あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
341 / 350
第四部

査問会③

しおりを挟む
「それにしても……ギュンター、どうしてこんなことをしたんだい? 君ほど優秀ならこんなことをしたらどうなるかなんて、わかりきっていただろう?」

 騎士に後ろ手に縛られ、膝を付いてその場に抑え込まれたギュンター様に陛下がそう尋ねられた。それは多分、私も含めて遠巻きに彼を囲む人たちが胸に抱いている疑問でしょうね。私だってさっきから違和感しかなかったもの。もっとも、その理由のいくつかは思い当たるけれど、それにしても利が少なすぎるわ……

「……破滅する身には、もうどうでもいいことだ」

 彼らしくない気弱な、いえ、いっそ無気力な物言いだった。目も虚ろでさっきまであった強い感情が嘘みたいだわ。

「ギュンター!! 何を言っているんだ? ヘルミーナや子どもたちがどんなに悲しむかわかっているのか!?」

 声を上げたのは、義理の父のノイラート侯爵だった。無気力ともいえる婿に対して舅は顔を真っ赤にして今にも掴みかかりそう。いえ、侯爵が声を荒げるのも当然よね。このままじゃノイラート侯爵家の面々は罪人として裁かれることになるのだから。

「ははっ、いいではありませんか、義父上」

 そこには家族を案じる感情など少しも見えなかった。虚ろでありながらどこか悟っているような表情はこの場には酷く異質に見えた。

「何だと!? ギュンター、おかしくなったか!」
「さぁ、どうでしょう」

 平坦で感情が感じられない声だった。まるで何もかもを諦めているような……やっぱり彼はそれなりの覚悟をもって事を起こし、そして負けを認めたというの? 妻が爵位を継ぐことが、彼にとってはこうすることに値することだったと?

「まったく、忌々しいことだ。何も望まない者が至高のものを得、手にしようと必死に足掻いてもそれに及ばない。この世はなんと不公平なことか」

 薄い笑みを浮かべながらギュンター様が呟いた。その声は大きくなく、誰かに聞かせるというよりも自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

「さぁ、好きにするがいい。首を斬るなり吊るすなり自由にしろ。事を起こすと決めた時から覚悟していたことだ」

 口の端に笑みを乗せながらも視線は真っ直ぐに陛下に向かっていた。そこまでの思いがあるのならどうしてこんなことを……

「死にたかったのか?」

 誰もがギュンター様の重苦しく自嘲めいた感情に圧されている中、ヴォルフ様が尋ねた。

「ああ、そうだ。貴様に弱みを握られて死ぬまで言いなりになるくらいなら、すべてを壊してしまいたかった」
「なっ!」

 ノイラート侯爵が声を詰まらせた。赤くなっていた顔が急速に色を失っていく。娘婿が抱えていたものをご存じなかったのね。それはフリーデル公爵の騒動で誓わされた誓約のこと? 死ぬまでヴォルフ様の役に立つよう動くことを求められた。強い対抗意識を持っていたヴォルフ様の下にあることが耐えがたいと言うの? わからないわ……我が子をも巻き込んでまでそこから逃れたいと願うなんて。

「そうか」
「言うのはそれだけか?」

 たった一言、肯定の意を示したヴォルフ様にギュンター様の表情が陰った。

「他に何がある?」
「……ははっ、俺のことなんぞ視界にも入っていなかったか」

 冷笑を浮かべたけれど、それは彼自身に向けられていたように見えた。だけどヴォルフ様は他人を気になさらないのよね。クラウス様もそうだったわ。一方的に敵意を押し付けてもヴォルフ様は気付かないし、気付いたところで関心を示されない。もしかしたらどうしてそんなことをするのかとすら思っていらっしゃいそう。そして多分、ヴォルフ様はその理由を理解することはないような気がする。不思議だわ、悪行を重ねた罪人なのにギュンター様の方が人間らしく見えてしまった。

「ギュンター! 貴様! せっかく婿に迎えてやったものを!」
「ランベルツの血と繋がりのためだろう。俺自身を望んだわけではない」
「何を言うておる? 貴様のせいで家族が、ヘルミーナや子どもたちまで処刑されるんだぞ!」
「それがどうした」

 激昂するノイラート侯爵に対して、ギュンター様は真冬の氷のように冷たかった。

「何を血迷うたことを!!」
「はっ! 田舎者のくせに気位ばかり高く気が強いだけの女を押し付けやがって!」
「何じゃと! ヘルミーナに何の不満が……」
「不満だらけだったよ。世間知らずで無知なくせに自分のやり方を押し付けて。どれだけ手助けしてやっても懲りもせず同じ間違いを繰り返し、失敗したら俺のせいだと喚き散らし後始末を押し付けて」

 さっきまでとは一変して、ギュンター様が大きな声でまくし立てた。どういうこと? 夫婦仲は悪くなかったんじゃないの? いえ、外に女性を囲っていたこともあったけれど。

「なっ……! 娘を裏切っていたくせに、よくそんなことを……」
「ああ、それだよ、こんな家潰してやろうと思ったのは」
「どういう意味じゃ?」

 思いがけない告白にノイラート侯爵の勢いが止まった。周りもどういうことかと固唾を飲んで見守っている。夫婦の間に何があったの?

