どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

275(bad end 成れの果て)

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「ザルゴ公爵は……」
「馬鹿、立ち上がるな」

 視線を彷徨わせる。そうだ、瓦礫の下敷きに……。

「ザルゴ公爵は死んだ……。人形師も死んだはずなのに」

 何も変わっていない。むしろ、自体は悪化しているように思えた。
 世界が崩れていく。終焉がそこにある。黙示録に書かれていることよりも呆気なくて、血の気が引くような恐ろしい光景だ。天使と悪魔の戦いはない。ただ、世界の表皮が崩れていく。

「何で元に戻らないの! 私は、ここで死ぬの!?」

 ギスランもいない。クロードも死んだ。リストは人を殺して、フィリップ兄様は兄弟を殺して頂点になった。世界は終わろうとしている。

「う、うっ、は、はあっ、は、あ」

 目の前が真っ暗になる。自分だけは助かると思っていた。元の世界に戻れると。
 でも違うんだ。リストが人形師を殺してくれたのに、何一つ好転していない。
 腹の中の黒い感情に吐き気がした。
 殺してくれた?
 リストが手を出したことに感謝しているのか、私は。リストに人を殺させたくないと思っていた癖に、自分の都合が良ければ人を殺したことに感謝さえするのか。
 自分のためになるならば殺人も肯定するのか。

 世界の亀裂の奥に、目玉が見えた。ギョロリとした緑の瞳。吐く息が白く変化する。見ただけで、分かった。あれは人智を超えた存在の眼だ。
 自分の汚さに吐き気がする。
 全身からする血の臭いに嫌気がさす。
 自分のことが憎くて憎くてたまらない。
 何も、できなかった。何も。
 他人に罪をおかさせたのに?

「死ぬ、死ぬの?」

 ガタガタと体が震える。鳥肌が立って、寒気が止まらない。

「し、しに、た」
「カルディア」

 腕を掴まれ、リストと顔を合わせる。彼は真っ赤な瞳に戸惑いを浮かべていた。

「落ち着け」

 どろりと意識が半分消えるような感覚がした。リストの声の意味が分からなくなる。
 知らない光景を思い出す。ハルがいた。私に声をかける。天帝が愛した世界を見せてくれると言った。あんたが見たこともないものを見せてあげる。
 私は喜んだ。声を捧げて、神に尽くした。枢機卿であるお世話係は言った。天帝がはなおとめの望みをどれだけでも叶えましょう。
 地には繁栄を。
 幸福を。
 金の細工も、銀の飾りも、上等な絹も尽きぬ食糧も、はなおとめのためならば雨のように降り注ぐ。
 なんだ、これ。意味分からない。がんがん頭をゆすられているようだった。

「今、のは?」

 リストも頭を抱えていた。片目をおおいキョロキョロと辺りを見渡す。

「俺は、今」

 耳鳴りが止まない。さっきから意識がどこかに飛んでいるような感覚がする。知らない場面が浮かんでは消える。
 それなのに、こんなことが確かにあったのだと、納得さえしてしまう。

「カル、ディア」

 リストの指が私の頬を撫でる。

「文字が、お前の肌を這っている」

 それをいうならリストもだ。黒々とした虫のような文字が、花の刺青を隠すように流れていく。まだらについた血の跡はくっきりと見えるのに。

「お前は、国王に、フィリップ兄様にはめられたの?」

 リストは目をふ細めて首を振る。違う、違うと、小さな声で囁いた。

「お前とクロードに殺し合いをさせようとした? 争いを誘発しようとしていたの? お前は仕組まれて、フィリップ兄様を殺すことにしたの?」
「違う」
「クロードを殺したのも、そのせいだったの? お前とクロードは争っていた?」
「ち、違う」

 リストは違う、ばかりだ。顔色はどんどん悪くなり、呂律も回らなくなってきている。

「争っていなかったのならばどうしてクロードを殺すことになったの」
「その話はしたくない」
「リスト!」
「その話をしてももう意味がないだろう。俺が殺した。それ以外に何があると?」
「きちんと、話して」

 はあと、リストはため息を吐いた。

「国王からけしかけられていたのは本当だ。俺自身の立場もかなり危うくされた。……だが、そうだとしても俺が殺すことを選んだことに変わりはない」

 リストは私の頬を摩りながら言う。

「お前は?」
「な、何が?」
「――馬鹿馬鹿しいことを言うが、さっきお前が言っていた世界を幻視した。ギスラン・ロイスターのあの憎たらしい顔が大人びていた。十七のあいつがお前のことをカルディア姫と呼んで笑う姿を見た」

