どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 レゾルールは古城を改築して出来た学校だ。
 そそり立つ城壁も尖塔も大きな門もその名残だ。
 城内は教育機関として活用するために改装されている。とは言っても調度品などは昔のままにされているらしい。
 大きな肖像画の前を通ると、貧民らしき男が私に向かって頭を下げた。
 ギャラリーを抜けて、廊下に出る。
 ……おかしい。
 ここ、どこだ。
 リストと共にサガル兄様に挨拶するため、中庭で待ち合わせたはいいものの、ここがどこだか全く分からない。
 さっきのところを右折するべきだったのか?
 調子に乗って一人で行けるからと侍女を置いて来たのが悪かった。数日住んで慣れたと思ったのだけれども。

「も、もどった方がいい?」
「そうですわね。その方がよろしいかと」
「ひっ」

 振り返ると、清族がいた。
 16歳ぐらいだろうか。
 中性的な顔立ちだ。瞳と唇が大きく、目の色は深い紫色。
 髪の毛の色はギスランに似ていた。短髪で、後ろは刈り上げになっている。
 純白のローブを着て、胸に宝石がついたブローチをつけていた。

「あら、ごめんなさい。驚かせてしまいましたわね」

 こいつ、男、だよな?
 流石に体つきで女でないことは分かる。
 ただ、声色は高い。喋り方も女のように柔らかい。声変わりが済んでいないみたいだ。

「中庭に出たいという方でこちらに迷い込まれてくる方は多いの。この先は清族専用の棟がございますので、ご用がなければたち入りは推奨いたしかねますわ」
「そうなの。えっと、では中庭へはどうでれば?」

 身振り手振りを交えながら尋ねてみる。
 が、急に清族は目を見開いたまま固まってしまった。
 聞き取れなかったのかと思い何度も復唱するが、反応はない。

「こ、声がーー」
「声?」

 清族はわななく唇のままにそう言った。

「ひっ」

 な、なんなんだ!?
 まるで先ほど驚いた私と同じ反応だ。
 だがさっきと私とは違って、目の前の清族の焦点はだんだんとズレていった。頭上へとだ。空を見上げ、恍惚と言うべき表情で手を組んでいる。
 やばい奴に遭遇してしまった。これは速やかに逃げるべきだろう。
 私が知っているなかでも上位に位置する奇人だ。禁断症状か何かか?
 足早に道を戻ろうとしたとき、後ろから腕をひかれ、つんのめった。みるまでもない。清族だ。
  
「――神よ。我が福音に感謝します。ねえ、カルディア姫。よろしければこのまま清族の棟にお越しくださいな」
「いい。私中庭に大切な用事があるの」
「そんな。急ぎではないのならば、ね? おもてなしいたしますわ」

 粘着質な声に、背中がぞっとする。産毛をひとつひとつ撫でられているようだ。
 振り返ったら終わりだと言う気がする。

「結構よ! 本当に急いでいるの。お前時計を持っている?」

 ローブを弄る音が聞こえてきた。
 よし、この隙だ。意識が時計に向かっているうちに腕を振り払い、全力疾走する。
 気がつけばいつも、私は走ってる。もう、そういう星の元に生まれたのだと思って、底の浅い靴を履くことにしたい。
 それにしても、なんだったんだ、あの清族!



「鳥頭め」
「いきなり、なに!?」

 変な清族からやっと逃げてきた私に向けた一言めが鳥頭。リストはどういうつもりなのだろうか。
 手紙では優しいというか甘いというか、こっちが恥ずかしがるような文面を寄越してくるくせに、会うと悪態をつかなくてはならない決まりでもあるのか!?
 息をきらせながら、聞き返すと、髪の毛を触られる。
 壊れ物を扱うような戸惑うくらい優しい指使いだった。

「お前の髪だ。女のつもりならば、身嗜みぐらい整えろ」
「リスト、辛辣になっていない?」

 憎まれ口を叩きながらもそわそわしてしまう。リストの指使いも瞳も混乱してしまうほどとろりとした蜜のように甘い。

「これでも優しくしているつもりだが?」

 一つ一つ丁寧に髪の毛が動いていくのが分かる。
 されるがままにしていると、リストがふうと息を吐いた。

「いつまでも子供のようにはしゃぐな。でなければ人目に出れないくらいぐちゃぐちゃにしてやる」

 妙な凄みの眼差しを貰った。
 いや、全体的に私は悪くない筈だ。
 清族が悪いに決まっている。
 けれど、なんとなく清族のことは言い出しづらく、変な感慨を覚えながらも善処するとだけ答えた。


