あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第四部

思いがけない結末

「ヴォルフ様っ!?」

 広がり続ける赤が全身の血を凍らせていく。無事であってほしいと夫の姿を求めてその名を呼んだ。ヴォルフ様は数歩先でいつもと変わらず背を伸ばして立ち、右腕を左手で掴んでいた。

 その足元にはジーモンが片膝を付いてヴォルフ様を見上げていた。右腕を左手で掴んでいるけれど、その手からは赤い液体が流れ出ていた。床を赤く染めていたのはジーモンだった。虚ろで酩酊しているように見えたけれど、今は意思を感じさせる目でヴォルフ様を見上げている。その表情から胸の内まではわからない。さっきまでの姿は……

「は、やっぱりな」

 ジーモンの後ろに立ったヴィムが呟く。声が小さすぎてその声に感情を感じることは出来なかった。何がやっぱりなのかしら? 彼の暴挙をどう受け止めたの? 何がどうなっているのか、その答えを求めて彼らの姿を凝視した。周りの方々も同じなのか、それとも何が起きたのか図りかねてか騎士団長ですら様子を伺っている。その時だった。

「よせ!」

 ヴォルフ様の鋭い制止が響き、ヴィムがジーモンに手を伸ばしたのが見えたけれど、それよりも早くジーモンが胸に握った手を勢いよくぶつけた。ヴィムがその手を引いたけれど身体は前のめりに崩れていった。床に倒れこむ寸前、一瞬だけど口元に笑みが浮かんだようにも見えたのは気のせいかしら? ヴィムがジーモンに手をかけてうつぶせになった身体を起こして背を支えた。服の胸元に赤が見えたと思ったら、それはゆっくりと広がっていった。

「おい、吐け! 死ぬのはそれからだ!」

 小さいけれど強い圧を込めてヴィムが呼びかけた。それでも声をかけられた方は目を開かない。僅かに口元が動いているように見えたけれど、次の瞬間、その身体はヴィムの手から離れ床へと滑り落ちた。

「チッ」

 忌々しそうにヴィムが舌打ちして微かに顔を歪めると、首元に手を当てて脈を探り、数呼吸の後、小さく頭を振った。

「死んだか」
「ああ」

 ヴォルフ様の呼びかけにヴィムが答えながら立ち上がった。

「侯爵、その者は」

 誰もがまだ動けずにいる中、騎士団長が前に進み出て躊躇いがちにヴォルフ様に問いかけた。目の前で起きた事象の理由が思い浮かばないから混乱されているのかもしれない。事情を知っている私ですら何が起きたのかはっきりしないもの。

「自死したようだ」
「麻薬にやられているように見えましたが……」
「ああ。だが、こうなってはわからん」
「さようですな」

 ヴォルフ様やヴィムにはわかるのかもしれないけれど、それを口にされることはなかった。屋敷に戻ったら教えてくださるかしら?

「誰か、遺体を地下牢へ運べ」
「はっ」

 騎士団長の声が硬直していた空間を動かした。騎士たちが慌ただしく動き始める。まだ実感が湧かないけれど、悪い夢から覚めたようだわ。身の内に溜まっていた空気を吐き出した。知らず知らずのうちに身体に力が入っていたわ。

「ヴォルフ」

 ヴィムの声に再びヴォルフ様に視線を向けて、息が止まった。ヴォルフ様の指先から流れ落ちるそれは……心臓が否応なく鼓動を速める。

「ヴォルフ様!」
「大事ない。騒ぐな」
「ですが……」
「奥方様、落ち着いてください。大した傷ではございません」

 そう答えるとヴィムがどこからか取り出した布でヴォルフ様の腕を縛った。大丈夫なの? その傷はジーモンが? 毒の心配はないの?

「落ち着けって。部屋に戻るのが先だ」

 ヴィムが私にだけ聞こえるような声でそう囁いた。そ、そうね、毒なら時間との勝負、ここで騒ぐよりも部屋に戻るのが先だわ。


「兄上?」

 陛下がこちらの異変に気づいたようで怪訝な表情でこちらを見ていた。

「何でもない。一旦部屋に戻る」
「え? あ、ああ。そうだね。今日はここまでにしよう。皆も下がってくれ。また連絡する」

 ヴォルフ様は陛下から腕が見えないように立たれていたため気づくことはなかった。反対側には私やヴィムがいるから会場内の誰も気づかれていないよう。そのせいか陛下は一同にそう呼びかけられて散会になった。その一言に会場内の空気が緩んだように感じた。

