あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第四部

示された証人

 翌日、王宮へと向かわれるヴォルフ様の背を見送った。今回はギュンター様の告発についての話し合いだという。彼がどんな証拠で告発したのか、それを確かめると。

 私も一緒に行きたかったけれど、ヴォルフ様に止められてしまった。そうした理由はわかるけれど、告発の内容が内容だけに一緒に行きたかったわ。ヴォルフ様の過去を知る者、それは本物なのかしら。もし本当なら話をしてみたい。いえ、ギュンター様の手の内にいる人と話すなんで出来ないけれど。

 いつも通り家政をこなし、ヴォルフ様の仕事の下調べを行う。時折鳥のさえずりと子どもたちの元気な声が風に乗って開いた窓から私を誘いに来る。ここに届く声だけで何をしているのか想像出来てしまって頬が緩むわ。ずっと離れていた長女の声に胸の中に温かいものが満ちていくのを感じた。

「どうされましたか、イルーゼ様?」

 ロッテの怪訝そうな声に我に返った。手にした書類に集中していたけれどどうしたかしら?

「どうって?」
「いえ、にやにやしながら書類に目を通されているので、何かあったのかと」

 嫌だわ、そんな顔をしていたの? ただ満たされていると感じただけなのに。

「幸せだなと、そう思ったのよ。襲撃も殿下方のことも片付いて、エリーゼも戻ってきたから」
「そうですね。エリーゼ様がいらっしゃらない間は眉間に皺が出来ていましたものね」

 聞き捨てならないことを聞いたわ。眉間に皺なんか寄せていたの?

「あれ、気付いていませんでしたか? 結構深く刻んでいましたよ」
「いやだわ、だったら教えてくれたらよかったのに」

 思わず眉間に指をあてて揉んだ。皺になっていないわよね? 

「でも、鬼気迫る感じでしたし、集中の邪魔になってはと思いまして。次回からはお伝えしますね」
「ええ、お願い」

 さすがにこの年で眉間に皺なんか刻みたくないわ。気を付けないと……それでもこれまであった重苦しさが身体から抜け、窓から見える空のように晴れやかだった。




 ヴォルフ様がお戻りになったのは透けるような青い空が赤みを増して明日の晴れを予告している頃だった。足取りも軽やかに階段を下ると、玄関ホールに愛おしい夫の姿が見えた。

「ヴォルフ様、おかえりなさいませ」

 思った以上に遅かったお戻りに心が騒めいていたけれど、いつもと変わらない無事な姿に不安も霧散していく。ギュンター様の告発はどうなったのかしら? 気が急くけれどここで尋ねるわけにはいかないのだけど……

「ヴォルフ様?」

 呼びかけにいつもの反応がなかった。途端に嫌な予感が急速に育って心を埋めていく。どうなさったの? こうしてお戻りになったのなら何の問題もなかったのよね?

「部屋で。ティオ、ヴィムを呼べ」

 そう告げるとヴォルフ様は私を放って歩き始めてしまわれた。いつもなら部屋までエスコートしてくださるのにどうなさったの? 傍にいるティオもロッテも気付いたのか、訝し気に私と視線を交わす。その目には困惑が滲んでいるように感じたのは気のせいじゃないはず。そうしている間にもヴォルフ様との距離が開いていくので慌ててその後を追った。どうなさったの? これまでにこんなことがあったかしら? 記憶を探りながら大きな背を見つめた。

 部屋に入るといつものソファにいつもよりも乱雑に腰を下ろされた。落ちてきた前髪を後ろに払い、大きく息を吐く。どう見たっていつものヴォルフ様じゃないわ。

「何か、ございましたの?」

 いつになく人を寄せ付けない空気に隣に座るのを躊躇したけれど、向かい側に座るのも変な気がして少し距離を空けて隣に浅く腰を下ろした。ロッテがお茶を淹れ始め、室内には茶葉の香りが昇ったけれど、重苦しい空気を変えるには至らなかった。

「ヴォルフ様?」

 間を空けて再び声をかけるといきなり抱きしめられた。どうなさったの? 王宮で何が? 抱きしめる力が強くて顔を上げることも出来ないからお顔が見えない。声をかけても返事がない。ヴィムを呼んでいたわよね。だったら彼も関係のあること? 仕方なく彼を待つことにした。

