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第一章 夜の女王とミミズク

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「ハルは兄妹はいる?」

 花に水を遣るハルに問いかける。
 仲直りしてから数日、私は花園に入り浸っていた。
 リナリナ達と接触してから、貴族達の目は尚のこときついものになっていた。陰口も公然と言われるようになった。
 どこに行っても針の筵で、億劫だ。
 自分の行動が招いた結果だとわかっている。だが、それでもどうして私がこんな目にと逆恨みのように思う。
 そんなことを思う浅ましい自分の感情に一々気がつくのも嫌だった。だから、人目を避けるように花園に一日中いる。そうすると、ハルと会う回数も増えた。
 ハルは私が花園にいると機械を持ってきて隣で水遣りを始める。ハルがいると、安心する。だから、雛鳥のようにハルの水遣りを後ろからついていく。手伝いもせずに、降り注ぐ水を見て、気になったことを質問する。

「いたよ。弟が一人」
「もう、いないの?」
「うん、小さい時に流行病で」

 寂しげな横顔に、胸が締め付けられる。
 弟がいたことはないけれど、肉親を喪った経験ならある。
 ハルはあの寂寥感に翻弄されたことがあるのだろうか。

「俺、王都から離れた村で育った。その村には医者や清族はいなかったから。最期、すごく苦しかったと思う」
「そう……」

 眉を潜めて、花にかかる水を見つめる。その瞳には幼い頃に亡くなった、弟の姿が今でも見えているのかもしれない。

「王都に来たのはどうして?」
「その流行病が、両親にも移っちゃったんだ。二人とも、弟の後を追うようにいなくなった。王都に来たのは、母さんの親戚がこっちで働いてるから」
「働いている?」
「服屋の店で。雑用だけど。俺、ここを出たらその店で働くことになってるんだ」

 働く。
 それは遠い空のことのようだ。
 私はこの学校を出たら、ギスランと結婚する予定になっている。
 一度もあくせく働いたことはない。おそらく、これからも経験しないだろう。

「ハルはそれでいいの?」
「どういう意味?」
「服屋の雑用をしたい?」

 水音が途絶えた。
 ハルを仰ぎ見る。

「ハルには夢はない?」

 一瞬、ハルの顔が引きつったようにも笑ったようにも見えた。
 だが、瞬きをした間になにもなかったように無表情に覆われてしまった。水音が再開された。

「夢って、俺が?」
「たとえば、歌王になる気はない? ハルならばだれよりもらしいのに」

 歌王とは歌劇の男の花形だ。
 果敢な英雄や悩める王子の役が多い。
 ハルは背丈もある。丸まった背中をぴんと伸ばせば、舞台映えはすると思うのだけれども。

「貧民がなれるわけない」
「貧民でなった奴がいないだけでしょう?」
「なれるわけないから、いないんだよ。それに、俺、歌劇なんてきちんと観たことないし」

 意外だ。王都の劇場では、大衆向けの歌劇が連日行われている。王都にいるならば誰もが見ていると言われる演目まであるのに。

「じゃあ、一緒に行きましょうよ」
「……あんたと俺で?」
「ええ。きっと思うわよ。ハルの方が歌が上手いって」

 貴族達御用達の歌劇団でもハルより上手い歌手はいないだろう。
 大衆向けの歌劇団にハルを越える人材がいたならば話題にならないわけがない。きっと、大衆向けにだってハル以上の歌唱力を持つ人はいないだろう。

「歌が上手いだけじゃ、歌王にはなれない」
「確かに、ハルって演技下手だものね?」
「そうだよ、俺はなれないって」

 なんとか話を終わらせようとするハルにむくれる。
 少しぐらい、たらればに付き合ってくれてもいいのに。

「でも、観てみたいわ。ハルが、舞台の真ん中で歌うのよ。王様のように着飾って、万民を鼓舞するように高らかに」

 きっと、ハルが棒読みで台詞を言うのだ。
 観ている人達はそわそわして、こんな歌王でいいのかと難色を示す。
 そこに、鮮烈なハルの歌声が飛び込んでくるのだ。
 陶然と聞き入り、最後には万雷の拍手が巻き起こるだろう。
 それを想像すると胸が疼く。

「だから、なれないって」
「ハルってば、欲がないわ」
「俺は、みんなの為になんか歌いたくない。俺が好きな人以外に歌うつもり、ない」

 ハルの頬が赤らむ。急に蹲りたくなった。
 貧民達に歌っていたあの時と同じぐらいに、私はハルに好きだって思われている?
 ハルの好きな人になれている?
 こいつ、自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているか、自覚して居るのだろうか。

「俺は、好きな人にしか歌わないよ」
「私は、もっとハルの歌、いっぱいの人に聴いて欲しいのに」
「俺が、他の奴らに向けて歌って、あんたはむくれない?」
「そ、それは……」

 ずるい!
 好きな人にしか歌わないって言ったあとにそんなこと訊く?!

