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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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答えられなかった。
答えるのが怖かった。だから、かわりに尋ね返した。
「リスト、お前がクロードを殺したの」
「なぜ、そう思う」
「なぜって……」
剣を持ったまま、リストは聞き返してきた。
「俺が、兄上を殺す利点があると?」
「……ない、とは言えないでしょう」
「俺がお前を得るために兄を殺したと言いたいのか」
「違う!」
首を振った。違う。そうじゃない。
けれど、確かにリストはクロードを殺した。
クロードの残した言葉は、明らかに犯人を告げていた。父親である宰相も死んでいた。
国王であるフィリップ兄様も、サガルも殺してしまった。
上の二人の兄達はもうすでにフィリップ国王陛下が殺している。
私の子供とやらがいるらしいが、おそらくまだろくに言葉も喋れないだろう。そうなれば、国王が死んだ今、貴族達は王座にリストを座らせるだろう。冠を恭しく用意して、この国の舵取りを任せるのだ。
「お前は、王になりたいの」
「俺が野心家だと謗りたいのか。俺が阿られて、喜ぶ性根だと言いたいのか」
「じゃあ、どうしてクロードを殺したの。サガル兄様も、殺してしまった」
「サガルは襲いかかってきたからだと説明しただろう」
「信じられないわ。サガルは後ろ向きに倒れている。背中に生えた羽が見えるもの。後ろを向いて、人を襲うの?」
「……よく見ているものだな」
リストは白けたように鼻を鳴らしてそうだなと呟いた。
「お前がサガルを後ろから襲ったとしか考えられない」
「……まあ、そうだな。だが、イルのことは勘違いするな。こいつは本当に俺に襲いかかってきた。だが、大分弱っていたがな」
「どうして?」
「どうして? サガルは話の通じない獣だろう。この間、俺達は殺されかけた。王族に気狂いがいるなど恥だろうと思ってな。始末をつけにきた」
リストはどうしてこんなに薄っぺらい言い訳をつらつらと口にできる? 聞くのが嫌になってくる。サガルを処分したいというのならば、リストがわざわざ来る必要はない。そもそも、サガルは聖塔に隔離されていた。サガルは狂ったと専らの噂になっていたし、外に出ないのならばもう放っておけばいいだけの話だ。
「信じていないのか。ならば、こういうのはどうだ。確かに俺はサガルを殺しにきたが、それはフィリップの命令だった。あいつが目障りだから殺せと言った。上の兄も邪魔ならば下の弟も邪魔だというわけだ。猜疑心に取り憑かれた国王というのは珍しい話でもない」
「お前が暗殺者であるならば、その言で納得していたでしょうね。でも、お前は軍人で、王族だわ」
「軍人など、人を殺すことを学ぶための職業だ。暗殺者と大差はない」
そう言いながら、リストの片目が下を向いた。イルがいる場所を見ていた。
「クロードを殺したのも、国王のせいにするつもりなの。命令で殺したと? ……国王だって、お前が殺した癖に?」
「俺を逆賊だと言いたいのか」
「……違うのならば、否定をして」
「否定すればお前は信じるのか? 俺を信用できると? ならばいくらでも囁いてやる。国王も、兄上も殺してはいない。俺は王座など求めてはいないし、野心もない」
嘘つきだと、口からこぼれそうになった。
もう、自分の感情に嘘をつくことは出来なかった。
全部、リストがやったのだ。リストが、殺した。
頭が沸騰しそうだった。何故、こんなことになったのだろう。
クロードを、リストが殺した。
「ギスランを、殺した」
「…………」
「お前はあの日、手紙を読んだかと私に尋ねた。雪が降った、凍えそうな夜。息を切らして屋敷にきて、懺悔するように私を見上げて」
「お前は手紙を読んでいないと言ったな。届いてもいないと。……読んだのか」
「読んだわ」
手紙のなかにはこう書かれていた。
