どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「馬鹿が。俺を見ろ」

 胸倉を掴まれ、青い瞳とかち合う。
 痛みがすうっと波が引くように鎮まった。

「わ、わっ」

 手を離されると、体の力が入らず、たたらを踏んでしまう。

「この男は呪術使いだ。言葉で人を殺すことも出来る。制御が出来ない状態で耳を澄ますな」
「どういう状況なのかまず説明して貰ってもいいですかねえ?!」
「悠長にしている暇があるとでも? この男をどうにかする方が先だ」

 トーマは這いずりながら、頭を地面に擦り付けなにかを唱えている。
 リブランの首領は容赦なくトーマを踏みつけると、さめざめとした青い瞳でトーマをとらえた。

「幻術を解くためには気絶させるしかない」
「俺にやれと?」
「弾を頭に撃ち込んでいいならば、俺がやるが?」

 冗談が通じる御仁ではなさそうだ。
 トーマを押さえつけて、絞め落とす。
 肌がちりちりと焼けるような感覚がしたが、気絶させたら感じなくなった。
 リブランの主――クリストファーはゆっくりと足をトーマから下ろし、腰のホルスターから回転式拳銃を取り出し、弾を詰め始めた。

「それで、どうなってるんですか? どうして、こんなところにトーマ様が」
「驚いた。自分が落ちた事に気が付いていないのか」

 弾を詰め終えたクリストファーは眉を上げ、怪訝そうな顔をした。
 指摘され、今更ここがトーマが陣を広げていた中庭だと気がつく。
 綺麗に整えられた花壇も、生垣も、ぐちゃぐちゃだ。景観も何もあったものではない。

「お前が上から落ちたのを皮切りに範囲十キロほどの人間達が発狂し始めた。俺が着いた時には、お前も暴れ回っていたぞ」
「……術の影響でしょうね。俺の意識化に、道鏡と名乗った男が現れたので。あいつは今、どこに?」
「お前の目は節穴なのか? あれが、見えないと?」

 指の先に意識を向ける。空にふよふよとあの男が浮かんでいた。絹のように白く長い丈を羽織っていた。まるで羽を伸ばした鳥である。撃ち落としたくてたまらないが、さきほどより量の増した魚の群れに守られて攻撃が通りそうになかった。

「いや、ちょっと待って下さいよ。ここが中庭だという理解はしましたが、どうして肉袋達がいないんですか? トーマ様は術にかかっているし、どうしてこんな悲惨な有様に」
「お前が落ちた時、術を使っていたようだ。現にお前は傷一つないだろう? そのあと、隙でも突かれたのでは。急に苦しみだした」

 それにとクリストファーは言葉を区切った。

「肉袋達ならば今あの男の近くでふよふよと浮いている。奴らは魚に変じ、付き従っているようだ」
「はい?」

 何を馬鹿なことを言っているのかとイルはクリストファーを二度見した。魚に変じた、などまるで童話の物語のような展開だ。

「嘘を言う余裕はない」

 心外だと言わんばかりにクリストファーが睨み返してくる。
 イルも冗談を口にしているとは露ほども思っていないが、受け止めきれないのが正直なところだ。

「はいはーい、ドン・リブランの発言はわたくしが真実だと補強しますわ」
「ヴィクター様!」

 耳に中性的な声が滑り込んでくる。
 ヴィクターの声だ。声は明るいが、焦燥感が声色に乗っている。

「管制室もさきほど復旧したばかりですのよ。イルと繋がれてよかったわ。こちらから見る限り、リュウもハルも無事なようなのだけは伝えておきますわね」

 そうか、ハル達も無事なのか。気が抜け、体がふにゃふにゃになりそうなのを気力で押し留める。

「ヴィクター様、清族としての見解をお教えいただけますか?」
「そうね、詳しくはまだ分かっていないけれど、どうやら広範囲に及ぶ幻術を扱うようですわ。麝香のような臭いがあったように感じましたわね」
「臭いでトリップですか。麻薬より厄介ですね。それで、ドン・リブランの言う通り肉袋達が魚に?」
「ええ。でも、誰もが魚になると言うわけではありませんわね。イルを含め、なっていないものも。ただ、肉袋はほとんど。肉袋を使った防衛は難しくなりましたわね」
「トーマ様を叩き起こして元通りというわけには行かないんですか?」