「あいつは、身分こそ低かったが俺の唯一の心の拠り所だった。なのにあの女は……知らないと思っていたか?」
「な、何のことじゃ?」
「貴様の娘が、破落戸に襲わせた女のことだ」
「……っ!」

 ノイラート侯爵が息を呑んだ。それだけで事態を察したわ。ヘルミーナ様はギュンター様が密かに囲っていた女性を……さすがにそのことは知らなかったわ。

「あの女は何も望まなかった。金もドレスも宝石も子も。俺の事情を知った上で側にいてくれただけだった。なのに貴様の娘は破落戸に襲わせた挙句になぶり殺した」

 何ですって……あのヘルミーナ様がそんな非道なことを……相手が平民であってもそんなこと許されないわ。周囲もあまりにも酷い内容に言葉を失っていた。ノイラート侯爵が気まずそうに視線を泳がせたけれど、周囲の冷たい視線に頬を震わせた。

「なるほど、その件も一緒に調べさせてもらおうか」
「お願いいたします」

 沈黙を破った騎士団長にギュンター様が頭を下げた。それほどに大切な人だったのね。爵位を継げないから自暴自棄になったと思っていたけれど、そんな裏の事情もあったなんて。今度こそギュンター様は騎士たちに連れられて扉の向こうへと消えていった。

「やれやれ、あのギュンターがねぇ……」

 陛下がその後ろ姿を見送りながらため息と共に呟かれた。その先の言葉が何なのかはわからなかった。傍に立つヴォルフ様を見上げると、視線はギュンター様の向かっていた。何をお考えなのかしら? 長く共にいるけれど未だにその御心の内は測り知れないわね。いえ、家族であってもその心の中なんか見えないけれど。

「陛下、それではゾルガー侯爵への容疑は……」

 ギレッセン侯爵が陛下のもとまで来るとそう尋ねた。その言葉にハッとする。そうだったわ、今日はヴォルフ様への告発の査問会。でもギュンター様がああなった以上、もう終わったのよね?

「そうだな。ギュンターの証人はろくに会話も出来ないし、兄上の方は息子が証言している。これ以上この話を引き伸ばす理由があるかな?」

 陛下がギレッセン侯爵に尋ねた。そうよね、告発自体も危うくなったうえ、ヴィムが他人だと証言したのなら告発自体意味がない。心の中に安堵の温かい風が吹くのを感じた。

「いえ。それでは……」
「ああ、頼むよ」

 これで散会になるのね。だったらヴォルフ様に向けられていた疑惑もすべて解決なのよね。そう思ったのと同時だった。

「ヴォルフ!」

 ヴィムの鋭い声が会場を裂いた。次の瞬間、何かが動く気配が走り抜けた。何なの? 咄嗟にヴォルフ様がいた場所に顔を向けて……息が止まった。

「ヴォルフ様!?」

 そこにあったのは、襲い掛かる何かと、避けようとして身体を翻すヴォルフ様、そのヴォルフ様に視線を向けているヴィムだった。瞬きをする間もなく襲い掛かった何かが鈍い音を立てて床に崩れ落ちる。その後を追うように床に赤い血溜まりがゆっくりと広がっていった。



しおりを挟む
感想 1,631

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

「君との婚約は時間の無駄だった」とエリート魔術師に捨てられた凡人令嬢ですが、彼が必死で探している『古代魔法の唯一の使い手』って、どうやら私

白桃
恋愛
魔力も才能もない「凡人令嬢」フィリア。婚約者の天才魔術師アルトは彼女を見下し、ついに「君は無駄だ」と婚約破棄。失意の中、フィリアは自分に古代魔法の力が宿っていることを知る。時を同じくして、アルトは国を救う鍵となる古代魔法の使い手が、自分が捨てたフィリアだったと気づき後悔に苛まれる。「彼女を見つけ出さねば…!」必死でフィリアを探す元婚約者。果たして彼は、彼女に許されるのか?

今さら「間違いだった」? ごめんなさい、私、もう王子妃なんですけど

有賀冬馬
恋愛
「貴族にふさわしくない」そう言って、私を蔑み婚約を破棄した騎士様。 私はただの商人の娘だから、仕方ないと諦めていたのに。 偶然出会った隣国の王子は、私をありのまま愛してくれた。 そして私は、彼の妃に――。 やがて戦争で窮地に陥り、助けを求めてきた騎士様の国。 外交の場に現れた私の姿に、彼は絶句する。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。