申し訳ない、カルディア。俺がギスランを殺した。お前の婚約者を殺した。お前に憎まれ、恨まれ、殺されるべきなのは俺なのだ。
私は、その手紙を読んで、これはリストがついた嘘なのだと思った。
当時は追い詰められていて、荒んでいた。
童話の収集をしているというのはギスランを殺した奴を見つけるためについた嘘だった。
毒の出どころを探っていた。
王都の裏路地には怪しい店があり、そこで劇毒の売買が行われていると聞いたことがあった。
だから、リストを連れて王都を出歩いた。そうしなければ、ろくに王都に出ていけなかったから。結局、ろくな情報はなかったが、そのことが後々になって、リストにばれた。
彼は最初、怒り狂っていたが、次に嗜めるように私を説得し始めて、やがて泣き落としを始めた。クロードとの婚姻のこともその頃から話が持ち上がりはじめて、リストも私も気持ちの余裕はなかった。
そこで手紙が送られてきた。リストを疑う気持ちは全くなかった。リストはこんな嘘までついて、殺意を自分に向けさせるつもりなのだとさえ思った。高潔な軍人は、犯人にまで慈悲を見せるのかと。
「読んだけれど、読んでいないと嘘をついたの。お前がギスランを殺したはずがないと思った」
「どうして」
「殺したかったの?」
分からなくなって、リストを見た。彼は視線を合わせないまま呟く。
「ああ」
「どうして……?」
「どうして、お前がそう問うのか?」
怒りを抑え込めたような低い声でリストは呟く。
「よく言えるものだな。この男に俺を殺させようとしたのではなかったのでは。……イルは、俺を罵っていたぞ」
「……イルが、気が付いたの。お前が、ギスランを殺したと」
「手紙をお前が見せて? いや、ありえないか。イルは文字が読めないからな。……ギスランの犬は鼻が利く」
憎々しげに見下ろし、足でイルの死体を転がした。ぞっとして汗が額からひいた。そこには情の一切もなかった。
「こいつが俺を殺そうとした数を知っているか」
「イルが、お前を殺そうとした?」
「ギスラン・ロイスタ―の命令でな。二十一回だ。三度、本当に死にかけた。こいつの冷徹な瞳が俺を見下ろしている姿を、夢にまで見た。呪わしい男だ」
「ギスランに?」
ギスランが死んだあとの話ではないのか。ギスランがリストにイルを差し向けていた?
……本当に? リストを、本当に殺そうとしていたのか?
ギスランは私の周りの人間に殺意をよく持っていた。だが、本当に、あのギスランがリストを――王族を殺そうとしていた?
気が狂っているとしか思えない。そんなことをしても、ギスランの益にはならないはずだ。リストを害してあいつが何を得るというのだろう。
「嘘だと思うか」
「お前を殺そうとした理由はなに? 政敵だったとでもいうの」
「お前だ」
指をさされ、体が固まった。まさか、ギスラン・ロイスターが嫉妬でリストを殺そうとしたというのか?
「ギスラン・ロイスターはお前に恋狂っていた。損得など二の次だ。お前に近寄る男は、見境がなかった。あのノア・ゾイディックやトヴァイス・イーストンにも刺客を差し向けた。歳も近く、お前と気安い俺を、あいつは蛇蝎のごとく嫌っていた」
美しい顔が嘲笑で歪む。本気にしていなかったのはお前だけだと言われているようだった。
そして、事実そうだった。
何度か、ギスラン・ロイスターがリストを殺したいと言っているところを聞いたことがある。排除したいと言っていたことも。けれど、それを本気で考えたことはなかった。
だって、事実、リストは死んでいないし、イルは涼しい顔をしていた。何もなかった。本当に、私が知る限り諍いはなかった。
ギスランとリストの関係は表面的には渇いていて、敵愾心をむき出しなったことは一度もない。リストが何度となく死にかけたというならば、もっと切迫したものになるはずだ。
この世界だからなのだろうか? それとも、私の世界でも、そうだった?
それとも殺されかけていたリストが涼しい顔をして、ギスランと軽口を言い合っていた?
私が勝手に二人は軽口を叩けるほどの存在だと思っていただけなのか。血みどろの戦いがギスランとリストの本質だった?
