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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む話をまとめよう。
ユリウスが語ったことを本当だとするならば、この世界と、あいつの世界は別だ。
あいつの世界では私ははなおとめと呼ばれていて聖塔のなかにいる。
付き従うのは盗賊という男とヴィクター。
こちらのヴィクター・フォン・ロドリゲスと同一人物かは疑問だが、天帝を信仰していると言っていた。何かしらの関係があるかもしれない。
ユリウスの帝国が勝ち、ライドルは属国となった。王族を処刑し、私も暗殺された。
しかし、帝国で疫病が流行り始め、天変地異で人々は死んでいった。無惨な状況は加速し、止められなかった。人々は死に絶えた。
残ったあいつはあの四角い箱に入ってーーおそらく、死んだ。
「大神の背の文字が書き換わったんだわ。だから、世界が歪んだ」
そんなことをエルシュオンとユリウス達が言っていたはずだ。虫食いがあって、文字が潰れると世界が変わると。
その世界に迷い込んだのか?
何かが書き変わり、終わってしまった世界。雨が降り注ぎ、人間が殺し合った魔境。
頭の花を触る。これが現れてから踏んだり蹴ったりだ。
あれは夢だったのだ。そう断じたい気持ちでいっぱいだ。だが、確かにあの場にいたという名残がある。自分の中で踏ん切りをつけておかなければ先に進めない。
――だいたい、なんだって私が目をくり抜かれて、口を縫われる羽目になっているんだ。
ヴィクターがこぼしていたという神降しについてもきちんと考えたい。
一つずつ潰していきたい。まず、何が書き換わったかだ。
「……気になるのは女神信仰じゃなくなっている点よね」
清族が戦いに参加せず、王族と対立していると言っていた。そして、清族が信奉しているのは天帝のようだった。
つまり、女神がいない、あるいは国教ではなくなっている。そう思えば、私がカルディアという名前ではなかったのも納得がいく。カルディアは女神の名前だからだ。
イーストンの聖域から早馬が駆けて、カルディアという名前が与えられた。
女神のいない世界だと、そもそも名前を与える場所がない。だから、カルディアではない。
「そうだとして、私の名前がはなおとめであることは変わらないのよね? ……ん?」
何か引っ掛かったが、今は違和感があっただけで何が引っ掛かったのか形にはならなかった。
聖塔は神に選ばれた子が入るものとユリウスは言っていたはず。私は天帝に選ばれたのか?
ならば、私を抱えていたという盗賊も選ばれた?
あそこには天帝に選ばれたものしかいなかった?
ならば、神降しという言葉も聖塔にいた人間に関係あるのか?
盗賊のせいで、私は酷い目にあった。そんなことを言っていたはずだ。
何か罪を犯したのか?
あるいは彼を庇って何かをした?
そもそも、盗賊とは誰のことだろう。……まさか、空賊の誰かということじゃないよな?
私を殺したというエヴァ・ロレンソンも気になる。なんで、その名前がここで出てくる?
三百年ほど前の人間の名前だぞ。
それともこっちの世界とあっちの世界では時間が少し異なるのか。
三百年前と今とがごちゃ混ぜになっている?
あるいはーー人間の寿命自体が違うのか?
「帝国はライドルに勝利した。帝国は食糧難だった? あるいは人がいすぎた? だから、土地を求めた。けれど、疾病に天変地異が起こって、それどころじゃなくなった。――少し、今のライドルで起こっていることと似ている?」
だとしたら、この世界も滅ぶのか?
いや、これは飛躍し過ぎだ。似通っているからと関連付けをしているだけだ。同じだとはまだ断定できない。
そもそも、帝国がどこだか、見当がつかない。
「馬鹿な皇帝が血を求めてもいないし、この世界とは全然違う。……そうだ、そもそも姿見が私達と変わらなかった。ならば、寿命が長いというわけではない?」
少なくとも、ユリウスは普通の人間だった。『カリオストロ』のように、異形ではなかった。じゃあ、やはり時系列がぐちゃぐちゃになっているのか?
