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第二章 王子殿下の悪徳
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しおりを挟む扉の前にはフットマン。しかも太陽の輝きを反射したようなきらきらした美貌を持った男達が恭しく立っている。
馬車を降りるときも彼らが私が降りるのを手伝ってくれた。
直視出来ない。どうなっているんだ。服屋に来たはずだよな?!
緊張で心臓がばくばくしている。隣に並んだテウの裾を掴む。こんな破廉恥男に縋りたくはないが、服屋の前にいる美男子達の存在に慄いてしまっている。
落ち着け私。ギスランやサガル兄様に比べたらまだ、息がしやすいはずだ。
テウは照れたように笑うと大丈夫だよといいながら手を握ってきた。
ぎゃっと声を出しそうになったが耐える。
「な、なぜ、皆顔がいいの? そういう規則でもあるの?」
「買い物に来るのは可愛らしい女性が多いからだよ。特にリジーは革新的な思想を持つ女性客が大半だからね」
「接客は彼らがするの!? 嘘でしょう?」
「頼めばしてくれるよ。そうだ、お姉さんのために店の男を全員集めようか。頼めば他の客についているものもお姉さんの相手をしてくれるよ?」
「絶対に遠慮させてもらうわ!」
フットマンは店前でぎゃあぎゃあ喚く私達に文句も言わず中に案内してくれた。
リジーのなかは数人の客が先に店内を見物していた。
店内は三つのスペースに分かれている。布と型紙が置かれたスペースと既製品が置かれたスペース、そして試着室があるスペースだ。そして裏に続く扉があり、その奥には大勢のお針子がちくちくと針で縫っているのがガラス越しに見える。
店に直接訪問するのは初めてだ。いつもは彼らに来てもらう。こういう場合、どういう仕組みで服を作ってもらうのだろうか。
「テウ様、いつもご贔屓にしていただきありがとうございます」
「ん。ねえ、露出が高いこの子にあうドレスある? 言い値で買うよ」
売り子らしき男が手揉みしながらテウに近付いてきた。
テウは私を指差しながら、慣れたようにそう言う。
「ええ、ええ、勿論ですとも。お嬢様こちらへ。一級品をご用意させていただきます!」
口を挟む暇もなかった。呑気に手を振るテウに何も言えないまま、私は男に案内され、試着室に連れていかれた。
試着室のなかには貧民の女がいた。小綺麗な服装をしているが、肌の色が案内してきた男と違い焼けていた。
「お嬢様、こちらをお召しになって下さいませ」
純白のシュミーズドレスだった。腕の先が段々に丸く膨らんでおり、胸元はがっつり開いて、フリルが施されていた。
ただ、それ以上に後ろが肩甲骨が見えるほど開いていた。
こんなものを着るのか!?
