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晩餐会の夜③
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「いずれ耳にされることかと思いますので、申し上げますわ。マルグリット嬢は、陛下のかつての婚約者だった方です」
(やっぱり……)
予想していた答えだったが、あらためて言葉にされると、思った以上に胸がざわついた。
そんなエリシアの心を励ますように、ナタリーが矢継ぎ早に続けた。
「とは言っても両親同士が決めた政略結婚でした。先代の皇帝陛下は、大陸の掌握を夢見ておられました。ブラウクン伯爵家は、鉱山資源に恵まれた大領主。戦争資金のためにも豊かな財を持つ家との縁組は、理に適った話だったのでしょう。クロヴィス陛下がまだ何も知らぬ幼少期に、すでに決まっていた話だったとうかがっております」
ナタリーは少しだけ声を潜めた。
「けれど……マルグリット様は嫁ぐ日を心待ちにされていました。陛下から婚約破棄を言い渡された際には、ひどく取り乱されたと聞いております」
エリシアはマルグリットの冷たげな顔を思い出した。
憎悪に揺れる瞳には、どこか今にも泣き出しそうな深い悲しみをも潜んでいるように思えた。
物心ついた時から将来が決められ、彼女は今まで様々なことを強いられて生きてきたのだろう。
相手を慕っていたからこそ受け入れられた人生だったに違いない。
それが、ある日突然白紙になったのだ。
憎むのも悲痛に暮れるのも、無理もないことだと思った。
どこか他人事にも思えず、エリシアは胸を痛めた。
対してブラウクン伯爵は、もっと単純で強烈だった。
あの顔は、エルヴァランの父王の周りでよく見たことがあった。
権力と野心を踏みにじられた者が見せる憤怒の表情だ。
エリシアは危機感を覚えずにはいられなかった。
あれから、密書は一切来ていない。スパイも誰か見当がつかない。
手詰まりを感じ、それがエリシアの不安を日に日にあおっていた。
エルヴァランは、いつどんな手を使ってクロヴィス暗殺を遂行するつもりなのか……。
(ヴァルハイム土着の貴族をたぶらかしての反乱も考えられるわ……)
背筋がぞわりとなる。
押し黙ってしまったエリシアを気遣うように、ナタリーがその手に触れた。
「陛下なら大丈夫です」
はっと見つめたエリシアに彼女は優しく微笑んだ。
「あの方は歴代最高の皇帝と賞嘆されている方です。それに、あなた様へのお気持ちも、とても確かなもののように私には見えます」
ナタリーはふふと思い出したかのように笑った。
「夫も申しておりました。エリシア様がいらしてからというもの、陛下は変わられたと――」
「陛下が……?」
エリシアは、思わず目を丸くした。
「ええ。よく笑うようになられたと」
息を呑む。
いつもの無表情で冷酷にすら映る彼からは想像もできない。
「笑顔など私には一度も……そもそも、微笑みすら数えるほどしか――」
しどろもどろに言いかけたその時だった。
「……邪魔してもいいか?」
低く、響く声がした。
クロヴィスが、いつの間にか部屋の入り口に立っていた。
「邪魔だなんてとんでもございません。――ですが、そろそろ夫が心細くなっているといけませんので、私は失礼いたしますね」
そう言って、ナタリーはふたりに交互に笑いかけると部屋をあとにした。
「……とても明るい方ですね」
「ああ。気立てのいい者だ。リーモスも彼女に救われているだろう」
エリシアがぽつりとこぼすと、クロヴィスは珍しく冗談めいた口調で返した。
彼らしくもない軽口だったが、それだけリーモス侯爵への信頼が深いのだと感じた。
(この屋敷の中にいる間は、陛下の身はきっと安全――でも、明日以降も巡行は続く……)
心配事がぐるぐると渦を巻く中、クロヴィスがおもむろに訊いた。
「……こうして晩餐会に出たのは婚礼以来だったな。……疲れていないか?」
「はい、大丈夫ですわ。皆さま温かく迎えてくださって……身に余る想いでございます」
