あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
338 / 350
第四部

示された証人

しおりを挟む
 翌日、王宮へと向かわれるヴォルフ様の背を見送った。今回はギュンター様の告発についての話し合いだという。彼がどんな証拠で告発したのか、それを確かめると。

 私も一緒に行きたかったけれど、ヴォルフ様に止められてしまった。そうした理由はわかるけれど、告発の内容が内容だけに一緒に行きたかったわ。ヴォルフ様の過去を知る者、それは本物なのかしら。もし本当なら話をしてみたい。いえ、ギュンター様の手の内にいる人と話すなんで出来ないけれど。

 いつも通り家政をこなし、ヴォルフ様の仕事の下調べを行う。時折鳥のさえずりと子どもたちの元気な声が風に乗って開いた窓から私を誘いに来る。ここに届く声だけで何をしているのか想像出来てしまって頬が緩むわ。ずっと離れていた長女の声に胸の中に温かいものが満ちていくのを感じた。

「どうされましたか、イルーゼ様?」

 ロッテの怪訝そうな声に我に返った。手にした書類に集中していたけれどどうしたかしら?

「どうって?」
「いえ、にやにやしながら書類に目を通されているので、何かあったのかと」

 嫌だわ、そんな顔をしていたの? ただ満たされていると感じただけなのに。

「幸せだなと、そう思ったのよ。襲撃も殿下方のことも片付いて、エリーゼも戻ってきたから」
「そうですね。エリーゼ様がいらっしゃらない間は眉間に皺が出来ていましたものね」

 聞き捨てならないことを聞いたわ。眉間に皺なんか寄せていたの?

「あれ、気付いていませんでしたか? 結構深く刻んでいましたよ」
「いやだわ、だったら教えてくれたらよかったのに」

 思わず眉間に指をあてて揉んだ。皺になっていないわよね? 

「でも、鬼気迫る感じでしたし、集中の邪魔になってはと思いまして。次回からはお伝えしますね」
「ええ、お願い」

 さすがにこの年で眉間に皺なんか刻みたくないわ。気を付けないと……それでもこれまであった重苦しさが身体から抜け、窓から見える空のように晴れやかだった。




 ヴォルフ様がお戻りになったのは透けるような青い空が赤みを増して明日の晴れを予告している頃だった。足取りも軽やかに階段を下ると、玄関ホールに愛おしい夫の姿が見えた。

「ヴォルフ様、おかえりなさいませ」

 思った以上に遅かったお戻りに心が騒めいていたけれど、いつもと変わらない無事な姿に不安も霧散していく。ギュンター様の告発はどうなったのかしら? 気が急くけれどここで尋ねるわけにはいかないのだけど……

「ヴォルフ様?」

 呼びかけにいつもの反応がなかった。途端に嫌な予感が急速に育って心を埋めていく。どうなさったの? こうしてお戻りになったのなら何の問題もなかったのよね?

「部屋で。ティオ、ヴィムを呼べ」

 そう告げるとヴォルフ様は私を放って歩き始めてしまわれた。いつもなら部屋までエスコートしてくださるのにどうなさったの? 傍にいるティオもロッテも気付いたのか、訝し気に私と視線を交わす。その目には困惑が滲んでいるように感じたのは気のせいじゃないはず。そうしている間にもヴォルフ様との距離が開いていくので慌ててその後を追った。どうなさったの? これまでにこんなことがあったかしら? 記憶を探りながら大きな背を見つめた。

 部屋に入るといつものソファにいつもよりも乱雑に腰を下ろされた。落ちてきた前髪を後ろに払い、大きく息を吐く。どう見たっていつものヴォルフ様じゃないわ。

「何か、ございましたの?」

 いつになく人を寄せ付けない空気に隣に座るのを躊躇したけれど、向かい側に座るのも変な気がして少し距離を空けて隣に浅く腰を下ろした。ロッテがお茶を淹れ始め、室内には茶葉の香りが昇ったけれど、重苦しい空気を変えるには至らなかった。

「ヴォルフ様?」

 間を空けて再び声をかけるといきなり抱きしめられた。どうなさったの? 王宮で何が? 抱きしめる力が強くて顔を上げることも出来ないからお顔が見えない。声をかけても返事がない。ヴィムを呼んでいたわよね。だったら彼も関係のあること? 仕方なく彼を待つことにした。

「よぉ、相変わらず仲がいいこったな。見せつけるために呼んだのか?」

 暫くして人が入ってくる気配があった。聞きなれた声がしてソファに腰を下ろす音がした。言い返してやりたいけれどなんだかそれを言える空気じゃないわ。

「ヴォルフ様?」

 声をかけると僅かに身体が揺れたように感じた。どうなさったの? 一瞬痛いほど力が入ったけれど、その後で拘束を解かれた。お顔はいつも通り無表情だけどなんだか弱々しく見えるのは気のせいかしら? ヴィムもいつもの笑みが弱まってヴォルフ様の様子を窺うように見える。

「……師が、生きていた」

 弱々しく告げられた言葉はすぐには理解出来なかった。し、って……?

