を合わせた。アルバスは頷いて呟く。
「――俺のせいかもしれないな……」
「おらルカ! ごめんなさいは!?」
 目を怒らせたノクスがルカの前に立ちふさがった。ルカは深く頭を下げる。
「ごめんなさい!! 勝手に絵姿を載せてごめんなさい! どうしても皆に知ってほしかったんだ! 俺の師匠は嘘の誹謗中傷に耐えてきたんだ、心も強い人なんだって……嘘しか書かない新聞も王も、許せなかったんだ!」
 ルカの瞳から落ちた大粒の涙がぱたぱたと音を立てて床に落ちる。
 ――あーあ……俺はルカに泣かれると弱いんだ。
 ノクスはため息をついて、天を仰いだ。
「……ルカ。お前、革命派の意見に心から賛同してんのか? つまり、平民が国を治めるべきだと思ってるか? って事だけど」
 ルカは涙の滲む目を上げて目をこする。
「俺はノクスの名誉を回復したいだけだよ。お上がまともなら、こんな事しない」
 なるほどな、とノクスは呟いた。ルカの肩をがっしりと掴む。
「じゃあ、革命派じゃなく、俺を手伝え」

 ※    ※    ※

「ノクス様を助けて!」
「さんざん国を守らせておいて! 魔術師だからって冷遇して、殺すなんて!」
「酷いわ! 人殺し!!」
 神殿前の狭いソラリス広場に、泣き叫ぶ群衆がひしめきあっている。断頭台の前には簡易的な柵がぐるりと設置されているが、押し寄せる観客に今にも壊されそうだ。
 神殿の門の隠し窓から外の様子を覗いていたノクスは、茫然と隣のアルバスとルカを見返った。
「見ろ。女の子がいっぱいいるぞ……」
「だからそう言っただろ! ノクスの絵姿が大人気だって!」
 ひそひそと小声で囁き返すルカは今にも泣き出しそうに眉を下げている。
「……」
 アルバスは黙って、剣の柄に手をかけたまま硬い顔で外を見ている。ノクスは声を落として尋ねた。
「アルバス……お前、遠征命令が出てるのに、ここにいていいのか?」
「大丈夫」
 アルバスは外を見たまま同じく硬い声で答えた。
 ――俺が身代わりと入れ替わって処刑台に行くと言ったのが気に入らないか。
 ノクスは目をそらして、神殿の前に人垣を作って警護にあたる騎士達の声に耳を澄ませた。
 一人の騎士が駆け寄って来て、騎士団長らしき高い帽子の男の耳に囁く。
「気を失う者や、呼吸困難に陥る者もいます。救護班を呼びますか?」
「致し方ない。放置するわけにもいかんだろう」
 報告をした騎士は敬礼をして走り去った。苦虫を噛み潰したような顔で亜麻色の髪をかき回す騎士団長に、隣に立つ年若く華奢な金の髪の騎士がふっと笑う。
「なんだか俺達が悪者みたいじゃないですか。騎士として何を護ればいいのか解らなくなってきましたよ、団長」
「大賢者にこれほど人気があったとはなあ。何にせよ陛下を護るのが俺達の仕事。後は神殿がすんなり大賢者を引き渡すかどうかだな。何しろ破門された王の命だから」
 騎士団長は天を仰いで、曇天に聳え立つ神殿の尖塔を憂わしげに横目で見た。金髪の騎士は肩をすくめている。
「破門中の身でありながら神殿前で処刑を行うとは、王も心臓がお強いですね」
「したたかというか、何というか。アウレリアの塔を背にしてれば『処刑は神殿のお墨付き』って印象にはなるからな。神殿も内心は嫌だろうよ。しっかし君主が破門されたとあっちゃあ、今後は我が国の立場も弱くなるな」
 騎士団長は腰に手を当ててため息をついた。若い騎士は醒めた口ぶりだ。
「背教者は位階では『地界の者』以下ですからね。王家のご威光も落ちましたよ。この冬予定されていたヴァースティタースとの外交会談も白紙になったそうです。あの国は教皇のお膝元ですから」
「せっかくミラ妃との婚姻でヴァースティタースとは蜜月だったのになあ」
「妃殿下は元大賢者の処刑に激怒してアウレリアの修道院に滞在されているそうですよ。ふふ、夫を破門した神殿を頼るとは不仲の極みですね」
 若い騎士は金の髪を揺らしてくすくすと笑った。
「笑うな、笑うな。公爵家の御子息ってなぁ若くても恐ろしいなぁ」
