どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「死期が迫ると、死んだ人間が挨拶に来るものかと思った。無視していればいずれ消える亡霊。ザルゴ公爵は、おれに話しかけてきた。相槌など最初から求めていないような、そんな様子だった」

 ザルゴ公爵……! 死んだということは、ザルゴ公爵が銃を乱射して殺された後ということか。
 さっき大四公爵家は自滅していったと言っていたから、そうかもしれないとは思っていたが、本当にそうらしい。

「『レオンに思う通り操られて、楽しい? お前が気がついていないとは思ってはいないがーーいや、気がついていないフリを? 面白いな、フィリップ王子。才人でも、情に陥落するもの?』なんて、嬉々として問いかけてきた。その癖、こっちの話を聞こうともしない」

 暗い牢屋の中。その男は真っ白な顔をして、笑いながら問いかけてきたらしい。

「ねえ、フィリップ王子。おれを嵌めたお前に、一定の敬意を評しているんだよ」
「嵌めてなどいない。勘違いで祟って出てくるな。勝手にルコルス家の長兄を撃ち殺しただけだろう」
「いやはや嘘ばかり。おれのことを調べ上げ、細工をしただろう? ルコルス家のあの長兄がおれを探っていると思わせた」
「……知らないが。そうだとして、まさか会議中に怒鳴り散らしながら、人を殺すとは思わないだろう。あれには驚いた。クロードが制圧しなければ、どうなっていたことか」
「――ああ、それも嘘だな。賢い王子。クロードとカルディアをくっつけさせたいのだろう? あの日、ルコルス家の長兄を、クロードの隣に据えた。普通ならばありえない話だ。貴族と王族が隣同士などと。クロードは日和見だが、自分の命が危うくされたら本気を出す。何か功績を上げさせたかったのか。リストにカルディアをやりたくなかった? さて、何故か。――あいつが王族の血を引いていないせいか?」

 フィリップ兄様は肩を竦めた。否定も肯定もしなかったらしい。

「まあ、いい。のせられたとしても、心底愉快だった。誰かが書いた脚本の役者になるのは慣れている。それに、ルコルスの長子はおれが心底憎む男と同じ声と仕草をしていた。人生で呪ったことがある男は指で数える程度なのだが、本当に、本当によく似ていた。顔さえ同じなら、きっと産まれた時に殺してしまうだろう。そう思うぐらいには。だから、殺して爽やかな気分になった」
「へえ。そういう感情がお前にもあるとは知らなかった。……本当に悪趣味だ。殺されて当然な男を、クロードはよく殺したな。だが、証拠もない戯言をずっと聞いていなくてはならないのか?」
「ふふ、それはその通り。――ただ、この物語、終わらせるには惜しい。レオンはお前が邪魔になった。だから、殺そうとしている。マイクの死体も、死体安置所に置かれていただけだ。いつでもお前を陥れられるように、保管していた」
「証拠は?」
「ない。いや、なくなったと言えばいいのか。レオンは本当に愚かな男だよ。愚物であればよかったものを、並みであるが故に傷ついてしまう。阿呆であれば救われただろうに。優秀ではないから、策を巡らせ賢しく振る舞うとする。安置所の清族は口を潰され、腕をもがれた。伝える方法などない。だから、証拠はなくなってしまった」
「ほら、やはりない」

 興奮しながら、フィリップ兄様は牢の柵を何度も指で叩いた。

「これは驚いた。まさか、それもお前が手配したのか。兄のために? 馬鹿げた話だ。なるほど、レオンの涙は半分本当で、半分嘘か。確かに、美名を求める男だものな、レオンは。誰も彼もにいい顔をしたがる。清族を傷つけろとは言わないだろう。――遠くへ飛ばすことはあっても、そこまで残虐ではないか」
「知ったような口を聞く。一つ聞きたいんだが、亡霊の口を潰すことは可能なのか?」
「難しいだろうね。そもそも、亡霊などこの世には殆どいない。死に神の眷属だけだ。――話がズレてしまった。フィリップ、お前どうしてそこまでレオンに手を貸してやる? あいつがなるよりも、お前が国王になる方が簡単だろうに。どうして玉座に座らせたがる。マイクを差し向けたのはレオンだろう」

