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第一章 夜の女王とミミズク
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しおりを挟む「な、なんでよ!」
「この者はそもそも俺の恩情によって生かされていた。そのくせ、俺の言いつけを破り、はなおとめ達を連れてきたのだ。罰しなければならない」
「それはお前のやることではないの!? どうして、私がやらねばならないの!」
「俺が殺すことと、はなおとめが殺すことに違いがあるのか?」
「違い?」
はた、と気が付く。
私はイヴァンが死ぬことよりも、自分が手にかけることが嫌だったのではないのか。
手には、いつの間にか、縄があった。均衡が保てなくなり、体がギロチンへともっていかれる。縄の先を視線でなぞる。ギロチンの頭部部分に繋がっていた。その下には斜めに突き出した刃がゆっくりとイヴァンの首へと近付いていた。縄から手を離すと、首を狙い刃が落ちる仕組みだ。
足に力を入れて、踏みとどまる。
「死に神、これってどういうことよ!」
「簡単だろう、はなおとめ。手を離すだけ、それだけで殺せる」
「そんなことできるわけないじゃない!」
こんなこと、人に強要させないでほしい。
手を離したら、人を殺すことになるのだ。そんなこと出来ない!
「女王陛下」
落ち着いた声でイヴァンが私を呼ぶ。
「死ぬのが、怖い」
「――わかっているわ! 絶対、離したりしない」
「けれど、貴女が殺したいなら、死んでもいい」
「はあ!?」
あまりの言いように縄を滑り落そうとしてしまった。
死んでもいいだなんて、言って欲しくない。助けてと言って欲しかった。
そうしてくれたら、頑張れる。
助けたいと心から思える。
「首を突き出す罪人を何十人と殺してきた。強盗、殺人、姦淫、強姦、国家反逆。罪を犯してきたもの達は、庶民も、貴族も、この台の上では皆平等だ。けれど、俺にはね、殺してきた罪人どもが殺されるほどの罪を背負っているとはどうしても思えなかった。俺は、被害を受けていない。どれほど痛ましいことが起こったのか、知らない。ある日、娼婦を殺した。妻のいる夫を何人も誘惑したからだと聞いた。悪魔だと罵られ、石を投げられ、首をはねた。けれど、悪魔だと罵るのは、その娼婦の顔もみたこともない奴らだ」
分かる? とイヴァンが明るい声を出した。
「罪を罰する俺すら、彼女のことを知らない。被害を受けた人間でもない。なのに、俺が彼女を殺す。これは変ではない? 被害を受けた人間ではない者が、娼婦を嘲る。これはおかしなことではない? 石を投げつける。殺せと叫ぶ、その権利が、あるのか?」
……そんなこと、考えたことはなかった。
でも、確かにそうだ。死刑執行人の制度はいつからできたのだろう。
どうして、自分に降りかかった悪意を他人の手で粛清してしまうのだろう。
「ずっと、考えていた。けれど、俺は人を殺し続けた。騎士を授与したのに死刑執行人に戻ってしまった。命令されれば誰でも。信念も、信仰も、信条もなかった。民衆が怖かった。悪罵し、石を投げつけ、笑い声をあげて殺せと咆哮する醜い彼らが、恐ろしくてたまらなかった。――そして、貴女を殺してしまった。だから、貴女には私を殺す権利がある」
手に汗が滲んで、縄を取りこぼしそうになる。先に感覚がなくなっていっていた。気を抜いたら、取り返しのつかないことになってしまう。
それなのに、私には殺す権利があるって?
「いい加減にしなさいよ、私はお前に殺されていないわ!」
「カルディア様」
名前を呼ばれた。親しみのこもった、優しい声だった。いままで、女王陛下だったのに。どうして。
「貴女に殺されるならば、悔いはない」
悔いの問題ではないと大声で否定したい。お前の言っていることは私のことを全く考えていないじゃないか。
それでも、声に出すことはできなかった。イヴァンの体は恐怖で震えていた。死ぬことが怖い。そういっていたのは嘘ではないのだ。
なんで、恐ろしいのに、死のうとするのだろうか。これしか私が地上に帰る方法がないから?
