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第三十五話『カクマジゲン、貴様は――』
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「見つけましたよ」と前方から笑顔を向けて近寄ってきた騎士隊長のアンナ・エンヘドゥに違和感を覚えてロキは身を強張らせた。
なぜ彼女は微笑んでいる?
彼女はあんな柔和な笑い顔を見せる性格の女性だったか?
規律に厳格なアンナが夜間に部屋を抜け出してこんなところにいる自分を見つけてなぜ寛容な表情をしている?
どうしようもない感覚のズレがロキの胸中で波紋を呼び起こして心許ない気持ちを沸き上がらせる。
「アンナよ。お前は……怒っていないのか?」
恐る恐る、ロキは訊ねる。
目の前の女騎士は厳しい表情を見せているのが常で、手放しに機嫌のよさを外に出している状態はやましいことのある今のロキには逆に恐ろしいのであった。
「ふふっ、なぜそう思われるのですか?」
穏やかな甘い響きのある音でアンナは言った。
聞きなれない彼女のそんな女性的な高音にぞわりと背中に寒気が走る。
いや、これは失礼な反応だとロキは考え直す。
彼女だって人間で女性だ。
花が咲くような微笑みを見せて、高く伸びのある声を発してもおかしいことなど何もない。
……その納得させかたがそもそも無礼に値するのではという思考には微塵も行き当たらないロキであった。
「……いや、怒っていないのなら気にしなくていい。それより先程から城の方で轟音が聞こえている気がするのだが、何か知っているか?」
「いいえ、特に何も」
「そうか、なら私の気のせいか。私はもう少し夜風に当たってから城に帰ろうと思う。悪いが一人になりたいからお前は戻ってくれないか」
もう間もなくすればアキレスから果たし状を受け取ったジゲンがここへやって来るはず。
そうなったときに決闘を行なおうとしていたことが明るみになれば明日帰ってくる父上にお叱りを受けるのは間違いない。もちろん今目の前にいるアンナからも。
私闘を行うなどというのは、誇り高き王族の血に対する裏切りに他ならないのだ。
従ってこれは絶対に内密に抑えておきたかった。
まあ、ばれなければいいというわけではないが今後を考えれば差し引きで国のためになるとアキレスに諭されてロキは今回決断を下したわけである。
甘言に乗せられたという見方もできなくはないが、それは考えないことにする。
「……アンナ?」
退場を命じたアンナが一歩も動こうとしないことに不信感を覚え、ロキは訝しげに彼女に声をかける。
「何かここに用事があったのか?」
自分と同じように引けぬ事情があったのなら、非常に困るがどうにかしなくてはと思い訊ねる。
ロキのそんな問いかけにアンナは頷いてつかつかと歩み進んで近づいてきた。
「先程、ロキ様は私に怒ってはいないかと、そう訊かれましたね? 申し訳ありません。実は嘘を吐きました」
「……嘘?」
彼女の放つ威圧感に飲み込まれ、ロキは掠れた声で訊き返す。
腰が引けて無意識に足を震えさせながら思わず後退してしまう。
「本当は怒ってます。憤死しそうなほどの強い怒りを私は覚えています」
「お、おい、アンナ? どうしたのだ……?」
ただならぬ雰囲気を感じ取り、ロキは心臓が冷え、鼓動が早まっていく感覚を覚える。
アンナはカッと目を開き、そして――
「そう、お前たち王族には――何年も昔からずっとなッ!」
そう叫ぶと、
「なっ、貴様――ッ!」
腰に下げた剣を引き抜いて振り下してきたのであった。
まさかの実直な女騎士の乱心にロキは真っ白になる。
(駄目だ、避けきれん……!)
そんな、こんなところで自分は……。こんな、中途半端なままで終わってしまうのか?
待ってくれ、まだ何も成し遂げてはいないんだ。
せっかく全ての想いを断ち切って前へ踏み出そうとしていたところだったんだ。
刹那的に全身を駆け巡った死への恐怖からロキは反射的に目を閉じる。
(………………?)