「その癖、俺はあいつには手を出せなかった。ロイスター家の一人息子。清族の血をひき、術を操る。有能な部下を飼い、泣けばその涙は宝石になって巨万の富を与える」
そんな男に手を出せるか? とリストは首を傾げて尋ねた。
「殺してやろうと本当に思って刺客を差し向けたこともあるが、生きて帰ってきた奴などいなかった。皆、目的を果たせずに消えた。そういう、恐ろしい男だった。ギスラン・ロイスターは」
「お前が、……お前が、ギスランを殺した?」
「そうだ」
リストの顔が見れない。ギスランは毒を含んで死んだ。
……その日、私の料理の毒味をしたのだ。あいつは全部料理を食べきってしまって、一口だって私に与えようとはしなかった。
リストが殺したかったのは、ギスランじゃない。
私だ。
リストは、私を殺そうとした。
ギスランが殺せないから。
「嘘ばかり。私を、殺そうとした。私が憎かった?」
「……」
「私を殺せばよかったのに。そうすれば、ギスランは死なずに済んだのに」
「そう、だな。俺は、お前を殺したかった」
リストは瞳を細めた。
「ギスランを無邪気に拒否するお前を、虐めて楽しむお前を、何度縊り殺す夢想をしたことか。俺が死にかけたとき、カルディア、お前はどんな夢を見ていたんだ? 部下の到着を祈るように待つしかなかった惨めな俺を、どうして助けようとはしなかった? ギスラン・ロイスターのような狂人を、飼いならした気になって振り回して楽しかっただろう? 俺はただ、お前の人形遊びのツケを払ってきた。イルを差し出してきたあの男が、俺に何度死ねばよかったのにと告げてきたと思う? どうして、お前はそれを知らないんだ? 知らないまま、ぬるま湯のなかで生きてきたんだ?」
濁流のようにリストは吐き捨てた。
これまで何度もリストに諫められてきた。苦言を呈され、考え直せと言われてきた。あの男は狂人だ。頭がどうかしているとは言っていたが、あいつがやったことを、私は知らなかった。
知らないことが、罪だというのは重々理解している。
だが、どうして教えてくれなかったのだろう。
私を恨み、殺したいと思ったのならば、どうして打ち明けてくれなかった?
私では解決できないからだろうか。何もできないから、言われなかった?
……いや、ただただ、憎かったのかもしれない。これくらい知っておけと思われたのではないだろうか。ギスラン・ロイスターに恋をさせておいて何の責任も取らずに、あいつを疑い信じなかった。愛の言葉を甘言だと思い、一つだって誠意のあるものだと思っていなかった。家のために誰かれ構わず振り撒いてきた綺麗な言葉だと、そう思っていた。
「使用人を抱き込み、お前の料理に毒を入れるのは簡単だった。お前は小さい頃から変わらず人に嫌われて、殺されかける。誰かが殺すならば、俺が殺してやった方がいいとすら思えた。どうせ、ろくな人生ではない。猜疑心が強く、誰もを見下し、怖がって。その癖、困っている人間を見過ごせない。馬鹿な女が行き着くは決まっているものだ」
けれど、とリストは声を落とす。
希望が、声色からこぼれるようだった。
「ギスラン・ロイスターが死んだ。あの男が、お前のかわりに」
くつくつとリストは肩を震わせて笑い始めた。真っ赤に染まった軍服が飾りを揺らしている。うちに飼う獣が姿を現したような、非道徳的な仕草で荒々しく髪をかきあげる。
「なんて愉快なんだ? あの澄まし顔のギスラン・ロイスターが妖精に喰われてろくなものも残らなかった。俺を侮って、痛い目を見た! 俺はそのとき、初めて俺の望みを知った。お前を殺したかったわけじゃない。ギスラン・ロイスターを殺したかった。あいつを殺して健やかな夜を迎えたかった。物音と悲鳴で飛び上がる夜を終わりにしたかった。なんて、簡単なことだったんだ? あいつが死んで、すぐに叶った」
人を殺したというのに、リストは晴れ晴れとしていた。懺悔の思いなど、微塵も見せない。リストらしくない声を上げて、下品に口の端を吊り上げる。
「あとはお前を手に入れれば良かった。何せ歳は近く、身分は同じ。国王も辺境伯よりは俺と番わせるべきだと考えていたことだろう。だというのに、どうして兄上と結ばれた? フィリップが手を回したに決まっている。あいつは俺を、認めていなかった。いつの間にか、手に入るはずだったお前は俺の手の平からこぼれて、兄上のもとに」
執着と殺意と憎悪が入り混じった真っ赤な瞳が私に向けられる。
リストが私を手に入れたかったのは何故なのだろう。口封じのためか、ギスランへの対抗心か、彼の出自故なのか。
――リストは王族ではない。宰相が買った貧民とも平民とも分からない階級の男だ。本物のリストはもうすでに死んでしまっている。
私と結婚すれば、リストは王族だと大手を振って自分を誇れる?
