あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
340 / 350
第四部

査問会②

しおりを挟む
 控室に繋がる扉から現れたのは茶の髪をきっちりまとめ、すっと背を伸ばし機敏に歩く中年の男性だった。ジーモンの息子ヴィム=リット。表向きはゾルガー家の騎士で階級は小隊長。年齢と家格の割に地位が低いのはさぼり癖があって不真面目だからで、小隊長はそんな彼に責任を持たせるための懲罰的なもの。でも実際は影として自由に動くため。

「この者はジーモンの次男だ」
「ヴィム=リットにごさいます」

 恭しく首を垂れる姿は騎士らしく洗練されていた。きっちりと騎士服を着込んでいるだけでもどうかしたのかと思いたくなるのに、マナーも弁えていたなんて……意外過ぎて顔に出てしまいそうだわ。

「貴殿がジーモン殿の息子か」
「はい」

 くぐもった声質のギレッセン侯爵に対して、ヴィムははっきりした口調で答えた。さすがは影をまとめるだけあるわ、こんな場でも少しも臆したところがない。いつものにやにやした笑みが消えるとこんな顔だったのね。

「では貴殿に問おう。そこにいる者は貴殿の父親で間違いないか?」

 ヴィムの視線が真っ直ぐにギュンター様の向こうにいる男性に向けられた。二、三を数えるほどの間、見極めるように男性をじっと見つめた後、再びギレッセン侯爵に向き直した。

「いえ、あの者は我が父ではございません」

 決して大きくなかったけれど、否定する声ははっきりと会場内に伝わった。真面目な表情もきびきびした口調も違和感がありすぎる。顔に出ていないわよね。まさかこんな場で困惑に堪える苦行が待っているとは思わなかったわ。

「間違いはないか。もっと近くで確かめてはどうだ? この距離で判断するのは早計ではないか?」
「いえ、確かめる必要性を感じません。我が父は二十年前に亡くなっております」
「それは真か?」
「はい。父は賊に襲われた旦那様を庇い、背から胸に剣を貫かれ、そのまま増水した川に落ちました」

 そんなことがあったのね。ヴォルフ様にとって苦しい思い出だと思って尋ねたことはなかったけれど……

「では、遺体を確認したわけではないのか?」
「いえ、有難いことに亡き大旦那様が父の捜索をお許しくださり、後日遺体を発見しました。今はゾルガー領にある我が家の墓に……」
「き、詭弁だ!!」

 淀みなく奏上するヴィムの声を遮ったのはギュンター様だった。清々しいほど優等生を演じるヴィムに対し、必死に怒気を抑え込んでいるように見えた。

「ギュンター卿、勝手に発言されては困りますな」

 どこかうんざりしたような響きでギュンター様を制したのは騎士団長だった。

「っ! も、申し訳ございません。しかし、あの者の言うことが真実とは限りませぬ。彼の者たちは当主を守るためなら嘘偽りとて辞さぬでしょう」
「それを言うなら貴殿もであろう? 貴殿が連れて来た証人が嘘偽りを述べないとどうして断言出来る? もっとも、今はまともに話をするのもままならぬようだが」

 取り繕うように表情を改めたギュンター様だったけれど、騎士団長は流されなかった。むしろ彼への疑念が増しているように見える。

「これは異なことを! 私めは心から我が国を憂いて……」
「だったら、もっと確実で疑いようのない証拠を用意するべきだったな」
「な……!」

 諭すような騎士団長の口調にギュンター様が声を詰まらせた。

「それに……そのジーモンとやら、麻薬を常用している者の症状によく似ているが。貴殿が麻薬を使って操っているのではないか?」
「な、なんと! その様な疑いをかけられるとは心外でございます!」
「だったら、その者を預からせてもらおうか」
「……この者が、何か?」

 騎士団長の指摘にギュンター様の声がさっきよりも一段低くなり、すっと表情が消えた。どうしたの? 急に暗みを増した彼に背筋がひやっとする。

「先ほどから様子がおかしい。貴重な証人だろう? 王宮の医師に診せた方がよかろう」
「結構です」

 騎士団長の諭すような口調をギュンター様は二もなく拒絶した。その口調は目上の者に対する者ではなく、どこか慇懃無礼に聞こえた。彼の気位の高さが今は驕慢にすら見える。

「ギュンター? 騎士団長の仰る通りだ。その者、先ほどより様子がおかしい。医師に診せた方が……」
「黙れっ!」

 義父でもあるノイラート侯爵の勧めを娘婿が怒号で返した。一瞬にして会場内の空気が凍り付く。陛下もご臨席されているのに。その一言で不敬罪に問われてもおかしくないのに。当の本人は声を上げた後、立ったまま俯いて微動だにしない。見えない表情に不安を感じたその時だった。

「ギュンター!?」

 声を上げたのは誰だったか、それを確かめる間もなく場が動いた。立ち尽くしているように見えたギュンター様が一気に駆け出したのだ。向かった先は……

「っ!」

 白目が赤黄色く濁り、狂気に侵されているような目と合った瞬間、身体が硬直した。狙われていると全身で理解しているのに、彼から放たれる鬼気迫る圧に足が床に縫い付けられたように動かない。

「イルーゼ様っ!!」

 親友の声が遠くに聞こえた気がしたけれど、次の瞬間、目の前でギュンター様が転び、その勢いのまま並べられた椅子の群れの中へ頭から突っ込んでいった。ガラガラと椅子が倒れる音だけが響く。だ、大丈夫なの?

