どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第一章 夜の女王とミミズク

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「二人とも目を覚ましていない」
「!」
「というのは二日前までのことだよ。二人とも意識を取り戻してる。リストは起き抜けに父王様に大目玉を食らったときいた」

 脅かすような言い回しにびくつく。
 意地悪が心臓に悪い。目の前が霞む。
 こういう風に兄様に言われるのが一番嫌だ。
 少しでも、悪意を持って接せられるのが怖い。
 縮こまった私にサガル兄様は驚いた。

「脅かしすぎたね。さっきから怖がらせるようなことばかり言ってしまう」
「……国王陛下、もうお戻りになったの?」
「そうだよ。僕も呼ばれている。嫌だから、何かと理由をつけて回避しているけれど」

 帰って来ているんだ……。
 国王陛下への謁見は遠い昔行ったきりだ。帰還の挨拶や新年の挨拶はしようとしても断られる。
 私は父王に嫌われている。
 嫉妬はない。サガル兄様と私との扱いの差に疑問があるわけでもない。
 けれど、なぜ第四王女の地位を与えているのだろうと疑問に思うことはある。

「清族のものなど蒼褪めて報告してくれたよ。上半身は傷付いていない場所を探す方が困難だったって。いくら殆どの傷が治るからといっても体は大切にしないといけないよね」
「……二人とも、生きている?」

 白々しい懇願で尋ねる。
 二人のことが心配ではないのか。
 そう尋ねられた時に衝撃を感じた。確かに、二人のことが頭から抜け落ちていたからだ。
 イヴァンを殺した。そのことばかり考えていた。

「カルディアは死んでいた方がよかったの?」
「違うわ!」

 サガル兄様の言葉に息をのむ。
 そんなこと、ありえない!
 けれど、サガル兄様の青空の様に澄んだ瞳が本当かと問いかけてくる。
 指の先から炙られている気がした。
 汚れた感情を一掃する清らかさを持った聖人の前で、詭弁を弄している気分だ。

「カルディア」

 指の間にサガル兄様の指が入り込む。
 呼ばれた名前は酩酊するほど甘い響きを持っていた。

「怯えないで。大丈夫。二人とも頑丈だから死んではいないよ」
「会える?」
「それはどうかな。まだ、お互いに本調子ではないだろうし」

 踵の傷口をなぞられる。いつの間にかかさぶたができて、痛みがなくなった場所だ。
 痛くない? とサガル兄様は事情を知っているのか聞いてきた。なくなったと素直に答えると、指で軽く引っかかれる。

「カルディアも僕がいるのに、彼らの顔が見たいとは言わないだろう?」
「でも」
「カルディア。あまりリストやギスランに無理をさせてはいけないでしょ。お前はただでさえ、彼らに頼り切りなんだから」

 分かったねとより強く引っかかれる。
 サガル兄様の言う通りだ。ギスランもリストも起きれるようになってから間もない。訪ねていくと迷惑になる。

「話の腰を折っちゃった。どこまで話していたかな。ああ、そう。レイ族までだった。その後、フォード王立学校は計画を前倒しにして閉校。今は、清族達が校内を洗浄している。流血も至る所にあるけれど、それよりも汚染も進んでいて、錯乱状態に陥る清族があとを絶たないらしいよ。今は、トーマが最前線に立って指揮をしている。トーマは知っている?」
「うん。……いろいろあって頬を張ってしまって」

 あ、サガル兄様が引いた顔をした。
 今思うとあれはやりすぎだったかもしれない。だけど、トーマだってあの場面で倫理観がない発言をしたのだ。一発ぐらい、殴っていて正解だったと思いたい。

「淑女らしくしないとだめだよ。お前はただでさえ、儀礼がなっていないと言われることが多い。服もあまり華美なものは乙女の品格を下げる。これぐらい落ち着いたもののほうがいいよ」

 そういえばサラザーヌ公爵令嬢が同じようなことをサガル兄様が言っていたと告げてきたような気がする。
 あのときは怒りに任せて、サラザーヌ公爵令嬢を侮辱した。だが、実際にサガル兄様に言われてしまうと、なぜあのときちゃんと言い聞かせてくれなかったのだと憤りたくなる。

「服一つで人間性が浮き彫りになるもの。気をつかって」
「はい」

 ギスランが着せるようになる前は、こういう色合いのドレスばかり着ていた。私もこっちの方が落ち着く。

「トーマのことも今後は節度ある距離を保つように。彼はまだ幼いとはいえ、男性だよ。みだりに近づかないこと」
「淑女らしくないから?」
「心配だから。カルディアは可愛い。けど抜けていて、危ういから」
「危ういの?」
「そうだよ」