だとしたら、まるで王冠だ。頭上にあれば神聖な王威を示せる。だから皆が奪い合う。栄誉を与えるハリボテの装飾品。喉の奥が震える。怒りと虚しさが腹の底から噴き上がりそうだ。
ギスランはリストを殺そうとして、逆にリストに殺された。けれど、リストが殺そうとしていたのは私だった。そんな私を、彼は欲していた。
殺そうとしたり、手に入れようと思ったり、忙しないことだ。
……ギスランではなくて私が死んでしまっていたら、よかったのに。
そうしたら、リストだってこんなことをしでかさなかったのではないか。王族達を殺して回るだなんて、馬鹿げたことだ。誰かに知られたらリストの方こそ首が飛ぶ。王宮が阿鼻叫喚の地獄の有様でなければ、今まさに裁判が行われていただろう。幽閉か、処刑か、分かったものではない。
――もう、何も、考えたくない。
「子供を産んでさぞ楽しかっただろうな。俺と兄上、やはり何もかもが違う。俺はえられず、馬鹿ばかりしでかす。どうして、あの日毒を盛ろうと決心したのか、今ではもう分からない。手紙も、なぜ書いてしまったのか。送ったあと、死ぬほど後悔した。みっともなく早馬を飛ばして、手紙を読んだのか、それだけを聞きに行った」
それでも、考えてしまう。
あの日、手紙の内容を本当のことだと信じていたら。
リストを責めていたら。
クロードと結婚していなかったら。
そんなもしもを考える。
……ギスランの死を知った私を、リストは慰めた。こいつはいったい、どんな気持ちであんなことを言ったのだろう?
全て、演技だったのだろうか。それとも、私を慰めるあの言葉は真実だった?
どさりと、大きなものが落ちる音がした。目の前にいた人形師が体を丸めている。背中に背負ったクロードが手を広げて天を見上げる。
「ど、どうしたの?」
人形師の肩をつかもうとして、驚く。自分の体の上に影が出来たからだ。
強烈な血の、臭いがする。
鼻が曲がりそうだった。
「兄上……」
頭の上からリストの声がする。顔の横を腕が通る。クロードの酷い死体に、リストの手が触れた。
「惨い有様だな。……恋しくて、連れてきたのか」
リストが足を振り上げた。
答えるのが怖かった。だから、かわりに尋ね返した。
「リスト、お前がクロードを殺したの」
「なぜ、そう思う」
「なぜって……」
剣を持ったまま、リストは聞き返してきた。
「俺が、兄上を殺す利点があると?」
「……ない、とは言えないでしょう」
「俺がお前を得るために兄を殺したと言いたいのか」
「違う!」
首を振った。違う。そうじゃない。
けれど、確かにリストはクロードを殺した。
クロードの残した言葉は、明らかに犯人を告げていた。父親である宰相も死んでいた。
国王であるフィリップ兄様も、サガルも殺してしまった。
上の二人の兄達はもうすでにフィリップ国王陛下が殺している。
私の子供とやらがいるらしいが、おそらくまだろくに言葉も喋れないだろう。そうなれば、国王が死んだ今、貴族達は王座にリストを座らせるだろう。冠を恭しく用意して、この国の舵取りを任せるのだ。
「お前は、王になりたいの」
「俺が野心家だと謗りたいのか。俺が阿られて、喜ぶ性根だと言いたいのか」
「じゃあ、どうしてクロードを殺したの。サガル兄様も、殺してしまった」
「サガルは襲いかかってきたからだと説明しただろう」
「信じられないわ。サガルは後ろ向きに倒れている。背中に生えた羽が見えるもの。後ろを向いて、人を襲うの?」
「……よく見ているものだな」
リストは白けたように鼻を鳴らしてそうだなと呟いた。
「お前がサガルを後ろから襲ったとしか考えられない」
「……まあ、そうだな。だが、イルのことは勘違いするな。こいつは本当に俺に襲いかかってきた。だが、大分弱っていたがな」
「どうして?」
「どうして? サガルは話の通じない獣だろう。この間、俺達は殺されかけた。王族に気狂いがいるなど恥だろうと思ってな。始末をつけにきた」
リストはどうしてこんなに薄っぺらい言い訳をつらつらと口にできる? 聞くのが嫌になってくる。サガルを処分したいというのならば、リストがわざわざ来る必要はない。そもそも、サガルは聖塔に隔離されていた。サガルは狂ったと専らの噂になっていたし、外に出ないのならばもう放っておけばいいだけの話だ。
