初夜での暗殺に失敗した私ですが、今宵も冷徹皇帝から甘く抱き尽くされております

葛和蛙蘭

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エリシアの催し②

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 その日、リーモス邸の敷地には粗末な馬車や荷台が次々と集まってきていた。
 乗っていたのは孤児院の子どもたちだった。
 痩せ細った体に擦り切れた衣服を着たその瞳には、怯えと警戒の色が浮かんでいた。
 王室直々の命で呼ばれたとあって、不安にかられるのも無理はなかった。
 今日この集まりはエリシアの企画で、リーモス伯爵の理解を経て催されたものだった。

 広い庭園に通された子どもたちの前に立ったのはエリシアだった。背後にはサーシャをはじめとした侍女たちが控えている。
 クロヴィスとリーモス夫妻は少し離れた位置から見守り、近衛兵たちは遠巻きに警護に当たっていた。

 用意された長卓に子どもたちが恐る恐る腰を下ろすと、エリシアは穏やかに微笑み、声をかけた。

「今日はよく来てくださいました。日々、大変な思いをしている皆さんのために、ささやかですが催しを用意しました。どうぞ楽しんでいってくださいね」

 卓には焼き立てのパンや菓子、そして鮮やかな赤色のジャムが並べられていた。

「わぁ……きれーい!」
「なにこれ?」

 初めて見る甘味に子どもたちは目を丸くした。

「これは“ジャム”といいます。果物や木の実を煮詰めたものなの。パンに塗って食べると、とても美味しいのですよ」

 言われるまま口にした瞬間、目を輝かせた。

「おいしい!」
「こんなの食べたことない!」

 瞬く間に皿は空になり、子どもたちは名残惜しそうにパン屑まで指で集めて口に運んだ。

「もっと食べたーい!」
「ねぇ、もうないの?」

 食べ盛りの子どもたちの訴えに、エリシアはにっこりと微笑んだ。

「では、今度はみんなで一緒に作ってみましょうか」
「つくる!?」
「でも、どうやって?」

 不安げな声に、エリシアは「大丈夫よ」と言って子どもたちを裏手の林へと連れて行った。そこには野生のベリーが群生していた。

「これを摘んで、一緒にジャムにしましょう」
「えー、これすっぱいから食べられないよ!」
「お腹すいたときだけ、仕方なく食べるんだ」

 口々に渋い顔をする子どもたちに、エリシアは白い小花を一輪手に取って見せた。

「大丈夫。この実は火を通すと酸味が和らぐんです。さらに、この花を一緒に煮れば香りが加わって、甘みも増します」
「ほんとに?」
「やってみたい!」
「じゃあ、みんなで手分けして実と花を摘んできてください。たくさん必要だからがんばってくださいね」
「はーい!」

 元気な返事とともに、子どもたちは歓声を上げながら一斉に茂みに駆け出した。
 それを見送ると、エリシアは見守っていたクロヴィスやリーモス夫妻、侍女や近衛兵をも笑顔で見渡した。

「さぁ、ではみなさまもお手伝いをお願いします。たくさん集めてみなさんで美味しいジャムをつくりましょう!」

 クロヴィスやリーモス夫妻、近衛兵までもが手を貸し、あっという間に籠いっぱいの実と花が集まった。
 簡易で作った調理場で鍋にかけると、濁った色がゆっくりと美しい紅に変わっていく。

「わぁ……!」
「きれー!」

 飛び跳ねながら喜ぶ子どもたちの姿に、エリシアの心も温まっていく。
 美味しくなるおまじないを歌って教えると、愛らしい歌声が後に続いた。
 甘酸っぱい香りがたちのぼる。
 そこに花びらを加えると、ふうわりとした華やかさも加わる。
 リーモス夫妻や侍女たちも香りに誘われて、興味深そうに子どもたちと混じって鍋を見ている。
 クロヴィスすらもその楽しげな様子に心動かされたのか、エリシアの元へやってきた。
 すると男の子たちが物怖じせずに集まってきた。

