どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「――というわけだ。補足はトーマ殿にしていただこう」
「……トーマだ」
「こら、トーマ殿」

 かつかつと杖をつきながら近寄ってきたトーマが、いつのまにかラドゥの隣に立っていた。彼はそっぽを向きながら訂正する。

「第四王女カルディア付きの清族、トーマだ。……これでいいんだろ?」
「ええ。では、説明をどうぞ」

 ちっと小気味よい舌打ちが響く。
 隣にいたハルが、イルの服を掴んで、気を惹いた。

「あれが噂の……」
「そ、トーマ様。一回、会ったことはあるだろ。それにしても、ラドゥって奴、心臓に毛が生えてんのか? ああいう権威主義っぽい挨拶、トーマ様大っ嫌いだろうに」
「うるせえ。黙ってられねえ馬鹿は出ていけ」

 聞こえたようで八つ当たり気味の声が飛ぶ。
 イルは肩を竦めて、頭を下げた。苛立たしげなトーマは辺りを睥睨する。

「俺はこの学校の防御機構の監修をしている。今回の作戦の肝も俺の魔術だ。というわけで三つ知っていて欲しいことがある」

 さっきと苛立たしげな声と違い、今のトーマの声色は恐ろしいほど静かなものに変化する。
 トーマと同じ戦場に立つにあたり、心構えをすることが三つある。それは、イルにとってはもう聞きなれたことだが、いつ聞いてもぞっとしてしまう怖さを内包していた。

「一つ、俺が死ぬと術が死ぬ。つまり、この学校を覆う防御機構も意味を無くすということだ。今回の作戦において、俺の術が消えることが死を意味する」

 あくまで淡々と感情をこめずにトーマは続ける。

「二つ、俺が術を行使している間の妨害は禁止する。術が消えることはねえが、邪魔すれば、反動が来る。嫌がらせをして死にたくはねえだろ?」

 隣にいるハルが身じろぎをした。あくまで感情をいれず、発言するトーマに違和感を覚えているのだろうか。

「三つ、俺の肉袋には手をつけるな」

 肉袋? とヨハンが首を傾げる。
 騎士様は清廉潔白ゆえ、物事を知らないらしい。

「手足を捥いだ人間のことだ。魔力補給用として百人準備している。こいつらが切れたら、術は立ち消え、お前達は劣勢のなか戦うことになる。間違っても、可哀そうだからと肉袋達を助けたりすんなよ。温情をかけた奴は親族皆殺しだ」

 二人の体が固まったのが分かった。他にも始めて知った奴らはトーマの言葉に嫌悪感を抱いている。
 清族でもない、使い捨ての命だ。
 いや、トーマにとっては人間ですらない。だから、肉袋なのだ。
 非道だと感じる倫理観はイルにはない。だが、ハルにとって唾棄すべき行為だろうと予想出来た。
 だが、ここで嫌だからと止められるわけではない。
 この計画にトーマの術は必要不可欠。肉袋達も必要だからこそ用意されている。だからこそ親族皆殺しという重い罰が加えられる。必要な犠牲。必要な血肉。
 ここに集められた使用人達だってそうだ。
 貴族を守るために犠牲を強いられている奴が殆ど。トーマのいう肉袋と何の違いがあるというのか。

「以上だ。くれぐれも、俺の邪魔だけはするな。他は好きにやれ。援助ぐらいはしてやる」

 言い終わるなり乱雑な足取りで、扉の前へと移動する。そのまま出るかに思われたがふと思い立ったように足を止めた。
 呆気にとられた使用人達が動きを止めたトーマを訝しげに観察する。

「今回の一件、心してかかるといい。相手は人ではないという。『カリオストロ』の内通者にも気をつけることだ」

 意味深な言葉の余韻を残し、トーマは今度こそ大広間を出て行った。
 それを見送って、ラドゥは再び頭を下げる。

「同志達、これにて説明は終わりです。我が主人がささやかながら食事を用意して下さった。時間があるものはゆるりと食べていくといい」

 貧民達が台をひいてくる。台の上には豪華な食事が並んでいた。
 この日一番の歓声が大広間に響いた。



 ご相伴に預かり、美味しい鯛のカルパッチョをついばむ。恐ろしいことに、テウの手による料理だ。貴族が自ら作ったと考えると、恐れ多くて仕方がない。だが、口に含むと頬っぺたが落ちそうになるくらい美味しいのだから困る。
 テウには才能がある。料理の才だ。トーマが面倒な朝食会に参加するのもこの料理によるところが大きい。