「割と間一髪だったな。まあ、間に合ったからよしとするか」
ここにいるはずのない、少なくともさっきまではいなかったはずの男の声が耳に届く。
ロキは死後の世界とはこんなにも境目を感じることなく行き来するものなのかとあっけなさを覚えた。
「……ここがあの世なのか?」
目を開きながら呟くと真っ先に視界に入ってきたのはカクマジゲンの憎々しい顔だった。
どうしてこの男の顔が……?
「せっかく助けたのに死人気分でいるんじゃねーよな」
「……ん? ……うわっ!」
なんと、ロキはジゲンに赤子を抱えるように持ち上げられていた。
そしてアンナからは安全圏となる程度に距離の開いた場所にいた。
あの一瞬でロキを抱えながらジゲンはこんなにも間合いを取ったのか?
いや、そもそもジゲンはどのようにして自分とアンナの間に割って入ってきた?
「くっ、降ろせ!」
不可解さを上塗りする屈辱に耐え切れずロキはジタバタもがくが、ジゲンにしっかりと身体を掴まれていて拘束を解くことができない。
細身の体格の割になんて馬鹿力だとロキはジゲンの腕力に驚いた。
「貴様、なぜここにいるのだ!」
体裁の悪くなったロキはそれを誤魔化すように喚く。
「なぜって、お前が呼び出したんじゃねーか。決闘だって言ってさ」
「確かにそうだが……」
ロキが訊ねたのはジゲンがまるでこの場に跳んできたかのように唐突に現れたことについてだったのだが。
まあ、自分もあまり周囲が見れる状態ではなかったし、接近に気が付かなかっただけかもしれない。
ロキはそう思い直して一人頭の中で自己解決した。
「ああ、エイルのやつが手紙の内容見てめったくそキレてたぞ。後で謝っとけよ」
ジゲンはロキを地面に降ろしながら、さらりと述べるのだった。
「エイルに読ませたのか!? 男同士の決闘の約束を他の人間に晒すとは、男の風上にも置けん輩だなッ!」
地面に足を下ろしたロキは目を白黒させながらジゲンの服の裾を掴んで彼を揺さぶり、なんということをしてくれたのだと責める。
エイルに決闘をしようとしていたことがばれたのはまずい。
非常にまずい。
彼女は勝気な性格のくせに暴力的な争いを過剰に嫌うのだ。
……ものすごく叱られる!
つい先刻死にかけたばかりというのに、ロキの頭の中は一転してそんなお気楽な焦燥に溢れるのだった。
「仕方ねーだろ。オレ、まだこっちの字が読めねーんだから」
「なっ……!」
悪びれもしないジゲン。ロキは閉口する。
客観的に見れば内容を伝えないまま渡したアキレスやジゲンの識字能力をリサーチしていなかったロキにも落ち度がないとも言えない。
だが、今の取り乱したロキにはそこに考えが回るほど広い視野を持っていなかった。
「字が読めないだと!? これだけこちらにいてまだその体たらくなのか!」
「体たらく? サボってるみたいな言い方すんじゃねーよ」
「毎日ぬぼーっと過ごしているから進歩がないのだ、貴様は!」
「うるせえ! 勉強しないで字が読めるとかそんなオカルトに染まってたまるかよ!」
……やんややんやと、緊迫したクーデターの最中に似つかわしくない掛け合いを繰り広げる二人を呆然とした面持ちでアンナは眺めていた。
(どうなっている……確かにロキは私の前にいたはずだ……)
そして剣を振り落としたはずだ。
なのにその剣はアンナの手元から失われ、今は行方知れず。
さらに瞬きをした瞬間、ロキは刃の届かない距離に移動していた。
それまで気配を微塵も感じなかった男に抱き抱えられて。
城に送った部下は何をやっている。
訓練を積んだ王国騎士が王族の子息子女に巻かれたというのか?
普通ならばありえないことだ。
だが、普通でないならありえないことはない、この世の理の外にある常識。
この次元に存在するものに限らないとすれば……。
そう、例えるなら超能力。瞬間移動、テレポートのようなものが使えるなら?
「カクマジゲン、貴様は――」
アンナは目の前に現れた障害物(イレギュラー)をどう対処すべきか、思考を巡らせ始めた。
※※※
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