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第4話:ファーレン国について
十日後、父の侍従が部屋を訪れて、私を嫁がせる旨の書簡を父がファーレンに送ったと告げた。後は彼の国がそれを受け入れるかどうかだとも。私のことがどう伝わっているのか、父がどのように伝えたのかがわからないだけに不安が残る。エルリカを嫁がせたくないから貶めるようなことは書いていないと思いたい。だけど、一度は不貞の子と疑われた私を、王家の色を持たない私をあちらは厭うかもしれない。そればかりは予想もつかないわ。
ファーレンに嫁ぐための教育が始まったのはそれから一月ほど経ってからだった。私から父にそう願ったのだ。相手が王太子殿下となれば場合によっては王妃という至尊の地位に就くかもしれない。それを思えばどれほど知識を得ても足りることはないように思えた。
父が手配してくれたのはファーレン大使を務めていたルーマン侯爵家の元当主夫妻だった。元当主は大柄だけどのんびりした口調の穏やかな方で、夫人は背をぴんと伸ばした上品な方。ファーレンの内情に詳しいお二人は既に現役を退き、今は王都の別邸でのんびりとお暮しだった。
ファーレン王国はお祖父様の代に領土を巡って戦争になったこともあって敵国の印象が強い。そのせいで交流は薄く、彼の国に関する書物も少ないのよね。実際に暮らしていたお二人がもたらしてくれる情報はとても実用的でありがたかった。
「王女殿下はファーレンについてどれほどご存じですかな?」
穏やかな問いかけからは意外にも私への嫌悪感は見られなかった。年齢的にお祖母様と同じ年代だからかしら? それだけの理由であっても、私を厭わない方が教師なのは嬉しかった。こんな当たり前のことがこの国では難しい。だからといってファーレンに行ったからすべてが解消されるわけではないのだけど。
「そうですわね、我が国の東に位置し、国土は我が国よりも僅かに広く、東は海に面しているとか。五か国と接し、南西には沙漠という不毛の地があると聞きますわ」
「左様でございます。海は果てしなく遠くまで広がり、沙漠は草木も生えず何者も生きることの出来ない、まさに不毛の地でございます」
「ご覧になったことは?」
「何度か。どちらも想像以上に広く大きく、まさに圧巻といえるものでございました」
「まぁ……そんなに?」
ちょっと想像がつかないわ。大陸の真ん中に位置する我が国の七割は山地で、海も沙漠もない。ファーレンは多様な土地をお持ちなのね。どのようなものなのかしら? 想像もつかないだけに、一度でいいからこの目で見てみたい。
「王女殿下も嫁がれたら、海に行く機会はございましょう。ご自身の目でおお確かめになるのが一番かと」
「そんな機会があるかしら?」
「彼の国が豊なのは海を使った交易故と伺っております。彼の国の王族も時折公務で訪れていらっしゃいました」
だったら可能性はありそうね。楽しみだわ。きっと見たこともない品がたくさんあるのでしょうね。それだけで胸が高鳴って来るわ。
「あと、人の往来も盛んで、髪や瞳、肌の色も多種多様でございます。王家の髪色は黒かそれに近い色で瞳は紺碧が多うございます。今の国王陛下も王太子殿下も、黒髪と紺碧の瞳をお持ちで、肌の色もこの国の者よりもずっと濃うございます」
「そうなのね」
黒髪はこの国では少なく、茶色が最も多く金や銀の髪は貴族に多い。私のような水色の髪の人もいるのかしら?