犠牲になるつもりなの?
「本物のリスト様をお探しください。あの方は、貴女が蘇ると信じていた。どこかに生きているかもしれない」
「本物のリスト……?」
どういう意味か尋ねる時間はなかった。縄の先が急激に重くなり、体がもっていかれる。
刃が加速して落下していく。木の台座に足をかけて、全体重を使って首すれすれに迫った刃を宙づりにする。
私の力ではもとの位置に戻すことは無理だ。こうやって支えているだけで、精一杯だった。
「手を離してください」
「うるさいわ、震えた声を出す奴がそんなこと言わないで! こっちはこうやってるだけでいっぱいいっぱいなのよ。助けて下さいとでも叫んでなさい。そっちの方がまだやる気がでるわ」
「……貴女が好きだった。処刑人に生まれた卑しい俺は学校に行けない。図書館への出入りも禁止されていた。貴女がこっそり忍びこもうと言って下さらなければ、どちらとも行けなかっただろう。罪人の解剖をしていると打ち明けたときも、医学の進歩に貢献していると褒めて下さった。口づけを下さった。愛をささやいて下さった。身に余る光栄だ。俺のような汚泥のようなものに、恋に溺れる栄誉を下さった」
イヴァンの声は熱っぽく、誰に向けられているものなのかもわからなくなっていた。
「愛している。なのに、どうして、自分の身可愛さに殺してしまったのだろう」
「そんなこと、私が知るはずないじゃない! けれど、そんなものでしょう!? 聖人ではないのだから、自分の命は投げだせない。我儘で自分勝手に振舞うしかない。死んだ人間の代わりになりたいなんて、どうしようもないこと考えて、落ち込む。できもしないのに!」
自分の感情なのか、イヴァンの感情に同情しているのか、よくわからない。けれど、私もよく似た思いをした。母様が死んだとき、ギスランの部屋に閉じこもって、学校の人間が死んだと聞かされたとき。
どうして自分が生きているのだろうと自問した。
かわりに死んであげたかった。
けれど、きっと、本当に死を目の前にしたら、意地汚く逃げて、命乞いをするのだ。誰かほかの人間が死ねばいいと醜いことを思うのだ。
だが目の前で死なれたくない。
私は、汚泥のような人間だ。イヴァンが罰せられる姿を自分の目の前で行わないで欲しい。知りもしなければ心を炒める必要もない。けれど、実際に自分が下すとなったら、抵抗して、生きろと叫んでいる。
イヴァンが好きになった女王陛下はーーカルディア様とやらは、私とは似つかない綺麗な女に違いない。
「イヴァン、ギロチンから解放してあげる。首だけ突き出した間抜けな姿はお前には似合わないもの。そうして、その女王陛下の石碑にでも行って謝ってくるといいわ!」
体を倒したまま、ギロチンの台を蹴る。こうなったら、やけだ。足が壊れるぐらい蹴っていたら、きっとギロチンを倒せる。そうしたら、イヴァンを助けることができる。
けれど、縄にさらに重みが加わった。
イヴァンが自分の手でギロチンの刃掴んで引っ張っていた。だらだらと赤い血が広がる。きっちりとした紳士服が赤く染まっていく。
「手を放しなさい!」
「イヴァンと呼んでくださった」
地面に顔がつきそうなほど、体重をかけて縄を引っ張る。けれど、徐々に縄を持つ部分がずれていく。歯を食いしばった。こんなこと、許されていいはずがない!
「うれしい」
幸せをただかみしめるような浮かれた声だった。その一言だけだった。
落下物が地面を揺らす。
振動が足から、心臓に伝わる。びりびりとした痙攣に似た痛みが、心臓を中心にして体を蝕み、壊していく。イヴァンの名前を呼ぶ。返事はなかった。
手には、なにもなくなっていた。
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