 目を見開く。さっきリストが動揺していたのは、私の世界を覗き見たからなのか?
 リストの顔を文字が泳いでいく。この文字は、もしかして人形師から溢れたインクの様なものなのか? ならば、これこそ、背の皮に書かれた文字なのではないか。

「お前が酷い目に遭うあの世界に戻りたいのか。何百人がお前の為に人が死んだ? サガルに犯されそうになって、清族の暗殺者もどきに殺されかけるのがお前の望みなのか? そこまでしてギスラン・ロイスターに生きていて欲しいのか。だが、残念なことにお前の世界に戻ることはないようだな」

 ぐっとリストの顔が近付いてくる。額があたり、髪が目のなかに入りそうになった。

「この先どうなるかお前には分かるのか」
「わから、ない」
「世界は終わる?」
「分からない。でも、そうだと思う」

 リストの瞳がきらりと光った。突然、希望見つけたように。

「お前はこれからどうするつもりだ」
「どうって……」
「お前の希望は打ち砕かれたのだろう? このまま死を待つだけか?」
「何が言いたいの」

 頬を撫でていたリストの手がゆっくりと下に落ちてくる。

「俺が殺してやってもいい」
「馬鹿なこと、言わないで」
「お前が苦しむ姿は耐えられない」

 独善的な物言いなのに、どうしてか哀願する声に聞こえた。

「俺が狂う」
「リスト」
「俺のことを、お前が嫌っていたとしても、俺はお前のことを愛している」

 怯えた様な吐息を漏らしてしまった。

「ギスラン・ロイスターのことが好きか? カルディア」
「……ええ」
「そうか。皮肉だな。俺はあいつのことが嫌いだが、お前はあいつのことが好きだった。俺がギスラン・ロイスターの代わりに死ねば良かったのだろうな」

 首に爪を立てられて、皮膚が痛む。

「だがお前の目の前にいるのは俺だ。あの男、どうしてお前の代わりに毒を含んだのだろう。途中で勘づいただろうにな、舌で分かる激毒だった」
「……そんなものを、私に食べさせようとしていたの」
「ああ、憎かったからな」

 リストの思うままにさせる。抵抗は無意味だ。リストは軍人で私よりも力がある。腕を掴んでも、爪を引っ込めることだってかなわない。

「ギスラン・ロイスターはもう死んだ。俺にとってあいつは亡霊だった。いつもお前の瞳に映り込み、意識を支配していた。あの男はお前に何を教えたんだ? 恋か、愛か? 執着か、哀惜か。俺はどうしてあの男にはなれなかった? お前と共に童話を読み、王都を練り歩いても、詩を送り合っても、あの男にはなれなかった。結婚すら出来ないとはな」

 返答は出来なかった。
 リストが手に力を込めてぎゅっと首を絞めた。
 頸動脈が圧迫され、息が出来なくなる。指の温かさが感じられるのに、頭から指先はぐんと寒くなった。

「カルディア」

 溶けるような甘い声で名前を呼ばれる。
 ぽろぽろと世界が形を変えていく。空が落ちてくるようだった。
 よそ見をやめろというようにリストが私の喉を締める力を強める。真っ赤な髪が、ぼやけていく視界いっぱいに映る。

「カルディア……」

 上唇が触れた。リストは喉を鳴らして、ゆっくり顔をあげる。
 圧迫感がなくなり、空気が喉に一気に入り込む。
 ごほ、ごほ、と咳き込む。リストを見上げた。真っ赤な瞳が私を見下ろしている。頬の文字が動く。何と書いてあるか、読めない。

「お前の男になりたかった」
「り、リス……ト?」
「馬鹿な女、俺を好きになれば良かったのに」

 唇が見えた。笑っていた。

 パンと、音が鳴った。べちゃりと、脳漿が飛び散る。リストがゆっくりと倒れていく。硝煙臭いかおりがあたり一面に広がっていた。

「……え?」

 リストの顔を弄る。額のところに大きな穴があいていた。
 いくら塞いでも血がこぼれて止まらない。

「リスト?」

 いくら顔を近付けても、リストと目線が合わない。焦点が定まらない。

「うそ、うそ」

 譫言のように繰り返す。
 さっきまで私のことを殺そうとしていたのに?
 リストの右腕には銃があった。彼は、私の首から手を離してそのまま銃を取り出して自殺したのだ。
 理解できない。涙が止まらない。
 リストの頭を抱きかかえた。重たい。瞳はまだ開いている。
 名前を飽きるほど呼んだ。何度も何度も。
 喉が枯れていく。咳をしながら、何度も名前を呼ぶ。