 レゾルールの中庭はフォードと同じように花園が設置されている。
 咲き誇る花々は春から夏の花達に変わりつつあった。
 どれもこれも美しく、生命力に満ちている。太陽に向かって伸びているようだった。
 レゾルールでは誰がこの花園を管理しているのだろうか。ハルの管理と遜色がないように見える。話をさせてみると意気投合してしまうかも。
 ふふっと笑みを浮かべそうになったところで、ハルがもういないのだと気が付いた。この学校にはハルはいないのだ。

「サガルはこの先だ。茶会を催しているらしい。さっと顔を見せて帰るぞ」
「きちんと挨拶したほうがいいんじゃないの?」
「今日は夜会だ。聞いていないのか? 俺達もサガルも寝なくては」
「聞いてない……」

 準備も何もしていないぞ。
 そもそも、夜会なんて出たくもない。誰の主催だ。

「バロック伯爵主催の夜会だ」
「バロック……?」

 カリレーヌ嬢の実家か? 兄がいるという話は聞いたことがあるが、一族はまとめて罰を受けたのではなかったのか?
 カリレーヌ嬢だけ罰されたというのはあり得ない筈だ。

「伯爵のお披露目会でもあるらしい。王都のバロック邸で行うものだ。レゾルールの貴族全員が招待されている」
「全員?! 無理よ。絶対に、無理」

 フォードに入学当初も学内にいる貴族全員に挨拶するという意味のわからないことをさせられた。
 途中で気分が悪くなり、主催でありながら退場してしまったせいで、貴族からの評判は散々だ。
 今考えただけでも胃が重い。
 そもそも社交性とは無縁で生きてきた人間だ。これからも末永く無縁とお付き合いしていきたい。

「大丈夫だ。ギスラン・ロイスターもいる。俺は途中で帰るが、サガルもいる。前みたいな痴態を演じることにはならないだろう」
「帰ってしまうの? 最後までいなさいよ」
「お前なあ。そうやって、誰彼構わず男に媚を売っているのか?」

 なんの話だ。
 こっちは今、絶対に解決できない無理難題を押し付けられて、意気消沈しているのだ。察して欲しい。

「ともかく、まずはサガルへの挨拶だ。非公式のものだからと、礼儀を忘れるなよ」
「……分かっているわよ」

 正直頭は混乱したままだが、サガル兄様を待たせるわけにもいかない。
 私と同じ顔の人間が社交大好きな性格で、変わってくれる、なんてないのかしら。
 帰るときにリストに相談して、どうにか対策を考えなくては。

 そうその時まで呑気に思っていた。

「サガル兄様!」

 可愛らしい鈴の鳴るような声だった。
 サラザーヌ公爵令嬢の声だ。リストとお互いに顔を見合い、中庭を進む。天幕の張られたお茶会用のスペースに、サガル兄様とサラザーヌ公爵令嬢がいた。


 サガル兄様はゆったりと椅子に座っていた。その膝に頭をのせるようにして、サラザーヌ公爵令嬢が甘えていた。高潮した頬は薔薇色で、見上げる瞳には甘さがたぶんに含まれていた。

「兄様、わたくし、船が欲しいわ。空を飛ぶ船! 飛行艇に乗って、王都を空から見下ろすのよ」
「へえ。買ったら、僕も一緒に乗せてくれる?」
「もちろんよ」

 はと大声で叫びそうになる。血の気がひいた。なんだ、あいつ。なにをやっているんだ。
 私の兄様なのに!
 罪深い。爪が食い込むまで拳を握りこむ。痛みが感じられない。

「なら買ってあげる。一隻だけだと味気ないね。対にしようか」
「うん、そうしましょう? 名前は何にしましょうか?」
「お前の名前にしたらいい」
「カルディア号? なんだか、恥ずかしいわね」

 サガル兄様は天使のような笑みを浮かべて忍び笑いした。
 リストがごくりと喉を鳴らす。
 私の聞き間違えか? カルディアといった?
 何度見ても、彼女はサラザーヌ公爵令嬢だ。カルディアという愛称で呼ばれているときいたこともない。

「でも、船は女の名前がつくといいますものね。ライドルの王女の名前でも不思議ではないかしら」
「そうじゃなくとも女神の名前だよ。縁起がいい」
「そうね。とても光栄な名前だもの。この名前のおかげでギスランは我儘をきいてくれるし」
「僕と二人なのに、ギスランの名前を出すのは妬けるな」