 ――え?
 フィリップ兄様は最後まで聞いていろというように眼差しで私の言葉を閉じさせた。

「マイクはレオンを恐れながら敬っていた。怯えながら従っていた。あの子らしい。兄への忠誠心が怯懦に変わる姿は見ていて胸が痛んだがね。マイクはレオンに命じられて、お前を殺そうとした。泣き落としでもしたのかな。取り乱して見せたのかも。あるいはそのどちらもか。ーーいや、もしかしたら、レオンに唆されて遊びでクロードに飲ませた毒入り紅茶を未だに引きずっていたのかもしれない。どうであれ、マイクはお前を殺しにきた。そして、お前はマイクを殺した」
「そんな証拠は」
「証拠はない。ないさ。けれど、そうだろう? マイクはお前を殺しに来た。お前はマイクを殺した。レオンはそれを知っていて、お前に恩を売った。手助けをして欲しいと言われた? 兄を助けると思ってとでも言われたのか。重用されていたのに、どうして捨てられたかは答えが出ているだろう。お前が有能過ぎたせいだ。レオンのために働き過ぎた。レオンはお前が思う以上に無能だ。お前が一日でできることが、三日かかる。お前が一週間でなし得ることが、一か月かかる。そんな男からして、お前は劣等感を刺激される存在でしかない」

 フィリップ兄様は、牢の隅へ後ずさった。ザルゴ公爵が反対に鉄格子を掴んだ。

「フィリップ、いいのか。このまま処罰を待つばかりで。レオンのために死んでやろうと? あぁ、そうだね。きっとレオンはお前を騙しきるよ。あの子は外面だけはいいんだ。誰からも愛されたがった。尊敬して欲しがった。疎まれたり、無視されるのを恐れた。だから、最期まで、お前の前ではいい兄を演じるだろうよ」
「黙れ、亡霊に何が分かる」
「全てだ。この世の全て。ふふふ。なぁ、フィリップ。きっと、お前はレオンを殺すよ。一人も二人も殺してしまえば変わらないのだから」
「殺さない」
「殺すさ! 嫌われた王子様、ではさようなら。おれは一足先に死に抱かれることにするよ」

 ザルゴ公爵は口に銃を咥えて、不明瞭に言葉を喋ったらしい。
 フィリップ兄様には、けれど、きちんと言葉が分かった。

「おれの馬鹿で愛しい人にもよろしく伝えてくれ」

 そのまま、男は引き金を引いた。脳漿があたりに散らばった。どさりと音を立てて、男が倒れ伏す。けれど、口に咥えたままの銃は勝手にシリンダーを回し、もう一発けたたましい音を立てた。
 パン。皮膚片が、檻の中にまで飛んできた。騒ぎを聞きつけて、遠くの方から、男達の声がする。
 別れの一発というようにまたシリンダーが回った。三回目のそれで、ザルゴ公爵の顔面は判別不可能になるほど穴が空いてしまったという。

「死体は片付けられて、騒動を聞きつけて、兄上が来てくださった。酷く取り乱しておられたが、しきりにおれの心配をして下さったな。……嬉しかったなあ。兄上は本当に優しい方だった。最期まで、騙して下さった。おれに殺される時も、どうしてと震えていらっしゃったな。本当に殺される理由が分からないと言わんばかりに。――罪を知らない聖人のように、おれを面罵していた。嘆きながら、毒を口に含んで亡くなった」

 フィリップ兄様は牢屋に入れられていたはずだ。どうやって、レオン兄様を殺せる? 
 詳しい説明は、なかった。ただ、何となくフィリップ兄様とレオン兄様の立場が逆転したのだけは分かった。おそらく、マイク兄様を殺したのはレオン兄様だという証拠が出て、フィリップ兄様が受けるはずだった罰が、レオン兄様のものになったのだろう。そして、フィリップ兄様がレオン兄様を殺した。

