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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む顔を触る。けれど、どんな表情を浮かべているなんて自分では分からない。
ディア。
苛立ちを含んだ声が響く。身を縮こまらせて、フィリップ兄様を恐々と見上げる。
「何か言いたげだ。何か言いたいことがある?」
うまく質問が言葉にならない。何度も唾を飲み込んで言葉を探す。けれど、探せば探すほどどこかに消えていってしまう。
「ざ、ザルゴ公爵は……」
「今、ここでザルゴ公爵のことを尋ねるのか? 亡霊に興味がある?」
「で、ですが、フィリップ兄様の言葉が確かならば、ザルゴ公爵が蘇ったことになります」
「死人は蘇らない」
きっぱりと断言される。
「墓を掘り返して確認させたが、ザルゴ公爵は確かに死んでいた」
「で、ではフィリップ兄様は幻影を見られたと? でも、言葉はあたっていたのではないのですか。フィリップ兄様が、ザルゴ公爵をはめたというのは本当のことなのですよね?」
「――さて。まあ、隠しても仕方がないことか。はめたよ。あれほど苛烈な殺戮が行われるとは本当に思っていなかったが。……おれはトデルフィ公爵家に長らく仕えていた使用人に話を聞いたことがある。根っからの偏屈で、病を患って気鬱が激しくなり、家族に捨て置かれた老人だった。おれのことも息子が孫かと思っているようだったな」
「……使用人に」
「ああ、彼曰く、元々大旦那様時代にザルゴ公爵はいたらしい」
……?
どういうことだ。大旦那様?
「三代前――いや、もう四代前になるのか。ザルゴ公爵の祖父にあたる人物の時代だ。その時から、トデルフィ邸にザルゴ公爵はいたらしい。当時の名前は、違ったらしいが。確か、カリオストロ・バロックを名乗っていたと言っていた。だが、それも世話になった魔術師の名前を借りていると言っていたらしいが」
カリオストロ!?
『カリオストロ』そう名乗っていたのか、あの男。
唸りたくなる。やはり、この世界でも『カリオストロ』は存在するのだ。
……人の名前を借りているとザルゴ公爵が言ったというのは気になる話だが。
「名前ばかりか、顔まで変わったというのは流石に耄碌した爺の戯言だとは思うけれど。だが、確かにザルゴ・トデルフィはカリオストロ・バロックと名乗っていた時期があった。すくなくともその名前があったことを公的文書で確認している。バロック家のものが証明している書類も存在した」
「公的書類、ですか」
「裁判の記録が残っていたんだ。彼は証人として、証言した。その時に身分証明をさせたらしい」
「何の裁判なんですか」
「切り裂き魔の事件だ。当時、王都を震撼の渦に陥れていた。女の腹ばかりを裂く異常者だ。子宮を取り出し煮込んで食べていたのではと噂されるほどの残忍な殺人鬼。警察の調べは後手にまわり、関係のない貧民や平民が牢屋に入れられて死んだ。その事件の証人だった」
……聞いたこともない事件だ。こちらの世界にのみあることなのか?
「ザルゴ・トデルフィはもしかしたら、ユリウスのように異国の民なのかもしれないと、おれは予想した。ユリウスは長い年月を生きる獣だ。おれとは全く寿命が違う怪物だ。ザルゴ公爵というのもそういう人ならざる生物かではないか、とおれは考えた。それが突然、トデルフィ家に入り込み、貴族の仮面を被り始めた」
ザルゴ公爵は、カリオストロと元々名乗っていて、あるときザルゴ・トデルフィとして名前を変え、身分を得たということだろうか。だが、そうだとしたら、歳の変わらないザルゴ公爵のことを誰も気にしなかったのだろうか。
いや、待て。どうして、姿を自由自在に変えられないと思った?
