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晩餐会の夜④
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「……なんだ?」
クロヴィスは怪訝そうな表情で、じっと見返してくる。
「……今宵、いろいろな視線がありました。だから、怖くなったのです。あなたに何かあったらどうしようと……」
クロヴィスの表情は変わらなかった。
そして、短くうなずいて返す。
「きみの心配も、もっともだ。俺に何かあれば、エルヴァランが存続が危ぶまれると思ったのだろう?」
「え、ええ……」
「その点は問題ない。万が一俺に何かあった場合、エルヴァランに対する決定権はきみに移るように遺言してある」
「さようでしたか……ありがとうございます……」
礼を述べたものの、その先の言葉に詰まる。
今はクロヴィスの身を案じている。たしかにエルヴァランのことは心配だが、そういう話をしたいわけではない――。
(……何か思い違いをされている……?)
「どうした?……言いたいことがあるのなら教えてほしい」
クロヴィスもまた、浮かない表情でいる彼女の真意をはかりかねているようだった。
(もっと、ちゃんと伝えなくては)
エリシアは表情を引き締めた。
そんな彼女を見て、クロヴィスが小さな声で問うた。
「やはり、一度嘘をついた男の言葉は信じられないか……?」
「いえ陛下。私は、婚約者がいた事実を伏せていたことは、気にしておりません」
「……気にしてない?」
クロヴィスの顔が強張った。
「はい。それよりも、もっと気掛かりなのは――」
「俺が婚約していたことは、どうでもいいことだと?」
急に強い口調で遮られ驚いた。
怒っているような、悲しんでいるような……そんな複雑なクロヴィスの表情に戸惑う。
「い、いえ……そういうわけでは……」
クロヴィスは、深く小さく溜息をついた。
諦めたように肩の力を抜いたその姿に、エリシアの胸がさらに揺れる。
「陛下、私は――」
「もういい」
押し出すような、沈んだ声だった。
ちゃんと言葉で伝えなければ――そう思っても、どう話していいかわからなかった。
「愛している」と告げたとしても、今のクロヴィスには信じてもらえないような気がした。
夜風が、ふたりの間を吹き抜ける。
冴え冴えと空に浮かぶ月が、高く登っていた。
「夜も遅い。そろそろ戻る。皆の前に出るのはこれで最後にしよう」
「……はい」
淡々とした口ぶりに、エリシアはうなずくしかなかった。
ふたりは会場に戻ると、高座から招待客に言葉を述べて退席した。
その後は、それぞれ自室で着替えたのち、寝室へ向かう流れとなる――はずだった。
だがクロヴィスは、自室とは異なる方へ歩いていく。
「あの、陛下……どちらへ?」
「リーモスや他の者と、もう少し話がある」
「では、私も――」
「今日は疲れただろう。休むといい」
まるで、来てほしくないとでも言うかのような口調だった。
大事な国の話があるのだろう。自分が出る幕ではない――そう自分に言い聞かせる。
(なら……寝ずにお待ちしていよう)
今宵こそ、改めて自分の想いを伝えるつもりだった。
これまでは何かと執務に追われていたが、寝室でなら静かに話ができる気がした。
言葉を尽くして思いを重ね合わせ、熱く抱きしめてもらいたかった。
エリシアは、遠ざかっていく彼の背を見つめた。
一度でいいから、振り向いてほしい――そう願って、思わず声が出た。
「陛下、今宵は……」
クロヴィスが振り返る。
その瞳は、冷ややかだった。声量が思わず落ちる。
「……今宵は……共寝いたしますか?」
一瞬の沈黙だったが、エリシアには永遠にも思えた。
「……わからない。俺を待たずに眠るといい」
彼は踵を返した。
その背中を見つめていると、やがて視界が歪むのを感じ、エリシアは自室へと駆け戻った。
こらえていた涙が、零れ落ちた。
張り詰めていた心が弾けてしまった。
彼のことが、好きでたまらない。
この想いを、わかってほしい。
だが一度すれ違い始めた心を重ねることは、容易ではないのだと痛感した。
(どうしたら、この気持ちが届くの?)
