どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 こつこつと頭を小突かれる。角ばっていて、痛い。
 ゆっくりと目を開けると、昨日の夢は現実だった。全裸のまま、私は寝込んでしまっていた。サガルの愛撫は現実に起こったことだった。肌寒くて、手で表皮を擦り上げる。
 噛み跡がそこら中に残っていた。サガルの歯型だ。頭を抱えて悩みたいのに、それすらも億劫だ。

「邪魔。そこにいるなら、どいてくれない?」

 無駄に偉そうな子の声は、リュウだ。逃げるように寝台に戻って枕で体を覆う。
 ため息をついたリュウがその姿を見て、馬鹿馬鹿しいものを見たと言わんばかりに首を振る。
 手には服一式があった。まずはシュミーズを着せられ、コルセットを取り出される。

「コルセットは俺が締めるけどいいよね」

 鯨の骨で作られたコルセットは私がいつも使う粗布とは大違いだ。
 白のなめらかな光沢があり、側面にはいくつもリボンが散りばめられている。刺繍の形は白百合だった。純白を象徴する花。

「支柱に手をついて。きつく締めるからねぇ」

 寝台の支柱を顎でしゃくられる。嫌々ながら手をつくと、慣れた手つきで左右にある留め具を胴の前で掛け合わせて背中に紐を回し始める。
 静かな室内にしゅるしゅると小気味好い音が響いた。

「息を吸って、吐いて」

 言われた通りに息を吐いた。一気に紐が引かれ、胴が全方向から搾り取られる。特に胸から腰、背骨のあたりがぎゅうぎゅうと思い切りつめられて、息をするのも苦しくなり、背筋を反らさなくてはまともに呼吸が出来ない。
 海老反りになったまま、支柱にしがみつく。

「苦しいねぇ」

 内臓ごと口から出したくなるほどの息苦しさだ。いままでつけていたコルセットがお遊びに思えてきてしまう。

「でも、もっと締まる」

 悲鳴がかき消される。リュウは容赦なく、支柱に爪を立てる私を締め上げた。

「じゃあ、二十分後、またやろうね」

 息も絶え絶えな私に、リュウは次の拷問時間を教えてくれた。その後、私は責め苦を受けた。
 女に生まれてきたことを呪ったのは産まれて初めてだった。

 寝台に寝そべる。こうするとコルセットが少しだけずれて息がしやすい。愛液塗れのシーツは床に落ちているので比較的に濡れていない。精神的にも気楽だった。
 リュウは不満そうだが構うものか。あのまま立っていれば酸欠で失神していた。

「ハルは?」
「死んでない」
「イルは?」
「生きてる」

 死んでいないと生きている。
 リュウは意図的に表現を変えた。だが、まずは一安心することにした。二人とも生きている。
 私の無謀な行動が危険に晒した。最悪の結果にならなかったのは奇跡といってもいい。ハルも、イルも、生き残ってくれた。

「サガル様に逆らうな。そうしたら、愛猫のように可愛がってくれる」
「サガルは今どこにいるの」
「外にお出掛けになってる。あの人は忙しいんだよぉ」

 嫌味な言い方だった。リュウは本当に小憎たらしい。

「お前が私を世話してくれるということ?」
「まあね。ほら、立って。コルセットが緩む」
「こんなに締めなくてもいいじゃない!」
「体の線が出ている女は淫乱の証だ。酒場の娼婦だってもっと貞淑を装っているっていうのに。今までがおかしかったんだよ」

 これからはいう通りにしてもらうと言っているようなものだ。

「ここから出して」
「出たらハルもイルも死ぬよ」

 きゅっと喉の奥が締め付けられる。サガルは私をここに軟禁するつもりなのだろうか。ハルやイルを人質にして? 
 まるで、悪党の手腕だ。サガルは何を考えているのだろう。

「取り敢えず服を着て」

 投げ渡されたドレスは純白だった。寝台から起き上がり手に持ち眺める。露出が少ない首まで襟があるものだ。背に留め具があり、自分一人では着替えられそうもない。
 背中をリュウに晒しながら、ドレスを身につけるのを手伝ってもらう。この一連が苦痛だった。リュウに生殺与奪の権限を持たれているようだった。頸から汗が滴る。リュウは着せたあとに、指で首筋を撫でた。
 ひやっと変な声を上げて飛び上がると、目を丸くしたリュウが後ろから睨みつけてきた。

「変な声出すな、痴女」

 よくわからない非難を浴びせかけられながら、私はきついコルセットで絞られた腰をなぞる。緩やかに湾曲する腹回りに手を置くと殴られたような窒息感にさいなまれる。
 たまらなくってリュウに体を擦り付けて、紐の結び目を緩ませようとする。だが、上手くいかないし、リュウの瞳も凍えるように冷たいものになる。