 仏頂面のルキウスがノクスの前に来て「ノクス、時間だ」と囁いた。ほとんど睨むような眼で、黒い覆面と手錠を両手にさし出す。その後ろに憂い顔の枢機卿が立っていた。
「まさか自ら処刑場に行かれるとは……」
「身代わりを出したら、俺が白髭の爺さんだって嘘が本当になってしまいますから」
 ノクスはにこりと笑う。神殿が身代わりを処刑場に引き渡せば、オーティス王は必ず偽者だと気づく。王命に逆らって偽者を引き渡したとなれば、神殿が裁かれる。十分な兵糧の準備の整わぬ今、神殿が王と全面戦争になるのは避けるべきだ。
 枢機卿は目を伏せる。
「何とお礼を言ってよいか。ノクス殿が稼いでくださった時の恩を、我々は必ずお返します。約束しましょう、全て終われば必ず、貴殿の願いを何であれ叶えると」
 ノクスは頷いた。ノクスの当初の計画では、身代わりが覆面を被せられているうちに群衆に紛れて近づき、攫い出すつもりだった。しかし、大勢の人に顔が知られてしまった今ではその策は使えない。
「ノクス。手錠は解錠の呪言一つで開く。いざとなれば、我々が必ずお前を助け出すからな!」
 ルキウスが熱くそう言い募った。ノクスは穏やかにほほえんで頷き返す。ルカはノクスの袖を掴んで、すでに言葉もなく泣いていた。
 アルバスが手錠を取り、顔を伏せてノクスの両手首にかちりと嵌める。ノクスはアルバスの顔を見上げた。
「アルバス、お前は全部終わるまで顔を出すなよ」
「……」
 アルバスは目を伏せたまま、不穏な沈黙で応える。
 どんどんと門が叩かれる。
「アウレリア神殿に次ぐ、王の名において、大罪人ノクス・フェリスの引き渡しを命ずる! 繰り返し告げる、ノクス・フェリスを引き渡せ!」
 教会の塔で鐘が大音声で鳴り始める。アルバスは覆面をそっとノクスに被せ、屈んで耳もとに囁く。
「離れないと言った」
「待て、アルバス!」
「ノクス殿、御心配なく。白騎士殿はこちらにお任せください」
 ノクスは声を上げてアルバスを止めようとしたが、枢機卿の穏やかな声が聴こえてほっと肩から力を抜いた。アルバスの体温と香りが離れていき、袖口を掴んでいたルカの手も離されたようだ。手錠に繋がれた鎖がぐんと引かれる。重い軋み音が耳に響いた。門扉が開かれたのだろう。黒い覆面で何も見えないが、麻の生地を透いて入る光で、周囲が明るくなったのがわかる。
「こちらです」
「確かにノクス・フェリスでしょうな?」
「失礼ながら、覆面をご所望になったのは王陛下です。王がご自身で真偽を確認なさる事でしょう」
 枢機卿の厳しい声が響いた。ノクスは鎖を引かれてゆっくりと歩き出す。
 ――せめて顔を上げて歩こう。
 ノクスが一足歩く度、どよめきと啜り泣きの声が上がる。
 ノクスは誘導されるまま歩き、鎖が引かれなくなった所で立ち止まった。
 肩を掴まれて振り向かされ、覆面を取られる。まぶしい光に目を細め、ノクスは正面のひな壇にオーティス王が座っているのを見つけた。ぐっとこちらを睨みつけてくる王の周囲には、驚きの表情で目を交わし囁き合う大臣らしき者たちがいる。取り囲む群衆の間から、甲高い悲鳴が巻き起こった。女性が何人か失神したようである。
「この者ノクス・フェリスは、結界管理施設を破壊した反逆者として――」
 罪状が読み上げられると、ノクスは鎖を引かれ、断頭台に向かって歩き出した。巨大な斧を持った屈強な処刑執行人が2人、断頭台の脇に控えている。断頭台への道をずらりと並んで見守っているのは剣を持つ騎士達だ。
 ――魔力の気配もある。厄介だな。
「壇上へ上がれ」
 ノクスは言われるがままに壇上へ上がった。その時である。
「やめて! ノクス様を助けて!」
 複数の女性達が叫び声をあげて手を伸ばし、柵を乗り越えようとし始めた。触発されたように群衆は怒号を上げて断頭台へ押し寄せてくる。
「護国の大賢者様を救え!」
「こんなの間違ってる!」
「下がれ! 王命に逆らえばお前らも厳罰は免れぬぞ!」
 騎士達が柵に向かって走り出した。処刑執行人は幾分気まずげにあたりを窺う。
 ――今だな。
 ノクスは処刑台の上にしゃがみ込んだ。台に手を置く。
「『凍土』」
