どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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「ひとつ、余興を用意したんだ」

 サガルが指を鳴らすと、周囲が暗闇に包まれた。
 清族の術だろうか。雲の隙間から差し込む光さえ見えない。
 突如、宝石のなかに光が照らされるように青い炎が乱反射した。目を瞬かせ、慣らす。しばらくすると、その異様な様子がわかってきた。
 目の前には人型の大きさをした水晶の塊が無数にたっていた。
 水晶の中になにか蠢くものがあった。近付いて、手をくっつける。
 水晶の内側から、同じように手が張り付いた。自分の手かと思い見つめて、首を振る。
 指が六本あったからだ。指を辿ると、膨れた腹が見えた。ぷくりと脂肪がよく付いている。
 突き出るように顔が前に出てきた。まるでこちらを覗き込むような格好だ。中年の男だった。白髪で、目が白濁している。
 がんがんと内側から拳を叩きつけられた。拳の数を数えて、口をきつく閉じる。虫のように手足が六本あったのだ。後ろ足を器用に使い、腹にくっついた手で破らんばかりに挑発的に叩きつけた。
 人ではない。虫人間だと囁きが聞こえてくる。
 目の前の男は鋭敏に悪意を感じ取ったのか、辺りを見回して睨みつけている。腕を振り回し、威嚇している。
 人間らしい知性が彼らからは感じられない。獣に似た凶暴な警戒心で攻撃している。

「僕のお気に入りを少しだけ持って来たんだ。楽しんでくれるといいのだけど」

 他の水晶の中にも人間のようで人間ではない不可思議な肉体を持った生き物が入れられていた。
 背中から鳥の翼が生えた女性。胴体から足先にかけて馬になっている男性。二つの顔を持つ男。三つの目を持つ子供。腰から下が魚のようにヒレがついた人魚。犬の顔を持つ老人。
 恐ろしさに彩られた幻惑の世界が広がっている。現実感が微塵もない。
 オルガンの音がどこからか響いてくる。肌の表面を嬲るような高音が曇った空の下で高々と響く。オルガンの音に合わせて、人魚が艶のある歌声を轟かせた。
 カタカタと水晶が揺れる。
 障害物を通しても、人魚の声は全く劣化しなかった。むしろ、鋭さを増して、胸へ直接語りかけるような強さを持っていた。

 ――怒りだ。

 嵐や雷が人々を襲い、蹂躙し、何事もなかったように去っていく。自然が課す蹂躙は神の怒りのように鮮烈だ。それと同じように無慈悲な行為への憤りと嘆きがあった。感情を音で表現したら、こんな悲しい曲になるのか。
 彼は今、どんな顔をしてこの曲を弾いているのだろうか。少なくとも、酒場でピアノを弾いていた彼とは全く別の顔をしているに違いない。
 恐れるべきだとオルガンの音色を通して、イヴァンが語り掛けてくる。彼の奏でる音はなによりも雄弁だった。サガルの行いは神のように理不尽だ。逃げろ。さもないと災厄が待っている! 
 音は人を惑わせ、力を与える。身に絡みつく恐怖が、解きほぐされてかすかな希望が顔を出そうとしている。
 やめてくれと首を振る。ギスランが撃たれたあの日から、私は怒りを口にする声を失った。喉は撃ち抜かれたギスランと一緒に失ったのだ。
 止まれ。消えてしまえ。心を揺り動かそうとするものはなくなってしまえばいい。
 そう思うのに、耳を傾けてしまう。おぞましいと水晶を遠巻きに見ていた人々も、ゆっくりと近付き、内側を覗き込む。
 人魚が歌をうたい始めて、それが生きていると初めて認識したようだった。それまでは蝋人形でも見るような眼差しだったというのに。

「――――」

 人魚はゆらゆらと水晶の中で上機嫌で歌っている。地面に二本の足をついて水晶の向こうから覗き込む私達の方が、よっぽど醜いと言わんばかりに。
 外見で差別されてきただろう彼女は私達の怯懦や恐怖を一笑するように、目を細め面白がっている。見ているはずなのに、見られている。不完全だと、嘲笑われている。
 人のあるべき姿はこうだ。ふと心の中に奇怪な言葉が現れ出た。
 腕や足は多ければ多いほどよく、頭もいくつもあるべきで、人間は日々、劣化していっているのではないだろうか。