「レオン兄上の死も、また病死とされた。国葬を執り仕切るなんて、思わなかった。おれより先に兄上達がいなくなるなんて」
「……どうして、フィリップ兄様は、レオン兄様を殺したのですか」

 口を挟んだことに対して次は何も言われなかった。思案するように目玉がぎょろりと動いて、口元に笑みが乗る。

「だって、死んで欲しかったから」
「――――」
「気に入らなかったんだ。騙し切る兄上が。ふふふ、なんだか、これはおかしい話だ。マイク兄上には最期まで手を緩めず、おれを殺して欲しかったのに。レオン兄上が騙し切ることは気に入らない? きちんと殺して欲しかったんじゃなかったのか」

 フィリップ兄様は笑い声を含ませて、上がり調子で続ける。

「最期、レオン兄上は、おれが入れられたのと同じ牢の中にいた。牢番に、自分は無罪だ。図られたのだと嘆願していたな。おれみたいに賄賂を贈って牢を抜け出すなんて、思いつきもしないと言わんばかりだった。――愚かな人だったな。でも、それを見てああ殺してやろうと思ったんだ。死ねと。苦しんで死んでくれと思った」
「それは、レオン兄様に、フィリップ兄様がはめられたから?」
「違う。……違うと、思う。ザルゴ公爵――元公爵は、おれにああ言ったけれど。おれ自身、兄上に殺される想定はしていた。肩代わりしていた兄上の仕事が滞らないように、秘書官も雇って、いつでも引き継げるようにしていた」

 胃の中が燃え上がるような痛みが走った。殺される想定をしていたと言ったか、この人は。
 淡々と、事実を述べるように、自分の死について客観的に考えていた?
 狂気の沙汰だ。じゃあこの人は、殺されることを予想して動いていたのか?

「じゃあ、おれが生きて、兄上が死んだのは何故か。それは今でも分からない。ただ殺意だけがあった。あの人のためならば死んでもいいと思っていたのに。いざ死ぬとなると、怯懦に支配されたのかな。それとも、本当に人一人殺すのと二人殺すの変わりはないのか」

 ただ、殺したことだけは事実だと言わんばかりに彼は何度も瞬きを繰り返す。
 頭の中で不協和音が響いているようだった。
 ただ、気持ちが悪い。この世界はどうなってしまったんだ。どうしてこんな恐ろしい世界で私は生きれていられたのだろう。
 ギスランも死んで、父王様も死んだ。レオン兄様も、マイク兄様も死んでいる。誰も彼も死んで、屍の上にフィリップ兄様が座っている。――いや、私もだ。クロードと結婚した私も、死んでいった人達の上でのうのうと生きている。

「わ、分かりません。兄様のことはこんなことを私に教えてどうするんですか。兄を殺したなんて、打ち明けてどうされるの」
「むしろ、どうなるんだ」
「どう?」

 そんなの、決まっている。罰をーー。
 罰? 誰が、どうやって、フィリップ兄様を裁くの。

「国王を誰かが裁けるとでも?」
「そんなの、裁判官が」
「裁けないよ、ディア。だって裁判官のほとんどは清族と平民だ。王族を裁く権利がそもそもない。貴族達でも、証拠がなければ難しい。そして、証拠なんてない。あったとしても、管理者を籠絡させて握り潰す。証人は殺して鳥の餌にでもする。権力を前に、法は言葉をなくし無力になる。人が運用すればするほど、濁りが混じって、素の素晴らしい瑕疵のない律は歪み壊れる。だれも、おれに罰を与えられない」