「ドレスをお脱ぎになって下さいませ。あら、コルセットをしていらっしゃらないのね。珍しいわ。マジーナ、コルセットを持ってきてちょうだい」
「はい、ただいま!」
闊達な返事が上がり、試着室を遮る布の先から腕が伸びてくる。親指の先には針を刺したあとなのかいくつも小さな傷があった。しかも、手の甲には焼き鏝を当てられたような醜い火傷跡があった。
「ありがとう」
貧民の女はその手からコルセットを受け取ると、手を振った。腕が布の奥に消えていく。
……どうしてだろう。ここがリジー店だからだろうか。
あの手は掴まなくてはならない気がした。
「お前、嫌い。さっきコルセットを持ってきた者と変わって」
「え?」
驚いたように貧民の女が声を上げる。それもそうだ。理不尽を言っている自覚はある。こういう時はどうすればいいのだろう。罪もない人間に辛辣に当たるのは気が咎める……。
「お嬢様、あの者は接客を担当しておりませんので……」
「ほら、さっきの奴を呼んできて! それでお前はこの服を着せようとしてるテウって男にこのままじゃあ夜会にも行けないと言ってきて!」
「は、はい!」
罪悪感に少し落ち込む。言い方もうちょっと優しい言い方があったんじゃないだろうか。
いや、悶々と考え込んでも仕方がない。
「し、失礼します!」
上擦った声とともに彼女は入ってきた。
ああと手を合わせて祈りたくなった。イルの話は本当だったのだ。
彼女の顔面は腫れ上がり、青々とした斑紋が浮かんでいた。片腕は異常にぱんぱんと膨らんでいた。足も同じように蹴られたのか、膨れていた。
彼女は卑屈な笑みを浮かべると、他の人間を呼びましょうかと尋ねた。
首を振ってそれを否定する。
もともとはどんな顔だったのか、ちっとも分からなかった。彼と似ているのかさえ判別不可能だ。
彼女の体に腕を回して抱き寄せる。戸惑うような手が私の肩を少しだけ押した。
「ハルがどこにいるか、知っている?」
目が見開かれる。警戒するような緊張感がこちらに伝わってきた。
ハルの叔母は目を泳がせた。
「わ、わた、わたしは何のことだかさっぱり分かりません!」
「ハルを、助けたいの。国外に逃亡しているなら、それでいいの。ただ、まだ国内にいるなら援助したい。会わなくてもいいし、名乗りたくもない。ただ、困っているなら、手助けをさせて」
「ハルは……。いえ、貴女様のような高貴なお方と、知り合いなわけないわ」
「そうだったら、よかったのにね」
視線が彷徨っている。やはり突然来た人間を信用はできないのだろう。
それに、ハルは追われる身だとイルが言っていた。だからこそ、黙秘している可能性があるのか。
「……私は何も知らないんです。貴女様の方が、ハルをよく知っているはずよ。私は、ハルが何をしたのかも、よく分からないもの」
嘘を言っている様子はなかった。
ハルの叔母からはハルへの愛情がしとしとと伝わってきた。
「駄目ねえ。私はハルの母親のはずなのに、ちっとも親らしいことをしてあげれない」
「でも、その体の傷は、ハルが逃げたからじゃないの?」
「違います。これは、とろい私が悪いの。でも、ハルのせいだと思い込もうとしたこともあったわ。行方知れずになったハルのことを恨んだことも。駄目な母親ね」
「……叔母なのでしょう、ハルから聞いてる」
「あら」
泣きそうな顔を隠すように、彼女は俯いた。
「母親と弟は病死したってきいた」
「いいえ、あの子の母親は殺されたのよ」
「え?」
どういうことだ。ハルは病死だと確かに言っていた。
「あの子の弟はそのあと病気に罹って死んでしまったの。……ハルはお金を貯めていたの。小さい頃からこつこつと。大きくなったら、家族と一緒に豪華な家に住むのだって。でも、家族は崩壊して、村にはいられなくなって、王都に逃げてきた」
「逃げたって、どうして」
「夢が壊れたからよ。村にいれば辛いだけ。だから、お金を持って王都へ来たの。出会ったのは、貧民街に近い街角だったわ。乞食に紛れて歌をうたっていたの。その美しさに惚れこんで、息子になってほしいと頼んだのです」
その言い方はまるで、血が繋がっていないようだ。
そうよといいたげに彼女は笑った。
「ハルはいい子でしょう? なのに、ずっと背中を丸めて卑屈なの。貧民に産まれていなければ、よかったのでしょうね」
目にぐっと力をこめる。気を抜くと泣きそうだった。貧民に産まれていないハルを私は想像できない。それはもうハルではないと思う。利己的な感情だった。
貧民でなければ、私はここまでハルに執着しなかったかもしれない。
こうやって詮索して援助するということを、ハルは嫌うだろう。
けれど、私はハルに好かれようと思っていない。自分のためにこんなことをやっている。
ぐっと彼女を抱く力を強めた。
「お姉さん、もうそろそろ着替えた?」
布をくぐって、テウが顔を出した。
ドレスは脱ぎかけだ。コルセットは床に落ちているし、しかもその格好でハルの叔母に抱きついている。
「わあ、お姉さんってばそっちも大丈夫だったの? 」
テウは両手を合わせてにまにまと邪悪に笑った。
「なんの話よ!」
「醜女好きだっていうのは、分からなったな。醜男は好き? 用意してあげようか」
「違う! 断じてそういうのじゃないから。これは、その。少し感極まったというか」
おずおずとハルの叔母が私から離れて、テウに向って頭を下げた。
「高貴なお方。慈悲深きこのお方が、私めのこの醜い顔を憐れんでくださったのです」
「うん、その顔は本当に醜いね。俺にみせないで?」
「テウ!」
なんてことを言うんだ、この男は!
