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第二章 王子殿下の悪徳
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しおりを挟む「清族の瞬間移動は凄いね。危険があると言われても、馬車で移動する何倍も便利だからつい使ってしまう」
風のない水面のように穏やかな口調だった。
だからこそぞっと背筋が震えた。サガルは私が逃げ出すことを予感していたのだろうか。そうでなければ、こんなに早く、待ち構えられるはずがない。
「サガル様。こんな夜遅くに、なにかご用ですか?」
白々しくギスランが尋ねた。私の肩を引き寄せる。
「泥棒を殺しに来たんだ」
銃声が聞こえた。銃弾が風を切りながら、まっすぐギスラン目掛けて飛んでくる。
だが、次第に失速し、ギスランの目の前でぽろぽろと落ちた。まるで、壁に当たった銃弾が弾みで跳ね返ったようだった。おそらく、ギスランの術だ。
「私をここで? 素晴らしい思いつきですね。肉人形の貴方が考えたとはとても思えません」
「……あはは、面白い冗談だ」
サガルが手を上げると、再び銃砲が襲いかかってくる。ギスランは全て術で無効化し、肩を竦めた。
「壊れた玩具に用はないのですが。どいて下さらない?」
「カルディア、お前、僕から逃げていいの?」
サガルの視線から隠すようにギスランがぎゅうぎゅうと抱きついた。ハルとイルがどうなってもいいのか。そう言いたいのだろう。
「サガルは、私に何をさせたいのよ」
邪魔なギスランを引っぺがして、サガルと向き合う。言葉の真意を問うような打算的な視線を注がれる。
「私が大人しくサガルの側にいれば満足なの? でも、ならなぜ私の近くで性行為をして自分を傷付けるの? サガルが考えていることの少しも、私には分からない!」
部屋に閉じ込めることがしたいことなのか?
ギスランがやったように嬉しそうにしないのに?
こいつは私を監禁した時、いつだってべったりと側にいて離れなかった。サガルの真意はどこにある。私を囲うことか、側に置くことか。それとも別なのか?
どうにせよ、このままでは二人揃って腐ってずぶずぶと深みにはまっていくだけだ。
ハルとイルが助けられた。そのことを皮切りに変わらなければならない。
「……そうだろうね。カルディアには一生分からないでいいよ」
「私には言いたくないの? 助けることは出来ないの?」
「馬鹿だなあ。救ってくれただろう? 手を引いて」
あの女から逃げ出したことを言っているのか?
あれを、サガルは救いだと言うのか。こんな簡単なことを、誰もやってくれなかった。
サガルはあの時そう呟いていた。
――救いじゃない。独りよがりの行為だ。
それでも、それすらサガルには救いになったのか。
「助けたのだから、最期まで面倒を見て」
か細い声で、縋る瞳で、私をサガルが見た。
彼を置いてここから逃げて仕舞えば見捨てると同義だ。
歯を食いしばった。奥歯が削れる。
サガルの問題を解決したいが糸口が見つからない。辞めろと言って辞められるものではないのだろう。
権利を持っているサガルが、拒否できないのだ。あの女を殺してしまえばどうにかなる?
非情な考えに躊躇が生まれる。そんなことをしてサガルが助かるかも分からないのに。
「自分を自分で助けられないところが、貴方様らしい。少しは抗ってみられた方がいいのでは?」
「よく動く口だね、ギスラン・ロイスター。僕だったら縫い付けている」
「おや。ならば、針と糸を用意しなくては。私が貴方様の口を縫い付けます」
軽口を叩きながらもギスランは別の移動方法を考えているようだった。瞬間移動があるはずだが、どうしてかそれをするつもりはないようだ。何か制限があるのか?
「邪魔をしないでくれないかな。お前の軽口に付き合っている時間が惜しい。カルディア、早くこっちへおいで。僕と一緒に帰ろう」
「……カルディア姫」
今度はギスランが縋るような声を出す。大丈夫だと教えるために、背中に手を回す。
サガルとともに行っても、きっとなにも変わらない。閉じ込められたまま、ずっと同じ苦痛の時間が続くのだ。
サガルの私を呼ぶ声が冷たくなる。
「……隠居をするのでしょう? どうして、言ってくれなかったの」
「カルディアに言ってもどうにもならないだろう?」
「サガルは嫌々隠居するつもりなの? それとも自主的に?」
「嫌々だと言ったらどうする?」
どうして素直に答えられないのだろう!
なにか呪いでもかけられているのか。正直な気持ちを言ったら死んでしまうのか。本心を見せたくないのか?