「信じていないのか。ならば、こういうのはどうだ。確かに俺はサガルを殺しにきたが、それはフィリップの命令だった。あいつが目障りだから殺せと言った。上の兄も邪魔ならば下の弟も邪魔だというわけだ。猜疑心に取り憑かれた国王というのは珍しい話でもない」
「お前が暗殺者であるならば、その言で納得していたでしょうね。でも、お前は軍人で、王族だわ」
「軍人など、人を殺すことを学ぶための職業だ。暗殺者と大差はない」
そう言いながら、リストの片目が下を向いた。イルがいる場所を見ていた。
「クロードを殺したのも、国王のせいにするつもりなの。命令で殺したと? ……国王だって、お前が殺した癖に?」
「俺を逆賊だと言いたいのか」
「……違うのならば、否定をして」
「否定すればお前は信じるのか? 俺を信用できると? ならばいくらでも囁いてやる。国王も、兄上も殺してはいない。俺は王座など求めてはいないし、野心もない」
嘘つきだと、口からこぼれそうになった。
もう、自分の感情に嘘をつくことは出来なかった。
全部、リストがやったのだ。リストが、殺した。
頭が沸騰しそうだった。何故、こんなことになったのだろう。
クロードを、リストが殺した。
「ギスランを、殺した」
「…………」
「お前はあの日、手紙を読んだかと私に尋ねた。雪が降った、凍えそうな夜。息を切らして屋敷にきて、懺悔するように私を見上げて」
「お前は手紙を読んでいないと言ったな。届いてもいないと。……読んだのか」
「読んだわ」
手紙のなかにはこう書かれていた。
申し訳ない、カルディア。俺がギスランを殺した。お前の婚約者を殺した。お前に憎まれ、恨まれ、殺されるべきなのは俺なのだ。
私は、その手紙を読んで、これはリストがついた嘘なのだと思った。
当時は追い詰められていて、荒んでいた。
童話の収集をしているというのはギスランを殺した奴を見つけるためについた嘘だった。
毒の出どころを探っていた。
王都の裏路地には怪しい店があり、そこで劇毒の売買が行われていると聞いたことがあった。
だから、リストを連れて王都を出歩いた。そうしなければ、ろくに王都に出ていけなかったから。結局、ろくな情報はなかったが、そのことが後々になって、リストにばれた。
彼は最初、怒り狂っていたが、次に嗜めるように私を説得し始めて、やがて泣き落としを始めた。クロードとの婚姻のこともその頃から話が持ち上がりはじめて、リストも私も気持ちの余裕はなかった。
そこで手紙が送られてきた。リストを疑う気持ちは全くなかった。リストはこんな嘘までついて、殺意を自分に向けさせるつもりなのだとさえ思った。高潔な軍人は、犯人にまで慈悲を見せるのかと。
「読んだけれど、読んでいないと嘘をついたの。お前がギスランを殺したはずがないと思った」
「どうして」
「殺したかったの?」
分からなくなって、リストを見た。彼は視線を合わせないまま呟く。
「ああ」
「どうして……?」
「どうして、お前がそう問うのか?」
怒りを抑え込めたような低い声でリストは呟く。
「よく言えるものだな。この男に俺を殺させようとしたのではなかったのでは。……イルは、俺を罵っていたぞ」
「……イルが、気が付いたの。お前が、ギスランを殺したと」
「手紙をお前が見せて? いや、ありえないか。イルは文字が読めないからな。……ギスランの犬は鼻が利く」
憎々しげに見下ろし、足でイルの死体を転がした。ぞっとして汗が額からひいた。そこには情の一切もなかった。
「こいつが俺を殺そうとした数を知っているか」
「イルが、お前を殺そうとした?」
「ギスラン・ロイスタ―の命令でな。二十一回だ。三度、本当に死にかけた。こいつの冷徹な瞳が俺を見下ろしている姿を、夢にまで見た。呪わしい男だ」
「ギスランに?」
ギスランが死んだあとの話ではないのか。ギスランがリストにイルを差し向けていた?
……本当に? リストを、本当に殺そうとしていたのか?
ギスランは私の周りの人間に殺意をよく持っていた。だが、本当に、あのギスランがリストを――王族を殺そうとしていた?