「なにしてんの」
「紐がこう、いい具合にほどけないものかと思って」
「言っておくけど、ほどけたらさっきより強く締めなおすから」

 むっとしながらリュウから体を離す。いいから、少し緩めてくれないだろうか。
 腰の骨ごと作り替えられてしまうような窮屈さだ。だが、リュウは妥協する気はまったくなさそうだった。綺麗でいるためならば、窒息死しようとも、過呼吸になろうとも構わないという執着のようなものを感じる。
 自分で着る分には構わないが、強要されるのは勘弁してほしかった。

「外に出れないのは分かったけれど、どうやって暇を潰せっていうのよ。リュウが話し相手になれるとは到底思えないのだけど」
「本でも読めば?」
「どこにも本棚なんてないじゃない」
「ある。探せばいい。この部屋は自由にしていいと言っていらしたから」

 リュウはそういうが、この部屋には天蓋付きの寝台と机があるだけだ。書棚は見当たらない。
 寝台にはありそうにないし、とりあえず机を探ることにした。鍵のかかった棚の下をあけると一冊の本が出てきた。しっかりとした革の装丁がされている。表紙を捲ると、挿絵が入っていた。サインを見て愕然とする。ザルゴ公爵の絵だった。

「なによ、これ」

 どう見ても、『盲人の聖職者』の複製画だった。絵画の絵を直接、この本に書かせている。触ると、顔料がぽろりと落ちる。紙はしなびて、裏にまで絵の具の色が移っている。
 さらにページを捲ると、女王陛下の悪徳のタイトルが現れた。女性の裸体のスケッチが書き添えられている。女の隣には天使の羽を生やした男が添えられている。うっそりと笑うのはサガルの顔だった。サガルを描こうとした画家は美しさが表現できないと発狂した。なのに、ここに書かれたサガルは、スケッチであるにも関わらず精緻で描き切っている。
 だが、どうして、天使の羽が生えているのだろうか。なにかの比喩か? だが、だとしたら、どうして片翼なのだろうか。
 もっとページを捲るともっとおかしなものが見えた。イヴァンの姿があったのだ。しかも、音楽家のイヴァンではない。死に神の方だ。長い髪を後ろで結んでいる。下半身が問題だった。人魚のように尾鰭がついている。人間の足ではなかった。
 頁を捲る。何か所かに挿絵が挿入されている。どれも、普通の人間はいなかった。虫と体が混じって脚が何本もあったり、手足が蛸のように関節がないのかぐねぐねと曲がっているものがあったりした。馬の顔をした人間もいた。鳥人間のような姿をした怪物も書かれていた。『女王陛下の悪徳』のはずなのに、挿絵はまったく関係のないものばかりだった。
 化物。怪物。そう言われるような、人ではないもの。

「なんなの、これ」
「さあ、内容は。童話の通りなわけ」

 後ろからリュウが覗き込んでいた。絵より内容が気になるらしい。軽く読んでみるが、内容はそれほど変わらないようだ。変な挿話があることぐらいだ。塔に幽閉された化物の話が追加されている。私は読んだことがない話だった。軽く読み飛ばそうとしたが、そうはできなかった。

「塔の頂上には男が一人幽閉されていた。銀色のような金の髪。紫のような碧い瞳。整った顔をしているのに、埃塗れだった。彼自身はそれを恥じて、処女のように恥じらった。私が見たなかで一番清らかで、無欲な男だった」

 女王の一人称で書かれていたからだ。この物語は、三人称視点で書かれている。女王の内情はめったなことがない限り秘匿されている。それなのに、この話だけ、女王が語っていた。
 誰かが付けたした話なのだろうか。先ほどとは違い慎重に読み進める。

「男は本を読むのを至高としていた。まどろむように、ページを捲り、空想の世界に翼を広げる。私は意地になって、飛び立とうとする彼を現実に引き戻す。挑発をかけ、男を誘惑するのは得意だった。どんな男でも、私の前では形無しになる。太ももに手を当てて、肩によりかかる。甘い吐息を溢せば、もう男は私のものになる。そのはずだった」
「尻軽女……」
「読んでいるから、邪魔しないで。だが、男はきゅっと唇を結び、私を見ると飛び上がって恥じらった。婚前交渉はだめだと、生娘のように頬をおさえている。……なにかしら、この既視感」
「俺きちんと聞いてるんだから、ちゃんと読んで」

 仕返しのつもりなのか私を批判する声は大きかった。

「私はそれから塔に足げなく通うようになった。純情な男を誘惑し、堕落させるためである」

 次の頁は破られていて、この先の物語はなかった。次の章に移行してしまう。

「……どの版よ、これ」

 少なくとも私のコレクションのなかにはこんな話はなかった。だが、素人が追加したには違和感がない。一人称であるものの、文脈が似ている。もしも何者かの手によって付けくわえられているとしても、その人間はよく女王陛下を親しんで読みなれているように感じられた。とにかく、続きが読みたい。この男を女王はきちんと堕落させることができたのだろうか。

「知らないの?」
「読んだことないもの。こんな話、私が読んできたなかにはなかったわ」
「続きどっかにあるんじゃない? 破けてるんだし」
「それもそうね。リュウ、探すの手伝って」