エリシアは笑顔で答えた。
遠出から戻って以来、クロヴィスと面と向かって言葉を交わすのは初めてだった。
さらに、それが気遣いの言葉だっただけに、余計に胸が弾んだ。
クロヴィスは、すこし間を置いてから口を開いた。
「マルグリット嬢のことを、聞いたか?」
「……はい。でも話を振ったのは私の方でした。ナタリー様は私を気遣ってくださって……」
「わかっている」
クロヴィスは穏やかにうなずいた。
そして重たげな口調で続けた。
「俺から伝えず、悪かった」
「い、いえ、そんな……」
「終わった話だったからな。あの親子には酷なことをしたと思っているが、金も渡したし、あの首飾りもその一環だった。マルグリット嬢にはすでに新しい婚約者がいるとも聞く。……ただ、貴族というのはプライドを傷つけられた恨みを簡単には捨てられないものらしいな」
一貴族の私怨など取るに足らない、とでもいうような口ぶりだった。
けれど――だからこそ、エリシアは不安だった。
小さな棘が、時に命を奪う毒ともなる。
そして、その危機は、すぐ近くまで迫っている気がしてならなかった。
(……考えすぎ……そうにきまってる……)
それでも胸の奥でくすぶる不安が、彼女の表情を曇らせる。
「どうした?」
クロヴィスが、エリシアの瞳を覗き込むようにして問いた。
「黙っていたことは詫びる。きみに余計な詮索をさせたくなかった。ただ、それだけだった」
「……はい……」
「もう嘘はつかない。きみに誓おう」
どこか切実な声音だった。
その真摯さが嬉しくて、エリシアの目に涙がにじんだ。
そんな彼女の様子にクロヴィスは眉をひそめ、早口で続ける。
「もちろん、エルヴァランへの対応も変わらない。きみが命に代えて大切にしようとした母国は、これからも守り続ける」
胸が打ち震えた。
エルヴァランは愚かにも未だに暗殺を企てているというのに、なんという寛大さだろう。
改めてクロヴィスからの深い愛が身に沁みた。
(伝えなくては。この方に、ちゃんと自分の気持ちを)
エリシアは、指先で涙をぬぐった。
そして、クロヴィスの目を見据えて言った。
「陛下。私の正直な気持ちを、聞いていただけますか」
(やっぱり……)
予想していた答えだったが、あらためて言葉にされると、思った以上に胸がざわついた。
そんなエリシアの心を励ますように、ナタリーが矢継ぎ早に続けた。
「とは言っても両親同士が決めた政略結婚でした。先代の皇帝陛下は、大陸の掌握を夢見ておられました。ブラウクン伯爵家は、鉱山資源に恵まれた大領主。戦争資金のためにも豊かな財を持つ家との縁組は、理に適った話だったのでしょう。クロヴィス陛下がまだ何も知らぬ幼少期に、すでに決まっていた話だったとうかがっております」
ナタリーは少しだけ声を潜めた。
「けれど……マルグリット様は嫁ぐ日を心待ちにされていました。陛下から婚約破棄を言い渡された際には、ひどく取り乱されたと聞いております」
エリシアはマルグリットの冷たげな顔を思い出した。
憎悪に揺れる瞳には、どこか今にも泣き出しそうな深い悲しみをも潜んでいるように思えた。
物心ついた時から将来が決められ、彼女は今まで様々なことを強いられて生きてきたのだろう。
相手を慕っていたからこそ受け入れられた人生だったに違いない。
それが、ある日突然白紙になったのだ。
憎むのも悲痛に暮れるのも、無理もないことだと思った。
どこか他人事にも思えず、エリシアは胸を痛めた。
対してブラウクン伯爵は、もっと単純で強烈だった。
あの顔は、エルヴァランの父王の周りでよく見たことがあった。
権力と野心を踏みにじられた者が見せる憤怒の表情だ。
エリシアは危機感を覚えずにはいられなかった。
あれから、密書は一切来ていない。スパイも誰か見当がつかない。
手詰まりを感じ、それがエリシアの不安を日に日にあおっていた。
エルヴァランは、いつどんな手を使ってクロヴィス暗殺を遂行するつもりなのか……。
(ヴァルハイム土着の貴族をたぶらかしての反乱も考えられるわ……)
背筋がぞわりとなる。