 ――男のあのおぞましい体。醜い、土くれのような肉体。国王は醜い。当てつけに、男を褥に侍らせよう。

 ああと悲嘆の声が上がる。慈悲を乞う男の声。男の下半身はおぞましい魚の鱗で覆われていた。いつか見た白昼夢が現れる。
 いや、待てと頭の中で誰かが制止する。あの男と反対の者がおぞましいわけがない。
 碧い目、水色の髪。小麦色の焼けた肌をした男。下半身は鱗塗れ。
 人魚だった。彼は人ではない。ああ、それが美しい。
 死に神とてそうだった。彼の腹部には女の顔がついていた。四つの手が膝を抱えるように隠していた。
 人は男神の体からできた。ならば、もともと、死に神のように神とは八面六臂だったのではないのか。
 人間は繰り返す歴史の中で重要な何かを忘れてしまっているのではないのか。

「人は醜い。美しく、綺麗な人間とはいったいどんな姿をしているのだろうね?」

 サガルは何かに恋い焦がれるように静かにそう言って微笑んだ。


 あの余興のあとしばらくして、会はお開きになった。

 部屋に戻るなり、サガルは寝台に倒れこんだ。横になったままもぞもぞと着替え始める。その姿は羽化しそうな虫によく似ていた。
 足をばたつかせ、まず踝まである編み込み靴を脱ぐ。次にトラヴァースだ。
 上着も剥ぎ取るように床に投げてしまった。シャツの下から白い足がにょきと生えているだけの無防備な姿になってしまった。目を覆いながら寝台の下に座ると、腕が伸びてきて抱き上げられる。

「寝るから、側にいて」

 甘い声で懇願された。耳たぶにサガルの吐息が当たる。

「彼らのこと、僕は好きなんだ」

 彼らというのは、水晶に入っていた不具者達のことだろう。
 サガルの声は落ち着いていた。いつもの身にまとっている酒気は全くしない。

「美しいと思う。揶揄の意味ではなく、純粋に彼らの方が優れていると感じるんだ。普通とは全く違う、型通りではない自由な容姿。体躯。だいたい、僕は自分のことが綺麗だとは一度だって思ったことはない。皆が綺麗だ、綺麗だと褒め称えるからそう振るまっているけれど、中身のない、冴えない男だと思っているよ」

 振り返りそうになった。
 サガルが自分の評価を語るのは始めてだった。誰もが熱を上げる容姿を気に入っていないのか。
 胸のなかが黒々とした感情で詰まっていく。彼にとって、周りに侍ってくる人間達はどう見えていたのだろう。光に群がる蛾。けれど、その光は自分を光源だとは認識していない。目をかけたものは、他人から疎まれボロボロになっていく。疎んじた者は、執拗に付け狙われる。
 彼らとの関係は社交だと言っていた。仕事だとも。
 サガルのなかでどう自己評価とその行為をどうやって折り合いをついていたのか。想像すると薄ら寒い。

「鏡を見ても、分からない。この顔のどこがいいのだろう。カルディアは分かる? 皆、僕の唾液を欲しがる。血を啜ろうとした奴もいたな。精液を飲み干して、喜ばれたこともあった。汗を舌で舐めとる代わりに全財産を投じた奴もいたんだよ。僕を独占したがった」

 ぼうっと寝言を囁く子供のような声だというのに、サガルの言葉の端々からこぼれるのは娼婦が語る寝物語よりも生々しかった。

「骨の髄まで僕に支配されたいと泣きついてきた奴もいたな。姿を見ただけで愛液を滴らせて迫ってくる女なんて、閨に入るとごまんといるんだ。そのたび、僕はげんなりする。褥にいても、気持ちよくない。気色悪い。それでも仕事だからやる必要があるんだ」

 はははと自嘲するような笑い声が上がる。

「お前が喋らないと、僕は饒舌になれるらしい。こんなこと、初めて誰かに打ち明けた。……僕は、お前の喉を潰してしまいたかったのかな。人形のように扱いたかったんだろうか」

 後ろから、隙間がないようにきつく抱きしめられる。
 逃げることは許さないと言われているようだった。

「けれど、気持ちがいい。お前と寝るのは肉欲なんかよりずっと魅力的だ。安心してぐっすりと眠れる気がするよ」

 しばらくして、サガルはすやすやと寝息を立てて眠り始めた。腕のなかから出ようとしてみたが、縋りつく手によって阻まれてしまう。
 しばらくすると、私にも眠気が降ってきた。

 ふと人気を感じて目を開けると、暗闇の中に、リュウが立っていた。サガルの脈を測っているのか、手首に指を添えている。
 私が起きたことに気がついたのか、指を立て唇の前に置いた。
 ごくりと唾を飲み込んだまま、視線を彷徨わせる。心音がやけに大きく聞こえてきた。私とサガルの二つの音が交互に鳴りあっていた。

「良い夢を」

 とても小さな声でリュウが言葉を落とす。
 ゆっくりと目を閉じる。生温い倦怠感に包まれて、夢の奥底までひきづりこまれていく。
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