「王様も手伝ってー!」

 クロヴィスはすこし困ったようにしつつも、子どもたちと鍋を取り囲んだ。

「……何をすればいいんだ」
「おいしくなーれ! っておまじないを唱えるといいんだよ。王様も一緒に!」

 クロヴィスはたじろぎながらも低く声を出した。

「……おいしく、なぁれ」
「ちがーう!おうたも歌ってー!」
「う、歌?」

 子どもたちにせがまれ、クロヴィスは観念したように咳払いをして小さな声で歌い出した――が微妙にずれている。

「なんかちがうー!」
「音がへんなのー!」
「……ちゃんと歌ったつもりだが」

 あちこちから無邪気に指摘され、クロヴィスはばつが悪そうに眉をしかめた。
 その姿に、エリシアは思わず唇を押さえた。

(この方も、こんな顔するのね)

 可笑しくて、愛おしくて、胸がきゅうと締めつけられる。

 ガシャン!

 そうこうしていると、突然食器がぶつかる音が聞こえた。
 ジャムづくりに夢中になっていた子どもたちの中で、ベリーを奪い合うけんかが起きたのだ。

「待って、仲良くしなきゃだめよ!」

 エリシアが慌てて間に入った。
 しかし興奮した子どもは言うことを聞かない。勢い余ってエリシアを突き飛ばした。

「きゃっ……!」

 よろめいたが、次の瞬間しっかりと腕を支えられた。
 近衛兵長のロシェだった。
 彼はすぐに子どもに目を向けると、低い声で言った。

「皇妃様に手を上げるとは。今日の特別なこの場でなければ、切り捨てるところだぞ」

 その声は、大きくはなかったが凄味があった。子どもはびくりと肩を震わせて、しゅんとうつむいて謝った。

 場の空気がすこし張り詰めた。
 エリシアは朗らかな声でロシェに礼を言った。

「助けてくださってありがとうございます。でもすこし怖かったわ。いつもの穏やかなロシェらしくありませんよ」
「……申し訳ありません。しかし、こういう躾のなっていない子どもはいますので」

 ロシェは考えるように間を置くと、思い切ったように続けた。

「先ほども邸内の物を盗もうとした子がいました。叱ると逃げ出してしまいましたが」
「まぁ……そんなことが……」
「皇妃様のなさることは素晴らしい。しかし、人の心は単純には救えません。傷ついた分だけ濃く悪に染まってしまう者もいるのです」

 ロシェの言葉にエリシアは一瞬戸惑うものの、やがて小さく首を振った。

「それでも、私は子どもたちを信じたいのです。たとえ迷っても、大人が正しく導けばきっと光を見つけられるはずです。ロシェも、どうか一緒に見守ってください」

 微笑んだエリシアにロシェはふっと目を伏せると、ひとりごとのように呟いた。

「その大人さえも光を失っていたら、どうすればいよいのでしょうね」

 エリシアがその意味を問おうとした時だった。

「ねぇ、お妃さま! 鍋がこげちゃったー!」

 子どもたちに手を引かた。
 指さされた方を見やると、鍋から黒い煙が立ち上っている。エリシアは慌てて駆け寄った。

「まぁ! 火傷はありませんか?」
「だいじょーぶ」
「ジャムだめにしちゃった……ごめんなさい」

 しゅんとした子どもたちの頭をそっと撫で、エリシアは微笑んだ。

「大丈夫。いっしょにもう一度、作りましょう」
「うん!」

 そうこうしているうちにロシェはいなくなってしまった。
 彼の言葉が気掛かりだったが、次から次へと問題が起きて、それどころではなくなってしまった。

 そうして、どうにかジャムが出来上がった。
 予想以上に甘く、花の香りがほんのりと混じり合って、紅茶に落としても美味しそうな仕上がりとなった。


「これは……驚きました。あの実が、ここまで美味しくなるとは」

 孤児院の院長のひとりが感嘆の声を上げた。

「ええ。早めに火を止めてコンポート状にしても美味しいですよ」
「パイやタルトにも使えますね!」

 院長の言葉に、子どもたちの目がさらに輝いた。

「おかしー! おかしー!」

 皆で跳ね回る姿につられて、エリシアも思わず両手を上げ「おかしー!」と声をあげてしまった――がはっと改めて、一緒に摘んできた野草を指し示した。
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