 ふふとサラザーヌ公爵令嬢が笑う。
 イルの声を思い出した。可哀そうでかわいい。
 あいつがいっていたのはこういうことなのか。
 もう、駄目だ。頭がいっぱいいっぱいで、割れて中身が出てきそうだ。
 サガル兄様とサラザーヌ公爵令嬢の前へと足を動かす。けれど、おかしい。足をあげるたびに、ぐちゃりと足先が曲がる。足の付け根で地面をつついた。あれと声を上げる前に、地面に手をついていた。
 立ち上がろうと思ってもぐるぐると地面が回って無理だった。しかも、目がからからに乾燥して痛かった。耳鳴りもしている。

「カルディア!」

 リストの声だ。よかった聞こえる。

「あら、リスト! どうしたの。わたくしに何か用?」
「……お前ではなくて」

 どう接したらいいのか決めかねているのだろう。迷うような声色が近くで聞こえる。
 汗がぽたりと地面に落ちて染みをつくる。これ、私のものか。
 ぶるりと悪寒が走った。変な喘ぎ声が出てきた。喉の奥が痙攣している。この兆候はいけない。このままでは酸欠で気を失う。
 苦しくて、体が倒れた。どうしよう。嫌だ。私の名前なのに、取られた。
 サラザーヌ公爵令嬢はかわいそうだ。同情していないと言えば嘘になる。
 貴族ではないと叩きつけられて、目の前で父親を殺された。
 私が彼女だったら、狂っているだろう。
 けれど、その同情心はいまの私にはない。泥棒だと糾弾したい。
 今の私には地位しかない。第四王女カルディアというものにしか価値がない。
 その場所をかすめ取られたら、誰にも見向きもされない。そんなことは耐えられない。
 サラザーヌ公爵令嬢を今すぐ殴り倒したい。
 けれど、喘ぎの感覚が短くなり、ますます呼吸が困難になるだけだ。

「あら、サラザーヌ公爵令嬢」

 サラザーヌ公爵令嬢の影が私をのぞき込んでいた。

「大丈夫? ほら、きちんと息をして」

 顎を無理やり掴まれて空を見上げさせられる。
 触れられた肌がかゆくなっていく。振り払うように顎を掻きむしる。

「馬鹿、掻くな」

 リストの手に止められる。ひっ、ひっと喉の奥から変な音が出ていた。

「……退いていろ。大丈夫か?」
「もう、リスト! わたくしのこと、乱雑に扱いすぎよ!」
「赤くなっている。清族を呼ぶか」
「あら。虫に刺されたのかしら」

 のんびりとした声が忌々しい。こんな目に合っているのは誰のせいだと思っているのだろう。……いや、サラザーヌ公爵令嬢に過剰反応した私が悪いのだろうか。

「やっぱり、学校に来るのは早かったのではないの? ……お父上が亡くなってしまったのだもの。休学しても構わないのではないの? ね、サガル兄様」
「そうだね。体と心への負担が軽くなるようにしてほしい」
「はあ。おい、誰か、清族を呼んで来い。サガル、運ぶのを手伝え」

 サラザーヌ公爵令嬢の声も、サガル兄様の声も、リストの声もだんだん遠のいていく。


「リスト、サガル兄様になんてことをさせようとしているのよ」
「僕は構わないよ」

 自分の呼吸の音しか、聞こえなくなった。
 サラザーヌ公爵令嬢が私になったら、私は誰になればいいのだろう。
 サラザーヌ公爵令嬢になるのか。私が、彼女になる。貧民と貴族の混血児で、父がレイ族に殺された女。それでもいいか。
 目が開いていても何も見えない。真っ暗闇だ。イヴァンが瞼の裏に現れた。私の首を絞めて、笑いながら何か言っている。聴き取れないまま、ひゅうひゅうという音が大音量になる。





 飛び跳ねるように起き上がると、側にはリストがいた。清族が私の顔色や脈を診て、安静にするようにと言って去っていく。

「私、倒れたの?」
「ああ」
「サガル兄様とサラザーヌ公爵令嬢は?」
「さきほど、出て行った。サラザーヌ公爵令嬢は今から精神病院に入れられるらしい」

 立ち上がろうと腕をついたときに聞かされて驚く。
 精神病院って、劣悪な環境で有名なあそこか?
 隔離施設であり、治療と称して、最先端医療とは名ばかりの未熟な治療を試されると聞いている。