 言うなり処刑台に薄く白い霜が張り、音を立てて凍りつき始めた。霜は断頭台伝いに地を凍てつかせ、騎士と処刑執行人の革靴に忍び寄り、すみやかに氷塊となる。
「なっ……なんだ、この氷は!? 足が動かないぞ!? い、痛ッ!」
 靴ごと地面に凍りついて動けない騎士達の困惑をよそに、ノクスは解錠の呪言を呟いた。ごとっ、と重い音がして、手錠が真っ二つに割れ、凍った台の上に落ちる。
 ノクスはゆっくりと壇上から降りた。ゆっくりと、一歩ずつ。
「だ……大賢者様……!」
「大賢者様が降りてこられた! みんな道を空けろ! 道を!!」
 観客はわっと歓声を上げ、さっと道を空ける。ノクスはひな壇で茫然と口をわななかせている王を見上げた。
「――じゃあね、王様。施設を壊した罪は償ったよ」
「誰か! 誰かあやつを捕えろ!!」
 ノクスが背を向けると同時に、王が金切声を上げた。
 ――魔力の気配。背後に5つ……!
 ノクスは『水壁』と呟いた。振り向けば自らを覆わせた水の壁に氷の矢がいくつも突き刺さり、火矢が燃え尽きて消えていくところだった。
 ――うわ、平気で人に討伐魔術使ってくるのかよ。こっちは生活魔術で攻撃を防ぐしかねぇんだぞ! 
 ノクスは顔をしかめた。
「こっちだ! 大賢者様、走って!」
 群衆が叫ぶのに誘われてノクスは走り出す。泣き腫らした赤い目の女性やぬいぐるみを抱えた子供が跳びはねたり手を振ったりして「早く、早く!」と先を急き立てた。水壁の次は観衆の壁に阻まれて、お抱え魔術師も術を出せないでいるようだ。
「待てよ、元・大賢者さんよ?」
 空けられた道の先に、強引に割り込んできた黒い人影がある。見覚えのある切れ長の黒い目に、ノクスは眉をひそめて立ち止まった。両腕を広げて、両脇の観衆を下がらせる。
 ――この男は他のお抱え魔術師とは違う。巻き添えを恐れる良識はない。危険だ。
「ガルバ男爵! ゲオルギウスにせっかく逃がしてもらったのに、また来たか。いい加減懲りろ」
「冷たい事言うなよ、みっちり禁欲して鍛え直してきたんだ。あんたともう一度勝負したくてな」
 ――ガルバが話す間にも、騎士達が観衆を押しのけてこちらへ近寄ってきてるな。人の中じゃ魔術も遠慮なく使えねぇ。
 ノクスは拳を握りしめた。生活魔術だけで勝つ。観衆に被害を与えずに。
「――ああもう、めんどくせぇなぁ! 『風扇』!」
 ノクスは目を見開いて叫んだ。面倒くさい奴は風で遠くにぶっ飛ばすに限る。しかしガルバはわくわくと目を見開き、こちらへ杖を向ける。
「生活魔術か! 舐められたもんだ、こっちは遠慮しねぇぜ! 『氷矢』!」
 ――風で弾き返せば氷矢が観衆に当たる! このクソ迷惑野郎。
 ノクスは咄嗟に術を変える。
「『風壁』!」
 鋭い軌跡を描いて飛んできた氷矢がぼとぼとと音を立てて地面に転がった。息を潜めていた観衆が慄きの声を上げる。ガルバはせせら笑った。
「いいねぇ、弱き者に優しく、強き悪に立ち向かう。真の賢者ってやつ? でも俺、そういう真面目な奴のお綺麗な心を叩き折って捻じ曲げるのがだーい好きなんだよ」
「あ、そ」
 ノクスはため息をついて、神殿の尖塔を見上げた。
「なあんだよ、よそ見して神殿なんか見上げちゃってよ。最後は神頼みか? 俺と戦ってる間にもうお前は取り囲まれた! 逃げ道はねぇぜ。ぐるりと八方、魔術師の杖がお前を狙ってる」
 ガルバはイライラと言い、ノクスへ近づいてくる。杖をノクスに向けて怒鳴った。
「よそ見すんなよ、元大賢者殿よ! こっちを見ろよ、俺と戦え!」
 ガルバの声をかき消すように、大音声の鐘が響き渡った。尖塔の上で、神殿の鐘が狂ったように打ち鳴らされている。不安げに観衆は空を見上げた。
「なんだ……? この声」
「歌……合唱だよ。ほら神官達の……時間的に、大賢者の弔鐘と葬送曲のつもりじゃないかな」
 口々に囁き交わす群衆に、ガルバはぷっと噴き出した。
「なぁ元大賢者さん、お前弔われてるぜ。潔くさ、もう死ねよ!」
 ガルバが杖を振る前に、ノクスは走り出して杖を掴む。ガルバはぎょっと目を見開いた。