 ――人を見る目だけは優秀なんだよなあ、あのお姫様。

 テウにトーマ、更にはイヴァン、才を持つもの達を、従者に選んでいる。あれでも、やはり王女ということか。性格にも出自にも難ありだが、審美眼だけは確かだ。
 テウが部屋の中で高笑いしていたところを見たときはいよいよ悪鬼が従者の一人にと怯えたものだが、案外何とかいっている。この頃、テウは幸いというか狂乱の気配は鳴りを潜めているようだ。

「さて、おさらいだよ、ハル。今回の作戦は?」
「えっ」

 同じように舌鼓をうっていたハルに話しかける。口の中のものを飲み込んで、ハルが恐々と口を開く。

「守るべき人間を一箇所に集めて、守りを固めつつ、防衛戦に勤しむ……だよね?」
「あたり。なんだ、よく聞いてたんだ」
「それはこっちの台詞。あんな眠そうにしてたのに」
「聞こえるべきものは聞こえる便利な耳だからね」

 焼きたてパンをちぎり、まだカルパッチョが入った口の中に放り込む。ほの温かいパンと、冷たいカルパッチョが口の中で混ざり合う。

「集まるのは聖堂。イヴァン様の音楽会が開かれる。二重に術をかける。一つはさっきトーマ様が言っていた防御機構。こちらは、この学校自体をあやふやにする。一階にあるべきものが二階にあったり、聖堂が図書館となったり。幻惑の術だと思えばいい。勿論、今回使われるのはこれだけではないけど。ともかく、敵は聖堂の正しい場所を認識出来ない。術を解かねば辿り着けない」

 正直とても厄介な術だ。これでもかというほどこの術で撒かれたことを思い出したくもない。

「もう一つは音による術。演奏家達には清族が混ざっているんだって。音に術をのせて、敵の侵入を拒む。こちらはどこまで効くのか知らないけどね」
「正面はトーマ……様の防御機構でどうにかするんだよね」
「正確に言えばあの人の防御術式だな。見ものだよ。あの方が戦場にあの術を持ち込んでから、ライドルは大きな戦をしなくなったとさえ言われてる。――あの人は、何よりも人殺しが得意だから」
「人殺しが、得意って。あんな小さな子が?」
「幼さは関係ない。だいたい、さっきの通りの性格であらせられるしな」

 もう一つパンを取ろうとしたとき、横から腕が伸びて奪われる。
 ヨハンの手だ。平民の癖に、貧民達と食事をする豪胆さに辟易する。カルディアもそうだ。階級のことを頭の片隅にも置いていない。
 別のパンをとって口に入れるとくすりと笑われた。

「噂だけは耳にしたことが。かなり、気難しい少年のようですな」
「幼い頃から戦場に駆り出されれば捻くれますよ。しかも戦争に出れば一端の兵より名を上げる。人殺しの才があると、ギスラン様も認めています」

 トーマは人殺しをするものを作るのが得手だ。だからこそ、国王に取り立てられ、11歳という若さで、学校の防衛を任されている。

「……憐れなことですな。あれほど幼いというのに、怨念に殺されてしまうかもしれません」
「――ま、そうなればよいとトーマ様も思っていらっしゃるのかもしれませんよ」
「イル?」

 張り詰めた雰囲気に心配そうなハルの声が落ちる。吐き気のような気持ち悪い圧迫感を口から出して、ハルへの問いかけを続ける。

「トーマ様のことはどうでもいいとして。ハル、今回の敵のことちゃんと聞いてるんだよね?」
「『聖塔』の過激派だろ」
「大雑把な理解だね。正確には『聖塔』の過激派を操っていた上位組織だ。『カリオストロ』っていう。幹部っぽいサンジェルマンって奴は消息不明。今回は、ゾイディック辺境伯の粛正の反撃だよ」

 ゾイディックと聞いて、ハルの動作が一瞬、ぎこちないものに変わる。そういえば、ハルは一時期ゾイディックに滞在していたことがあるのだったか。金を稼ぐ場所としてゾイディックは都合がいい。

