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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むそのあと、フィリップ兄様は王宮に書類整理のために戻ってしまった。
看病をしに来ているわけなので、フィリップ兄様がいないから帰りますとは言えなかった。それに、レオン兄様のことが心配だ。
部屋の灯りを付けずに書類を片付けていた姿を見てしまった。いくら必要に迫られているからといってもあれではいつ無茶をするか、分かったものではない。
フィリップ兄様が戻って来るまでは離宮に留まっていた方がいいだろう。
レオン兄様と顔をつきあわせて朝食をとることになった。
新聞を読みながら、コーヒーを啜る姿が見惚れるぐらい綺麗だ。
レオン兄様は、本当に王子様のような外見をしている。
蕩けるような金髪と青い瞳。
柔和で、気品が溢れるが偉ぶっているようでも、人嫌いのような険があるようにも見えない。
サガルは見たら惚けてしまうような魔性の美しさだが、レオン兄様は見ていたら元気を貰える。活力になるような、温かくて優しい顔つきだった。
「ん。どうかしたか?」
紙面から視線を上げて、レオン兄様が首を傾げる。首を振って、誤魔化すために笑う。
「おや、カルディア。食べないのか?」
「……あまりお腹が空いていなくって。兄様はコーヒーだけ?」
「勿論、もっと食べるよ。朝は一日の基礎を作るからね。だが、こうやってコーヒーを飲みながら、新聞を読むのが癖になってしまって。行儀が悪いと軽蔑した?」
恥ずかしそうに新聞を畳みながら、レオン兄様が問いかける。慌てて首を振って否定する。
「お邪魔をしてしまって申し訳ありません。わ、私は書斎に行って本を見て回って来ますので。ごゆっくり召し上がって下さい」
「一人で食べるのは味気ないから、良ければ話し相手になって欲しい。……駄目か?」
浮かしかけた腰を元の位置に戻す。
そう言われて駄目だとは言えない。
「よかった。紅茶を?」
「で、では、紅茶を」
使用人が温かい紅茶をいれてくれた。後ろに控えていたイルがすっとカップを奪って一口。
目を見開き、抗議の意味を込めて後ろを向く。
レオン兄様の目の前で毒見をするなんて、信用していませんと言葉で言うより直接的な侮辱になる。
レオン兄様に向き直り、言い訳を口にした。
「も、申し訳ありません。この頃どうにも猫舌になってしまっていて。いつもこの護衛に問題ない熱さかどうか確認して貰っていたのです」
「そう怯えるな。他意はないと思っているとも。熱くないといいのだが」
イルからカップを奪い、口に含む。
ミルクが入っているからか、まろやかで甘さがある紅茶だった。当たり前だが、人肌に温まっていて、火傷するような温度ではない。
「美味しいです」
「ならば、よかった」
レオン兄様が指で合図をすると、使用人達が綺麗な所作で朝食を運んでくる。
いい香りのする焼き立てのパン。カリカリに焦げた羊の肉。ふわふわの卵と瑞々しい野菜のサラダ。
小さく切られたフルーツあえもある。一つ一つが素朴なのに、とても美味しそうだった。
テウの料理が食べたい。本当はお腹が減っていた。
毒見をイルにさせられないから、断っただけだ。紅茶も、もらわないつもりだった。
喉がカラカラでも人は生きていけるし、腹が減って何も食べなくても三日は生活できるものだ。だから、構わないと思っていた。
レオン兄様が口にパンを運んだ。
静かな、食事だった。優雅さよりも、静かに食べることに重きをおいているような。
ものを飲み込むところを確認して、話しかける。
「お加減はどうですか?」
「心配してもらえるのは嬉しいが、どうなのかはまだよく分からないよ。さっきも見ていただろう? しばらくは一人で歩行するのは難しいかもしれない」
使用人達に手を引かれながら、レオン兄様は風呂場からここまで来た。
もしかしたら、一生このままなのではないか。そうちらりと思ってしまった。
清族は本当に治療しているのだろうか。だとしたら、もう望みは薄い。
「……レオン兄様はフィリップ兄様がかわりに政務を行うのは反対ですか?」
咀嚼するように、レオン兄様は目を瞑る。
「フィリップの能力に問題はないが、あの子の人格には問題が山積みだからね」
「人格が政務で必要なんですか?」
「ああ、勿論。どんなに法を整備しようと、どれだけ緻密に予算を組もうと、運用するのは人だからね。無能な人間が、人の上に立つことに優れている場合があるように。有能な人間が人徳を集めるとも限らない」
「有能な人間は嫌われるという話ですか?」
「有り体に言ってしまえばそうなる。勿論、有能で、人当たりのいい人間はごまんといるのだろうが。……フィリップは能力主義で苛烈だ。有能な人間は彼を好むだろうが、怠惰な人間や日和見主義的な人間は強権を好まない。そして、悲しいかな、そういうフィリップを好まない人間がほとんどだ」