「行くぞ」
「え、ええ」

 歩いて大丈夫なのかと、毒だったら危険ではないかと気になったけれど、ヴォルフ様は私の手を取ってさっさと歩きだしてしまった。その後をヴィムが続く。こうなっては早々に部屋に戻るのがよさそうね。不安が顔に出ないよう参加者に会釈しながらその場を後にした。

 幸いにも誰も私たちを止めたりはしなかった。有難いわ、今はヴォルフ様の治療が先だから。それに気持ちを落ち着ける時間が欲しい。情報の整理も……否定されたけれどあの者はジーモンなのよね。だったらお身体だけでなくお心も心配だわ。師として慕っていらっしゃった方が目の前で亡くなったのだから……去り際に会場に視線を向けると騎士たちがジーモンを担架に乗せているのが見えた。

 王宮に賜った我が家の部屋に入った。会場から近いのが有難い。医師を呼ばなければ。アベルにそう告げようとしたけれど、ヴォルフ様が上着を脱ぐとすぐにヴィムが傷口を調べ、アベルが用意した水で洗った。傷は小さいものだったけれど、出血はまだ止まらない。もしかしてかなり深いの?

「傷はどうなの?」
「あ~傷口は小さいが深いな。どうだ?」
「痛みだけだ。痺れはない」
「だったら神経は大丈夫そうだな」

 ヴィムが手際よく包帯を巻いていく。慣れているのね。それだけ怪我をする機会が多かったってことよね。

「身体は?」
「変わりない」
「そうか。念のため解毒剤を飲んでおけ」
「ああ」

 私やアベルを置き去りにしたまま二人の間で結論がついてしまっていたけれど、本当にそれでいいの? ヴィムは医師じゃないから正直不安しかないのだけど……

「本当に大丈夫ですの?」
「ああ」
「問題ねぇよ。毒に関しては医師よりも俺たちの方が詳しいんだ。なんせ日常茶飯事だからな」
「あなたに言われても安心出来ないわ。遅効性の毒を受けて麻痺が残ったじゃない」

 そう、数年前に毒を受けた時、過小評価して手当をしなかったせいで麻痺が残ったわ。そんな彼に断定されても安心出来ない。

「うわ、余計なこと覚えていやがる」
「毒の解毒は時間との勝負だと言ったのはあなたじゃない」

 何が余計なことよ。あなたならそれでもいいけれど、ヴォルフ様はこの国の要なのよ。それに曾孫の誕生を一緒に祝うって約束しているのだから、小さなことだって見過ごせないわ。

「イルーゼ、大丈夫だ。マルガほどではないがヴィムも毒には詳しい」

 意外にもヴォルフ様がヴィムを擁護した。そりゃあ、影なら自身も毒を使うこともあるでしょうから詳しいのかもしれないけれど。でも、本当に大丈夫なの?

「念のため解毒剤を飲む」
「解毒剤?」

 そう言うとヴォルフ様は懐から薬の包みを取り出した。

「それは?」
「マルガが用意してくれた解毒剤だな。遅効性の毒は限られてる。これを飲んでおけば大抵は何とかなる」

 ヴォルフ様に尋ねたけれど答えたのはヴィムだった。そうなの? だけど……ジーモンは死んでしまったから何の毒かを聞き出すことも出来ない。だったらこれが最善なのかしら? そんな風に思っている間にヴォルフ様は解毒剤を飲み干されてしまった。

「今日はもう呼び出しもねぇだろう。ヴォルフ、念のため大人しくしておけよ」
「わかった」
「ほら、奥方。今日は王が来ても断れよ。ヴォルフを休ませるんだ」
「え、ええ」

 ヴィムにそんな指示をされるとは思わなかったけれど、悔しいけれどその通りね。アベルにヴォルフ様の着替えを頼み、私も隣室で簡易なドレスに着替えた。屋敷に戻りたいけれど今の状態でヴォルフ様を動かすのも憚られる。アベルに頼んで屋敷に使いを出し、マルガとロータルをここに呼ぶように頼んだ。あの二人がいてくれるなら安心だから。

 着替えを終えて居間に戻ると、ヴォルフ様は着替えを終わらせてソファに座ってお茶を飲んでいらっしゃった。ヴィムの姿はないわ。どこに行ったのかしら? 隣に腰を下ろすとアベルがお茶を淹れてくれた。

「ヴォルフ様、お身体は……」
「今のところ問題ない。大丈夫だろう」
「ですが……」
「約束を違える気はない」

 それは私とのあの約束だと思っていいの? 嬉しいけれど不安は消えない。マルガやロータルが来てくれるし、今の段階で症状が出ないなら即効性ではないはず。遅効性の毒の解毒剤も飲まれたから大丈夫なのよね?


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