「王女殿下と同じ水色の髪の者も見たことがございます」
「そうなの?」
「はい。王太后様の出身地であるヘデラ―王国は我が国よりはるか北にございましたが、交易が盛んだったと聞いております。亡国の折には多くの者がファーレンにも逃れたとか」
「そうだったのね」
お祖母様の故郷だったヘデラ―王国は五十年ほど前に隣のザール王国に併合された。王女だったお祖母様は臣下と共に国を出て、我が国に庇護を求めたと聞いているわ。そこでお祖父様がお祖母様を見初め、周囲の反対を押し切って王妃として迎えたとも。お二人の間には四人の王子と十二人の孫が生まれたけれど、お祖母様の色を受け継いだのは私だけだった。私の他にこの色を持つ人がいたら扱いも少しはマシだったのかしら? いえ、そんな仮定は無意味ね。
「王太子殿下はどのようなお方ですの?」
今一番気になっているのが未来の夫となるこの方のこと。恐ろしげな異名をお持ちだけど分かり合えそうな方なのかしら? 噂通りの方ではないことを祈っているけれど……
「そうですな、ご兄弟の中では最も武に優れ、内戦を治めたこともあって騎士や民からも人気は高うございます」
「そうなのね。第一王子殿下は戦闘で大怪我を負われたそうね」
「はい、落馬して足を痛め、杖がなくては歩けなくなられました。元より武よりも文に優れたお方でしたが」
落馬でなんて恐ろしいわね。高いし落ちたら死ぬこともあると聞くもの。
「第二王子殿下は? どうして立太子されなかったの?」
「第二王子殿下ですが……彼のお方も頭は悪くないのですが、真面目に学ぶことが苦手な御仁でして。美男子故か女性との浮名を流していらっしゃったのもあって、国王陛下は後継に選ばれなかったと聞いております」
それだと兄弟の仲はいいとは言い難いのかしら? 上の三人は正妃のお子で、第四王子だけは第三妃のお子だとか。こちらは王太子殿下より十も年下で王位継承争いには関係なかったようだけど……
「なかなかに複雑なご兄弟のようね。そんな中でやっていけるかしら?」
「そんなことはございませんよ。国王陛下も重鎮たちも第三王子殿下を支持しております。まだ国内が盤石とは言い難い今、武の才がある王太子殿下でなければ治まらないと」
確かに二年前までは内乱状態だったし、第三王子殿下が武力で抑え込んだから落ち着いている部分もありそうだわ。今更逆行するような事態は避けたいでしょうから大丈夫かしら?
それに……彼の国では複数の妃を持つのが一般的らしい。我が国は正妃に子が出来なければ第二妃を迎えることもあるけれど、基本的に一夫一妻制なのよね。あちらだと私以外の妃を迎える可能性もあるし、私が正妃になるとは限らない、のよね。必ずしもお子を産めるとは限らないし……こればかりは婚姻してみないとわからないわね。
<5/2追記>
「お姉様、本当にファーレンに嫁がれますの?」
ファーレンの大使が到着する予定の朝、上目遣いで悲壮感を漂わせてそう尋ねてきたのはエルリカだった。目は緩み、手を胸の前で組む姿は物語のお姫様そのものね。だけど、その裏に薄い笑みが見えてしまうような気がするのは気のせいかしら……
「ええ」
「でも……相手は『血濡れの王太子』と恐れられている方でしょう? しかも一夜に千人斬り殺したとも聞きましたわ。そんな方に嫁いでは、お姉様が……」
「エルリカ、そんな風に言ってはダメよ」
使用人もいるところで根拠のない噂を口にするものじゃないわ。どうして両親も兄も諫めないのかしら?
「でもっ! お姉様がもし不興を買ったら……」
「相手は同盟国の王太子殿下よ。そんなことをしたらファーレンは我が国だけでなく周辺国から非難されて信用を失ってしまう。そんな愚は犯さないわ」
さすがにそこまで考え無しの方ではないと思うけれど。
「だけど、とても気が短くて荒々しい方だというではありませんか。気に入らない女性を一刀両断したとか、ぶつかって来た子どもを斬り捨てたとの噂もあります。その様はとても醜悪で禍々しかったと……」
そんな噂があったの? 知らなかったわ……女子どもにまで非情な方だったの? 胃に冷たい小石が積もっていくような重苦しさを感じた。そんな方なら、不興を買ったら何をされるかわからないわね……
「大丈夫よ、理由もなく人を殺めたり……」
「ああ、私のせいでお姉様が……! もしお姉様があの殺人鬼に殺されたりしたら……」
人の言葉を遮ると両手を顔に当ててワッと声を立てて泣き出した。芝居がかった態度に心の中でため息をついた。また始まったわ、この子のお芝居が。しかも母も兄もこの子が本当に悲しんでいると思って必死に慰めているけれど……そんなわけないじゃない。この子はそれを知って私に押し付けたのよ。そこは無視なの?