押し黙ってしまったエリシアを気遣うように、ナタリーがその手に触れた。
「陛下なら大丈夫です」
はっと見つめたエリシアに彼女は優しく微笑んだ。
「あの方は歴代最高の皇帝と賞嘆されている方です。それに、あなた様へのお気持ちも、とても確かなもののように私には見えます」
ナタリーはふふと思い出したかのように笑った。
「夫も申しておりました。エリシア様がいらしてからというもの、陛下は変わられたと――」
「陛下が……?」
エリシアは、思わず目を丸くした。
「ええ。よく笑うようになられたと」
息を呑む。
いつもの無表情で冷酷にすら映る彼からは想像もできない。
「笑顔など私には一度も……そもそも、微笑みすら数えるほどしか――」
しどろもどろに言いかけたその時だった。
「……邪魔してもいいか?」
低く、響く声がした。
クロヴィスが、いつの間にか部屋の入り口に立っていた。
「邪魔だなんてとんでもございません。――ですが、そろそろ夫が心細くなっているといけませんので、私は失礼いたしますね」
そう言って、ナタリーはふたりに交互に笑いかけると部屋をあとにした。
「……とても明るい方ですね」
「ああ。気立てのいい者だ。リーモスも彼女に救われているだろう」
エリシアがぽつりとこぼすと、クロヴィスは珍しく冗談めいた口調で返した。
彼らしくもない軽口だったが、それだけリーモス侯爵への信頼が深いのだと感じた。
(この屋敷の中にいる間は、陛下の身はきっと安全――でも、明日以降も巡行は続く……)
心配事がぐるぐると渦を巻く中、クロヴィスがおもむろに訊いた。
「……こうして晩餐会に出たのは婚礼以来だったな。……疲れていないか?」
「はい、大丈夫ですわ。皆さま温かく迎えてくださって……身に余る想いでございます」
エリシアは笑顔で答えた。
遠出から戻って以来、クロヴィスと面と向かって言葉を交わすのは初めてだった。
さらに、それが気遣いの言葉だっただけに、余計に胸が弾んだ。
クロヴィスは、すこし間を置いてから口を開いた。
「マルグリット嬢のことを、聞いたか?」
「……はい。でも話を振ったのは私の方でした。ナタリー様は私を気遣ってくださって……」
「わかっている」
クロヴィスは穏やかにうなずいた。
そして重たげな口調で続けた。
「俺から伝えず、悪かった」
「い、いえ、そんな……」
「終わった話だったからな。あの親子には酷なことをしたと思っているが、金も渡したし、あの首飾りもその一環だった。マルグリット嬢にはすでに新しい婚約者がいるとも聞く。……ただ、貴族というのはプライドを傷つけられた恨みを簡単には捨てられないものらしいな」
一貴族の私怨など取るに足らない、とでもいうような口ぶりだった。
けれど――だからこそ、エリシアは不安だった。
小さな棘が、時に命を奪う毒ともなる。
そして、その危機は、すぐ近くまで迫っている気がしてならなかった。
(……考えすぎ……そうにきまってる……)
それでも胸の奥でくすぶる不安が、彼女の表情を曇らせる。
「どうした?」
クロヴィスが、エリシアの瞳を覗き込むようにして問いた。
「黙っていたことは詫びる。きみに余計な詮索をさせたくなかった。ただ、それだけだった」
「……はい……」
「もう嘘はつかない。きみに誓おう」
どこか切実な声音だった。
その真摯さが嬉しくて、エリシアの目に涙がにじんだ。
そんな彼女の様子にクロヴィスは眉をひそめ、早口で続ける。
「もちろん、エルヴァランへの対応も変わらない。きみが命に代えて大切にしようとした母国は、これからも守り続ける」
胸が打ち震えた。
エルヴァランは愚かにも未だに暗殺を企てているというのに、なんという寛大さだろう。
改めてクロヴィスからの深い愛が身に沁みた。
(伝えなくては。この方に、ちゃんと自分の気持ちを)
エリシアは、指先で涙をぬぐった。
そして、クロヴィスの目を見据えて言った。
「陛下。私の正直な気持ちを、聞いていただけますか」
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