「冗談だろ」
「……そうあってほしかった」

 ヴォルフ様の答えにヴィムが額に手を当てて思いっきり深く息を吐いた。彼らしからぬ仕草に不安が増す。だったら相当なことが起きたってこと? しって……以前ヴォルフ様が話してくださった、師のこと? 

「……親父はあん時、死んだだろう?」
「俺も、そう思っていた」
「あの状況で生きている可能性、皆無だったと思うが」

 実の父親の筈なのに、ヴィムの口調は他人事のように軽かった。そう言えばヴォルフ様を庇って亡くなったと聞いていたけれど、詳しい状況や死因は聞いていなかったわね。辛い記憶かと思って尋ねなかったのだけど。

「ああ。だが……本物だった。顔と胸にあった傷跡も同じだった」
「……それがギュンターの手の内か」
「ああ」
「厄介だな」

 私を置き去りにして二人の会話が続く。断片的な会話では詳しいことは読み取れないけれど、亡くなったと思っていたヴィムの父親が生きていたってことよね。それもギュンター様の手の内で。

「で、親父はなんて?」
「……俺が、ファオだと、そう証言した」
「……へぇ、あの親父がねぇ……」

 皮肉気な笑みは実父のことなのにどこか禍々しさが滲んでいて、家族に対するものには感じられなかった。冷たく乾いた何かに彼らの関係がよくなかったことは察せられた、と思う。いえ、それもわからないわ。ヴィムの感情はいつだってわかりそうでわからない霞のようなものだから。

「操られているのか?」

 短い問いにヴォルフ様は答えない。見上げるといつも通りの表情で、今は何の感情もそこから見つけられなかった。

「……わからん。だが、昔の師のようだった」
「昔?」
「……よく笑っていた、あの頃のような……」
「あ~なるほどな」

 ヴィムが目元に手を当てて天井を仰いだ。二人にしかわからない過去のこと。問いたいけれど口を挟むのも憚られる空気に声を出す勇気が出てこない。

「わかった。探るか」

 こんな時、いまだに残るヴィムの影響力の大きさを感じる。ゲルトがそれを望んでいるのもあるのだけど。

「出来るか?」
「俺が行く」

 あっさり告げられた言葉にヴォルフ様が顔を上げてまじまじと声の主を見つめた。ヴィムが行くって……

「ちょっと待って。ヴィム、あなた、今は身体が思うように動かないんじゃないの?」

 さすがに敵地に送り出せないわ。彼が捕まったら? 余計にややこしい状況になるわ。

「あ~問題ねぇだろ。何も殺しに行くとか何か盗んでくるわけじゃねぇ。確かめに行くだけだからな」
「だけど、そんな身体じゃ無謀だわ」

 腹も立つけれど、彼の存在はまだこの家には、ヴォルフ様には必要なのよ。そんな危険な目には遭わせられないわ。

「そうは言うが、親父のことを知る者殆ど残っていねぇ。兄貴は親父が影だと知らなかったから会わせられねぇ。確かめるなら俺かヴォルフ、どっちかになるが、ヴォルフを行かせるわけにはいかねぇだろ」
「それは……」
「イルーゼ、ヴィムが適任だ」

 意外にもヴォルフ様がヴィムに賛同した。

「ですが……」
「心配いらねぇよ。様子を見てくるだけだからな」

 そう言って我が家の暗部を担っていた男が不敵に笑ったけれど、それで安心出来るはずもなかった。



しおりを挟む
感想 1,631

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

「君との婚約は時間の無駄だった」とエリート魔術師に捨てられた凡人令嬢ですが、彼が必死で探している『古代魔法の唯一の使い手』って、どうやら私

白桃
恋愛
魔力も才能もない「凡人令嬢」フィリア。婚約者の天才魔術師アルトは彼女を見下し、ついに「君は無駄だ」と婚約破棄。失意の中、フィリアは自分に古代魔法の力が宿っていることを知る。時を同じくして、アルトは国を救う鍵となる古代魔法の使い手が、自分が捨てたフィリアだったと気づき後悔に苛まれる。「彼女を見つけ出さねば…!」必死でフィリアを探す元婚約者。果たして彼は、彼女に許されるのか?

今さら「間違いだった」? ごめんなさい、私、もう王子妃なんですけど

有賀冬馬
恋愛
「貴族にふさわしくない」そう言って、私を蔑み婚約を破棄した騎士様。 私はただの商人の娘だから、仕方ないと諦めていたのに。 偶然出会った隣国の王子は、私をありのまま愛してくれた。 そして私は、彼の妃に――。 やがて戦争で窮地に陥り、助けを求めてきた騎士様の国。 外交の場に現れた私の姿に、彼は絶句する。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。