「よぉ、相変わらず仲がいいこったな。見せつけるために呼んだのか?」

 暫くして人が入ってくる気配があった。聞きなれた声がしてソファに腰を下ろす音がした。言い返してやりたいけれどなんだかそれを言える空気じゃないわ。

「ヴォルフ様?」

 声をかけると僅かに身体が揺れたように感じた。どうなさったの? 一瞬痛いほど力が入ったけれど、その後で拘束を解かれた。お顔はいつも通り無表情だけどなんだか弱々しく見えるのは気のせいかしら? ヴィムもいつもの笑みが弱まってヴォルフ様の様子を窺うように見える。

「……師が、生きていた」

 弱々しく告げられた言葉はすぐには理解出来なかった。し、って……?

「冗談だろ」
「……そうあってほしかった」

 ヴォルフ様の答えにヴィムが額に手を当てて思いっきり深く息を吐いた。彼らしからぬ仕草に不安が増す。だったら相当なことが起きたってこと? しって……以前ヴォルフ様が話してくださった、師のこと? 

「……親父はあん時、死んだだろう?」
「俺も、そう思っていた」
「あの状況で生きている可能性、皆無だったと思うが」

 実の父親の筈なのに、ヴィムの口調は他人事のように軽かった。そう言えばヴォルフ様を庇って亡くなったと聞いていたけれど、詳しい状況や死因は聞いていなかったわね。辛い記憶かと思って尋ねなかったのだけど。

「ああ。だが……本物だった。顔と胸にあった傷跡も同じだった」
「……それがギュンターの手の内か」
「ああ」
「厄介だな」

 私を置き去りにして二人の会話が続く。断片的な会話では詳しいことは読み取れないけれど、亡くなったと思っていたヴィムの父親が生きていたってことよね。それもギュンター様の手の内で。

「で、親父はなんて?」
「……俺が、ファオだと、そう証言した」
「……へぇ、あの親父がねぇ……」

 皮肉気な笑みは実父のことなのにどこか禍々しさが滲んでいて、家族に対するものには感じられなかった。冷たく乾いた何かに彼らの関係がよくなかったことは察せられた、と思う。いえ、それもわからないわ。ヴィムの感情はいつだってわかりそうでわからない霞のようなものだから。

「操られているのか?」

 短い問いにヴォルフ様は答えない。見上げるといつも通りの表情で、今は何の感情もそこから見つけられなかった。

「……わからん。だが、昔の師のようだった」
「昔?」
「……よく笑っていた、あの頃のような……」
「あ~なるほどな」

 ヴィムが目元に手を当てて天井を仰いだ。二人にしかわからない過去のこと。問いたいけれど口を挟むのも憚られる空気に声を出す勇気が出てこない。

「わかった。探るか」

 こんな時、いまだに残るヴィムの影響力の大きさを感じる。ゲルトがそれを望んでいるのもあるのだけど。

「出来るか?」
「俺が行く」

 あっさり告げられた言葉にヴォルフ様が顔を上げてまじまじと声の主を見つめた。ヴィムが行くって……

「ちょっと待って。ヴィム、あなた、今は身体が思うように動かないんじゃないの?」

 さすがに敵地に送り出せないわ。彼が捕まったら? 余計にややこしい状況になるわ。

「あ~問題ねぇだろ。何も殺しに行くとか何か盗んでくるわけじゃねぇ。確かめに行くだけだからな」
「だけど、そんな身体じゃ無謀だわ」

 腹も立つけれど、彼の存在はまだこの家には、ヴォルフ様には必要なのよ。そんな危険な目には遭わせられないわ。

「そうは言うが、親父のことを知る者殆ど残っていねぇ。兄貴は親父が影だと知らなかったから会わせられねぇ。確かめるなら俺かヴォルフ、どっちかになるが、ヴォルフを行かせるわけにはいかねぇだろ」
「それは……」
「イルーゼ、ヴィムが適任だ」

 意外にもヴォルフ様がヴィムに賛同した。

「ですが……」
「心配いらねぇよ。様子を見てくるだけだからな」

 そう言って我が家の暗部を担っていた男が不敵に笑ったけれど、それで安心出来るはずもなかった。



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