駄目だ、一つずつ潰していきたいのに、ばらまかれた謎に、何もできない。
遠くから何か見える気がするのに、近過ぎて見えない。そんな気がする。
「ああ、もう! 質問出来ていたら違ったでしょうに。これじゃあ、納得がいかないわ」
何か、手がかりはないのか。何でもいい。とっかかりのようなものが欲しい。
ユリウスは死に神の信者だった。
死に神の信者は勿論こちらにもいるが、稀で主流ではない。ラサンドル派よりもなお数が少ないはず。
ユリウスは声が聞こえると言っていなかったか。そして、他の者には聞こえないと示唆していなかった?
こちらの世界のヴィクターが、あちらの世界でも天帝を崇拝していると仮定するならば、こちらの世界とあちらの世界で、根本的なものは変わらないのではないだろうか。
ならば、こちらのユリウスーーヨハンが倒したユリウスも同じく死に神の信者だった?
死に神の眷属であるイヴァンは死んでなお、死に神の眷属として存在を保っていられたようだった。
死に神に付き従うものは、死してなお、死んだ記憶を保ったまま動き回ることが出来るのではないだろうか。だから、亡霊のユリウスは死んでいるのにまだ存在し続けられる。
亡霊ユリウスも言っていた。最期は皆、水に沈む。
あいつがそれを知っていたのは、死に神の信者だったからなのでは?
一定の仮説は成り立つけれど、憶測の域を出ない。
花を触る。これは、大神の寵愛の証だと言っていた。
大神に会ったときなぜか懐かしさを覚えた。そして、寂しさも。だが、会った覚えはなかった。
髪も瞳も真っ赤で――血のようだった。
リストに面差しが似ていた気がするが、髪と目の色が似ていたからだと思う。だからそんな勘違いをした。懐かしさもリストの顔と似ていたから起こった錯覚なのかもしれない。
……どうして、会ったこともない神様に寵愛されなくてはならないんだ。
天帝のことだってそうだ。突然、金を空から降らせるなんてどうかしている。私のものだと言っていたヴィクターのことも信じられない。
私ではないもののおこぼれを貰っている。しかもそのおこぼれは強烈で、自我がぐちゃぐちゃになりそうな危険を孕んでいる。与えられるべき人間に返したい。そうすれば、こんなことで悩まずに済む。
これを貰うべき人間は誰だったのだろう。
リナリナだったのではないか。そんな狂った想いが頭を過った。
私にはとても無理だ。こんなこと、もう知りたくない。覚えていたくない。おかしくなりそうだ。何もかも、分からなくなりそう。リナリナに押し付けたい。けれど、彼女は死んでしまっている。
死者に擦り付けたくてたまらない自分が恥ずかしい。
「カルディア姫?」
顔を上げるとイルが驚いた様子で、羽織っていた服を差し出してきた。
「……イル?」
顔の輪郭をなぞって、ああこれはイルだと再認識する。眼鏡と気難しそうな顔。こいつがいると思うとこの離宮にいるのに、息がしやすくなる。
服を受け取り、上に羽織る。肌にあたる布が温かい。
「探しましたよ。……どうしてこんなところに? 誰かに虐められたんですか」
口調は軽いのに、視線は鋭かった。
全身濡れていたからだろう。そんなことはされていないと首を振る。
「お前こそどうやってここに入ったのよ。入れてくれなかったでしょう?」
「そりゃあ、勝手に入ったに決まっていますよ。俺はどこにでも入れるので。……本当に大丈夫ですか? なんだか、凄くやつれていますけど」
羽織っただけなのに、服はじゅっくりと濡れていく。
こんなに濡れていたのか。絞ったら無限に出てきそうなほどじゅくじゅくだ。
「イル、この世界が滅ぶとしたら、どうする?」
「……王族同士が会うと世界崩壊の話題になるんですか?」
「そうじゃなくて……。悪い夢を見て」
「世界が終わる夢ですか? ……そんな夢、気にしないでいいと思いますけど。あー、でも姫はたまに夢見するんですっけ」
頭を掻いて、イルは神妙な顔をした。
「とりあえず、ギスラン様と貴女を生かす方法を考えますね」
「……自分のではなく?」
「俺が生き残っても仕方がないですから。それより、貴女達のことですね」
「もし、ギスランも私も先に死んでいたらどうするの?」
「そりゃあ、まあ、決まっていますよ」
イルは続きを言わなかった。言わずとも分かるでしょう? そう言いたげだった。
「まあ、結局は夢。あんまり思い悩まないほうがいいと思いますけど。……それより、その体をなんとかして下さい。ここって風呂場とかあるんですか?」
「あるわ、豪華なのが」
「なら、まずは体を温めないと。貴女が風邪をひいたら、ギスラン様に殺されます」
ぴっぱり上げられると、私達に気がついた使用人達が走って来た。イルのことを説明しつつ、お風呂の準備をして貰う。
用意が出来た頃、いつの間にか、リュウがやって来てぐちぐちと文句を言われた。
こいつどさくさに紛れて侵入したな。
呆れながら聞き流し、服を脱ぐ。流石に二人とも脱衣所にはついて来ない。
脱衣所には、毛足の長い花と天帝の話を模した立派な絨毯があり、新鮮な果物まで準備されていた。脱ぎ捨てた服を使用人に渡して、浴室へ向かう。
大理石でできた浴槽は私は入っても十分に余裕がある。こういう浴槽は何人入れるように設計されているのだろうといつも疑問に思う。
お湯を顔にかける。白く、甘い。山羊の乳を混ぜているのかもしれない。
流石、レオン兄様がいる離宮だ。徹底されている。
母もこうやって、慈しまれたのだろうか。大勢の使用人達が、彼女のために働いて心を配った?
