どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 人生の役割が決まっているならば、きっと私はいつまでたっても成長しない、駄目な人間だ。
 ギスランを救えなかった。

 ここはどこなのか。考えることは諦めた。起き上がったら、部屋にいた。出入り口はかたく閉ざされている。サガルが部屋に入るたび、外側からも鍵がかかった。前に閉じ込められていた部屋と同じ造りの鳥籠の寝台があるが、同じ部屋のようで、まったく違う部屋のような空々しさがある。
 サガルは相変わらず酔っていた。変わったのは、私を巻き込んですやすやといつまでも寝こけていることだろうか。日がな酒を飲んで、寝て、飲んで、寝てを繰り返している。
 サガルが外に出ないので、リュウも来なくなった。塔にいた幼い頃のように二人っきりだ。
 そのうちサガルは変なことを言い始めた。私の体のなかにギスランがいて、私を洗脳しているらしい。体の細胞ひとつひとつががギスランによって作られているから、皮膚を剥ぎたい。歯を抜けば私のなかにいるギスランが痛みで出て行くに違いない。そんな支離滅裂なことばかりを大真面目に言っている。
 酔眼で私を映しているのに、ちっともこっちを見ていない。
 サガルは口では洗脳を解くための方法を言って回るが、実行には移さなかった。それがますます末恐ろしかった。
 でも、サガルの言葉にも一つ正しい部分があった。ギスランは私を洗脳している。あの夜から、ギスランの顔が片時も離れない。血塗れの喉をとくりと動かしている姿が、まるで今ここにある気がしていた。あいつは私を乗っ取って、廃人にしようとしているのかもしれない。このまま、ギスランの姿を思い浮かべ続けたら、頭がおかしくなるだろう。
 それもいいかもしれないとぼんやり思った。
 ギスラン・ロイスターが死んだら、もう二度と会えない。あの美しい銀の髪と紫の瞳を持つ男には会えない。
 けれど、妄想の中ならばいつだって会える。どくどくと血を流していようと会えるのだ。
 狂ってしまってもいい。もう会えないなら、死にたくなるような姿でもよかった。気絶しそうになりながら、あいつの顔をまじまじと見て、死ぬまで一緒にいたかった。
 ギスランと私だけの狂った世界だ。そのことを知ったら、ギスランは喜ぶだろうか。悲しむだろうか。

「カルディア、口を開けて。ほら、あーん」

 食事はサガルが食べさせるようになった。この部屋に来てから食欲が全くわかなかった。口に含んでも、喉のところでギスランの姿を思い出し吐いてしまう。それを見かねたサガルが、無理矢理喉の奥まで食べ物を突っ込んでくる
 嚥下するといちいちいい子だと褒めてくれる。引き攣った笑みをこぼしながら、また指を喉の奥まで受け入れる。

「いい子だね、カルディア」

 褒めるサガルの隣に血塗れのギスランがいる。私を無表情に見つめている。私は正気を失ってしまったのだろうか。
 幻想の中のギスランに指を伸ばす。質量を持ったものに触れない。空をきる。ギスランは目の前にはいない。
 なのに、私の瞳のなかにはいる。彼の血や肌の質感まで忠実にそこに見えていた。

「このまま、僕のことだけ見ていてね」

 サガルは的外れなことを囁いた。私が見ているのはサガルではなく、ギスランだ。ギスランだけを見つめている。
 妄想の中でもいいから、ギスランが何かを言わないかと待っている。けれど押し黙ったまま、ギスランは虚空を見上げているのだ。


 ひさびさに外に出る機会が与えられた。ドレスに着替え。ぎちぎちとコルセットで腹部を締め付けられながら部屋を出る。サガルの後ろをついていくと、開けた庭に出た。雨が滴るような曇天の空模様だ。なのに、満面の笑みを浮かべている貴族達が何十と庭を歩き回っていた。
 サガルの姿を認めると、我先にと寄ってくる。酒の臭いを漂わせながら、それでも素面のときみたく丁寧にサガルは応対した。
 まるで体のなかに染み付いた仕草を反芻するように、潤み赤くなった目を隠し、柔和に微笑んでいる。
 参列者達は一様に頬を赤らめ、ぽおっとサガルに見惚れているようだった。よく見ると彼らのなかには貧民や平民が混じっていた。貴族然とした服を着こなしているが、背筋が曲がっていたり、指の節が妙に膨らんでいたりした。ハルと同じ働く人間だ。
 そんな彼らが貴族の服を着て、貴族らしく振る舞おうとしている。虚飾だった。彼らの大切なものに泥を塗ったような卑しい気持ちになる。
 ここにいるのはおそらく階級盤に張り出された貴族達だ。サガルに謁見する許可が与えられているらしい。親しげに話しかけてきたり、贈り物をして機嫌を取ろうとしたり、さまざまな人間がサガルを取り巻いている。
 挨拶が終わると、私のことをサガルが皆に紹介した。すると、サガルに向けられていた熱量がそのまま私に向けられた。熱っぽい吐息。憧憬の眼差し。彼らは盲目的なまでに私に尊敬の念を送っていた。
 私の周りに集まり、口々に美辞麗句を並べている。過剰な歓待ぶりだ。サガルに気に入られるために皆必死になっている。
 視線を感じて振り返る。遠巻きに、ひとりの男性が私を見ていた。目を合わせると、軽く会釈される。瞬きをして、記憶を辿る。
 見覚えのある顔だ。貧民だと感覚で分かる。どこで会ったのだろう。貧民の家で、それとも、他で?
 考え込んでいるうちに、彼はどこかに消えてしまった。挨拶はしてくれないようだ。
 しばらく声をかけてくる人達を相手にしていると、平民の男性が私にダイヤモンドの指輪を渡してきた。平民と言ってもここでは貴族として扱われているが。
 裕福の商人の息子であるらしく、サガルにも同じような指輪を神に奉納するように捧げていた。