「僕と死んでくれる?」
「貴方の自罰行為にはかけらとして興味はないのですが、カルディア姫を巻き込むならば話は別だ。貴方は一人で死ぬべき人間ですよ、サガル様」
「……あぁ、お前のその顔、久しぶりに見たな。僕を心底軽蔑している、憎悪に満ちた表情。お前のこと、僕は昔から大っ嫌いだったんだ」
サガルは冴え冴えとした月のように美しく微笑んだ。
「よかった。意見があいましたね。私も貴方のことが殺したいほど嫌いだったので」
ギスランが手を横に薙ぐ。地面から煙が上がった。同時に銃声が聞こえた。
体が押し出された。ギスランが私から手を離したのだ。霧散していく煙のなか、ギスランが地面に這い蹲っていた。
肩から血を流している。肉の焼ける臭いがする。
血の臭いと混じって、まるで目の前に生煮えの肉料理があるような生臭さが漂っていた。
ギスランが撃たれた。血を流している。
頭では分かっているのに、体が追いついてこない。
「カルディア姫」
大声で名前を呼ばれ、恐慌状態から戻ってくる。
「逃げろ」
そう言われて、逃げる馬鹿がどこにいるんだろうか。
肩を貸すために、近付こうとして、立ち止まる。
ギスランの肩をサガルが足で踏んづけた。体が傾き、ギスランが地面に顔を擦り付ける。
サガルの手なかにある銃は圧倒的な存在感を発していた。
「地べたを這いずり回る姿がなんてお似合いなんだろう。お前は奴隷のように扱われるのが様になっているよ」
「あいにくと私を奴隷扱いしていいのはカルディア姫だけです」
「威勢がいいな。頭をぶち抜いてあげようか?」
銃口はギスランの頭にぐりぐりと押し付けられている。
サガルは顎をしゃくると私に離れろと目で示して来た。
「銃を降ろして、サガル。なんでもするから」
「そう。じゃあ、僕を許して」
サガルが蹄鉄を下ろした。ギスランが少しだけ抵抗したが、結局、引き金が引かれた。銃声がじんと体を震わせる。声を上げることも出来なかった。それぐらい一瞬の出来事だった。
ギスランの体が力をなくして、地面にぴったりと張り付いた。転びながら、血溜まりのなかに寝転ぶギスランに近付く。
もみ合ったおかげか、せいか、ギスランの喉に指のような穴が空いていた。ひゅうひゅうとそこから空気が抜けて、へんな音を立てる。
血がシャツを赤黒く染めていく。私の顔を見た途端、ギスランの顔が少しだけ笑った。
私はそれを見守ることしか出来なかった。
「血で汚れてしまったな。着替えないと」
抱き上げたギスランの体がずんと重みを増す。
「僕のものをとったのが悪いんだ。カルディアは僕のなんだから。お前なんかにやるものか」
サガルがギスランを傷付けた。あの女の顔が、サガルとぴったりと合わさった。
あの女の声が聞こえてくる。
ーー死を願え。人は最期、地獄に堕ちる。女神の叡智も慈愛もそこには届かぬ。骸骨を捧げよ!
醜い声。真っ赤な林檎のような胎児の顔。むしゃりむしゃりと口に含む美しい女。てらりと血で濡れる頬には笑みがあった。
叫び声が上げられない。ギスランとともに喉が撃ち抜かれたみたいだった。
ごぼりとギスランの喉仏から血が溢れ出してくる。手で血ごと押さえつけた。体の中に戻れと命令するように。
だが指の先からこぼれてくる液体をとどめることができなかった。口の端から嗚咽が零れる。なにもできない。私は無力だ。
母を殺された時からなにも変わらない。子供のように助けを呼ぶ金糸雀だ。鳥籠のなかで、惨劇をただ見つめている。
「僕から離れないで。お前のこと、嫌いになりたくないんだ」
髪を引っ張られ、後ろへとのけぞる。サガルの顔が影になり、視界が真っ黒に塗り潰された。
「お帰り、カルディア」
ある日、サガルーー兄様と私の世界に侵入者が現れた。ギスラン・ロイスター。私の婚約者らしい。幼い頃から、私と会っていたのだという。私にははっきりとした記憶はない。
外の世界の思い出はいつも雨の日の窓のように曇っている。もっと小さい頃は、外の世界で暮らしていたらしい。
今では太陽の香りも月の光も物語の中にしかない。
銀色の髪をくくった品の良さそうな男の子がおずおずと、埃と青カビの生えた塔のなかに入ってきた。あたりを見渡す。彼と目が合った。紫色。夜の空の色によく似ている。綺麗だと口から溢れていた。
にこりとギスランが笑った。私もつられて、笑いかえす。
その日はそれだけだった。ただ顔を見せにきただけ。一言だって喋らなかったし、喋ろうともしなかった。
けれど確かに目が合った時になにかが通じ合った。言葉では説明できない、感覚的なものだ。
また会いたいなと少しだけ考え、後悔した。侍女以外でこの場に繰り返し来るのは母様だけだ。私と兄様の母様。とても美人で、肌は白くて月みたい。
月から来たの? と尋ねたことがある。いいえと笑いながら否定された。むくれる私に童話を読んでくれた。
『月と貴族』だ。月に恋い焦がれる貴族の切ない感情が穏やかな声に乗って届く。包み込むような優しさにうとうとと船を漕いで、毎回最後まで聞くことができない。結末を知りたいのに、どうしてか眠ってしまう。
――ギスランもまた来てくれるかな。来てくれないかな。
もし、来たら沢山童話を用意してあげよう。母の代わりに私が読んであげるのだ。母様のように、朗々と読み上げてみせる。練習のために声を出すと、兄様がやって来て私を包み込んだ。
眠ろう。そう言われるとぐずぐずと睡魔が襲ってくる。体をぴったりと兄様にくっつけて横たわった。そうすると心音が体をつたって指の先から伝わる。
兄様の心音が好きだ。透き通るガラス細工のような兄がきちんと生きているのだと実感できる。長い睫毛がすっと動き、碧い瞳が姿を現わす。私を視認して安心したのか瞼が落ちた。
私もそのまま兄様の体温に包まれて眠り込んだ。
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