 生暖かい瞳に居心地の悪さを覚えて床を一瞥する。格子状の影がついた陽射しの線が走り、鱗粉のような白いものが浮遊していた。小さい頃は、こんな温かな光景を見ることはなかった。月の光でさえ、サガル兄様にとっては天敵だったからだ。一日中窓を締めきっていた。
 部屋のなかには紙の臭いが充満していて、紙魚が沢山いた。あれが魚の仲間ではなく、虫の仲間だと知ったのはいつだったっけ……。
 視線を戻し、サガル兄様の顔を見て頷く。
 安心したように笑いかけられた。
 一度唇を湿らせて、気を取り直すように話を戻した。

「ダンは父王様に現状の報告をする係をしている。清族の代表者だから」
「私達はどうなるの?」
「僕の学校で過ごすんだ。嬉しい?」

 恐れ多い気持ちの方が強い。
 サガル兄様の頬がぷくりと分かりやすく膨れる。

「返事して?」
「嬉しい」
「ほんと?」

 疑わしそうな視線を注がれ、慌てて笑顔をつくる。
 サガル兄様はやっと安心したと目線を下した。

「しばらくは体調を整える方が大切だから、安静にしなくちゃいけないけどね。ここはどう使ってもいいよ。カルディアにあげる」
「あげって、この部屋を?」
「なにを言っているの。この屋敷ごとだよ。入れている使用人たちも、カルディアにあげる。お前は、従者も侍女もギスランのものを使っているから、心配していたんだ」

 え!?
 この屋敷って、サラザーヌ公爵から買ったと言っていなかった?
 いや、そうじゃなくても、使用人達まで一緒に私に譲るということなの?

「いつまでも側に置く人間をうやむやにしていてはいけないよ。僕があげるものはカルディアも気に入ると思うけれど」

 もの。
 使用人は、もの。
 イルやシエル達の貧民の顔が浮かぶ。
 血の通った取り換えのきくもの。
 譲渡できる所有物。
 それが普通だと思う傲慢な気持ちを抱くには彼らが生きている存在であることを実感し過ぎている。
 けれど、所有物になることで救われる貧民もいるかもしれない。
 嫌悪する潔癖さを持つには、相反するものを知りすぎた。

「カルディア」

 頬に手がそえられる。形の良い爪が目の端に映る。

「僕を信じて」
「サガルを、信じる?」
「そうだよ。お前とは、長く言葉を交わしていなかっただろう? そのせいで、僕らの間には溝がある気がする」

 口をぎゅっと閉じる。
 原因は私の出自のせいだ。私は、王妃の腹から生まれていない中途半端な存在。それが悪い。

「でもこれからは僕と君の二人、会おうと思えばいつでも会えるんだよ。一緒に食事をしよう。そして、たくさんお話しよう? お前は童話を僕に読ませるのが好きだっただろう。望めば、寝る前に読み聞かせてあげる」
「無理をしている?」

 仲良くできるのは嬉しい。けれど、気を使われているみたいでいやだ。
 サガル兄様は目を瞠って苦しそうに目を細める。そして首を振った。

「ううん。楽しみにしているんだ。本当に、嬉しいんだよ」

 サガル兄様の瞳になにかを切望するような感情が浮かんでいた。
 だが、すぐに消えてしまう。
 きっと、見間違いだろう。サガル兄様がそんな感情を持つわけがない。

「私も嬉しい」
「ならよかった」

 心が溶けるほど綺麗な笑顔だった。
 サガル兄様に抱き寄せられる。
 首元に頭を埋める。優しい抱擁だった。サガル兄様の体からコロンの臭いがする。
 呼吸の音が聞こえる。心音が聞こえる。生きているんだ。ここにいるだ。サガル兄様の体に手を回す。幸せだ。人がたくさん死んだのに、幸福だ。
 悪罵してほしい。偽善者だと糾弾してほしい。だれかに殺してほしい。
 月のように白くて清らかな肌だ。幼い頃から少しも変っていない。むしろ、より透明に近くなって滑らかだ。私より肌がきれいだ。
 こんな人に大切にされていい人間ではないのに。

「僕が守ってあげるから。大丈夫だよ」

 サガル兄様の体温がじわじわと入り込んでくる。
 首筋にかかる吐息が心地よい。
 ――あれ?
 サガル兄様の首筋に赤い痣がいくつもあった。沢山ありすぎて斑点のように見える。
 虫刺されの傷だろうか?
 指先がぞわぞわとむず痒くなる。
 兄様の何かが壊れているような不安感が襲う。
 サガル兄様がばらばらにならないように背中に回した腕に力を入れる。

「カルディア、少しきついよ」

 朗らかな兄様の声が空々しいものに思えた。

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