母がどんな扱いを受けていたのか、実は良く知らなかった。
そもそも、どうして妹が嫁いだ男と懇ろになったのか、知らない。ザルゴ公爵のことが好きだったのは間違いないはずだが、どうやってその恋心を諦めて妾の地位になったのか。
母という存在は、私のなかであやふやなものになってしまった。そのままあやふやなままにしておきたかった。
「夢だから、思い悩むな、か」
イルのいうことは最もだ。気にしていても仕方がない。夢に気を取られて現実を疎かにしてどうする。幸い、私は目を抉り取られていないし、口も縫われていない。びしょ濡れで徘徊していたぐらいで実害は少ない。
扉を開く音がする。侍女が香油を塗りに来たのか。あまり突き放さないように断らなくては。
だが、気負う心はすぐに消えていった。湯気の合間から、男の体が見えたからだ。恐ろしいことに裸だ。体を反対にして頭を抱える。どうして。
ちゃぷんと水の中に入って来た音がした。水の波が広がり、体にあたる。
「フィリップ兄様!」
「なんだ、気が付いていた?」
「レオン兄様でないのならば、ここに来れるのは兄様以外ありえないと思って」
浴槽の隅に移動しながら叫ぶ。
振り返れない。振り返ったら、裸体の兄がいる。私も、フィリップ兄様もまだ未婚だ。いくらフィリップ兄様が私を嫌っていて興味がないだろうからといって水着でもないのに一緒に入るのは駄目だろう。
だが、今出るとなったら私がフィリップ兄様の前を通ることになるのか?
頭が茹だりそうだ。こんなこと、あっていいのだろうか。
「どこに行っていた? 起きたらいなかった」
「藤の花を見ていました。あの花を、バルカス公爵の領で見たことがあったので」
「懐かしんでいたと? ……叔父様が、植えに来たらしい。妹の無聊が慰められるようにと」
「そうなのですか」
フィリップ兄様の声は少しだけ意地悪な感じが混じっていた。
「慰めるくらいならば、拐いに来てくれればよかったのに。そうすれば、何もかも丸く収まったかもしれない」
この離宮は、妾のために作られた。国王は懐妊が分かり、自室の隣に住まわせるようになった。だから、それからは使われなくなった。
その前に、バルカス領に戻っていたら、王族同士の殺し殺されのような醜聞を作らずにいられたのかもしれない。だが、それは、結局もしもの話だ。意味がない世迷言だ。
「……花を見ていてずぶ濡れに? 不思議なことだ」
「……不思議、ですね」
「レオン兄上もマイク兄上も、おまえには不思議な力があると言う。清族のような夢見の力。その力のせいで国王陛下から排斥さ疎まれてしまったと。本当だと思う?」
どう答えるのが正解なのだろうか。ないというべきなのか、あるというべきなのか。
口をつぐんでいると、沈黙を埋めるようにフィリップ兄様の声がした。
「馬鹿馬鹿しいよ、陛下も、兄上達も、何を考えているんだか。おまえにそんな力があったら、もっと政治に役立てればいいのに。遠ざけたり、心配したり。まるで赤子を見守る親のようだ。取り扱いが難しいと遠巻きにしている」
「……兄様は、役立てるべきだと思われるの?」
「当たり前だ。清族の力と変わりない。あるならば、使うべきだ。夢見の力がどういうものかというのは知らないけれど」
「――力なんてありません」
誤魔化すと決めた。
そもそも、フィリップ兄様に言ったところでどうしようもない。
これは政治に利用できない力だ。あるだけ無駄な、不必要なものだ。
それとも、ずぶぬれになったのは夢見のせいだと打ち明けてみるか?
