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悲しむことの大切さ

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 一輝と笠井さんがこの世界にいる事実は、私の心に重しのようにのしかかった。再開したせいか、忘れていたはずのあの日のことが思い出されて、昨夜は夢にまで出てきやがった。あんな奴に傷つけられたなんて認めたくなかったけど、私の心は思ったよりも柔らかかったらしい。

「シャナ? どうしました?」
「え?」
「王都から戻ってからというもの、何だか沈みがちなので」
「そ、そうでしょうか。そんなことないんですけど」

 笑って誤魔化したけれど、図星中の図星だった。王都から戻ってからと言うもの、私の心は沈みがちだった。吹っ切れたように思っていたけれど、一輝にフラれたことは棘のように私の心に痛みをもたらした。

 気にならなかったのは、いきなり知らない世界に飛ばされたのと、ラーシュさんとの生活が快適過ぎたからだろう。あんな風に大事に扱われたことがなかったのも大きい。
 一輝はノリはいいけど空気が読めない奴だった。私が風邪をひいても「無理するな」「ちゃんと休めよ」とは言っても、様子を見に来てくれたことは一度もなかった。正に口だけ男だったな、と今は思う。
 それに対してラーシュさんは、やり過ぎなくらいに私の世話を甲斐甲斐しくしてくれた。そりゃあもう、幼児じゃないのにと思うくらいにまめまめしくだ。あんな風に優しくされたから、一輝のこともどうでもいいと思っていたけれど……やっぱりショックを受けていたらしい。

「シャナ、彼のことが気になりますか?」
「え?」

 正にその事を考えていたせいで、思わず声が裏返ってしまった。ラーシュさんが悲しそうな表情を向けてきて、勘違いしそうになってしまう。

「気にならないと言えば、嘘になります」
「そうですか……」
「正直、彼のことはもうどうでもいいんです。でも、裏切られてショックだったんだなぁって、今になって思うようになって……」

 本当は好きだったからショックだったりもする。でも、それ以上に裏切った彼を許せなかった。あの時は悲しみよりも怒りの方が強かったのに、今になって悲しみが増しているような気がした。

「ちゃんと、悲しめなかったんですね」
「え?」
「悲しい時にしっかり悲しめないと、ずっと残るのですよ」
「そう、なんでしょうか」
「ええ。私も、そうでしたから……」
「え?」

 それは酷く実感が籠った言葉に聞こえた。ラーシュさんの過去に何かあったのだろうか。いや、もう二十八歳だと言っていたから、それなりに色々あっただろうけど。

「昔話を、聞いてくれますか?」

 そう言って語られたラーシュさんの過去は、思っていた以上に厳しいものだった。
 
 ラーシュさんが生まれたのは、普通の家庭だったという。特別裕福ではないが、それなりに余裕のある家庭で、両親と兄が一人いて、その次男として生まれた。
 そんなラーシュさんは、生まれて間もなく大量の魔力がある事が判明した。赤ちゃんだから仕方ないのだけど、機嫌が悪いと魔力を放出して周りを悩ませたのだ。お陰で両親、特に母親は魔力酔いを起こして体調不良に常に悩まされた。
 そんな生活で母親と兄が繰り返し体調を崩したため、ラーシュさんは魔術師に引き取られることになったという。魔力量の多い子どもの扱いはとても難しく、専用の乳母や世話人が必要だったからだ。
 そこでの生活は酷く侘しいものだった。乳母も世話人も魔力に耐性がある者か、全く魔力がないラウロフェルの民が採用されたが、特に魔力量が多いラーシュさんは腫物のような扱いを受けて育った。

 転機は十五歳の時に訪れた。ラウロフェルの民が新たに使用人に加わったのだ。その人は心優しく穏やかで、ラーシュさんの世話も愛情をこめてやってくれたという。
 それでも思春期と反抗期真っ最中だったラーシュさんは、素直にその人を受け入れられなかった。今まで冷遇とは言わないまでも、事務的にしか接して来なかった世話人が、急に優しくなって戸惑ったのもある。ラーシュさんはそんな彼女に苛立ちを覚え、何を言われても無視していたという。それでも彼女はラーシュさんに優しく接してきた。

 そんな彼女との別れは突然だった。子どもの一人が魔力暴走を起こし、彼女はそれに巻き込まれて亡くなってしまったのだ。それまで日に何度も声をかけてきた彼女がいなくなって、ラーシュさんはホッとしたという。これで元の静かな生活が戻って来ると。

「だけど……時間が経つにつれて、彼女からの声掛けがないことが堪え難いほど寂しく、悲しくなったのです」

 それは初めて感じた喪失感だったという。それに気付いた時、ラーシュさんは生まれて初めて泣きながら一夜を明かしたという。これまで泣くことがなかっただけに、涙が出ることもショックだったのだとも。

「悲しいと自覚出来ないのは苦しいことです。シャナは裏切られた直後にここに飛ばされてしまったせいで、ちゃんと悲しめなかったのでしょう」
「悲しめ、なかった……」

 その言葉がびっくりするくらい腑に落ちた。

(そっか、私、悲しかったんだ……)

 怒りで誤魔化していたけれど、フラれた自分が情けなく、それ以上に彼が私を捨てられたことが悲しかった。

「悲しい時には、泣いていいのですよ」

 そう言ってラーシュさんがふわりと抱きしめてくれた。その仕草が古い記憶に眠っていたお祖母ちゃんのそれとあまりにも似ていたものだから、私はその日、ラーシュさんに思っていることを吐き出しながら気が済むまで泣いた。




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ストックが切れたので、明日からは一日一回19時更新になります。

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