あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第四部

再会後の夜◆

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 ろうそくの光が揺れながら室内を照らす。窓の外は闇に包まれ、時折風が窓を軋ませる。今日は風が強いらしい。既に夜も更け、東の山の端が微かに白んできたであろう頃、寝室の扉を叩く音がした。まだ眠るイルーゼを離し、起こさないよう静かにその場を離れて居間へと向かった。ソファに腰を下ろした男の向かい側に座った。

「間違いねぇ。親父だ」

 師と思いがけず再会した夜、ヴィムはノイラートに忍び込んでいだ。毒を受けて麻痺が残ったが、ゾルガー家に代々伝わる薬湯と運動で今はかなり回復してきているらしい。もっとも、本当に麻痺が残ったのか、そもそも本当に毒を受けたのかも疑わしいが。もしかしたら後継を育てるための方便かもしれないが、影のことは影のこと、俺が口を出すことではない。

「話をしたか?」
「いいや、様子を伺っただけだ。下手に騒がれちゃ面倒だからな」

 そうか。いや、ギュンターと共にいるのなら声をかけるのは悪手かもしれん。

「本当に生きていたとはなぁ……」

 ヴィムがだらしなくソファに腰掛けて他人事のように呟いた。くわしくは知らないが師とこいつの間には昔から確執があった。色々言う者はいたがどの話も本質ではないだろう。聞いたところで素直に話す奴でもない。

「親父もなぁ、人が良すぎたんだよ」

 そうだな。出会った頃は陽気でたくさんの人に囲まれていた師。影であることは伏せられ、一騎士として若い者たちに慕われていた。あの頃の師は影の一人でしかなく、面倒見の良さから俺の教育係を命じられていたが、俺を痛ましそうな目で見ていた。どこまで俺の出自を知っていたのかは知らないが、俺よりも若い奴はいなかった。多分子どもを影にするのに抵抗があったのだろう。そのせいか他の奴らよりも目をかけてくれていたように思う。

 そんな師が長になったのは俺が後継者としてゾルガー家に迎え入れられた後だった。影の長はリット家から出すのが慣例で、本家のゾルガー家よりも血の縛りが厳しい。一介の影とその長では背負うものの重さも大きさも比べ物にならない。師は優秀だったが長をするには優しすぎた。暗示だけでは担いきれないほどに。

「殺さなきゃな」
「どうにもならないか」
「ああ、わかってるんだろう?」

 わかってはいる。だが、それでもと願うのは許されないか。あの頃、師の心は既に壊れていた。いや、影で心が壊れていない者など殆どいないだろう。ヴィムのように壊れている者だからこそあの世界で生き延びることが出来る。俺もそうだ。師は優しく心も強かった。だから簡単に壊れることなく心をすり減らし、暗示で辛うじて最後の一線を越えずにいたのだろう。あの頃は思いもしなかったが。

「しばらく様子を見ていたが、薬にやられている」
「そうか」

 目は虚ろで酔っているようにも見えた。ギュンターは行き倒れていたのを保護したと言っていた。使用人に世話をさせたところ、自身はゾルガーで諜報活動をしていたと言い出したと。最初は戯言かと思ったが具体的なことを言うので介抱しながら話を聞いたと。そこで俺がファオという名の暗殺者だったと語ったとも。それは本当なのか。薬を使われたとはいえ、あの師が操られるとは……信じ難い。

「今までどこでどうしていたんだか。もう死んだと思っていたからな。一命を取り留めて……怪我が酷くて記憶を無くしていたか。それとも戻るのが嫌で隠れていたか」
「話を聞けないか」
「無理だな。かなりやられている。今は命じられたままに話をしているように見える」

 薬欲しさに言われるがままか。末期だな。もう手の施しようがない。そんな奴は今までに何人も見てきた。影の任務が苦しくて薬に走る奴もいた。最後は禁断症状に怯え殺してくれと懇願し、耐え切れず自ら死ぬ者もいた。