鼻で笑われて終わりだろう。大魔術師のユリウスが世界を滅ぼしたなんて、誰が信じる?
それをじっと見ていただなんて。
「そんな力はありません」
「……実は嘘を言った。ぼくは兄上達が慮る理由を類推出来る。あの人達は恐れているんだ。だから、何も考えないように蓋をして、見ないように布をかけて目隠しをする」
「何のことですか?」
突然、湯気の中から手が現れてがっちり頬を掴まれた。むにむにと弄ばれる。
「な、なんですか?」
「馬鹿な顔をしているなって」
「フィリップ兄様!」
「あはは、そう。おまえはそうやってぼくに弄られて一生を終えるといいよ」
じりじりと近付いてくるフィリップ兄様から逃げ回る。兄様はそれを笑いながら追いかけてきた。
意地悪が過ぎる!
風呂から上がる頃には湯当たりを起こしてフィリップ兄様に担ぎ上げられる形になってしまった。頭の芯からぼやけている。力も入らないし、指先を動かすのすら怠い。
侍女達が慌ててフィリップ兄様の間に入って、私をタオルで包む。
恥ずかしいとすらだんだん感じなくなってきた。風呂場なのだから、仕方がない。
フィリップ兄様も、侍女達に裸体を見られても何も気にしていないようだ。早く服を着させろと横柄に命令している。
そもそも、裸体を晒していることを気にする必要もない、と言わんばかりだった。
しばらく休憩をして、ドレスを着込む。先に着替えていたフィリップ兄様とともに出るとレオン兄様が扉を開けてすぐの椅子に腰掛けていた。
「レオン兄上も来られていたならば混ざればよかったのに」
「馬鹿を言うんじゃない。……カルディア、何もされていないようだね。だが、フィリップを前に無防備な姿を見せてはいけない。湯当たりを起こしてしまう前に出なくては駄目だ」
「は、はい」
しっかり叱られ、恐縮していると、肩に手を置かれた。
「ディアと仲が良さそうだからと嫉妬されているのですか?」
「……どうしたらそんな奇天烈な飛躍が出来るんだ? ただ、妹を案じている」
「素敵な兄妹愛ですね。実はおれも兄上の弟なのですが」
「はあ……。ほら、おいで、フィリップ」
手を広げたレオン兄様に嬉々としてフィリップ兄様が抱き着いた。
「ほら、もっと首の裏を撫でると喜びますよ!」
「猫……?」
「にゃーん。ほらほら、もっと愛でてください」
「こら、体重をこちらにかけるな。重いよ。……カルディアもおいで」
笑って、レオン兄様が手招く。ちびちび近寄り、レオン兄様の隣に腰かける。
フィリップ兄様が膝の上に頭を乗せてきた。髪を押し付けて、本物の猫のように甘えてきた。
「お前が甘えてどうするんだ」
「おれの天国なので、問題はないです」
フィリップ兄様の手が額をゆっくりと撫でた。
驚いて見下ろすと、にやりと笑っている。
「あはは、本当に天国みたいだ。あと五人足りないけど」
「五人ですか?」
答えのかわりに頬を伸ばされた。ふふと上機嫌にフィリップ兄様が笑っている。
「ああ、いい気持ちだ。兄上、もっとフィリップを撫でて甘やかして下さい」
「これ以上か?」
レオン兄様も堪えきれないというように笑みをこぼす。
「勿論です。おれのことを愛でると兄上の幸福度も上がりますよ」
馬鹿なことをとレオン兄様がフィリップ兄様を小突いている。幸せな兄弟の触れ合いに、参加している。
心が痺れるようだった。
――ここにいていいのだろうか。
顔がにやける。そんな私を見て、兄様達がまた笑った。
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