そういうものなのだろうか。私は、官吏という存在をよく知らない。
難しい試験を合格したり、親のコネで入ったりする比較的安定した仕事だということだけだ。
――リナリナの婚約者も官吏だったと言っていたか。
聞いてしまいたい気持ちをぐっとおさえて、微笑みかける。
「では早くフィリップ兄様から仕事を取り上げるために治さなくてはなりませんね」
「そうだね。……また、童話で寝かしつけるつもりか?」
「いいえ。早く治すには医師や清族の言葉をしっかりと聞くのが一番だと思います。あれは兄様が眠れないようだったので……」
ありがとうと滑らかに言われて手を振る。大層なことはしていないのに、兄様にありがとうと言われるべきじゃない。
「そういえば、カルディアはヴィクターとも交流があるのだったか。お前のようにかわいい子だ、惚れられたのかな?」
「そ、そんなことはありません。レオン兄様はからかうのがお上手ですね」
兄様だって、ラサンドル派は去勢していることは知っているはずだ。
そもそも、あのヴィクターが色事を考えるなんて誰も思わないはずだ。あんなに何を考えているのか分からないやつなのだから。
「からかってなどいないが。かわいいだろう?」
真顔で言うのだから、性質が悪い。
「そ、そんなことよりも。ここにはレオン兄様だけなのですか? 義姉様は?」
「ああ、マジョリカか」
マジョリカ義姉様。レオン兄様の奥方だ。今はなき、公国の公女様。公国は隣国アルジュナの大公が領主しとして君臨していた小国だ。大戦中にアルジュナを裏切り、ライドルと同盟を結んで、ライドルの領土となった。
その後、いろいろあり、大公は亡くなって今は宰相の領地――リストの兄、クロードが治める土地になっている。
同盟を強固なものとするために行われた政略結婚だが、王族ならばたびたび行われてきたことだ。
幸い、レオン兄様は大戦が終わったからと言って用なしだと捨てる畜生のような王子ではない。
子がいないという問題はあるというが、社交界に揃って顔を出す姿は好一対の夫婦だと評判が高く、市中での人気も王族のなかではいいほうだという。
そんな二人が一緒にいないと思うとなんだか間違ったことが起っているようでむずむずとしてしまう。
「別に仲が悪いというわけではない。彼女も王宮にいるのだから、すぐに会いに来れる。ただ、フィリップがな」
「フィリップ兄様が?」
「あの子をマジョリカは怖がっているから。噂ぐらいならば、聞いたことがあるだろう? 私と彼女の初夜をフィリップが邪魔をしたと」
「は、はい」
苦虫を噛み潰すような顔をして、レオン兄様は羊の肉を口に頬張った。
「あれは本当のことだ。だから、マジョリカはフィリップを極力避けているのだろう。王宮の自室に閉じこもっているという話だ」
「そ、そうなのですか……」
「折角だ、時間があれば顔を見せにいってあげてはくれないか? 部屋に引きこもるのも、飽きてきた頃合いだろうから」
私が会いに行って慰めになるかは疑問だ。だが、そうレオン兄様に言われては断れない。
「分かりました。時間を見つけてご挨拶に。……ですが、レオン兄様お一人ではお寂しくないですか? どなたか、お呼びした方がよろしいのでは?」
レオン兄様が懇意にしている貴族の名前を記憶から呼び起こす。
レオン兄様と歳が同じで身分か財力がつり合っているとしたら、ゾイデックの隣バンクォーツ伯爵家のアステリオか、幼馴染みでもあるタイラー卿か。どちらも、レオン兄様がよく狩りに誘う友人だ。
貴族らしく高潔だが、気の良い人達だ。レオン兄様が声をかければ王都にとどまっていただろう。
「いや、いいよ。社交シーズンは終わりだ。無理に付き合わせることもない」
「ですが……」
「それに案外、一人というのも楽しいものだ。この離宮に来るとは思わなかったが」
「兄様がここを選んだのではないのですか?」
そうでなければ、こんな過去の遺物が日の目を見ることはなかったのではないだろうか。手入れだけされ、ひっそりと建っている亡霊の影。
「違う、陛下より勧められたんだ。王宮では何かと不便だろうからと」
「ま、待ってください。父王様が、ここを?」
どうしてこの離宮を使わせたのだろう。何か意図があるに違いない。優しさで勧められたのだとはレオン兄様も思っていないようだ。
「王宮で変わったことはなかったか? 何か、見聞きしたならば教えて欲しい」
「フィリップ兄様がロバーツ卿を呼んで疫病対策の話をしていらっしゃいました。あと、クロードも。私とリスト、あとサガル兄様も呼ばれていたと思います。サガル兄様は結局いらっしゃらなかったようですが。あとは……」
王宮であったこと、見聞きしたこと。そんなにないはずだ。けれど、そうだ。
「ノアがいました。とても怒っているようでしたが……」
ノアはマフィアの粛清の許可を貰いに来たはずだ。だが、あの怒りようだった。許可は貰えなかったということ?