良心がないのか!?
「お姉さん、宿屋を取った方がいい?」
「お前ね」
テウは分かりやすく頬を膨らませた。
「こんな奴よりも、俺のほうが絶対にいいのに。でも、そういう趣味ならば仕方がないか」
「違うと言っているでしょう。人の話をきいて! こいつとは何もないわよ」
「そう? なら、俺とここでする? お姉さんの肌、すべすべして気持ちよさそう」
テウはなんでそういう方向に持ち込もうとするんだ。
「まだ、服を着てもいないわ。なんのためにここに来たと思っているのよ。というか、この店のおすすめは頭おかしいの!? あんなに肌が露出しているなんて」
「当たり前だよ。リジ―店の娼婦御用達の店だもの」
「はあ?」
「あれ、知らなかったの。女性の利便性の追求なんて都合のいいことを言っているけれど、実際の利用客は娼婦だ。煽情的な服装は男の興奮を駆り立てる」
違うと首を振りたくなった。私はココのことをよく思っていなかった。けれど、彼女の服装に対する情熱は本物だった。女性の服装に関する憤りは本当だった。それを軽んじるような発言に胸が苦しくなる。
純粋な信念が泥まみれにされている。空虚な理想だったと、嘲笑されている気分だった。
「お姉さんにも俺の興奮を掻き立てて欲しいと思ったんだ。他にも異国風の服も着て欲しいな。いくつも着込んで、合わせを楽しむ羽織もあるんだよ」
「……テウがどうしてそうやって変なことをいうのか、分からない」
「俺もお姉さんのこと、全然分からないよ。特に利点もないのに、何度も人を助けたりする。俺の体が目的なのかもしれないと思ったけど、妙に純情ぶったりするし」
私のこと、そんな風に思っていたのか!?
というか、人を助けるということにいつも何か裏があると思っているのか。
すべてが善意だけだったというつもりはないが、助けたあと、なにかを欲しいとは思っていない。テウからなにかをしてほしいとも思っていない。ただ、助けなくてはという情動があって、それを満たすために行動しただけだ。
それを崇高なもののように言われるのは困るし、善意という言葉で飾りたてるものでもないように思う。
「純情ぶっているわけじゃないわよ。というかお前の体目当てってなに!? 信じられない。そういう風に思っていたの?」
「うん」
「ありえないわ。ともかく、この店では夜会用の服は買えないってことなの?」
「ええー。せっかく来たんだから、一着ぐらい頼もうよ」
「絶対に嫌」
テウを外に出させて、ハルの叔母へ向き直り、小声で話しかける。
「誤魔化してくれて助かったわ。……ハルの居場所をもし私が知ったら、お前に伝えたほうがいい?」
「ハルが健やかであれば、いいです。お手間をかけさせるわけにはいきません」
はだけていたドレスをきちんと着なおして、試着室から出る。彼女は従業員の顔に戻って私に頭を下げた。
イルが言っていた『黄色い貴婦人』という酒場に行きたい。彼女のためにも、ハルの生死でも知りたくなった。
私の手を掴んでいるテウを見る。この型破りでふしだらな男だったら、その店のことを知っているかもしれない。
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