ひとしきり泣いた。
胸に溜まったわだかまりが涙と一緒に流れていったのか、自然と頭がすっきりしていた。
エリシアは、誰にも見せたことのない隠し場所から、一枚の紙を取り出した。
もう、この方法しか思い浮かばなかった。
不安はあった。だが、それを胸の奥に押し込め立ち上がる。
今の彼女の脳裏には、クロヴィスと自分のことしかなかった。
晩餐会会場へ続く廊下を急いだ。
彼の姿は、思いのほかすぐに見つけられた。
バルコニーに出て誰かと立ち話をしていたのだ。
相手を確認して、エリシアは思わず胸騒ぎを覚えた。
マルグリットが今にも触れ合うような距離でクロヴィスと向き合っていた。
彼女は興奮し、必死にクロヴィスに訴えかけていた。
立ち去るのが作法だとわかっていたが、エリシアは物陰に身を寄せたまま動けずにいた。
「あの女は陛下に災いをもたらします!」
マルグリットの甲高い声が聞こえてきた。
「大陸制覇が我が国の悲願だったはず。なのに『忌まわしい王女に腑抜け、大願を忘れてしまった』と裏で揶揄されていることを、あなたはご存じですか?」
「ああ知っている」
クロヴィスの声は、落ち着いていた。
「戦争を始めたのは父だ。俺が方針を変えてなんの問題がある?」
「それはあなた個人の意見です。民心を満たす皇帝としてならば、あんな国など滅ぼして真の大陸制覇を叶えるべきです」
エリシアはさっと胸が冷えるのを感じた。
自分との結婚が彼の権威をそこまで脅かしていたとは思いもよらなかった。
(陛下には、私なんかよりも彼女の方が相応しいのでは……)
胸がしくしくと痛んだ。
皇帝相手にここまで大胆にかつ必死に諌めるマルグリットの方が、ずっと頼もしく思えた。
だが、クロヴィスの声は変わらなかった。
「さすがはブラウクン伯爵令嬢、政治のことをよくわかっている――だが俺の彼女への思いは変わらない」
ドキリとエリシアの胸が震えた。
マルグリットは静かな、だが怒りをにじませた口調になって続けた。
「あちらがあなたを拒絶していても、ですか」
「……そうだ」
一瞬だけ沈黙し、クロヴィスは答えた。
「何故ですか!? ブラウクン家と縁をむすべば、あなたの地位はより盤石と――いえ、そんなことはどうでもいいのです。私はあなたをずっとお慕いしておりました。あなたの妃に――」
「すまない」
重い口調が遮った。
「きみの願いには答えてやれない。どんな障害が待ち受けようと、俺はエリシアを愛している。これは俺と彼女の宿命なんだ」
「……わかりました。父にもそう伝えておきます」
マルグリットは涙に震えた声で言った。
「あなたがこれほどの愚帝とは思いませんでした」
「ああ。きみに相応しい男は他にもいるだろう」
身をひるがえす衣擦れの音がしたかと思うと、かつかつとヒールの音が遠ざかっていく。
呆然とそれを聞いていたエリシアに、低い声が話しかけた。
「聞いていたか」
クロヴィスは怪訝そうな表情で、じっと見返してくる。
「……今宵、いろいろな視線がありました。だから、怖くなったのです。あなたに何かあったらどうしようと……」
クロヴィスの表情は変わらなかった。
そして、短くうなずいて返す。
「きみの心配も、もっともだ。俺に何かあれば、エルヴァランが存続が危ぶまれると思ったのだろう?」
「え、ええ……」
「その点は問題ない。万が一俺に何かあった場合、エルヴァランに対する決定権はきみに移るように遺言してある」
「さようでしたか……ありがとうございます……」
礼を述べたものの、その先の言葉に詰まる。
今はクロヴィスの身を案じている。たしかにエルヴァランのことは心配だが、そういう話をしたいわけではない――。
(……何か思い違いをされている……?)
「どうした?……言いたいことがあるのなら教えてほしい」
クロヴィスもまた、浮かない表情でいる彼女の真意をはかりかねているようだった。
(もっと、ちゃんと伝えなくては)
エリシアは表情を引き締めた。
そんな彼女を見て、クロヴィスが小さな声で問うた。
「やはり、一度嘘をついた男の言葉は信じられないか……?」
「いえ陛下。私は、婚約者がいた事実を伏せていたことは、気にしておりません」
「……気にしてない?」
クロヴィスの顔が強張った。
「はい。それよりも、もっと気掛かりなのは――」
「俺が婚約していたことは、どうでもいいことだと?」
急に強い口調で遮られ驚いた。
怒っているような、悲しんでいるような……そんな複雑なクロヴィスの表情に戸惑う。
「い、いえ……そういうわけでは……」
クロヴィスは、深く小さく溜息をついた。
諦めたように肩の力を抜いたその姿に、エリシアの胸がさらに揺れる。
「陛下、私は――」
「もういい」
押し出すような、沈んだ声だった。
ちゃんと言葉で伝えなければ――そう思っても、どう話していいかわからなかった。
「愛している」と告げたとしても、今のクロヴィスには信じてもらえないような気がした。
