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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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「俺の名前を忘れたと?」
「お、お前、抱えようとして持ち上がらなかったのをなかったことにしようとしている……?」
「そういえば俺は人形より重たいものを持ったことがない」
どんな言い訳だ?
羽根のように軽いとは言わないが、クロードの体は持ち上げられないほど重いものではないはずだ。そんな重さだったら私の方が先に圧死しているはずだろう。思ったよりも重くて、持ち上げるのを諦めたのか?
「忘れたというか、本当に知らないのよ。お前のことを、私は知らない」
「なるほど。そういう遊びか。宮廷では流行っているのかもしれないが……。人形師とだけ呼べばいいだろう。カリオストロもそうしていた」
「名前がないの」
私の言葉を無視して、男が髪にーー花に触れようとした。
ぱんと弾けるような音がしたあと、強烈な血臭がした。イルが懐から小型の銃を取り出していた。ゆらゆらと揺れる銃口から煙があがっている。
遅れて、頭の上に血が噴き出した。というか、男の体自体が血を溜め込んだ果実のように弾けた。どろりと中から血飛沫が飛び出し……私にかかる前に動きをとめた。時間を逆回転させたように血が男のいた場所に集まっていく。球体状の血溜まりになったそれは、ゆるゆると人の形をとり始めた。
数十秒もすると、元の人形師の男が現れた。
――こいつも、人間じゃない。
元通りになった男の白衣の汚れは一切なかった。男はゆっくりと頬に指をやり、思案するようにイルを眺めた。
「貧民のかでも短気で粗雑な生き物らしい。吸血鬼である俺に銃弾は効かないと知らないのか?」
「……吸血鬼?」
その言葉は、怪奇小説や伝承にしかないものだ。
曰く、吸血鬼は人の血を啜り、血肉とする。影がなく、うなじや唇から血を吸うための牙を持つ。神を怨み、呪詛を吐き、暗闇に溶け込むもの。
悍ましい、女神へ逆らうもの。禁忌のけだもの。悪徳に沈む澱み。
忌み嫌われる、恐ろしい生き物。
「化物が……」
「ふぅん、生意気な口だな。だが、お前の試みは分かる。煽っているな? カルディアに意識が向かないように。忠誠心は並の騎士よりもある。アハトのように清廉で、ルコルスが好きそうな奴だ」
そういうと、男は唇を吊り上げた。
「カルディア、名前をと言ったな。いい従者を得たお前に免じて教えてやる。オクタヴィスだ」
「オクタヴィス……?」
「オクタヴィス・フォン・ロゼダイン。まあ、名前など些事だ」
一瞬、くらりとした。
オクタヴィス・フォン・ロゼダイン。
国王陛下のお気に入り。人形師のオクタヴィス。
カロン、コロン、カロン。歩くときに不思議な音を立てて、新作の童話を人形劇で見せてくれた。カリオストロに殺された清族。
どうして同じ名前なんだ? こいつと、オクタヴィスの名前が同姓同名なのは、偶然なのか?
「人形を与える理由? そんなもの、俺が人形師であるからでしかあり得んだろう。仕事だ」
「お、お前は、清族なの?」
「まさか。研究所の所長は清族がなるものという慣例があり、家名を変えられただけだ。元々は貴族であり、吸血鬼の最後の生き残りだ。――まあ、今更種族を誇ったところでどうしようもないが。貴族名鑑にも載っていないような忌み名だから」
「……? どう言う意味?」
「山犬や山羊、狼や蛇、人喰い屋敷に、狐に猪、剣に魚、鳥に木。鼠や猫。百の官達、百の地。豪華絢爛な貴族達。地の名を家名とするのが貴族だ。だが、俺の家の土地はもはや生物の死に絶えた死海だからな」
「やはり、分からないわ」
かろうじて分かるのは、目の前の人形師があまり自分の家名に頓着していなかったと言うことだろうか。死海というのも何が何だか分からないし、死海だから忌み名になるという関連も分からない。……いや、そもそもこの男が分かるように話していないのだ。だから、分からない。
「血や魔力を集める理由も、俺が吸血鬼であるから以外に理由が必要なのか」
「しょ、食糧ということ?」
「有体に言えばそうだ。研究してよし、眺めてよし、そして何より食べてよし。利にかなっている」
「何の研究をしているの。血と魔力と人形で、何が出来るの」
すっと紫色の瞳から温度が消える。
凪いだ水面のように、濁りのない瞳が射抜くように私を見つめた。
「女神リナリナが与える恩恵とは何だ」
「な、何、いきなり」
女神が与える恩恵? 女神リナリナが、というがカルディアの間違いではないのか?