「自分ことをお前だと思っているんだ。この学校にはいられない。とはいえ、サラザーヌ公爵家でも面倒を見切れないらしい。サガルが金を出して入院させるという」
「いつからああなの」
「あの事件後、すぐらしい。最初のうちは自分のことをきちんと理解していたんだが、徐々に自分が何者だか分からなくなっていった。あとはなし崩しだ。女神カルディアに祈るうちに、自分はカルディアだということを思い出した。そこからは、お前に成り代わって、王女様気どりでレゾルールを闊歩しているらしい」
「いやに棘のある言い方ね」

 リストが寝台に近付き、片膝をついた。私の頬に指を滑らせると、くにくちと揉む。数度そうやっていると、顎を持たれて、軽く触られた。

「腫れはひいたな。かゆくなっても強く掻くな。血が出ていた」
「無我夢中だったのよ。しかたないでしょう」
「俺は焦った。お前まで狂ったのかとな。……お前が大切なんだ。サラザーヌ公爵令嬢にあたりがきつくなっても、しかたがないだろう?」

 倒れこんでしまいそうになるほど動揺した。大切という言葉って、こんなに心を動かすものだったか? リストが言うから、優しくて、嬉しく思うのだろうか。

「ともかく、今日中は安静にしろ。俺は、ギスランに夜会について話し合ってくる。あいつは、部屋に入れないようにするから、お前も寝ろ」
「ちょっと待って、夜会に行かないの?」
「行きたくなかったのだろう? 丁度いいだろう」
「それは、そうだけど」
「いいから寝ていろ」

 本当に部屋から出て行ってしまった。
 でも、寝る気分にもなれなかった。
 寝台の前にある机に手紙が置いてあった。リストからの手紙かと思ってペーパーナイフで開けてみると、差出人はカルディアからだった。
 私? ……いや、と首を振る。これはサラザーヌ公爵令嬢だ。

『お休み中にお伺いして申し訳ありません。目の前でお倒れになったのが、心配でお手紙を書かせていただきました。正直申しますと、サラザーヌ公爵令嬢のことをわたくしは好きではありません。高飛車で、貴族然としていて、根暗で卑屈で。……あら? いえ、ともかく、苦手です。生理的に仲良くすることが不可能です』

 なんだこれ! 喧嘩を売っているのか? 高く買い付けるぞ。むしろ、高値でふっかけてやる!
 サラザーヌ公爵令嬢にとって私はこういう無礼な手紙を書くような人物だってことか?
 一行目に優しさを感じた私の良心を返してほしい。
 文章を負う。もっと無礼なことが書かれていたらびりびりに破いてなかったことにしてやる。

『ですが、それでも貴女が倒れてしまったことに対して、わたくしは同情を禁じえません。なぜならば、貴女の境遇は同情に値するからです。お父上のことは残念に思います。わたくしもよくよくお世話になりました。あのように素敵な紳士をギスラン以外知りません。亡くなってしまったと聞いたとき、あらゆる感情がわたくしの胸に飛来しました。人の生死のむなしさ、儚さ、脆さ。永遠の命がないのはなぜなのでしょうか。あれば、彼は死なずに済んだのに……。貴女もきっと同じ気持ちでしょう。もしかしたら、初めてわたくし達は同じ感情を抱いたのかもしれませんね』

 目を逸らしてしまいたくなった。
 私は、サラザーヌ公爵にお世話になったことなど、ほとんどない。
 彼は大四公爵家の一人で、それ以上でも、それ以下でもない。
 弓矢をもって走ってきたサラザーヌ公爵令嬢のことを思い出した。公爵と助けようとしていた。たしかに彼女の中では公爵は守るべき家族で、そして、公爵にとっても最期は身を呈して守る相手だった。

『いえ、わたくしと貴女は同じ気持ちではないのかもしれません。貴女は殺されそうになったのですものね。けれど、責めてはいけないと思うのです。貴女の父は偉大だった。死ぬ時も、また矜持があった。それは勇者といってもいいと思います。憎むなとはいいません。恨むなとも。それは貴女が持つべき感情であり、正統な権利です。けれど、けっして、絶望してはいけません。わたくしも、嫌いな貴女のことではありますが、まあ、貴女が望むならば手紙のやり取りをしてあげても構いません』

 なんだ、それ。
 手紙の端を握る。

『また、元気になった頃にお伺いします。それでは、また、お会いしましょう。追伸、貴女の服のセンスはどうかと思います。落ち葉のようですので、今度来るときは、貴女に合う服も持ってきますね』

 気が付いたら、私は走り出していた。
 言いたいことはいっぱいある。言わなくてもいけないことはたくさんある。
 けれど、一番最初に言いたいことは一つだ。
 私だって、大っ嫌いで、一生馬が合う気がしないし、合わせる気もないが、力になってやりたいと思っていると。

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