「いやかもしれないけれど……」
「でしょ? 俺もいや」

 上手くはぐらかされた。ハルの夢は、あったのか、なかったのか。分からなかった。
 イルが言っていた通り、貧民は夢を持たないのだろうか。だから、ハルははぐらかしたのか。

「カルディアは?」

 名前を呼ばれると、背筋がぴんと張る。なにがと尋ねた。

「兄妹、いるの?」
「ええ、いるわよ。姉が三人に、兄が四人」
「……貴族にしては、多すぎない?」
「そうね、かなり珍しいみたい。私合わせて八人いるもの」

 ライドル王国の記録では二番目に子宝に恵まれた歴だ。
 ほとんどが嫡子だし、あの女の血が流れているので誰も彼も美しい。
 特に、私と同い年の兄様ーーサガルは絶世の美男子で、目線をくれただけで人が惚け、吐息を落とすだけで人を失神させる。完成された美貌を持つ。
 老若男女問わず求婚され、毎日、彼の世話係を巡り熾烈な競争が行われているくらいだ。

「仲が良いの?」
「……にいさ……兄とは仲が良かったけれど」
「今はよくないの?」

 そこにはあまり触れて欲しくない。
 けど、ハルだって弟の話をしてくれたのだし、話すべきだろうか。

「……腹違いなの。兄と。それで、上手くいかなくなって」

 ハルはぎょっとした目で私を見た。
 その視線から逃れるために鮮やかな花達に視線を落とす。水を浴びて、今にも踊りだしそうな花達。それに比べて、私が吐き出した言葉は不潔極まりないものだ。

「しかも、母親同士は姉妹なのよ。私の母が姉で、兄の母が妹。私の父は、だから、姉妹揃って妻にしたの」

 髪を触りつつ、嘲笑う。視座が湾曲するような感覚がした。
 それが、あの女の狂った原因だった。
 兄の母が正妃だ。私以外の兄姉達を生んだ、この世の華と歌われた女。私の母の妹。
 一方、私の母は醜い女だった。少なくとも、正妃よりは。日を浴び焼けた肌。落ち窪んだ瞳。潰れた鼻。この世の華と歌われた女の血縁とは思えない、歪な人だった。
 王族という身分には執着していたが、父王へ恋慕を抱いていたのかは怪しい。ただ、妹への負い目も持ってはいなかったことは覚えている。夢を見るように絵本を読み、髪を撫でてくれた。
 私にとって、大切な人だった。

「……そういうのって、貴族だと当たり前なの?」
「どうかしら。姉妹を妻にするのは珍しいと思うけれど」
「そう、よかった。当たり前って言われてたら、卒倒してたかも」
「でも、腹違いはよく聞くわ。爛れた倫理観を美徳と思うようなところがあるから」

 ハルが今にも卒倒しそうなほど、顔を青ざめさせた。
 ふらりと長身が傾きそうになる。

「ハル?」
「貴族って、変だ。あんたも、そういうの美徳だって思うの?」
「まさか! 私は絶対にそんなこと、美徳とは思わないわ」


 荒淫の果てにあるのは、罪禍だけだ。
 私はそれを身を持って知っている。

「私の夫は一人でいいし、愛人を囲おうとして欲しくない。自分以外の妻がいるなんてぞっとする」

 そう言うとハルはほっとしたのか表情を和らげた。
    
「俺も、ぞっとした。俺の女の子は一人でいいから」

 ハルの言い方に頬が緩んだ。
 だが、ちょっと考えて、荒んだ瞳でハルを見つめた。
 子爵令嬢とモニカの二人はどうなんだ?
 気まずそうに視線が逸らされる。
 おい、こらと叱り飛ばしてやりたくなる。三角関係とか、笑えない。

「ハルって、女の子に好かれるでしょう」
「は? なに?」
「だから、ハルって、いろんな女に言い寄られるでしょう」

 ハルは言葉を噛み砕くように体をかくかく震わせた。
 そうして、律儀に水遣りの機械を止めるとつかつか近付いて私の肩を持った。手が濡れていて、布越しにじんわりと水が浸透していく。

「俺が言い寄られるような、いい男に見えるわけ?」

 目を細めたハルにこくりと頷く。

「ハルはいい男だわ。ちょっと意地悪そうだけど。歌も上手いし、それに私が好きだもの」
「……」
「ハル?」

 じわじわと、ハルの顔が赤らんでいく。私に触れている手が、急に離されてハルの体の後ろに隠れる。
 そうなると、今日のハルの服装をきちんと見ることができた。くたびれた白シャツにサスペンダー、そして藍色のズボン。
 いつもよりちょっとおしゃれだ。もしかして、これから子爵令嬢に会いに行くとか?
 気分が良くない。ハルには、子爵令嬢とあまり仲良くして欲しくない。

「ま、まっ」

 なにをそんなにどもっているんだろう。

「ハルって、かっこいいから心配。迫られても不誠実なことはしないように。特に貴族は押しが強いから気をつけなくてはいけないわ」
「あんたが言う?!」
「私だから言うの」

 分かっていないわね、このままでは子爵令嬢の歯牙にかかりかねないのに。
 押し倒されて、襲われる。既成事実を容易につくられ、責任を取れと責め立てられるのだ。警戒しなくては。
 そのあと、なぜか私はハルに貴族の女について講義をしていた。そして、いつの間に貴族の女から貴族全体への話になっていく。
 日頃の恨みつらみがそうさせたのかもしれない。ハルは最初、ぼんやりと聞いているのかいないのか分からない虚ろな瞳をしていたが、最後の方には体を強張らせ、ガタガタと歯を震わせていた。

「貴族界怖い」
「ちなみに百年前には処刑公という貴族が領民の頭を引きちぎりーー」
「もういい。もういいから!」

 知りたくなかったと蹲るハルは手で耳を塞いだ。
 うん、これで子爵令嬢への恐怖心を煽れたはずだ。
 ……けれど、忘れていた。ハルの認識では、私も貴族の令嬢だということを。
 それから数日、ハルは私に対して三歩以上離れて会話するようになった。話しかけると強張った顔をされる。
 あんまり、恐怖心を植え付けるのもよくないな、うん。

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