 非常事態だ。手は多ければ多いほどいい。
 トーマには悪いが、眠られたままでは困る。この学校の防衛。ひいてはカルディアの守護が最優先だ。

「いきませんわよ。肉袋の予備があるとはいえ、呪術には精神力が必要ですのよ。それに、あの錯乱は危険だわ。昔、同じようにトーマが錯乱したことがあったのだけど、敵味方合わせて何百人が意識不能になったかお聞きになりたい?」
「……あー、大丈夫です。さっき実感したので。じゃあ、トーマ様は戦線離脱ですか。穴はヴィクター様な埋めて下さるので?」
「喜んで、と言いたいところだけれど。わたくしにはやらねばならないことがありますの。――国王陛下のご命令で。この学校が滅びようと、サガル王子が亡くなろうと、ここから出るなと言われていますわ」

 国王陛下。ここで国の核たるお方の登場である。
 トーマも、ヴィクターも、役に立たない。清族の主だった人間が不在のままというのはあまりにも恐ろしい。敵が術をかけてきたときに対抗手段がないに等しいからだ。
 トーマが気絶した今、学校内の術も解かれていることだろう。カルディアは避難しているか怪しい。もし、侵入して来た敵に遭遇しているとしたら。考えたくないことだが、最悪の想像が頭を過る。

「せめて、清族の誰かを寄越して下さい。敵の幻術に対抗する手段が欲しい」
「――いいえ、イル。トーマの事例を見ても、清族では防ぎ切れないわ。トーマとて馬鹿ではありません。事前に反撃の準備もしてありましたの。けれど、それは上手く作動しなかった。何らかの特異性あるのは間違いないわ」
「ではどうしろと? このまま、皆で魚になりますか」

 あまり頼りたくなかったのですけれどと前置きをして、ヴィクターは言葉を続けた。

「ドン・リブランがお力になって下さるわ。トーマの術が消えた今、障害は何もありませんもの」
「ドン・リブランが?」

 青い瞳がイルを視界に入れた。
 ヴィクターの声が掠れる。クリストファーが指を鳴らすと完全に掻き消えた。

「ヴィクター・フォン・ロドリゲスとの会話には成功したようだな。それで、あれはどうするべきと言っていた?」
「貴方に助力願えと。一つ聞いておきますけど、清族だったりします?」
「馬鹿げたことを。俺はあいつらのように便利な存在ではない」

 クリストファーはホルスターにあった銃をイルに投げ渡してきた。

「それは貸してやる。壊すなよ」

 トーマを物陰に隠し、クリストファーはイルを置いて駆け出した。イルは慌てて彼の後ろに追いついた。

「ドン・リブラン。何か秘策がお有りなんですよね? その、目とか」

 魔眼を持つから強気に出れるのか。
 ヴィクターの言葉はおそらく魔眼を意識してのものだろう。どんな攻撃も跳ね返す魔眼だったか。たしかにそんな反則のような魔眼を持っていれば、恐れるものは何もないのかもしれない。

「さっきも言ったが、俺は清族達のように便利な存在ではない。――ついて来る気か?」
「一発顔を殴らないと気が済まないような男なので」
「そうか。助けないからな」

 助走をつけて、溝を頼りにクリストファーが校舎を駆け上がっていく。器用なものだと思いながら、イルも後に続いた。こういう芸当はお手の物で、クリストファーよりも先に屋上に辿り着く。
 隣の校舎の屋上にはハルとリュウが座り込んでいた。二人とも気分が悪そうだ。今にも吐きそうな顔をしている。
 やっと登ってきたクリストファーに手を貸しながら、空に広がる魚達を睥睨する。

「どうやって落としますかね」
「どう、とは? これは戦争だ。ならば、火力がモノを言う」
「……へ?」
「まさか、俺達が武器も持たずに参戦したと思っていたのか。あれを撃ち落とすなど現代科学を持ってすれば容易いことだ」

 科学? と疑問を持つより前に、パチパチと何かがはじけるような音がした。
 ひゅーと風を切る音が上がり、静寂に包まれる。
 息を呑んだ瞬間、夜空に火の粉が散った。
 赤、青、黄色。打ち上がった火の粉は、ぱらぱらと舞い降りて魚達に火をつける。ドンと激しい音がしたと思えば、燃える体が落下していった。

「か、科学というか、花火……火力の勝利では?」

 火は何も勝るということを証明された気がする。火達磨になる魚達。地面に叩きつけられた瞬間、人に変わる。
 頭蓋が割れたのか、頭からは血が流れてくる。
 手足はなかった。肉袋の一人だったのだろう。
 胃の中がしくしくと痛んだ。
 今更動こうとする良心に辟易しそうになる。