 しぶしぶだが、リュウは続きの紙を捜してくれた。だが、この部屋で破ったわけではないのか、棚のなかにはなかった。

「この鍵が付いている場所が怪しいわね。壊してみて」
「器物破損だからねえ、普通に」

 そう言いながらも、リュウが服のどこからかナイフを取り出して、刃先で器用に鍵穴を擽り開けてしまった。ハルといいリュウといい空賊は鍵開けが出来なければ入れないような規則でもあるのだろうか。
 棚は簡単に開いた。リュウはナイフを腰に隠した。いざとなれば、ナイフをリュウから盗むことも必要だ。
 中に入っていたのは袋に入った粉だった。砂糖のように白い。だが、甘い匂いはなく、薬草臭かった。

「麻薬だねえ」
「麻薬!? なぜ、こんなところに?」
「中毒者が手を出さないようにでしょ。一度飲むと病みつきになるから」

 そう言ってリュウは私の手の中から麻薬をくすねとると、そのまま袋を逆さまにして口の中にいれてしまった。

「な、なにをしてるのよ」
「口開けて」
「はあ?」
「いいから、開けろ」

 唇に爪を立てられ、嫌々口を半開きにする。頤をとられて、無理やり上を向けられる。
 どろりとしたら唾液が上から降ってきた。ぎゃあと悲鳴を上げて口を閉じる。吐き出そうとしたら、口を覆われた。
 ありえない、こいつ!
 口の中にある液体は嫌になる程甘い。麻薬だ。もごもごと抵抗したものの、力には敵わずごくりと唾液ごと飲み込んでしまう。

「よく出来ました」

 嫌味なほどにやにやと笑ってリュウが偉そうに言った。
 信じられない。こいつ、私になんてものを服用させるんだ。

「なあに、そんなに睨んで。別にいいでしょ? 頭がぐちゃぐちゃになっておかしくなるだけの薬だ。中毒性はあるけど、そう簡単に死ねないよ。もっと体に悪くてヤバイもの、この世に沢山あるでしょ?」
「だからって、なんで私に!」
「お綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやりたかったから」

 リュウは真剣な顔をしてそう言った。私が麻薬中毒になろうがどうでもいいというわけか。
 イルの言う通り、この男は嫌味で向っ腹の立つ男だ。違いない。

「だいたい、なに気取ってるのぉ? ギスラン・ロイスターは料理の中に鎮静効果のある麻薬を入れてたでしょ」

 それはまだギスランに真偽を確かめていないので、不問状態だ。そんなことはしていないと言えたらいいが、ギスランならやりかねない。
 そんなことされていたとしたら、私はあいつにどんな仕置をしたらいいんだろうか。

「この体の血の一滴だって、綺麗なものじゃないんだから、今更でしょ」
「リュウも、麻薬を服用しているの?」
「母親の母胎にいる時からねえ」

 リュウはなんでもないことのように笑っていた。

「お前は捨て子だと言っていたじゃない」
「でも俺は魔薬を飲む前から、中毒だった。俺を産んだ奴は力の弱い清族だったのかもね。あいつら、魔力補填に薬を飲むらしいから。腹膨れても飲み続けたせいで、俺まで中毒状態になったんじゃない?」
「なによ、それ。母親のせいでずっと中毒に苦しめられるの?」
「貧民街の連中は大体そうだよぉ。薬と酒とセックス。快楽と享楽と病気と死。両親から引き継いだものをごちゃ混ぜにして謳歌してる。でも、どの階級もだいたいはそんなものでしょ」

『女王陛下の悪徳』を撫でながら、リュウがぼやくように呟いた。

「この国じゃあ生まれてくる腹で人生が決まる。劣悪な育ちの原因を皆知ってるさ。貧困だ。両親の代から金に悩まされているならば。俺達にはどうすることも出来ないでしょ」

 歴々と続く階級制度。それは産まれる前から人生が決まっているのと同じだ。根本的な原因は階級制度にあるならば、私は中毒の母親達を批判することは許されないのではないか。
 甘い蜜を吸っているくせに、結果には見て見ぬ振りをしてあんまりだと批判する。楽で、気持ちいいだろうが、中身は空っぽだ。
 階級が低いと当たり前のように貧窮している。縋れるのは酒か薬か。女神を祈っても空から金が降ってくるわけではない。
 たとえ金が降ってきても、それは酒や薬代に消える。リュウが言っていた。空賊の施しは人気取りのためで、彼らを救うためではない。

「どうせ短い人生だ。薬に溺れて、ハメを外してなにが悪いの。楽しまなきゃ損でしょ」

 リュウは私の手を引いて、突然踊り始めた。

「ちょっと、破れたページ探しはどうするのよ!」
「どうでもいい」
「お前、もう薬が回ったの!?」

 リュウはくすくす笑う。手のひらで踊る人形のように、私はぐるぐると回った。吐き出す息が熱を帯びていた。コルセットに締め付けられた肺が悲鳴を上げる。空咳をしながら、引っ張られるまま足を動かす。ぐるぐると回り続けた。
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