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【第1章】再誕
2-1.沈黙する森
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もう一度世界を歩き始める――そう決めてから、十日あまりが過ぎていた。
エイルは薬草袋を肩にさげ、森の斜面をゆっくりと登っていた。
朝の霧は薄く、陽の光はまだ地面に届かない。
けれど、草の葉先には小さな露が残っていて、それがほんのわずかに違和感をまとっていた。
「……ちがう。これは露じゃない。傷?」
指先でふれた葉の裏に、裂けたような跡がある。
ほかの草にも同じような筋がついていた。
決して目立たない。けれど確かに、“踏まれた”か、“裂かれた”かの痕。
エイルは立ち止まり、周囲に目をやった。
この森は、かつての「終わり」から百年を経た場所。
新しく芽吹いた命が、緩やかに静かに、息をついでいる。
――そう思っていた。けれど、最近はどこか、風が引きつるようだった。
まるで森の奥に、大きな石が落ちたあとみたいな。
ゆるく、けれど確実に、波が広がっているような感覚。
「フェア」
エイルが声をかけると、羽毛の塊がふわりと肩に降り立った。
「草のにおい、ちょっとおかしい。きのうより、軽い」
「風も薄いわ。空気がすこし、すれてる感じ。……何か、通ったのかも」
「音もすくない。鳥の声、きこえない」
エイルはうなずく。
決めたはずだった。
「もう一度、世界を歩く」と。
でも、世界はすでに、彼女の知らない姿に変わりはじめているのかもしれない。
少なくとも、この森は。
フェアが羽をのばし、前方の木に止まった。
「見て、木の皮。ひっかいた跡ある」
「どこ?」
近づいてよく見ると、幹の高い位置に、鋭く裂かれた線があった。
つめではない。もっと重く、強い何か。
足場のない場所に、どうやって傷を――そう考えて、エイルは足元の草を見た。
「……踏まれた跡が、ない」
「でも、草が黙ってる。変な黙り方」
フェアの表現はいつも不思議だったが、今回ばかりは合っている気がした。
草は揺れない。風が吹いているのに。
虫の羽音も、鳥の声も、消えていた。
この十日の間、見慣れてきた“朝の森”とは明らかに違う。
「草が、なにかをよけてる」
「草をよけてるもの、じゃなくて?」
「どっちだろうね」
エイルはゆっくりとしゃがみ、草の間に指をのばした。
引き抜かれた根。ふかふかのはずの土が、ぬかれたように凹んでいる。
「大きな何かが、通ったあと。……でも、痕跡を、消してる」
「獣って、そういうことする?」
「ふつうはしない。でも、ここにいるのなら、ふつうじゃない獣かも」
風が、ひとすじ抜けた。
それでも、草は揺れなかった。
沈黙の気配が、森のひと角に降りていた。
エイルは薬草袋を肩にさげ、森の斜面をゆっくりと登っていた。
朝の霧は薄く、陽の光はまだ地面に届かない。
けれど、草の葉先には小さな露が残っていて、それがほんのわずかに違和感をまとっていた。
「……ちがう。これは露じゃない。傷?」
指先でふれた葉の裏に、裂けたような跡がある。
ほかの草にも同じような筋がついていた。
決して目立たない。けれど確かに、“踏まれた”か、“裂かれた”かの痕。
エイルは立ち止まり、周囲に目をやった。
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新しく芽吹いた命が、緩やかに静かに、息をついでいる。
――そう思っていた。けれど、最近はどこか、風が引きつるようだった。
まるで森の奥に、大きな石が落ちたあとみたいな。
ゆるく、けれど確実に、波が広がっているような感覚。
「フェア」
エイルが声をかけると、羽毛の塊がふわりと肩に降り立った。
「草のにおい、ちょっとおかしい。きのうより、軽い」
「風も薄いわ。空気がすこし、すれてる感じ。……何か、通ったのかも」
「音もすくない。鳥の声、きこえない」
エイルはうなずく。
決めたはずだった。
「もう一度、世界を歩く」と。
でも、世界はすでに、彼女の知らない姿に変わりはじめているのかもしれない。
少なくとも、この森は。
フェアが羽をのばし、前方の木に止まった。
「見て、木の皮。ひっかいた跡ある」
「どこ?」
近づいてよく見ると、幹の高い位置に、鋭く裂かれた線があった。
つめではない。もっと重く、強い何か。
足場のない場所に、どうやって傷を――そう考えて、エイルは足元の草を見た。
「……踏まれた跡が、ない」
「でも、草が黙ってる。変な黙り方」
フェアの表現はいつも不思議だったが、今回ばかりは合っている気がした。
草は揺れない。風が吹いているのに。
虫の羽音も、鳥の声も、消えていた。
この十日の間、見慣れてきた“朝の森”とは明らかに違う。
「草が、なにかをよけてる」
「草をよけてるもの、じゃなくて?」
「どっちだろうね」
エイルはゆっくりとしゃがみ、草の間に指をのばした。
引き抜かれた根。ふかふかのはずの土が、ぬかれたように凹んでいる。
「大きな何かが、通ったあと。……でも、痕跡を、消してる」
「獣って、そういうことする?」
「ふつうはしない。でも、ここにいるのなら、ふつうじゃない獣かも」
風が、ひとすじ抜けた。
それでも、草は揺れなかった。
沈黙の気配が、森のひと角に降りていた。
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