私はニコラに背の皮の話を聞いたはずだ。背の皮は宿主を変えていくと。つまりそれは、顔を変えるということに他ならないのでは? 他人に、寄生するのだから。
「人の手に負えるような相手ではないかもしれないと思ったのは事実だ。だからこそおれはルコリス家の跡取りがあの男を探っていると思わせれる工作を行った。――ルコリス家に対して、何か特別な感情があるのではないかという予感もあった」
「予感、ですか?」
「勘のようなものだけど。ルコリス家とトデルフィ家は元々、仲の悪い家々だったが、ザルゴ公爵が表に出るようになり、関係は良好となった」
「……? それは良いことのように思いますが」
というか仲が悪かったのか? ルコリス家は大四公爵家とはいかないものの、それなりに歴史のある家柄だ。
仲が悪いという印象はあまりない。まあ、社交界に私がそれほど聡いわけでもないから、印象の話にはなってしまうのだけど。
「そうだな、確かに良いことだ。けれど、なぜそうする? おかしなことだ。トデルフィがルコリスと仲良くしても特別うまみはない。そもそも、あの家は反王家側。理知であるからこそ、その存在を許されているが、トデルフィが仲を良好にしては痛くもない腹を探られかねない。……そのことに、カナン・ルコリスも気が付いていたようだった」
「カナン? あの、三つ子の末の子ですか。新聞社を作って、記者をやっている」
「何を言っている。あれはルコリス家の跡取りになっただろう。次男を蹴飛ばして、跡目を継いだ」
「……は?」
あのカナン・ルコリスが? そんな野心があるような奴だっただろうか。……分からない。少なくとも、そんな奴ではなかったはずだけれど。
「あれは聡い。それでいて、賢明だった。レオン兄上に隠れて、ザルゴ公爵を探っていたおれにまるで助言するように言葉を落とすこともあった。――ふふ、おれが殺したかったのは、ルコリスの末子だったけれど、あいつは決して殺されなかった。おれなんかよりも、ザルゴ公爵の秘密に気がついていただろうに」
「秘密?」
「あの男、何かを探しているようだった。正しくは、誰かを、だが」
探していた? あぁ、そういえばいつかそんな話を聞いたことがある。死んだ人を探していると。死ぬ前に、また会おうと約束したのだと。あれは、本人から聞いた言葉ではなかっただろうか。
「探しているのは女のようだったが、名前が思い出せないらしい。滑稽なことだ。女を愛して捨てる。違う、これではないとおもちゃのように扱う。女が狂い、男が妬む。愛憎を向けられても、あの男は一向だにしない。ルコリスは誰のことだか、あたりをつけていたようだった。あの男が誰に恋していたのかなんて知りたくもないけれど」
「そ、それが秘密なのですか」
フィリップ兄様はふと一瞬、真顔になって、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ、秘密だ。あの男は、恋に狂った。それさえあればつけ込める。実際、死んだだろう。あの男の恋は、それだけ深掘りされたくないものだった。墓を掘り返せば、ザルゴ公爵の骸がある。――恋なんて。ふふふ、馬鹿らしい。脳が見せる夢だ。性欲よりも悍ましい感情だ。愛ならばおれにも分かるが、恋などに縋るだなんて」
「貴方は」
今まで大人しく話を聞いていたフィガロが厳かに口を開いたと。
「性欲しか知らないというのに、嘲笑う権利があるのか」
時が止まったような気分になった。
この男、何と言った? 性欲?