「なんだその速さ……!?」
「『疾足』っての、知らねぇ?」
 ノクスは言いながら手に力を籠めた。ぱきり、と音を立てて杖が折れる。
「すげえ!! 今の動き見えなかったぜ!!」
「えっ、えっ? 杖を折ったの!?」
 上がった歓声に苛立ったように、ガルバは舌打ちして眉間に深い皺を寄せ、力づくで折れた杖ごとノクスの腕をノクスの背に回して関節を極めようとする。
 ――腕が折れる!
 ノクスは杖を離して再び『疾足』を使い、ガルバを振り切った。ガルバは歪んだ顔で叫ぶ。
「杖なんかなくたって術くらい使える!」
「使ってみな、待っててやる」
 ノクスは飛びずさり、無表情に言った。ガルバの額に青筋が立つ。
「舐めんな! 『カテーナ』!」
 ノクスはことん、と首を傾けた。
「……なぁ、知ってたか? 聖術って、歌に織り込む事もできるんだって」
「はあ……!? クソ、効いてねえ! 『火炎』!!」
「つまり、聴いた者の魔術を封じる聖術って事だけど……この歌がある限りお前、魔術使えないよ。他の奴もね」
 ガルバは目を見開き、歯噛みした。
「小僧、こっちには腕力だってあんだよ……!!」
 拳を振り上げて殴りかかってくるガルバに向かって、ノクスは呟く。
「『凍土』」
 氷で足を地面に縫い付けられたガルバは、勢い余って土の上に膝をついた。膝も凍りつかせ、動けずに目だけを剥いて、信じられないという顔でノクスを見上げる。
「なん……で……お前だけ……」
 そのガルバの上に、叫びながら群衆が押し寄せた。
「よくも大賢者様を虐めたわね!」
「許さないわよ!!」
「……俺はなんか、効かないんだよ」
 ぽつりと呟いたノクスの腕を誰かがつつく。見るとフード付きのマントを頭からすっぽりと被った大男が立っている。アルバスだ。
「お前……! 出てくるなって!」
 叫びかかったノクスを、アルバスはひょいと肩の上に担ぎ上げて走り出した。
「君は人をかき分けるのが苦手そうだから手伝う」
「……あああ……もう……!!」
 血相を変えて走り寄ってくる騎士たちは剣を抜いて無理やりに道を空け、斬りかかってくる。それをアルバスが避けては蹴り飛ばして道を作っていくのを、ノクスはアルバスの肩の上で諦め顔に見守った。
 ――確かにこれは俺にはできねぇ。
 広場を走り出ると、2人を追う騎士達を観客達が強引に人の壁で遮った。スクラムを組んだ女性達の怒号が聴こえてくる。
「この先には行かせないわよ!」
「魔獣からはちっとも守ってくれないくせに、役立たず! あんた達はあのよぼよぼの王様でも守ってなさいよ!」
「こっちだ!」
 ルカが神殿墓地から走り出て来て手招きした。導かれるまま街路を走る。商店の軒先で雀にパンくずをあげていたエプロン姿の老人が、後ろ手にすっと扉を開けてくれる。その扉へ飛び込んで、奥のキッチンの地下扉から階段を走り降りた。ルカは走りながら息せき切って説明する。
「革命派の仲間の店なんだ。ノクスが『王は公開処刑で革命派を摘発する準備をしている。枢機卿の助けで脱出できるから、仲間には無暗に動くなと言え』って教えてくれただろ? 仲間も大賢者様の願いなら何でも手伝うって」
 石造りの地下通路を抜ければ、なぜか別の店のワイン蔵へたどりついた。地下ワイン蔵の階段を上がって一階のバーへ出ると、そこにはルキウスが待っている。
「待ちかねたぞノクス! 無事だと信じていた! さあ急げ」
 3人は長い金髪をなびかせて走り出すルキウスに先導され、ひっそりとした狭い裏道を走り抜けた。裏道の奥には高い鉄柵に囲まれた小さな聖堂が建っている。森閑として誰もいないようだ。ルキウスは懐からじゃらりと鍵を取り出し、鉄柵の門扉を開けて中の庭園に入る。白い漆喰の円形天井のついた聖堂の中は薄暗くひんやりとして、どこかかび臭い。奥の祭壇に神像と聖遺物を納めた棺が安置されていた。
「さて、この棺の中にだな」
 ルキウスが両脚を踏ん張って棺の蓋を開けようとするので、息せき切っていたノクスは慌てた。
「は……墓荒らしはよくないぞ!? 聖人の棺だろう!?」