「綺麗に打ち上がったな。調合が上手くいったようだ」
「って、なんです、これ!? 聖堂では皆様が音楽鑑賞していらっしゃるんですけど!?」
「だからなるべく配慮して人目に触れてもいいようにしてあるだろうが。何が不満だ」
「配慮のはの字もありませんよ、これ! パニックになる未来しか見えないんですが!」

 音は誤魔化せても、体を震わせる振動には流石に気がつくだろう。もしも、外に出て来られたら、魚の群れが目につく。何か危機的なことが起きていると勘付かれれる。
 これまでの苦労が水の泡になりかねない。
 そうなれば、責任問題だ。また、カルディアが槍玉に上がりかねない。狙われているのはカルディアなのだ。

「ここまでの被害が出た以上、避難はしなくてはならない。ヴィクター・フォン・ロドリゲスも、それを見越して我々の好きにやらせている」
「ですが、これでは」

 もう一度、花火があがった。美しい花が、夜空に咲く。
 ヴィクターと名前を叫んで唸りたくなる。
 青い瞳がイルをぎろりと睨みつけた。

「そもそも、なぜここにいる人間どもに目隠しをした? 平穏がそこらに転がっていると信じている子供ではないだろう。銃を持たせ、抗わせればよかったものを」
「そういうわけにもいかないんですよ! 誰もが戦う準備が出来ているわけじゃない」
「覚悟を決められないものは死ぬべきだ。そうではないのか」
「ど正論ですが、俺が決めることではないのです。身分も、立場も、俺にはどうしようもない方ばかりなので」

 ふんとクリストファーが鼻を鳴らす。
 生きている世界が違い過ぎる。ゾイディックでは、その考え方でいいのだろうが、ライドルでは違う。この王都は生温い水の中で守られている者が多い。それを平和と呼ぶのか、甘えと呼ぶのかは主観によるだろう。

「ああ、可哀想に。やっぱり君は憐れだよ。どうして、抗ったの。煩悩を募らせ、生にしがみつくのは愚かしい行為だよ」

 優しい声が降り注いでいる。
 さきほどまでこの声を聴くと心が溶けるような感覚に陥ったが、今は忌々しいだけだ。
 イルは空をふよふよとくらげのように浮かぶ道鏡を睨みつけた。

「衆生を救う。そう誓ったけれど、上手くいかないものだねえ」
「カルディア姫に何をするつもりだ」
「僕はすべての人を等しく救うだけだよ」
「魚にすることが救いなんて、考えてることが狂ってるとしか思えない」

 道鏡の瞳が可哀想な病人を見つめるものに変わる。
 この男の価値観はイルのものとは全く違う。いくら不平不満を述べようと、道鏡は意にも介さないだろう。叫ぶだけで無駄だと分かっているが、やられっぱなしの鬱憤を晴らすために声を張り上げる。

「救いだなんだと嘯いても、その実、化け物の手駒が欲しいだけだろ」
「そんなわけはないよ。皆が俺を助けてくれるだけだ。君の母親だって、喜んで力を貸してくれた」
「……馬鹿げたことを。あの人はお前が作り出した幻だ」

 だが、確かに、どうしてあんなにも詳しく母の事情が幻の中に現れたのだろい。疑念が、恐怖に変わりそうになったとき、クリストファーがイルの前に立った。コートの裾がふわりと風に揺られ広がる。

「あいつの口車に乗ってどうする。また、屋上から落ちるつもりなのか?」
「……すみません、軽率でした。ドン・リブラン」

 頭を下げると道鏡がおかしそうに苦笑する。

「何を言ってるの? 君は一人なのに。どこかに頭でもぶつけちゃったのかな?」

 ――? どういうことだ?
 そういえばさっきから、道鏡がクリストファーに話しかけない。よく喋る男だ。これは誰かと誰何しそうなものだが。
 道鏡の目線を追う。イルの前にいるクリストファーに視線が向くことはなかった。

「やはり、そうか。俺が見えないのだな」

 納得がいったと言うようにクリストファーは頷いた。イルには何が何だか分からない。
 どうして、道鏡にはクリストファーに反応しない?

「まあ、いいや。君のことはまた救ってあげるからね。君のことを愛する彼女もそう言っている」

 軽快に舌を動かす道鏡の額を向けてクリストファーが銃を構えた。躊躇いなく引き金を引く。
 西瓜が弾けるように、頭が粉々になった。
 吹き飛んだ肉片が顔にかかる。
 道鏡の首から下は、仁王立ちのままぷかぷか空に浮かんでいる。

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