「口を開いたと思ったら、おれへと中傷とは恐れ入る。どうしたんだ、フィガロ。いやに刺々しい」
「――本当のことを言っているつもりだが、違った?」
「もっと直接的に言われたいのか。不敬だ。首を、落としてしまうよ」
怒気を孕んだ声に、フィガロは取り合わなかった。まるで軽口を相手にするように流した。
「家族愛など貴方にはない。獣にもあるものを、取りこぼしてしまった」
「おれを責めているのか、聖職者崩れが? お前におれを責められるのか。捨て子が、女神に選ばれて偉そうな顔をしようとするなんて。王族のおれに講説を垂れるのか? どれほど、偉いという? その聖痕があれば、血など関係ないと? なあ、聞かせてくれ。どれほどなんだ?」
「女神に選ばれていようといまいと関係はない。貴方は、人を殺したと罪を告白した。だというのに、罪の意識など感じていないようだ。兄を殺したと、ほかの人間をはめたのだと、誇っている。俺はそのような人非人に敬意を払うほど出来た人間じゃない」
謁見室内に殺気が広がった。一触即発というか、二人の間にはもはや修復不可能な亀裂が入っているように見えた。どうにかしなくてはと頭を働かせる。
フィガロはそもそも、イーストン領で聖人として過ごしていた。罪深い告白に、嫌悪感があってもおかしくない。そもそも私自身、フィリップ兄様の言葉に気持ち悪さを感じている。というか、誰が受け止めきれるだろう。兄を殺して、他の人間を巻き込んで殺して、国王になった。それを臆面もなく、こんな場所で口にする兄様を。
フィリップ兄様が怖い。本当は、怖くてたまらない。考えないようにしていたことが頭の中で増殖していく。恐怖で、腹の中が満たされていく。足元から、ガタガタと体が揺れ始めた。これは、やばい。
自覚しなければよかったのに、今更ながら、自覚してしまった。この人は、マイク兄様の首を絞めて殺した。レオン兄様を毒で殺した。
人殺しが目の前にいる。
嗚咽を漏らす。胃液がせりあがって、吐きそうになる。喉も、内臓も、熱い。
――信じられない。嘘だ。嘘だ。
誰かの声がした。けれど、誰も声を上げていない。そもそも、声が高かった。まるで、私の声。
「陛下がギスラン・ロイスターを殺したの?」
何を。何を口走っている?
――ギスランを殺したんだ。毒殺した。どうして気がつかなかった。レオン兄様も、マイク兄様もこの悪魔が殺した。ならば、あり得る話だ。やっと、見つけた。やっと!
どうして、そうなる。ギスランを殺した? フィリップ兄様が? そんなこと、誰も言っていない。
頭がぐちゃぐちゃだ。誰かが、私の頭の中にいる。いや、ずっといた?
足が勝手に動く。まるで、操られているみたいだった。
自分の足に引っかかって、転びそうになる。
鬱陶しくなって靴を脱いだ。フィリップ兄様が座る王座へ急ぐ。
後ろから、フィガロのーー兄様の手が迫ってきた。触らないで! 喉が引き裂かれるような声で叫ぶ。これは、本当に自分が出している声なのか?
「陛下、どうしてギスランを殺したの。どうして」
重たいドレスを必死にさばきながら、王座をかけあがる。ドレスの裾を踏んで、転がった。膝が痛い。それでも、フィリップ兄様の足に縋りついた。奇妙な目で、兄様が見つめている。
――兄様? 違う、陛下だ。国王陛下。どうして、そう呼ばない?
レオン兄様も、マイク兄様も随分前に死んでしまった。サガルは、化物になって、言葉だってろくに分からなくなった。誰の不幸も私のせいにされた。呪われた王女様。婚約者の次は、肉親を。その次は夫を呪い殺す? ああ、恐ろしい。悍ましい女。
はやく、復讐を果たさないと。はやく、あいつに謝らないと。
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だって、そうでもしないと生きていけない。
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あいつは、私を呼ぶ。私もギスランと名前を呼ぶ。ぶっきらぼうに。照れ臭くて、子供みたいに顔をそらす。
――私が、かわりに死ねばよかったのに。そうしたら、何もかも幸せだっただろうに。
「何を言っている。お前がギスランを殺しただろうに」
緊張の糸が、ぷつりと切れた。
私は、そのままずるずると、足首にまでずれ落ちる。フィリップ兄様が私の頭を踏んだ。
「おれを殺そうとしたのか?」
みしりと、頭蓋が悲鳴をあげた。
「殺そうとしたな?」
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