 フィリップ兄様は自分の指から、金の指輪を取り出す。そして、ゆっくりと掲げてみせた。

「これは、おれの部屋に落ちてたものだ。マイク兄上がいなくなった朝ーーレオン兄上がいなくなってからみつけた。内側にはレオン兄上の名前が刻まれている。……でも、レオン兄上が訪ねてきたとき、こんなもの指につけてはいなかった。むしろ、この指輪に、俺は見覚えがあった。……首を絞められたときに感じた感触だったから」

 ぞっと背筋を悪寒が走った。どうして、レオン兄様がしていなかったはずの指輪をマイク兄様がしていた?
 ザルゴ公爵の話は本当なのか。本当に、マイク兄様はレオン兄様に命じられて、フィリップ兄様を殺しに来た?
 いや、そうだとして、どうしてそれをフィリップ兄様は今も身に着けているのだろうか。マイク兄様が殺そうとした証拠、レオン兄様が関わっていた証拠になるかもしれないものを。

「おれはこれを拾って、隠した。レオン兄上は気が付いてはいない様子だったけれど。大方、使用人が運んでいるときに落としたと思っていらっしゃったんだろう。……とても、美しいものだ。純金で、これを作った職人の技が光っている。といっていたのは、レオン兄上だけど」

 輪の中を、フィリップ兄様は覗き込んだ。
 まるで、その先に過去が見えるように、遠くを見ている。

「昔、おれにも同じようにこの指輪を与えようとして下ったことがあった。あのときは気まぐれのような物言いだったけれど。……レオン兄上のものならば何でも欲しかった。巷で流行った噂話を聞いたんだ。家族が旅をするとき、互いに大切にしているものを交換する。すると、仲違いをしても仲直りが出来て、はぐれても、また再会が叶うと。……だが、所詮は、噂話だ。いや、おれが兄上に何か差し上げていたらよかったのかもしれない。でも、拾ったものは、交換とは言わないか。……そもそも、おれのものなど、持っていてくれなかっただろう」

 おれは、嫌われていたのだろうから。
 兄様が、静かにそうこぼした。

 フィリップ兄様は、指輪を大切そうに自分の指に嵌めなおした。
 混乱したし、意味がわかないと頭を掻きむしりたくなる。
 今でも愛しているとフィリップ兄様は言った。
 フィリップ兄様は殺されかかった被害者。正当防衛で、反撃してしまった加害者。今でも過去を懐かしみ、どうしてこうなったのかと悩む。自分の犯した罪の重さを憂いて、苦悩する。
 けれど、それは本当に表面的な理解で、フィリップ兄様には殺意だけがあったのではないかと考えてしまう。

 ……ずっと、思っていたことがある。
 フィリップ兄様は、本当は兄様達のことを好きではないのではないかと。
 だって、マイク兄様のことをきっと殺さないことだってできたはずだ。一瞬の戸惑いで腕から力を抜いた人だ。しかも、抵抗もなく、フィリップ兄様に殺された。殺さないという選択を取れば、話し合いが出来たのではないか。
 それに、レオン兄様だって、どこかに幽閉でよかったのに毒を飲ませたのだ。フィリップ兄様は冷徹に、二人を排除したのではないだろうか。
 ごくりと唾を飲み込む。こうやって、滔々と語っているのは、人間らしさを見せるためなのではないかと勘繰ってしまう。本当は罪の意識も、肉親を殺した絶望もなくて、達成感で満たされているのではないか。そのことがばれないように、こんなことを私に聞かせているのではないか。でも、とすぐに否定する。そんなことはない。大体、こんなことを教えない方がフィリップ兄様にとってはいいはずだ。

 ――きっと、こんな話を突然聞かされているから、こんな穿ったことを思ってしまうんだ。

 けれど、疑心は止まらない。
 だって、フィリップ兄様は途中で、自分は罪に問われないと明言したのだ。
 自分は、罰を受けないと。

「ディア?」

 名前を呼ばれて、思考の海からも戻ってくる。誤魔化すようにはにかんだ。
 けれど、それが気に入らなかったのか、フィリップ兄様は急に顔を顰めた。

「どうして、そんな顔をする?」
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