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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む竜。
童話や昔話に出てくる伝説上の生き物だ。
禍々しく、翼を持ち、強靭な肉体と獰猛な姿で圧倒する。騎士や勇者は知恵と勇気とその肉体で彼らを屠り、竜殺しを果たして来た。
だが、勿論それは物語の話。実際に目にしたその生き物は到底、イルには手出しできない代物に見えた。
胴の長い首が床に転がるイルとヨハンの方へ向いた。体をずるずると引き摺り、建物を破壊しながら侵攻してくる。
ヨハンがやったのだろう、左目には深い刀傷が出来ていた。
「嘘だろ……」
「いやあ、驚きましたな。ここまで心踊る展開になるとは」
豪放磊落な笑い声が響き、ぎょっとする。
ヨハンはこの圧倒的不利な状況を楽しんでいるのか。
「どこが心踊ると?! どう見たってこれは竜ですよ、竜! 絵本にしか登場しちゃいけない架空生物です!」
「妖精が実在するのに、架空とはおかしなことを。イル、ほら殺し甲斐がある敵ですよ。正直、人では物足りず、疼いていたところだったのですよ」
「人を貴方の仲間のように言うのはやめてくれませんか!? 俺に戦闘狂の気はありません。貴方が騎士の中の騎士と最初に言った人、審美眼狂い過ぎでは?」
「それは確かに、それはそうだ。私などが騎士の中の騎士など、恐れ多い。私など、ただ人殺しが得意な剣使いというだけに過ぎません」
剣を構え直すと、ヨハンは軽く足を踏み出した。
軽やかな足取りだったにも関わらず、足をつけるたびに、めり込むような力で床を蹴る。
数回の跳躍ののちに、ヨハンは飛び上がり、目にも留まらぬ速さで首を駆け上がると、右目に狙いを定めた。
刃の動きがゆっくりに見えるほど、洗練された一振りだった。
竜がヨハンの存在に気がつき、体を捩る。その大きな翼があたり、美しい調度品が粉々に割れた。女神の活躍が描かれた天井画が木っ端微塵になっている。
ヨハンの体は外に投げ出された。今度はうまく受け身を取れずに、剣を抱えた男の体が飛んでいく。無様に転がるヨハンの姿を始めて見た。
ガラスが散らばる床はじゃらりと音がなる。
幸い、ヨハンはすぐに起き上がった。額から血を流しているが、動きは鈍くなっていない。
痛みがあるだろうと思い、気を紛らわせるために話しかける。
「玄関の化け物どもはどうしたんですか?」
「粗方倒しましたよ。あとは他の者達でも片付けられるでしょう」
では、今玄関にはリストやサガルの部下達が処理しているのか。
「ラドゥ殿に指揮はお任せして参りました。それよりも、イル。そちらは? 中庭に魚影を確認しましたが」
「俺も大丈夫と言いたいんですが。残念ながら、トーマ様の術は破られ、過半数は敵の珍妙な術で戦闘不能ですよ」
「トーマ様の術がですか。それは難しい場面ですな。楽しんでいる場合ではないのやもしれない」
「いや、思いっきり、楽しむ場面ではないですからね」
尻尾が飛んでくる。イルとヨハンは軽く躱しながら、声が聞こえる距離を保つ。
「現状、少し押されておりますな。トーマ様の術の援護がないとしたら、正面も苦労しましょうな」
「ヨハン様は俺達の加勢に来られたので?」
「ええ。途中、これに遭遇しました。まさか竜とは。竜殺しの騎士を志していた時期がありましたが、誠に叶うとは思いもよりませんでした」
「倒せる算段がおありで? ちなみに俺には勝機があるようには見えませんが」
ヨハンはとんっと胸を叩いた。
「自慢ではないですが、殺したいと思って殺せなかったものがないのですよ」
それはそうだろうと肩を竦める。
ヨハンの闘志は折れることなく、むしろ爛々と輝いているように思えた。この男にとって、強敵こそが己の力を引き出す原動力なのだろう。
優雅な足取りで、的確に刃を滑らせる。最初に戦ったときと何一つ変わらない在りようだ。日々老いているという事実に嘘ではないかと文句を言いたいほど。
強大な敵を前にしても、全く変わらないのがヨハンらしい。
緊張からくる怯えや油断といった感情が欠落している様が、眩しくも羨ましく映る。この男の強さは心から来るものではないかと密かに思う。
恐ろしいと思うものが何一つとしてないような、負の感情が欠落しているからこそ成り立つ強さ。そんなものをヨハンに感じてしまうのだ。
「――俺も加勢したいところですが、正直挑む気になりません。竜は門外漢です。俺は殺すならば人がいい。離脱して構いません? カルディア姫を探さねばならないので」
「カルディア姫ですか? さきほど、ちらりと回廊の方にいたように思いますが」
「回廊? 清族の宿舎の方ですか? お一人で?」
「いえ、誰か清族が案内していたようだが。避難されているとばかり」
カルディアの避難は計画にない。それに、もし避難しても清族が関わることはない。ギスランの手下の誰かが行うはず。
「ヴィクター様、これはどういうことですか?」
「……わたくしにも、どういうことだか。今、妖精を向かわせますわ」
「……何やら、良からぬことが起こっているようですね。よろしい、竜殺しはこちらで承りましょう。イルははやくカルディア姫の元へ」
気を惹きつけるようにヨハンがイルと反対側へ走った。竜がヨハンに気を取られているうちに助走をつけて竜の背を飛び越える。清族の宿舎に繋がる回廊へは竜が開けた穴を通って、外に出る方がはやい。
「――ま、――――さ、ま。カル…ッ……様」
「ヨハン様?」
微かに声がして、扉の縁にぶら下がりながら振り返る。
少し高い声が、聞こえた気がした。
どこかで聞いたことがあるような、懐かしさを覚える声色だった。
竜の背が見えた。長い女の髪が肌から生えていた。美しく手入れされていたのだろう。汚れを知らない癖のない髪だった。
違和感が増す。嫌な予感がよぎる。
「カルディア姫っ! た、……けて!」
聞こえないふりをして、体をしならせ、宙へと飛ぶ。。
――あの竜の声を、確かにどこかで。
ヨハンの剣戟が、鋭い爪を切り裂く。ぎょおおおおおおと怪物の咆哮が上がる。
「痛いっ……いたい、いたい。いたい、いたいいたいいたいっ!」
怪物の咆哮が、意味を持った叫びに変わる。
慄然とした声に聞き覚えがあった。
リストを招く、毒婦のような声を出していた。
血で汚れたレイ族と彼女の姿が浮かんできた。
罰を受けるため捕らえられたのに、裁判の話はとんときかない。
分厚い雲が夜に闇を与える。
声はか細い女のものだ。救いを求めるように、カルディアの名を呼んでいる。
陶器のように白かった肌。細くくびれた腰。長い髪に、潤った薔薇のような唇。貴族の淑女らしかった、傲慢な女は軍人の父の影響か、戦場で他人を癒すことを誇りに思っていた。
女が医術に携わってはだめなのか。人を救うのがどうして揶揄され、見下されねばならないのかと吠えていた。
違えばいい。そうであるべきだ。カリレーヌはしかるべき場所で罰を受けている。ここにいるのはヨハンによって倒れる邪竜だ。
けれど、違ったら?
これは、人だとしたら?
雨の臭いがしている。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
カルディアをはやく見つけ出さねばと思った。
この世界は、生きるのが辛すぎる。カルディアには何も知らせず、終らせたかった。
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