……いや、きっと違う。何百年も前、女神の名前は沢山あったのだと聞いたことがある。この男がいう女神はリナリナという名前だったのだ。
「女神は子孫繁栄を司る恋女神でもあるだろう。男神と女神。女と男。ようは繁殖の神だ。男の次に女が産まれるだろう。女の次に男。男の次に女。まるで番のようだとは思わないか?」
はあ?
何の、話を。話を、しているの。
確かに、ライドル王国では兄が産まれ、次に妹が産まれることが多い。私にもサガル兄様がいるし、リストにも姉がいる。清族は最もたる例で、彼らは近親相姦を繰り返す。兄妹で、だ。ギスランの母親はダンの妹で、彼女はダンと子供をつくるはずだった。
……それが女神が与えた恩恵だと?
「増えよ、孕め。栄えよ、と人は子供を成したが、そのたびに生物として短命になっていく。清族は血の濃ゆさこそ、力と比例すると信じ、近親相姦を繰り返した。貴族も同じだ。だが、悪化していくばかり。そのうち、カリオストロみたいな規格外の奴らまで産まれ始めた。俺は思ったよ。産まれるという行為自体が劣化の原因ではないか、とな」
「……え、っと」
「ならば、崩れる体を捨てて、人形に移してしまえばいい」
それは、つまり体を乗り換えて、生き続けようということか?
だが、そんなことができるのか? できるとして、そんなもの、化物じゃないか。
人間なんて、呼べるのか。
この男はーー人形師のオクタヴィスは、死から逃れる方法を研究していた?
正直、反感と心惹かれる自分が半々だ。化物だと思う自分と、そうはいっても生きられるならばと思う自分がいる。だって、死ぬことから遠ざかることが出来るのだ。ギスランがもっと生きられるかも、しれない。
ーーあぁ、でもこの世界ではギスランはもう死んでいる。
「蘇ったというのは予想外のことだがな。まったく、俺の知らないところで面白い現象をしてくれるものだ。ここが、仮に現実なのだとしたら、面白い。実験のし甲斐があるというもの」
楽しげな声なのに、私に注がれる視線は無機質なままだった。観察されているようだと思った。
「さて、あらかた質問には答えたな。ではこちらから質問しても?」
「お前が私に質問したいことがあるの?」
「ああ。カルディア」
カルディアと呼びかける声は、酷く甘かった。
「お前の体は、男を受け入れたことがあるか?」
「お、お前、抱えようとして持ち上がらなかったのをなかったことにしようとしている……?」
「そういえば俺は人形より重たいものを持ったことがない」
どんな言い訳だ?
羽根のように軽いとは言わないが、クロードの体は持ち上げられないほど重いものではないはずだ。そんな重さだったら私の方が先に圧死しているはずだろう。思ったよりも重くて、持ち上げるのを諦めたのか?
「忘れたというか、本当に知らないのよ。お前のことを、私は知らない」
「なるほど。そういう遊びか。宮廷では流行っているのかもしれないが……。人形師とだけ呼べばいいだろう。カリオストロもそうしていた」
「名前がないの」
私の言葉を無視して、男が髪にーー花に触れようとした。
ぱんと弾けるような音がしたあと、強烈な血臭がした。イルが懐から小型の銃を取り出していた。ゆらゆらと揺れる銃口から煙があがっている。
遅れて、頭の上に血が噴き出した。というか、男の体自体が血を溜め込んだ果実のように弾けた。どろりと中から血飛沫が飛び出し……私にかかる前に動きをとめた。時間を逆回転させたように血が男のいた場所に集まっていく。球体状の血溜まりになったそれは、ゆるゆると人の形をとり始めた。
数十秒もすると、元の人形師の男が現れた。
――こいつも、人間じゃない。
元通りになった男の白衣の汚れは一切なかった。男はゆっくりと頬に指をやり、思案するようにイルを眺めた。
「貧民のかでも短気で粗雑な生き物らしい。吸血鬼である俺に銃弾は効かないと知らないのか?」
「……吸血鬼?」
その言葉は、怪奇小説や伝承にしかないものだ。
曰く、吸血鬼は人の血を啜り、血肉とする。影がなく、うなじや唇から血を吸うための牙を持つ。神を怨み、呪詛を吐き、暗闇に溶け込むもの。
悍ましい、女神へ逆らうもの。禁忌のけだもの。悪徳に沈む澱み。
忌み嫌われる、恐ろしい生き物。
「化物が……」
「ふぅん、生意気な口だな。だが、お前の試みは分かる。煽っているな? カルディアに意識が向かないように。忠誠心は並の騎士よりもある。アハトのように清廉で、ルコルスが好きそうな奴だ」
そういうと、男は唇を吊り上げた。
「カルディア、名前をと言ったな。いい従者を得たお前に免じて教えてやる。オクタヴィスだ」
「オクタヴィス……?」
「オクタヴィス・フォン・ロゼダイン。まあ、名前など些事だ」
一瞬、くらりとした。
オクタヴィス・フォン・ロゼダイン。
国王陛下のお気に入り。人形師のオクタヴィス。
カロン、コロン、カロン。歩くときに不思議な音を立てて、新作の童話を人形劇で見せてくれた。カリオストロに殺された清族。
どうして同じ名前なんだ? こいつと、オクタヴィスの名前が同姓同名なのは、偶然なのか?