「いや、違うのだ。この中に脱出経路があるのだ」
 重たそうに両手で蓋をずらしながら、ルキウスは不敵に笑う。すたすたと歩いて行ったアルバスが手をかけると、ひょいと棺の蓋が持ち上げられた。
「なんという怪力だ……本当に人間か!?」
 ルキウスは隣のアルバスを不気味そうに見上げる。と、ノクスはあっと声を上げてアルバスに走り寄った。
「アルバス、血が……!」
「ん、さっき刺された」
 アルバスは表情を変えていないが、脇腹のシャツは鮮血でしとどに濡れている。マントで隠していたのだ。ノクスは急いで傷口を押さえ、「サナト」と囁く。
「なんで早く言わねぇんだ! 癒しの術じゃ傷を塞ぐだけだ、内部の損傷はすぐに治らないぞ。その蓋は下ろせ、傷口が開く!」
「平気だ。ノクスのおかげで血が止まった。殺さずに戦うのって難しいね」
 アルバスはそっと蓋を棺に立てかけると、ノクスを見下ろして微笑んだ。
「何を見つめ合っている。血が止まったのなら急いで逃げるぞ!」
 ルキウスは棺の中の蜘蛛の巣を払いながら小声で叫んだ。小柄なノクスが先に入る。真っ暗な中で「燈火」と呟けば、人差し指にぽうと円い白い光が灯った。
 棺の中の階段は、戦時にはアウレリアの神官たちの避難経路として使われていたそうだ。ルキウスは棺の縁に手をかけてノクスを覗き込むようにし、説明する。
「道の先は聖堂だ。聖堂を出て山を上り、山頂の修道院に保護を求めろ。俺は神殿に戻る。白騎士よ、ノクスを頼む。もう絶対に危険に晒すなよ」
「言われなくともそうする」
 アルバスはぶっきらぼうに答えてノクスの背を押した。
 ガコン、と重い音がして、上からの光源が消え、ノクスの燈火が3人の顔を照らすばかりになった。ルキウスが棺の蓋を閉めたのだ。
「君の存在は民の支えになる。生き延びるぞ、ノクス」
 アルバスの言葉に、ノクスはこくりと頷く。己の左腕がだらりと下がったまま、上がらない事に気づいていた。
 地下道の先は郊外の聖堂と繋がっていた。そこから3人は晴れ間を待って深い雪に閉ざされた山を登り、山の頂に聳え立つ修道院に避難した。
 凍えながら肩に雪を積もらせて到着した3人を迎えたのは、雪白の髪を頭に戴いた修道院長である。院長は銀の片縁眼鏡を光らせて微笑んだ。
「お三方、こんな険しい山までよくおいでなさった。まずはゆっくり休養をとられる事だ。時に大賢者殿――腕が折れていますな。熱も出ている」
 重症だったはずのアルバスよりノクスの方が長く寝込むはめになった。折れた骨は癒しの術でも治せない上、ノクス自身がアルバスの治療を優先し続けたせいである。
 熱が下がるまでは床に就いていたノクスだが、3日もすると療養に飽き、世話役の修道士の目を盗んで部屋を抜け出し始めた。
「大賢者殿、探しましたよ。まさか『聖学の間』にいらっしゃるとは」
 優美に飛び交う天使の天井壁画の下、書架前の石床に座り込んで、痛々しく包帯を巻いた腕で聖術の書物を読みふけっていたノクスは顔を上げた。純白のローブに白い肩衣をかけ、同じく白い小さな帽子を被った修道院長が、静かにノクスの前へ膝を折ってかがむ。
「皆さん『大賢者』って呼んでくださいますけど、俺はもう称号剥奪されてますよ」
 居心地悪そうに頭をかくノクスに、院長は目を細めて微笑する。
「大賢者殿は大賢者殿ですとも。本日、オーティス陛下は教皇より廃位を宣言され、ヨハネス王が真の王として擁立されました。ヨハネス王は大賢者殿と飛竜について『ステパノスの守護者』と民に宣言し、爵位と称号も本日返還されましたよ」
「……それはオーティス王への宣戦布告と同義ですね」
 ノクスは居ずまいを正す。院長は頷いた。
「ええ。本日ヴァースティタースより教皇の擁する光騎士軍が到着し、オーティス軍と開戦いたしました。大賢者様が稼いでくださった一週間で、兵を集める事ができたのです。療養中にもかかわらず、ルカ君を通じて文で根気強く革命軍と交渉を重ね、共闘へ導いてくださいましたね。大賢者殿のおかげでステパノスが一丸となったと、ヨハネス陛下より謝礼の文を預かっております」
「俺も軍に加わります」
