どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 下に、下に、降っていく。クロードを背負ったままなので人形師は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。けれど、決して私に手伝わせようとはしなかった。

「お前、突然、死に神の眷属になったの」
「違う。忘れていたがどうやら俺は元々死に神の眷属だったらしい」
「何その、らしいって」

 とても曖昧な言い草だ。まるで自分のことを今知ったみたい。

「分からない。どうして、こんな大切なことを忘れていた?」
「明かしてはいけないと、そういえばさっき言っていたわよね。あれって、誤魔化しているのではなくて、本当にお前がそう思ったということなの?」

 炙られた蝋のように白い階段は足をおろすたびにぐにゃぐにゃと溶ける。
 階段の隅には、時折人のようなものがいる。私を見のっぺらぼうな顔で見上げて、拝んでくる。熱心なカルディア教徒が私を女神カルディアと間違えるときによく似ていた。熱狂的で、苛烈で、盲目的。でも、私は彼らを知っているような気もする。
 手足がもげたもの、片目があったらしき場所を包帯で隠しているもの。喃語で私に話しかけるものもいた。
 大事そうに手に持った石ころを私に差し出してきた者もいた。濁ったその石を宝石だと思っていたのだろうか、恭しく手渡すと、体を丸めて祈るように手を合わせる。
 ふと、会ったことがあると思った。帰りを待つ彼らを、私は知っている。
 屋敷で、確かに待っているのだ。
 けれど、すぐにその温かな感情は消え去ってしまう。彼らももう化物にしか見えなかった。顔のない、人間のようなもの。似ているけれど、違う奇異なものとしか見れなかった。

 人形師は私の問いかけに無言で答えた。また、深く考え込んでいるようだった。あるいは、彼自身、答えを持っていないのかもしれない。

「元は人間だった奴らだな」

 やっと口を開いたと思えば、私の質問とは関係ない言葉を人形師は口にした。

「誰がやったんだか。人と何かを掛け合わせて、意味のわからないものを作り上げた。馬鹿げた、愚かな発想だ。近親相姦をし過ぎた清族どもでもこんな出来損ないはなかった」

 そういって、階段と溶け合おうとしている彼らに目線を向ける。
 憐憫を含んだ瞳はすぐに冷淡なものへと変わる。

「まあ、だが救いにもなり得るのか。どうせ身寄りがなく、教養のない奴らだろうからな。甘言に唆されてここまで来たのだろう。……カルディア。どうして『聖塔』は空っぽなんだ。まるで皮肉のようだな」
「どういう意味?」
「『聖塔』は誰かを閉じ込めるための役割を、もう捨ててしまったということだ。腐肉の臭いがする。もっと下は酷いぞ」

 確かに、さっきから饐えた臭いがしていた。人形師は構わず下へと向かう。
 下へ、下へ。
 奥へ、奥へ。
 まるで、死に神会ったときのようだった。あの時は、階段をハルとイルとのぼった。
 今は、あのときと反対だ。急き立てられるように、下へと降りていく。

 沢山のものがあった。動物、植物。いつか清族の棟で見たガラス張りの壁もあった。ゆらゆらと尾鰭を揺らして魚が泳いでいる。人形師は無感動にそれを眺めてまた下へと降りていく。
 あるときから、イルの血のあとが夥しいものに変わった。血溜まりが所々に出来ている。
 ――本当にイルのものなのだろうか。
 そう思い始めた。だってそれぐらい、一人の男が出すにはあまりにも大量の血痕だった。
 それに、この塔だって現実のものだか分かったものではない。階段を降りれば降りるほど浮世離れしたものが現れた。広々としたオペラ座では傴僂男が劇をしていたし、大聖堂で貧民、平民の垣根なく大勢の人間が集まって誰かの演説を聞いていた。真ん中に立つのは真っ赤な髪をした男でしきりに金切り声を上げてこう訴えていた。

「王族を殺せ! そうすれば馬鹿げた階級に縛られることもなくなる。貧民と平民は手を取り合えるし、結婚だって出来る。何もかも王族や奴らをのさばらせる貴族どもが悪い」

 煽られた彼らは熱狂し拳を突き上げる。
 かと思えば、処刑台があった。さっき声を上げて煽っていた男がギロチンの刃の下にいた。民衆達は憤る。
 ちっとも暮らしは良くならない。女神はお怒りだ! 弟も妹も水に溺れて死んだ。何もかも、お前のせいだ!
 殺せ、殺せと唾を飛ばす。男は自失として、あたりをぎょろぎょろと見渡した。
 まだ下へ行くと今度は戦場だった。大きな狼が剣を振るっている。血飛沫が飛ぶと悲鳴が上がった。
 かと思うと次は舞踏会だった。人形師がいた。……いや、あれは本当に人形師だったのか。
 次は硝煙が上がる廃墟で、その次は下水道だった。鼠達が共食いをしていた。お互いをかじり合っている。もう何が何だか分からない。
 最後は、せせらぎがある草原だった。空は青く、その下にいる男は血塗れで、のそのそと歩いていた。
 彼の目の前に、女が現れた。顔はよく見えなかった。ぼろぼろの服。泥だらけの手足。とても身分が低い女だというのはわかった。声だけ、っきり聞こえた。