「大丈夫よ、エルリカ。そんなことになったら戦争になるわ。同盟を申し込んできたのは向こうなのだからそんなことはなさらないわ」
そう言ってもあの子は頭を振って泣き続けていた。もうため息も出ない。これ以上は食べる気が失せてしまい、そのまま食堂を後にした。兄が避難がましい目を向けてきたけれど、その殺人鬼とやらに嫁ぐ私の心配はしないのね。まったく、善人ぶって人を貶める彼らは何なのよ? 私から見たら家族の方がずっと厄介で醜悪に見える。
それにしても……もしかした早まったかしら? ただこの家族から離れたかっただけなのに。窓の外は黒い雲が立ち込め、とても朝とは思えないほど暗かった。
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父が手配してくれたのはファーレン大使を務めていたルーマン侯爵家の元当主夫妻だった。元当主は大柄だけどのんびりした口調の穏やかな方で、夫人は背をぴんと伸ばした上品な方。ファーレンの内情に詳しいお二人は既に現役を退き、今は王都の別邸でのんびりとお暮しだった。
ファーレン王国はお祖父様の代に領土を巡って戦争になったこともあって敵国の印象が強い。そのせいで交流は薄く、彼の国に関する書物も少ないのよね。実際に暮らしていたお二人がもたらしてくれる情報はとても実用的でありがたかった。
「王女殿下はファーレンについてどれほどご存じですかな?」
穏やかな問いかけからは意外にも私への嫌悪感は見られなかった。年齢的にお祖母様と同じ年代だからかしら? それだけの理由であっても、私を厭わない方が教師なのは嬉しかった。こんな当たり前のことがこの国では難しい。だからといってファーレンに行ったからすべてが解消されるわけではないのだけど。
「そうですわね、我が国の東に位置し、国土は我が国よりも僅かに広く、東は海に面しているとか。五か国と接し、南西には沙漠という不毛の地があると聞きますわ」
「左様でございます。海は果てしなく遠くまで広がり、沙漠は草木も生えず何者も生きることの出来ない、まさに不毛の地でございます」
「ご覧になったことは?」
「何度か。どちらも想像以上に広く大きく、まさに圧巻といえるものでございました」
「まぁ……そんなに?」
ちょっと想像がつかないわ。大陸の真ん中に位置する我が国の七割は山地で、海も沙漠もない。ファーレンは多様な土地をお持ちなのね。どのようなものなのかしら? 想像もつかないだけに、一度でいいからこの目で見てみたい。
「王女殿下も嫁がれたら、海に行く機会はございましょう。ご自身の目でおお確かめになるのが一番かと」
「そんな機会があるかしら?」
「彼の国が豊なのは海を使った交易故と伺っております。彼の国の王族も時折公務で訪れていらっしゃいました」
だったら可能性はありそうね。楽しみだわ。きっと見たこともない品がたくさんあるのでしょうね。それだけで胸が高鳴って来るわ。
「あと、人の往来も盛んで、髪や瞳、肌の色も多種多様でございます。王家の髪色は黒かそれに近い色で瞳は紺碧が多うございます。今の国王陛下も王太子殿下も、黒髪と紺碧の瞳をお持ちで、肌の色もこの国の者よりもずっと濃うございます」
「そうなのね」
黒髪はこの国では少なく、茶色が最も多く金や銀の髪は貴族に多い。私のような水色の髪の人もいるのかしら?
