【完結】一夜を共にしたからって結婚なんかしませんから!

灰銀猫

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頑張った結果

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「単刀直入に言う。俺の婚約者になってくれ」

 その言葉に、腕に食い込ませた爪が一層深く身に沈んだ。痛いなんて感覚は既にどこかに去って、今はこれが現実だと思い留めるためのそれになっていた。痛いから…これは夢ではないのだろう。でも…

「婚約って…この前白紙にしたばかりで…」
「わかっている」
「だったら…」

 もう形だけの婚約者なんて勘弁して欲しかった。そんな事をしたら忘れたくても忘れられなくなってしまう。早く視界に入らないくらい離れたいと思っているのに…

「ど、どうしてそんなことを仰るのです? わ、私の気持ちを知って…」
「知っているし、お前だからだ。他の者になんか頼めないからだ」

 それは…既に一度は解消されているから、既に私は傷物だと世間では言われているから、それが好都合だから頼みたいと言いたいのだろうか…そりゃあ、未婚の令嬢を新たに婚約者にしたら、後が面倒なのは明らかだ。彼の身分とその見た目と能力では、相手が本気になってしまう可能性は高くて、いざ解消となった時に揉めるのは目に見えている。

(…そんなに私は…都合がいい女なの?)

 そりゃあ、貧乏な伯爵家の出で持参金も用意出来ず、既に行き遅れの上に一度婚約を解消していて結婚は絶望的だ。それに裏の事情を知っているから隠す必要もなければ、新たに説明する必要もない。知らなくてもいいことを知っているというだけでも、利用するにはうってつけだと思われても不思議じゃないけど…

(…今まで頑張ってきた結果が…これなの…?)

 自分でも驚くほどに心が冷えていくのがわかった。王家にお仕えする貴族の一員として、王家から何かを望まれるのは光栄なことだ。その感覚は子供の頃から刷り込まれてきたもので、今まで疑ったことはない。王子の地位にある方から婚約者にと望まれるのは、理由はどうであれ僥倖なのだけど…湧き上がってくる絶望に、声が出せない。光栄ですと応えなければならない場面なのに…

「おい?どうした?」

 気が付けば、向かいの席に座っていたはずの彼が直ぐ側にいた。いつのまに…と思う間もなく、手を取られた。腕に感じていた痛みが別の痛みに変わったな…などと、どうでもいい事を考えていた。頭が…動かない。

「どうした?何を…考えている?」

 何を?と問われても、返せる言葉が見つからなかった。頭が考えることを拒否しているようにも感じたし、心が考えるなと命じているようにも感じた。

「な、何も…」

 思ったことを素直に言って許されるのは子供だけだし、大人は感情で動くべきではない。私はこれでも貴族のはしくれで、情よりも理を優先しなければいけない立場にある。私は貴族で、責任があって、だから意に染まぬ事でも命じられればやらない選択肢はなくて…だから…

「お、おい…なんで…泣くんだよ?」
「……は?」

 言われた言葉の意味がわからなくて、変な声が出てしまった。

「な、なくって…ど、どうして……?」
「どうしてって…俺が聞いているんだけど?」

 彼の声が戸惑っている様にも感じられて、益々混乱したけれど…

「……ぁ…」

 泣いているのは、自分だった。そのことがショックで、自分でも信じられないくらいに驚いた。これまで嫌な事や辛いことがあっても、泣けば女だからと侮られ馬鹿にされるから、絶対に職場では泣かないと誓って、そうしてきたのだ。

「…こ、これは…ち…」
「…泣くほど…嫌か?」

 違うと言おうとしたのに、その声は彼の言葉に被せられて音にならなかった。

「…え?」
「俺が…嫌いか?」

 彼が真っすぐに私の目を見てそう尋ねてきた。強い視線に絡めとられた気がした。

(それって…どういう意味、で…?)

嫌いかだなんて、どうしてそんな問いが出来るのだろう。好きだと言ってから、それほど時間が経ったわけでもないのに…

「俺は…お前が好きだ」
「………え?」
「お前が好きなんだ。だから…俺の妻に…なってくれ」

 時間が止まった、気がした。




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