「どういう経緯で拾われたかは知らねぇが、ギュンターがお前の弱みになるもんを探している間に見つけたんだろう」
「そこで薬を使ったか」
「多分な」

 違うかもしれないが、確かめる術はないし確かめたところでどうなるものでもない。救済は死のみか。こんな再会は望んでいなかった。

「次はお前も来い」
「王宮にか?」

 途端に顔を歪めた。まぁ、いい思い出がないから仕方がないが。

「偽物だと俺に証言させるか」
「ああ」
「それしかねぇよなぁ……」

 額に手を当てて天を仰ぎ、肩で息をした。親の死刑宣告をさせることになる。ゾルガーを守るために。

「仕方ねぇな。親父の名誉のためだ。敵の手に落ちて麻薬で操られたなんざ、正気だったら耐えられねぇだろうからな」
「ああ」

 師は誇り高い人だった。ゾルガーの騎士であることも、影であることも誇りに思っていた。

「嫌な役目をさせる」
「は? 気にすんな。そんな感情はとっくの昔に失くしたからな」
「だが、お前の親だ」
「ははっ、仇でもあるけどな」

 感情を失くしたと言いながらそう言うか。こいつの心の内は相変わらずわからんな。自分自身でもわかっていないのかもしれないが。

「あれは不可抗力だっただろう」
「まぁ、そうなんだけど」

 わかっていても許せないか。それほど想っていたか。だがその気持ちは前よりもわかる気がする。俺が同じ立場になったら……許さんな。

「親父は襲撃犯からお前を庇って死んだ。川に流落ちたが見つけ出して遺体は領地のリット家の墓の中。さすがに掘り起こせとまでは言わんだろう」
「ああ」

 師はミュンターの爺が放った刺客から俺を庇って死んだ。名誉の死だ。葬儀には俺も当主だった養父も参加した。それでいい。

「で、どうする? 始末するか?」
「生かしておく方が酷だろう」
「まぁな。こっちでやればいいか?」
「いいのか?」
「愚問だな」

 ニヤッと口の端を上げて笑った。その心中は測り知れんが廃人のまま生かす方が酷だろう。

「それと、ノイラートの婿に罪状追加だ。親父が飲まされていたやつ、前に騎士団から横領していたやつかもしれねぇ」
「横領? クラウスのか?」
「ああ」

 あの時一掃したと思っていたがまだ取りこぼしがあったか。ギュンターのことだ、裏の連中とも繋がっているとは思っていたが、麻薬にも手を出していたか。

「助けようなんて思うなよ」
「わかっている」

 やはり無理か。もっと早くに気付いていれば手はあっただろうか。いや……

「影は死ぬまでゾルガーのもんだ。これまでに戻る機会は何度もあったはずだ。だが戻らなかった。それが答えだ」

 そうだな、ゾルガーの影になった者は引退してもゾルガーから離れることは許されない。死ぬまでゾルガーのものだ。任務中に何かがあっても生きている限り戻らねばならん。それは俺やヴィムも同じ。影の正体を知る者もだ。フレディにティオ、ブレン、アベルにマルガ、そしてイルーゼ。未亡人になってもあれはゾルガーから離れられん。一時はヴィムがあれの前に姿を現したことに憤ったが、他の男の手を取ることはないと思えば胸がすく。

「ギュンターの目的は掴めたか?」
「復讐だろうな」
「俺へのか?」

 奴のやらかしを免除する代わりに死ぬまで王と俺のために働くことを誓わせた。それが不服だったか。だが、奴がやったことを思えば恩情だったのだが。いや、尊大な奴だから屈辱に思い恨みを持ったか。

「それもあるだろうが、一番は嫁だろうな」
「嫁?」

 ノイラートの長女か。中々に気が強い女で、不遜だと、礼儀を弁えろと俺に言ってきたこともあった。

「嫁が破落戸を使って奴の愛人を殺したそうだ」
「それで自棄になったか」
「ああ、嫁諸共婚家を潰す気だったんだろう」

 自ら破滅を望んだか。夫婦仲がここまでこじれていたとはな。愛人を孕ませることはしなかった。奴なりの線引きをしていたのだろう。だがこの結末。実子まで巻き込んだのは嫁の血を継ぐ子も許せなかったからか。

「ノイラートは終わったな」
「そうなるな」

 面倒なことだ。当主と娘夫婦は処刑を免れないだろう。十九と十七の息子がいるが長子に爵位を継がせ、監視のために王家に近しい娘をあてがうか。だが一族の反発が大きいならそれも難しくなる。子がどちらを向いているかによる。王家に反発するなら処刑するしかない。イステルも同じ道を辿る。同時に辺境六侯爵家の二家が代替わりするとなれば他家が動揺し国内が荒れるかもしれん。奴らが行動を起こした理由は俺だ。いくら否定しても王位を簒奪するとの噂は消えん。

「俺が簒奪するという噂、どう思う?」

 そう尋ねるとゾルガーの暗部を知り尽くした男が肩をすくめた。


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