「救って下さってありがとうございます。騎士様」
「騎士……?」

 大きな剣を担いだ男だ。血塗れで、酷い臭いがする。
 けれど、女は鈍感なのか、愚鈍なのか、笑顔でありがとうと繰り返した。

「はい。騎士というものがいるのだと聞いたことがあります。遠い、遠い町に、王様に使える高潔な方がいると、そう」
「王ごときに俺が仕えると。お前はそう言いたいのか」
「違うのですか?」

 違うとも、そうだとも、男は言わなかった。ただ、冷たく一瞥すると、踵を返す。

「また来てください! それまで騎士様の無事をお祈りします」

 男は答えなかった。ただ、八本ある腕の一つを動かして、大剣についた血を拭った。そこで、やっと彼が神聖な生き物であることをまじまじと感じた。あるいは、神と呼ばれるような、高貴な存在であることを。

 何の関連もないことばかりがそこにはあった。降りているのか、物語を読んでいるのか、自分でも分からなくなる。
 けれど、不思議と懐かしかった。
 男を見送り、さらに下へ。歌声が聞こえる。調子はずれの歌だった。
 首を上げた。どうしてか、上から聞こえた気がしたのだ。空っぽな塔の頂上から、音が下に落ちる感覚がした。
 声が、消える。
 悲鳴のような、声が聞こえた。

 最下層は、真っ白な部屋だった。サガルに用意された部屋とそっくりだ。ふわふわとしたクッションが敷き詰められている。頭の上から、下まですっかり真っ白で統一されていた。――いたのだろう。
 血飛沫が飛び、部屋のなかは阿鼻叫喚の地獄を成していた。蝋人形のようにぐったりと倒れたそれはサガルだった。背中にくっついた羽にも真っ赤な血が飛び散っていた。ぴくぴくと体が痙攣している。まだ、息はあるようだが、助けることはできないと、瞬発的に思った。
 サガルの前には男が一人立っていた。剣を抜き、何か大きなものを刺し貫いている。
 それが、イルだと気が付くまでかなりの時間を要した。

 ――イルは、ただリストに腕を伸ばしていた。爛々と瞳が憎悪に濡れている。

「地獄で先に待っていろ」

 冷ややかな声とともに、男がイルの頭を踏みつけた。剣を腹から抜き、思いっきり突き刺した。血が斑に飛んだ。
 イルは、それでも、何度ももがこうとした。剣に爪を立てて、ぎぃと音を鳴らす。けれど、男は無情だった。何度も何度も剣を突き刺し、とどめを刺した。
 瞳から光が消えていくとき、イルは少しだけ悔しそうな顔をして、笑った。

「エヴァ・ロレイソン」

 人形師が、憎々しげに呟く。死に神の眷属だったイヴァンがリストの顔を見て、言っていた名前だった。恐怖政治を敷いたエヴァ・ロレイソン。革命軍の一人で、結局処刑されてしまったという。
 男が――リストが振り返る。顔は返り血で真っ赤に染まっていた。花の刺青も、真っ赤な血に紛れて見えない。
 額を手で拭って、どんよりとした瞳が私をとらえた。胡乱げな、鬱陶しそうな瞳だった。
 そしてだんだんと溶けたように甘くなる。媚びるように、目が細まる。

「カルディア」

 私の名前が砂糖でできたように甘い。

「イルが襲い掛かってきた。サガルもだ。どうしてこうなるのだろうな。殺さねば、殺されていた。……お前も酷い姿だな。人でも殺してきたのか?」

 軽口をたたく彼の手には確かに剣が握られていた。
 はぐらかすように、肩を竦めてリストが答えを求めるように私を見つめる。
 真っ赤な瞳。血が瞳のなかに入り込んだようだった。

「それともお前がこの男を差し向けてきたのか? 俺を殺したくなった?」
「ちが、う」
「ならばよかった。……カルディア、こちらにこい」

 手を広げて、リストはこの場に不釣り合いな微笑みを浮かべる。死体も、血も見ないふりをすれば微笑ましい行為だった。
 眉根を寄せる。人形師は、ゆっくりと目の前に立った。リストから私を隠すように。

「誰だ、貴様は」
「エヴァ・ロレイソン。どうして、こんなところにいる」
「エヴァ・ロレイソン? 何を言っている。誰のことだ。無礼な男だ」
「自分の名前を忘れたのか」
「俺の名前を名乗らなければならないのか? 王族の顔すら分からないと?」

 嘲るように、人形師が口を開く。

「王族だと? 卑しい身分の分際で、よく吠えるものだ」
「……何といった?」
「卑しい身分だと言ったのだ。間違っているか?」
「カルディア」

 リストが私を呼ぶ。切羽詰まったような声だった。
 私からは、人形師の後ろ姿と、リストの顔の半分しか見えない。
 クロードの惨い瞳が裁くように私を見ていた。

「俺は、そうなのか? 王族ではないと?」


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