「王女殿下と同じ水色の髪の者も見たことがございます」
「そうなの?」
「はい。王太后様の出身地であるヘデラ―王国は我が国よりはるか北にございましたが、交易が盛んだったと聞いております。亡国の折には多くの者がファーレンにも逃れたとか」
「そうだったのね」
お祖母様の故郷だったヘデラ―王国は五十年ほど前に隣のザール王国に併合された。王女だったお祖母様は臣下と共に国を出て、我が国に庇護を求めたと聞いているわ。そこでお祖父様がお祖母様を見初め、周囲の反対を押し切って王妃として迎えたとも。お二人の間には四人の王子と十二人の孫が生まれたけれど、お祖母様の色を受け継いだのは私だけだった。私の他にこの色を持つ人がいたら扱いも少しはマシだったのかしら? いえ、そんな仮定は無意味ね。
「王太子殿下はどのようなお方ですの?」
今一番気になっているのが未来の夫となるこの方のこと。恐ろしげな異名をお持ちだけど分かり合えそうな方なのかしら? 噂通りの方ではないことを祈っているけれど……
「そうですな、ご兄弟の中では最も武に優れ、内戦を治めたこともあって騎士や民からも人気は高うございます」
「そうなのね。第一王子殿下は戦闘で大怪我を負われたそうね」
「はい、落馬して足を痛め、杖がなくては歩けなくなられました。元より武よりも文に優れたお方でしたが」
落馬でなんて恐ろしいわね。高いし落ちたら死ぬこともあると聞くもの。
「第二王子殿下は? どうして立太子されなかったの?」
「第二王子殿下ですが……彼のお方も頭は悪くないのですが、真面目に学ぶことが苦手な御仁でして。美男子故か女性との浮名を流していらっしゃったのもあって、国王陛下は後継に選ばれなかったと聞いております」
それだと兄弟の仲はいいとは言い難いのかしら? 上の三人は正妃のお子で、第四王子だけは第三妃のお子だとか。こちらは王太子殿下より十も年下で王位継承争いには関係なかったようだけど……
「なかなかに複雑なご兄弟のようね。そんな中でやっていけるかしら?」
「そんなことはございませんよ。国王陛下も重鎮たちも第三王子殿下を支持しております。まだ国内が盤石とは言い難い今、武の才がある王太子殿下でなければ治まらないと」
確かに二年前までは内乱状態だったし、第三王子殿下が武力で抑え込んだから落ち着いている部分もありそうだわ。今更逆行するような事態は避けたいでしょうから大丈夫かしら?
それに……彼の国では複数の妃を持つのが一般的らしい。我が国は正妃に子が出来なければ第二妃を迎えることもあるけれど、基本的に一夫一妻制なのよね。あちらだと私以外の妃を迎える可能性もあるし、私が正妃になるとは限らない、のよね。必ずしもお子を産めるとは限らないし……こればかりは婚姻してみないとわからないわね。
<5/2追記>
「お姉様、本当にファーレンに嫁がれますの?」
ファーレンの大使が到着する予定の朝、上目遣いで悲壮感を漂わせてそう尋ねてきたのはエルリカだった。目は緩み、手を胸の前で組む姿は物語のお姫様そのものね。だけど、その裏に薄い笑みが見えてしまうような気がするのは気のせいかしら……
「ええ」
「でも……相手は『血濡れの王太子』と恐れられている方でしょう? しかも一夜に千人斬り殺したとも聞きましたわ。そんな方に嫁いでは、お姉様が……」
「エルリカ、そんな風に言ってはダメよ」
使用人もいるところで根拠のない噂を口にするものじゃないわ。どうして両親も兄も諫めないのかしら?
「でもっ! お姉様がもし不興を買ったら……」
「相手は同盟国の王太子殿下よ。そんなことをしたらファーレンは我が国だけでなく周辺国から非難されて信用を失ってしまう。そんな愚は犯さないわ」
さすがにそこまで考え無しの方ではないと思うけれど。
「だけど、とても気が短くて荒々しい方だというではありませんか。気に入らない女性を一刀両断したとか、ぶつかって来た子どもを斬り捨てたとの噂もあります。その様はとても醜悪で禍々しかったと……」
そんな噂があったの? 知らなかったわ……女子どもにまで非情な方だったの? 胃に冷たい小石が積もっていくような重苦しさを感じた。そんな方なら、不興を買ったら何をされるかわからないわね……
「大丈夫よ、理由もなく人を殺めたり……」
「ああ、私のせいでお姉様が……! もしお姉様があの殺人鬼に殺されたりしたら……」
人の言葉を遮ると両手を顔に当ててワッと声を立てて泣き出した。芝居がかった態度に心の中でため息をついた。また始まったわ、この子のお芝居が。しかも母も兄もこの子が本当に悲しんでいると思って必死に慰めているけれど……そんなわけないじゃない。この子はそれを知って私に押し付けたのよ。そこは無視なの?
「大丈夫よ、エルリカ。そんなことになったら戦争になるわ。同盟を申し込んできたのは向こうなのだからそんなことはなさらないわ」
そう言ってもあの子は頭を振って泣き続けていた。もうため息も出ない。これ以上は食べる気が失せてしまい、そのまま食堂を後にした。兄が避難がましい目を向けてきたけれど、その殺人鬼とやらに嫁ぐ私の心配はしないのね。まったく、善人ぶって人を貶める彼らは何なのよ? 私から見たら家族の方がずっと厄介で醜悪に見える。
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