「詳細は省くけど、サンジェルマンがゾイディック伯に喧嘩を売った。買ったゾイディック伯は、王都に血の雨を降らせてるってわけ」
「そのゾイディック伯は今日も今日とて拠点を虱潰しにされていると聞きますが」
「ええ、あの人、戦うのが上手くって。どこもうまく攻め込んでいるといいますよ、ヨハン様」
「……それで、その『カリオストロ』の連中って強いんだよね? じゃなきゃ、こんなに大々的に集めて集会を開かないよね?」
「今回の集会は籠城戦であるからというのはあるでしょうな、ハル殿」

 貧民であるハルにも慇懃な態度を取るつもりらしい。ハルは戸惑いながらも、まずは訊くべきことを聞こうと思ったのか、敬称を無視した。

「籠城戦……今回の戦いのことであっていますか?」
「ええ。ああ、硬くならずに。老骨の浅知恵とお聞きください。この歳になると、人に教えたくて仕方がないのですよ」

 年寄りだと言うが、衰えた様子が全くない。
 呆れながら、言葉に耳を傾ける。

「籠城戦は、守るに易く、攻めるに難しい。また長期化しやすい難問です。今回の場合、長期化はまず敵の望むところではないでしょう」
「外に援軍がいるこちらが有利になるから、ですよね。城をーー学校を敵に囲まれても、援軍がくれば逆に挟み撃ちにされる」
「そう。そして、籠城戦は時間稼ぎがしやすい。敵は短期決戦を目論見、大規模な攻勢を仕掛けてくるでしょう」

 その攻勢のうちに、別動部隊が学内に入り込み、清族を殺し、術を崩壊させるのが定石だ。その後、内部に入り、獲物を狙う。
 トーマは勿論、自分が狙われることは折り込み済みだ。だからこそ、近づき過ぎるなと苦言を呈した。近付いてきた者を敵として処理するためだ。
 過去に味方の顔をして近付いてくる敵がいたのだろう。

「大仰な手ですよね。わざわざ、レゾルールを狙う豪胆さに感服します」
「攻城戦を仕掛けるだけの戦力を残している、となると厄介なのです。万全を期すため、校内の使用人達を集めた。いざというとき、主人の目から諍いを遠ざける必要がありますので」
「知らせないんですか。攻め込まれているのに?」
「知らせる道理もございますまい。このような些事、耳にすれば煩わしい。高貴な方は聞かせるなと仰るもの」

 カルディアに教えたいのか、ハルは。
 ほうと吐息を溢す。
 甘やかなもの、苛烈なもの、憎きもの、詳らかに伝えるから、カルディアはハルを認めたのか。ハル自身の大切なことは一つも伝えてはいないというのに、おかしなことだ。
 正直さは美徳ではない。穢れがないというのは俗世と関わりがないことと同義だ。

 ――ああ、でも、一途さは美しいことを知っているか。

 皮肉を囀りそうになった口を閉じる。
 イルの主人たるギスランは、素行はカルディアに唾棄されるものだったが、その心根は清らかで一途だ。イルだって、その一途さに心を奪われた一人だ。
 他人の幸せを願い、それを自分の幸せに出来る。それを美しいと思った。この澱の世の中で、絶えさせてはならないものだと。

 ――ハルは、カルディア姫に惚れているのかな。

 ちらりとハルの痩けた覗き見る。カンドを捕らえるためにリストの下についたというが、本当はどうなのか。
 今更、命を惜しむような男ではないはず。
 親族への義理立てだとて、リストの部下になる理由には薄いのでは。
 もう一度、姫の顔を見たいと望んだのではないか。だから、部下となったのではないか。ずっと、そう思っていたし、実際一度疑問を投げかけたこともある。答えは遮られた。答えを出すのを怖がっているようにさえ思えた。
 知ってしまいたいような、知ってしまったら戻れないような、曖昧な好奇心に疼く。

「カルディアは……」
「知らないよ。あの方が一番、知るべきじゃない」
「知らないと、傷付く。体ではなく、心が」
「ならばずっと知らなければいい。愚かなことだ、その疑念は。これまだとて、知らないことが沢山あるお姫様だ」
「だからこそ、心を壊そうとしたんじゃないの。俺なんかに、情を移した」
「ハルみたいなのをもう一人つくるなってこと? 笑える。悋気みたいだな」

 むっとした癖に、一瞬頬を染めたのだから始末に負えない。まだ自分の想いに無自覚なのだろうか。邪推に、身震いする。自分はこの恋を摘み取りたいのか?
 ギスランのために?