夜風が、ふたりの間を吹き抜ける。
冴え冴えと空に浮かぶ月が、高く登っていた。
「夜も遅い。そろそろ戻る。皆の前に出るのはこれで最後にしよう」
「……はい」
淡々とした口ぶりに、エリシアはうなずくしかなかった。
ふたりは会場に戻ると、高座から招待客に言葉を述べて退席した。
その後は、それぞれ自室で着替えたのち、寝室へ向かう流れとなる――はずだった。
だがクロヴィスは、自室とは異なる方へ歩いていく。
「あの、陛下……どちらへ?」
「リーモスや他の者と、もう少し話がある」
「では、私も――」
「今日は疲れただろう。休むといい」
まるで、来てほしくないとでも言うかのような口調だった。
大事な国の話があるのだろう。自分が出る幕ではない――そう自分に言い聞かせる。
(なら……寝ずにお待ちしていよう)
今宵こそ、改めて自分の想いを伝えるつもりだった。
これまでは何かと執務に追われていたが、寝室でなら静かに話ができる気がした。
言葉を尽くして思いを重ね合わせ、熱く抱きしめてもらいたかった。
エリシアは、遠ざかっていく彼の背を見つめた。
一度でいいから、振り向いてほしい――そう願って、思わず声が出た。
「陛下、今宵は……」
クロヴィスが振り返る。
その瞳は、冷ややかだった。声量が思わず落ちる。
「……今宵は……共寝いたしますか?」
一瞬の沈黙だったが、エリシアには永遠にも思えた。
「……わからない。俺を待たずに眠るといい」
彼は踵を返した。
その背中を見つめていると、やがて視界が歪むのを感じ、エリシアは自室へと駆け戻った。
こらえていた涙が、零れ落ちた。
張り詰めていた心が弾けてしまった。
彼のことが、好きでたまらない。
この想いを、わかってほしい。
だが一度すれ違い始めた心を重ねることは、容易ではないのだと痛感した。
(どうしたら、この気持ちが届くの?)
ひとしきり泣いた。
胸に溜まったわだかまりが涙と一緒に流れていったのか、自然と頭がすっきりしていた。
エリシアは、誰にも見せたことのない隠し場所から、一枚の紙を取り出した。
もう、この方法しか思い浮かばなかった。
不安はあった。だが、それを胸の奥に押し込め立ち上がる。
今の彼女の脳裏には、クロヴィスと自分のことしかなかった。
晩餐会会場へ続く廊下を急いだ。
彼の姿は、思いのほかすぐに見つけられた。
バルコニーに出て誰かと立ち話をしていたのだ。
相手を確認して、エリシアは思わず胸騒ぎを覚えた。
マルグリットが今にも触れ合うような距離でクロヴィスと向き合っていた。
彼女は興奮し、必死にクロヴィスに訴えかけていた。
立ち去るのが作法だとわかっていたが、エリシアは物陰に身を寄せたまま動けずにいた。
「あの女は陛下に災いをもたらします!」
マルグリットの甲高い声が聞こえてきた。
「大陸制覇が我が国の悲願だったはず。なのに『忌まわしい王女に腑抜け、大願を忘れてしまった』と裏で揶揄されていることを、あなたはご存じですか?」
「ああ知っている」
クロヴィスの声は、落ち着いていた。
「戦争を始めたのは父だ。俺が方針を変えてなんの問題がある?」
「それはあなた個人の意見です。民心を満たす皇帝としてならば、あんな国など滅ぼして真の大陸制覇を叶えるべきです」
エリシアはさっと胸が冷えるのを感じた。
自分との結婚が彼の権威をそこまで脅かしていたとは思いもよらなかった。
(陛下には、私なんかよりも彼女の方が相応しいのでは……)
胸がしくしくと痛んだ。
皇帝相手にここまで大胆にかつ必死に諌めるマルグリットの方が、ずっと頼もしく思えた。
だが、クロヴィスの声は変わらなかった。
「さすがはブラウクン伯爵令嬢、政治のことをよくわかっている――だが俺の彼女への思いは変わらない」
ドキリとエリシアの胸が震えた。
マルグリットは静かな、だが怒りをにじませた口調になって続けた。
「あちらがあなたを拒絶していても、ですか」
「……そうだ」
一瞬だけ沈黙し、クロヴィスは答えた。
「何故ですか!? ブラウクン家と縁をむすべば、あなたの地位はより盤石と――いえ、そんなことはどうでもいいのです。私はあなたをずっとお慕いしておりました。あなたの妃に――」
「すまない」
重い口調が遮った。
「きみの願いには答えてやれない。どんな障害が待ち受けようと、俺はエリシアを愛している。これは俺と彼女の宿命なんだ」
「……わかりました。父にもそう伝えておきます」
マルグリットは涙に震えた声で言った。
「あなたがこれほどの愚帝とは思いませんでした」
「ああ。きみに相応しい男は他にもいるだろう」
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呆然とそれを聞いていたエリシアに、低い声が話しかけた。
「聞いていたか」
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