 ――助けて。

 誰でもいい。神様でも、悪魔でも、誰でもいい。
 こんなはずじゃなかった。こんなことになるなんて、思わなかった。元の世界に戻ろうとなんてしなければよかった。王宮に行かなければよかった。サガルの聖塔に行かなければよかった。
 屋敷から出なければよかった。

 空は完全に落ちきって、暗闇が広がった。星はなく、ただ不気味な目玉が月の代わりに空に浮かんでいる。
 やがてどこからも光が消えた。真っ暗ななか、目玉だけがぎょろぎょろ動く。
 シンとまわりは静まりかえり、自分の息をする音だけがやけに大きく聞こえる。
 抱えていたリストの頭はぼんやりとした温かさしかもうない。
 途端に自分は一人っきりなのだと実感した。真っ暗闇に一人、骸を抱いている。
 怖い。寂しい。怖い。恐ろしい。
 遠くで、犬の鳴き声がした。おそらくヴァニタスのものだろう。
 だが、その声で安堵する自分がいた。まだ生き物がここにはいるのだ。
 足音が聞こえてきた。
 きっとヴァニタスのものだ。
 草木が踏まれて折れる音がした。ミシミシと、木々が音を立てる。
 ヴァニタスの顔は見なかった。
 ただ、腐ったような臭いがした。人の腐臭によく似ている。
 腐った犬のヴァニタスとは確かにその通りだ。この犬はきっと腐敗している。
 きっとこのまま、この犬に踏み潰されて死ぬのだろう。
 とんでもない終わり方だ。
 リストの頭をぎゅっと抱える。せめて彼が傷つかないように体を丸めて盾になろうとした。

 ――そのときだった。

『――現地住民を捕捉致しました。原住民の言語系統を分析』
『解析、完了。これより、通信を開始します。ノアズアーク工業は第二下層世界の皆様に呼びかけます。我々は貴方達原地民の労働力を必要としています。貴方がたは我々と契約を結ぶだけで大三欲求を全て満たされるだけではなく、貴重な通貨や文化的で健やかな生活環境を取得することが可能です。他民族紛争や食糧の奪い合いなどの低次元な諍いは、我々ノアズアーク社の偉大なる工業機械により一掃されます。貴方がたはより良い人生を歩むことができーーーー』

 散る花弁に、パレードのような声援音声。
 ちかちかとした星のような何かが点滅している。
 目の前で起こる何もかもが私には理解不能だった。

『宇宙一美味しいデリバリーサービスといえば我々ドロシー食品!』
『政治家の皆様に朗報! 我々マキャベリ社は民衆の脳波へダイレクトに干渉する演説声明を提供しております』
『不用品は是非カルデラ処理社にご連絡ください』
『子供用玩具はーー』

 声がぐわんぐわんと響いている。
 ピカピカ光る何かが飛び回り、絵画の様に絵が見えた。けれどそれはすぐに移り変わり、違う絵へと形を変える。まるで魔術でもかかっているかのようだった。

『瞬間移動装置は今回限りーー』
『今期のドラマを観るならーー』
『汚物処理ならばーー』
『原住民の皆様に朗報です。我々ノアズアーク社は人材を募集しておりますーー』

 それは、ヴァニタスの皮膚を覆い尽くす何か。
 ――私はこれを見たことがある。王都で売り子がいた。絵を首に下げて町中を練り歩くのだ。看板だと言っていた。広告だとも。新聞にも同じように企業の案内が載ることがあった。製品について書かれていた。
 これはそれと全く同じだ。
 だが、どの会社も聞いたことがない。耳馴染みのない言葉ばかり並べられている。
 ずらずらと、臆面もなく、際限なく、それは現れ続けた。

『美しくなりたい! それはどの生命体においてもーー』
『子供が言うことをきかない? その問題、ヒーロニアがーー』
『現代の名著! これを読まなきゃ今世紀は語れないーー』

 瞳が真っ暗闇で瞬きをした。
 世界が暗闇に包まれた。ただ、私をよく分からない何かが照らす。
 終わりなく、よく分からない何かが私に伝えようとしてくる。
 無制限に、途絶えることなく。
 リストの髪を撫でた。
 もうすっかり、彼の体は冷たくなっていた。


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