気が狂っているとしか思えない。そんなことをしても、ギスランの益にはならないはずだ。リストを害してあいつが何を得るというのだろう。
「嘘だと思うか」
「お前を殺そうとした理由はなに? 政敵だったとでもいうの」
「お前だ」
指をさされ、体が固まった。まさか、ギスラン・ロイスターが嫉妬でリストを殺そうとしたというのか?
「ギスラン・ロイスターはお前に恋狂っていた。損得など二の次だ。お前に近寄る男は、見境がなかった。あのノア・ゾイディックやトヴァイス・イーストンにも刺客を差し向けた。歳も近く、お前と気安い俺を、あいつは蛇蝎のごとく嫌っていた」
美しい顔が嘲笑で歪む。本気にしていなかったのはお前だけだと言われているようだった。
そして、事実そうだった。
何度か、ギスラン・ロイスターがリストを殺したいと言っているところを聞いたことがある。排除したいと言っていたことも。けれど、それを本気で考えたことはなかった。
だって、事実、リストは死んでいないし、イルは涼しい顔をしていた。何もなかった。本当に、私が知る限り諍いはなかった。
ギスランとリストの関係は表面的には渇いていて、敵愾心をむき出しなったことは一度もない。リストが何度となく死にかけたというならば、もっと切迫したものになるはずだ。
この世界だからなのだろうか? それとも、私の世界でも、そうだった?
それとも殺されかけていたリストが涼しい顔をして、ギスランと軽口を言い合っていた?
私が勝手に二人は軽口を叩けるほどの存在だと思っていただけなのか。血みどろの戦いがギスランとリストの本質だった?
「その癖、俺はあいつには手を出せなかった。ロイスター家の一人息子。清族の血をひき、術を操る。有能な部下を飼い、泣けばその涙は宝石になって巨万の富を与える」
そんな男に手を出せるか? とリストは首を傾げて尋ねた。
「殺してやろうと本当に思って刺客を差し向けたこともあるが、生きて帰ってきた奴などいなかった。皆、目的を果たせずに消えた。そういう、恐ろしい男だった。ギスラン・ロイスターは」
「お前が、……お前が、ギスランを殺した?」
「そうだ」
リストの顔が見れない。ギスランは毒を含んで死んだ。
……その日、私の料理の毒味をしたのだ。あいつは全部料理を食べきってしまって、一口だって私に与えようとはしなかった。
リストが殺したかったのは、ギスランじゃない。
私だ。
リストは、私を殺そうとした。
ギスランが殺せないから。
「嘘ばかり。私を、殺そうとした。私が憎かった?」
「……」
「私を殺せばよかったのに。そうすれば、ギスランは死なずに済んだのに」
「そう、だな。俺は、お前を殺したかった」
リストは瞳を細めた。
「ギスランを無邪気に拒否するお前を、虐めて楽しむお前を、何度縊り殺す夢想をしたことか。俺が死にかけたとき、カルディア、お前はどんな夢を見ていたんだ? 部下の到着を祈るように待つしかなかった惨めな俺を、どうして助けようとはしなかった? ギスラン・ロイスターのような狂人を、飼いならした気になって振り回して楽しかっただろう? 俺はただ、お前の人形遊びのツケを払ってきた。イルを差し出してきたあの男が、俺に何度死ねばよかったのにと告げてきたと思う? どうして、お前はそれを知らないんだ? 知らないまま、ぬるま湯のなかで生きてきたんだ?」
濁流のようにリストは吐き捨てた。
これまで何度もリストに諫められてきた。苦言を呈され、考え直せと言われてきた。あの男は狂人だ。頭がどうかしているとは言っていたが、あいつがやったことを、私は知らなかった。
知らないことが、罪だというのは重々理解している。
だが、どうして教えてくれなかったのだろう。
私を恨み、殺したいと思ったのならば、どうして打ち明けてくれなかった?
私では解決できないからだろうか。何もできないから、言われなかった?