「無事か?」
「は、はい……」

 何が起きたのかわからないまま、ヴォルフ様の問いかけに答えていた。ギュンター様の上に落ちた椅子がまだ音を立てている。木の椅子、しかもここで使われているものは立派な造りだから結構重いはず。あれって相当痛いのではないかしら? 勢い余って転んだの? それにしてはずいぶん派手だったけれど……

 ふとヴィムが視界に入った。さっきまでの礼儀正しさを保ちながらも目には笑みが見えた。もしかして……彼が何かやったの? 可能性はあるわね。気になるけれどここで問いただすわけにはいかないわ。そうしている間にも騎士たちが椅子の下敷きになっているギュンター様を引っ張り出していた。

「放せっ!! 放せぇええ!!」

 椅子に頭をぶつけたのか、頭から血を流したままギュンター様が激しく身をよじり、捕らえようとする騎士たち相手に抵抗していた。それでも多勢に無勢、しかも鍛錬などしていなさそうなお腹の出た身体ではどうしようもないわよね。あっという間に後ろ手に縛られた。それでも逃げ出そうと身を揺らし、罵詈雑言を放っている。

「いい加減に観念しろ」
「黙れっ!! 俺は、俺はノイラートの当主になる男だ!! 貴様らなどに命令される謂れはないっ!!」

 騎士団長が呆れを隠さずにそう告げたけれど、ギュンター様は尚も抵抗していた。どうしたというのかしら? フリーデル公爵と共謀してヴォルフ様を襲った時はもっと潔かったわ。

「お前の負けだ、ギュンター」
「くそっ!! ゾルガー!! この悪魔が!! 貴様さえいなければ俺は、俺はノイラートを継げたものを!!」

 淡々と告げたヴォルフ様に返ってきたのは罵る言葉だった。どうしてそこまでヴォルフ様を悪し様に言えるの? そう叫ぶ彼の形相の方がずっと悪魔のように見えるわ。第一ヴォルフ様がいらっしゃらなかったらって……いえ、彼が恨む一因は確かにヴォルフ様にもあるわ。だけど、彼がノイラートの当主になれなくなったのは彼自身の行いのせいじゃない。夫人を裏切らなければ当主になれたのに。自ら機会を逃したのに逆恨みもいいところだわ。

「往生際が悪いよ、ギュンター」

 騎士団長らを従えて声をかけたのは陛下だった。目には汚物を見るような蔑みが強く込められていた。ヴォルフ様大好きの陛下らしいと言えばらしいけれど。

「はっ!! そう言っていられるのも今のうちだ。その男はいつか貴様の地位を奪うだろうよ」
「兄上はそんなことはなさらないよ」
「どうだかな。その男は嫁を守るためなら兄弟であろうと牙を剥くだろうよ。そいつはそういう奴だ」

 それは呪いの呪文のように暗く忌まわしく響いた。だけど、そんなことはあり得ないわ。ヴォルフ様はいつだって冷静で道を間違えるようなことはなさらないもの。

「ははっ、確かに兄上なら夫人のために王位を手にしようとお考えになってもおかしくないね。だけど、それでも兄上はそんなことはなさらないよ」

 陛下が楽しそうに、でもはっきりとそう断言された。当たり前じゃない、ヴォルフ様は私情で動かれたりしないわ。それも私のためにだなんて。

「……どうしてそう言い切れる?」
「簡単なことさ。夫人がそれを望まないから」

 どうしてそんなこともわからないんだと言わんばかりの陛下に、ギュンター様が目を丸くしたけれど……どうしてそこで驚くのよ。王位簒奪なんて恐れ多いこと、ごめんだわ。仮にヴォルフ様が望まれたら全力で止めるわよ。第一、王妃なんて私には荷が重すぎるし、子どもたちとの時間が減るから遠慮したいわ。


しおりを挟む
感想 1,631

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

「君との婚約は時間の無駄だった」とエリート魔術師に捨てられた凡人令嬢ですが、彼が必死で探している『古代魔法の唯一の使い手』って、どうやら私

白桃
恋愛
魔力も才能もない「凡人令嬢」フィリア。婚約者の天才魔術師アルトは彼女を見下し、ついに「君は無駄だ」と婚約破棄。失意の中、フィリアは自分に古代魔法の力が宿っていることを知る。時を同じくして、アルトは国を救う鍵となる古代魔法の使い手が、自分が捨てたフィリアだったと気づき後悔に苛まれる。「彼女を見つけ出さねば…!」必死でフィリアを探す元婚約者。果たして彼は、彼女に許されるのか?

今さら「間違いだった」? ごめんなさい、私、もう王子妃なんですけど

有賀冬馬
恋愛
「貴族にふさわしくない」そう言って、私を蔑み婚約を破棄した騎士様。 私はただの商人の娘だから、仕方ないと諦めていたのに。 偶然出会った隣国の王子は、私をありのまま愛してくれた。 そして私は、彼の妃に――。 やがて戦争で窮地に陥り、助けを求めてきた騎士様の国。 外交の場に現れた私の姿に、彼は絶句する。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。