「二人とも、カルディア姫に懐いているのですか」

 のんびりとした声で、ヨハンが言う。肩透かしを食らい、脱力する。
 懐く、とは。飼い犬ではないのだが。

「俺はこれでもギスラン様の剣奴なんですが」
「俺だって、リスト様の」
「では、主人の思慕に引きずられているのやもしれませんな」
「誰が、あのお姫様のこと想っているって? やめて下さいよ。それはハルです」
「違う、違いますよ、俺は。イルはともかく、俺はそんな感情抱いてない。抱いちゃ駄目、だから」

 違う違うと慌てる二人を見て、ヨハンが堪え切れないと言うように吹き出す。
 今更からかわれたことに気がつき、イルは狼狽えた。
 ――だから、この男は嫌なんだ!

「あははっ、お二人とも、お若い。純朴でからかい甲斐がある」
「最高に最悪な気分なのですが……? 殺意すら湧きました」
「…………。ヨハン様は、人が悪い」
「ふふ、年寄りは色恋の話に目を輝かせるものと相場が決まっているもの。軽くいなさねば。ただでさえ、姫は、批判されやすいお立場だ。生まれの高貴さと育ちが合わず、自我が歪んでいらっしゃるので尚更堪える」
「……男漁りが激しいと、この頃は噂の的ですもんね」

 周囲に侍るものが、男ばかりとあっては、そう噂されるのもおかしくない。
 だいたい、脛に傷を持つものばかり、従者としている。王族の寵愛を独占していると、トーマ達へのあたりもきつくなっている。
 耳に入らないよう努力はしているが、カルディアは従者や使用人の噂話を聞く悪癖があるらしく、悪意を敏感に聞き取ってしまう。

「…………カルディア、姫は」
「うん?」
「どうして、国王陛下に嫌われているのですか? 愛人の子だと聞いたけれど、姫として迎え入れられているのに。歪んだ根底にあるのは、拒絶なのでは」

 ハルの言葉は、真理をついていた。カルディアは姫として過ごすよりも、愛人の子としてひっそりと過ごす方がよかったのではないか。そう言っているのだ。

「残念だが、それは私が答えられる領分を越えている」

 ヨハンは神妙な顔をして首を振り、ハルへ向き直った。

「感情がひとつであればよかったのでしょうな。純粋な想い以外交じらぬ色であれば。しかし、現実は違う。色は交じり、交じるごとに黒に近づく。感情は、欲を纏い人を壊す」
「陛下が複雑な気持ちを抱いていようとも、扱いが酷いことには変わりないはずです」
「陛下のお考えを我々が知ることはかないませんよ。お考えを想像することすら、不敬とあたる」
「ですが、カルディアは。姫は、……。壊れてもいいと達観するにはあまりにも」

 言葉の続きは聞けなかった。言葉の間を縫うように、毅然とした男が話しかけてきたからだ。

「イルというのはどれだ?」

 顎を上げ、男が尋ねる。
 明らかに高級な服。白銀の髪に白い肌。一条の優しさも見せない冷酷な眼差し。
 後ろには男の部下だろう荒っぽそうな連中がいた。一様に伊達男らしく着飾っている。
 黒い手袋をはめた男の指が、イルを指差す。

「お前か?」

 こくりと警戒しながら頷く。戦い慣れている。
 もっと正確に言えば、血の臭いがする。それも濃密に。生まれた時から、穢れに満ちているような、濃厚な死の香りがする。

「……リブラン」

 ハルが小さく囁く。恐れているように。

「俺達を知っているものもいるようだ。自己紹介が必要か?」

 リブラン・ファミリー。
 ゾイディックを根城とする墓守の一族の末裔。悪徳の都における、最大にして、伝統ある組織。
 目の前にいるのは、その若き首領ではないか。
 人智を外れた奇跡を宿した稀なる魔眼を持つという。

「ドン・リブラン」

 魔力を灯した青い瞳がイルを捕らえる。
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