……いや、ただただ、憎かったのかもしれない。これくらい知っておけと思われたのではないだろうか。ギスラン・ロイスターに恋をさせておいて何の責任も取らずに、あいつを疑い信じなかった。愛の言葉を甘言だと思い、一つだって誠意のあるものだと思っていなかった。家のために誰かれ構わず振り撒いてきた綺麗な言葉だと、そう思っていた。
「使用人を抱き込み、お前の料理に毒を入れるのは簡単だった。お前は小さい頃から変わらず人に嫌われて、殺されかける。誰かが殺すならば、俺が殺してやった方がいいとすら思えた。どうせ、ろくな人生ではない。猜疑心が強く、誰もを見下し、怖がって。その癖、困っている人間を見過ごせない。馬鹿な女が行き着くは決まっているものだ」
けれど、とリストは声を落とす。
希望が、声色からこぼれるようだった。
「ギスラン・ロイスターが死んだ。あの男が、お前のかわりに」
くつくつとリストは肩を震わせて笑い始めた。真っ赤に染まった軍服が飾りを揺らしている。うちに飼う獣が姿を現したような、非道徳的な仕草で荒々しく髪をかきあげる。
「なんて愉快なんだ? あの澄まし顔のギスラン・ロイスターが妖精に喰われてろくなものも残らなかった。俺を侮って、痛い目を見た! 俺はそのとき、初めて俺の望みを知った。お前を殺したかったわけじゃない。ギスラン・ロイスターを殺したかった。あいつを殺して健やかな夜を迎えたかった。物音と悲鳴で飛び上がる夜を終わりにしたかった。なんて、簡単なことだったんだ? あいつが死んで、すぐに叶った」
人を殺したというのに、リストは晴れ晴れとしていた。懺悔の思いなど、微塵も見せない。リストらしくない声を上げて、下品に口の端を吊り上げる。
「あとはお前を手に入れれば良かった。何せ歳は近く、身分は同じ。国王も辺境伯よりは俺と番わせるべきだと考えていたことだろう。だというのに、どうして兄上と結ばれた? フィリップが手を回したに決まっている。あいつは俺を、認めていなかった。いつの間にか、手に入るはずだったお前は俺の手の平からこぼれて、兄上のもとに」
執着と殺意と憎悪が入り混じった真っ赤な瞳が私に向けられる。
リストが私を手に入れたかったのは何故なのだろう。口封じのためか、ギスランへの対抗心か、彼の出自故なのか。
――リストは王族ではない。宰相が買った貧民とも平民とも分からない階級の男だ。本物のリストはもうすでに死んでしまっている。
私と結婚すれば、リストは王族だと大手を振って自分を誇れる?
だとしたら、まるで王冠だ。頭上にあれば神聖な王威を示せる。だから皆が奪い合う。栄誉を与えるハリボテの装飾品。喉の奥が震える。怒りと虚しさが腹の底から噴き上がりそうだ。
ギスランはリストを殺そうとして、逆にリストに殺された。けれど、リストが殺そうとしていたのは私だった。そんな私を、彼は欲していた。
殺そうとしたり、手に入れようと思ったり、忙しないことだ。
……ギスランではなくて私が死んでしまっていたら、よかったのに。
そうしたら、リストだってこんなことをしでかさなかったのではないか。王族達を殺して回るだなんて、馬鹿げたことだ。誰かに知られたらリストの方こそ首が飛ぶ。王宮が阿鼻叫喚の地獄の有様でなければ、今まさに裁判が行われていただろう。幽閉か、処刑か、分かったものではない。
――もう、何も、考えたくない。
「子供を産んでさぞ楽しかっただろうな。俺と兄上、やはり何もかもが違う。俺はえられず、馬鹿ばかりしでかす。どうして、あの日毒を盛ろうと決心したのか、今ではもう分からない。手紙も、なぜ書いてしまったのか。送ったあと、死ぬほど後悔した。みっともなく早馬を飛ばして、手紙を読んだのか、それだけを聞きに行った」
それでも、考えてしまう。
あの日、手紙の内容を本当のことだと信じていたら。
リストを責めていたら。
クロードと結婚していなかったら。
そんなもしもを考える。
……ギスランの死を知った私を、リストは慰めた。こいつはいったい、どんな気持ちであんなことを言ったのだろう?
全て、演技だったのだろうか。それとも、私を慰めるあの言葉は真実だった?
どさりと、大きなものが落ちる音がした。目の前にいた人形師が体を丸めている。背中に背負ったクロードが手を広げて天を見上げる。
「ど、どうしたの?」
人形師の肩をつかもうとして、驚く。自分の体の上に影が出来たからだ。
強烈な血の、臭いがする。
鼻が曲がりそうだった。
「兄上……」
頭の上からリストの声がする。顔の横を腕が通る。クロードの酷い死体に、リストの手が触れた。
「惨い有様だな。……恋しくて、連れてきたのか」
リストが足を振り上げた。
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