「人形を与える理由? そんなもの、俺が人形師であるからでしかあり得んだろう。仕事だ」
「お、お前は、清族なの?」
「まさか。研究所の所長は清族がなるものという慣例があり、家名を変えられただけだ。元々は貴族であり、吸血鬼の最後の生き残りだ。――まあ、今更種族を誇ったところでどうしようもないが。貴族名鑑にも載っていないような忌み名だから」
「……? どう言う意味?」
「山犬や山羊、狼や蛇、人喰い屋敷に、狐に猪、剣に魚、鳥に木。鼠や猫。百の官達、百の地。豪華絢爛な貴族達。地の名を家名とするのが貴族だ。だが、俺の家の土地はもはや生物の死に絶えた死海だからな」
「やはり、分からないわ」
かろうじて分かるのは、目の前の人形師があまり自分の家名に頓着していなかったと言うことだろうか。死海というのも何が何だか分からないし、死海だから忌み名になるという関連も分からない。……いや、そもそもこの男が分かるように話していないのだ。だから、分からない。
「血や魔力を集める理由も、俺が吸血鬼であるから以外に理由が必要なのか」
「しょ、食糧ということ?」
「有体に言えばそうだ。研究してよし、眺めてよし、そして何より食べてよし。利にかなっている」
「何の研究をしているの。血と魔力と人形で、何が出来るの」
すっと紫色の瞳から温度が消える。
凪いだ水面のように、濁りのない瞳が射抜くように私を見つめた。
「女神リナリナが与える恩恵とは何だ」
「な、何、いきなり」
女神が与える恩恵? 女神リナリナが、というがカルディアの間違いではないのか?
……いや、きっと違う。何百年も前、女神の名前は沢山あったのだと聞いたことがある。この男がいう女神はリナリナという名前だったのだ。
「女神は子孫繁栄を司る恋女神でもあるだろう。男神と女神。女と男。ようは繁殖の神だ。男の次に女が産まれるだろう。女の次に男。男の次に女。まるで番のようだとは思わないか?」
はあ?
何の、話を。話を、しているの。
確かに、ライドル王国では兄が産まれ、次に妹が産まれることが多い。私にもサガル兄様がいるし、リストにも姉がいる。清族は最もたる例で、彼らは近親相姦を繰り返す。兄妹で、だ。ギスランの母親はダンの妹で、彼女はダンと子供をつくるはずだった。
……それが女神が与えた恩恵だと?
「増えよ、孕め。栄えよ、と人は子供を成したが、そのたびに生物として短命になっていく。清族は血の濃ゆさこそ、力と比例すると信じ、近親相姦を繰り返した。貴族も同じだ。だが、悪化していくばかり。そのうち、カリオストロみたいな規格外の奴らまで産まれ始めた。俺は思ったよ。産まれるという行為自体が劣化の原因ではないか、とな」
「……え、っと」
「ならば、崩れる体を捨てて、人形に移してしまえばいい」
それは、つまり体を乗り換えて、生き続けようということか?
だが、そんなことができるのか? できるとして、そんなもの、化物じゃないか。
人間なんて、呼べるのか。
この男はーー人形師のオクタヴィスは、死から逃れる方法を研究していた?
正直、反感と心惹かれる自分が半々だ。化物だと思う自分と、そうはいっても生きられるならばと思う自分がいる。だって、死ぬことから遠ざかることが出来るのだ。ギスランがもっと生きられるかも、しれない。
ーーあぁ、でもこの世界ではギスランはもう死んでいる。
「蘇ったというのは予想外のことだがな。まったく、俺の知らないところで面白い現象をしてくれるものだ。ここが、仮に現実なのだとしたら、面白い。実験のし甲斐があるというもの」
楽しげな声なのに、私に注がれる視線は無機質なままだった。観察されているようだと思った。
「さて、あらかた質問には答えたな。ではこちらから質問しても?」
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