「姫に似合うと思います。お手をどうぞ、お付けいたします」

 媚を売るというよりは、従者のような言い草だった。ゆっくりと手を出すと、恭しく掴まれる。指の先を擽られ、中指に指輪がはめられようとした。その時だった。
 隣からサガルが指輪を抜き取り、曇った空に掲げて見せた。

「さ、サガル様!?」

 当惑する商人の息子を一瞥し、サガルがふふと笑う。

「綺麗なダイヤモンドだね。なによりカットがいい。ダイヤモンドは他の宝石より固く、昔は加工に苦労したらしい。文明の灯火はあらゆる美しいものにともされるものなんだろうね。今では、加工も容易で流通している。誰もが欲しがる垂涎の品だ」
「美しいものは、万人の手にあってこそ輝く。それが我が家のモットーですので……!」

 サガルに相手されたことがよほど嬉しいのか饒舌に商人の息子がまくし立てる。

「万人に……か。素晴らしい心がけだね。今や誰もが書を貸本屋で借りれる。それと同じだ」

 言葉のなかには小さな棘があった。侮蔑を含んでいる。
 だが、興奮しきった男は、サガルの些細な機微には気がつかなかったようだ。そればかりか同調してくれたと勇み上がっている。

「はい。等しく人は幸福であるべきです。美しいものは、人の心を軽やかに、豊かにしてくれる。荷馬車のような労働のあと、人は明日への絶望を覚える。けれど、自らの手に美しいものがあれば、それを糧に明日を迎えることが出来るものだと思います」
「日々は辛くとも、心は豊かになれる?」
「はい。絵画や彫刻を手に入れるのは難しい。置く場所だって庶民にとっては悩みの種です。ですが、宝石ならばポケットのなかに忍ばせることが出来る。装飾品として身につけることも出来るのですから」

 前にギスランが宝石にも花言葉があると言っていた。ルビーなら情熱。ダイヤモンドならば、不変。
 そっとサガル達から目線を逸らして、ギスランを見る。あの瞳から溢れる宝石は何という言葉だろうか。
 悲しみ? 苦しみ? 怒り? 憎しみ?
 たったひとり、無様に生きている私を恨んでいるだろうか。
 ギスランは生きているのか。死んでいるのか。あの怪我で生き残れるものなのか分からない。けれど生きていたとしても私を助けに来ないで欲しかった。次こそは死んでしまう。
 でもギスランは来る。私なら、行くから。きっと来てしまう。
 生きていてくれればいいと思うほどに苦しくなる。ギスランは生きている限り私を助けに来るだろう。

「その理想、素敵だよね。――そうだ、カルディア。ダイヤモンドにはね、不変や永遠の意味があるらしいよ。それが高じて永遠の愛という意味もあるのだとか」

 ゆっくりと頷く。商人は商売上手だ。言葉の力を使い、いとも容易く人の心に入り込む。欲しいと思わせる。
 ギスランも褒めていた。

「ところで、このダイヤモンド、どれぐらいの量が採れると思う?」

 想像が出来ず、首を振る。高価なものだし、それほど採れないのではないだろうか。

「国民一人一人が、コップ一杯分手に入るほどだよ。ダイヤモンドは貴重だけど、採掘場は豊富だ」

 目を瞠る。国民一人一人に十分供給できる量とれるのか。
 食糧と違い、宝石は腐らない。誰もが一つずつ宝石を持てば、商人の息子が言うように万人が美しいものを享受することができる。

「でも、そんなに採れるのに、価格は落ちない。どうしてか。簡単だよ。売る人間が量を制限しているんだ」

 需要と供給。その狭間をうまく見極めて、商人が値段を操作する。賢い。そう思うと同時になんだか納得できない気分になる。
 サガルの手にある指輪の輝きがくすんで見える。人工的な価値。そのせいで、本物の美しさが陰るような、卑屈な感情が入る。宝石の美しさは変わらないのに、附属する金という汚い攻防で幻滅してしまう。

「商人というのは慧眼だね」

 柔和に笑うサガルは、宝石の輝きより美しい。ああ、と口から漏れそうになった。
 この冷淡さ。残酷さ。目の前の商人の息子は気が付かないのだろうか。周りの目がさっきとは全く違うことを。
 さっきまでは、同じ階級に向ける仲間意識が消え去っている。サガルは、彼の元々の階級を思い出させてしまった。彼が語った社会貢献は綺麗事。金を貪るために宝石を売る商人風情に過ぎないと。
 サガルはこの階級を巧みに利用して、悪魔のように人間を争わせ、競わせているのだろうか。

「この指輪は僕が貰ってもいいかな? とても、気に入った」
「は、はい。今度、姫のためにもっとよいものを用意してきます!」
「うん、楽しみにしているよ」

 この場で、本人だけが理解していない。彼に二度目はない。次の機会は与えられない。
 階級盤は、サガルによって決められている。彼の望む通りに配置換えが行われる。
 人工的な階級。人工的な宝石の価値。サガルが作った階級。商人が作った宝石の言葉。
 根幹にあるのは人間が持つ欲求だ。なにかを支配したい。操りたい。全能感をえたい。自分の思い通りにしたい。
 サガルに撃たれたギスランが思考のなかに入ってくる。サガルは私に許してと言った。ふつふつと内臓が爛れるような痛みを発する。なんでもすると言った私は、サガルを憎めなかった。

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