レオン兄様の顔色が変わった。
「ノアが、怒っていた? ノア・ゾイデックが?」
「は、はい」
使用人を呼びつけて、耳打ちをする。頷いた使用人の姿を見送って、レオン兄様が私に向き直った。
「すまない、カルディア。そこにいる護衛に尋ねて欲しい。トヴァイス・イーストンはまだ王都にいるか、と」
どうしてイルに尋ねるのかと疑問に思いながら振り返る。
口を開いたのはリュウだった。レオン兄様も、リュウを見つめていた。
「言うまでもないことだとは存じますが、イーストン辺境伯は数日前に王都から出られました。そして今朝、屋敷にいる全ての使用人達が、急ぎ王都をたったとのことです」
「ここで食べている暇はなくなった。カルディア、お前はここにいなさい。王都に戻ることを禁じる」
「ど、どうしてですか?」
なぜ、こんなにレオン兄様は反応しているのだろうか。
ノアが怒っていると知っただけで?
レオン兄様が、なにかを知っているからか。勿論、兄様は私よりも政治に詳しいだろう。けれど、ノアのことを私よりも知っているのだろうか。
――違う。この傲りこそが、目を曇らせているのでは?
トヴァイス・イーストンが、そして使用人達が急ぎ王都から離れたのはそうする意味があったからだろう。
それは、何故?
「王都で、何かが起こる?」
ノア達は『カリオストロ』を炙り出していた。
反女神の組織を狩っていた。学校での防衛戦にも加勢をしてくれた。
報復の意味が大きかった。ノアを酷い目に合わせた。だが、それだけではないはずだ。『カリオストロ』を壊滅させることで、国王への手土産にしたはず。
王都は綺麗にしたのだと恩を売っていたのだ。私を助けたのもその一環なのかもしれない。
けれど、ノアは報いられることがなかった。少なくも、満足いく結果にはならなかった。
次になにが起こる?
私は、それを知っているはずだ。
近衛兵のルークが慌てた様子で部屋の中に入ってきた。ぴりりと緊張が走る。
彼の頬からは汗が止まらなく流れていた。王宮から走ってやって来たのかもしれない。息が乱れているのに、落ち着かせる余裕もないようだった。
「殿下、ロバーツ卿が」
その言葉で全てが繋がった気がした。
「ロバーツ卿の屋敷が襲撃されたとのことです。まだ、ロバーツ卿の安否は不明です」
「……ノア・ゾイデックをここに。話をしたい」
ルークが大きく息を吸って、走り去っていく。
レオン兄様は使用人達に出迎えの整えるように命令した。
彼自身も着替えるためにおぼつかない足取りで部屋を移動していく。残されたのは、私とイルとリュウだ。
リュウはにやにやとしてレオン兄様が残した朝食を指ですくった。
「さあて、どうなるかなぁ?」
「……ノアが、ロバーツ卿を?」
「さあ?」
楽しむように指を咥えた。
何もかも知っている風で苛々してくる。
このために、リュウはずっと側にいたのだろうか。ノアを見てこの結果がわかっていたから?
学校に戻るならばついてこなかったのではないだろうか。王都に戻ったから、巻き込まれる可能性を考慮して側にいた。
ここにいるのも、ノアの報復が誰に向かうかまだ分からないからいるのではないか?
ノアが私を傷つける。そんなことはないと思いたいが、私がそう思っているだけだ。可能性はある。だから、側についていた。
食欲がなくなって、怒りのような、無力さを憤るような、よくわからない感情が溢れてくる。
イルが戸惑ったようにどうしましょうか? と尋ねてきた。
どうしたらいいのか、私も誰かにききたくなった。
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