 本を閉じて立ち上がろうとするノクスの両肩に手を置き、院長はかぶりを振った。
「今大賢者殿を失えば、戦後のステパノスは2つに割れます。革命派と既存の貴族を融和させ得るのは大賢者殿と白騎士殿だけ。それにお手を借りるまでもありません。フローレス伯爵もグラディウス伯爵家を始めとする辺境爵と手を組み、王都に進軍しています。一方、オーティス軍は兵もろくに集まらぬ様子。教皇に刃を向ければ背教者ですから、王派の貴族も戦には及び腰です。短期決戦になるでしょう」
 院長の言葉通り、3日と経たず王都は攻め落とされた。オーティスは捕えられて処刑され、ミラ王妃は修道院に留まって神に仕える道を選んだらしい。
 ヨハネス王の戴冠式にはノクスとアルバス、それに飛竜も招かれた。王都のみならず辺境の村にまで花と紙吹雪が舞い、銀鱗の飛竜が見守る新王の誕生を、国中が祝っていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます! 婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。 他サイトでも公開中

悪役令嬢のモブ兄に転生したら、攻略対象から溺愛されてしまいました

藍沢真啓/庚あき
BL
俺──ルシアン・イベリスは学園の卒業パーティで起こった、妹ルシアが我が国の王子で婚約者で友人でもあるジュリアンから断罪される光景を見て思い出す。 (あ、これ乙女ゲームの悪役令嬢断罪シーンだ)と。 ちなみに、普通だったら攻略対象の立ち位置にあるべき筈なのに、予算の関係かモブ兄の俺。 しかし、うちの可愛い妹は、ゲームとは別の展開をして、会場から立ち去るのを追いかけようとしたら、攻略対象の一人で親友のリュカ・チューベローズに引き止められ、そして……。 気づけば、親友にでろっでろに溺愛されてしまったモブ兄の運命は── 異世界転生ラブラブコメディです。 ご都合主義な展開が多いので、苦手な方はお気を付けください。

悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放

大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。 嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。 だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。 嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。 混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。 琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う―― 「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」 知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。 耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。

幼馴染が結婚すると聞いて祝いに行ったら、なぜか俺が抱かれていた。

夏八木アオ
BL
金髪碧眼の優男魔法使いx気が強くてお人好しな元騎士の幼馴染の二人です。

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟第10回BL小説大賞(2022年)奨励賞。2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞での応援ありがとうございました! 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

処理中です...