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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「殺すわけがないだろう。ただ、歩けなくしたかっただけだ」
自分で訊いておきながら返ってきた答えにひゅっと喉が鳴った。
フィリップ兄様は当たり前にそんなことを言った。
「下半身麻痺にでもなれば良かったんだけど、上手くいかなかった。まあ、まだマイク兄上が帰ってくるまでに時間はある」
「あ……」
あの世界の、恐ろしいフィリップ兄様のことを思い出して体が固まった。レオン兄様を殺し、国王になったフィリップ兄様。
フィリップ兄様はレオン兄様を殺そうとはしていない。けれど、もっと恐ろしいことを考えている気がしてならない。
「でもどうしてそう思ったの? ぼくがレオン兄様を害そうと考えた理由は何?」
「ま、マイク兄様のことを自分が迎えに行くとは仰らなかったから」
「……ああ、なるほど」
フィリップ兄様はにやりと私に笑いかけた。
「ぼくが仕事を放り出してロスドロゥに行くと思ったのか」
「確信があるわけではなかったんです。ただ、フィリップ兄様がレオン兄様のお仕事を代わられたときから違和感はありました。フィリップ兄様は王太子のお仕事に興味がなさそうだったのに」
「王位争いに急に関心が湧いたとは思わない?」
「ならば、マイク兄様の安否の心配はされないはずです。それに、クロードの力も借りない」
「まあ、そうだ。ぼくも王位争いには興味はない。王なんてしがらみばかりでどうしようもないし、好きこのんでなろうという人間の気がしれないぐらいだ。サラザーヌ家が王家に成り代わりたがっていたのを知ったときは噴き出しそうになったものだ。ならば、どうぞお譲りしますと笑いかけたくなった。王などという看板にどれだけの価値があると?」
……フィリップ兄様は、王に興味がない。
地位や権力に執着がないというわけではないのだろうけれど、最初から持っていたものを尊ぶ意識がないのだと思う。
レオン兄様は地位に見合う責任を持ち王としての務めを果たそうと尽力し、マイク兄様はそれが難しいと思い騎士を選んだ。けれど、フィリップ兄様はそういう考え自体がないのだと思う。
ライドル王国の一番上、王族だからこそ、王族というものを憧れるものを笑い飛ばせる。
分不相応だと思うのではなく。
「正直な話、マイク兄上を迎えに行きたい気持ちは強い。だが、レオン兄上の脚を使い物にならなくすることも重要だ。陛下は仕事さえ円滑ならば王太子は誰でもいいのだし、レオン兄上も本心では王太子を重圧に感じている。早めにして差し上げないと」
「……そ、それは、本当にレオン兄様が望まれたことなのですか?」
「ぼくの望みだ」
声が咄嗟に出なかった。目線を下げて、伺うように顔を上げる。
胸を張って言われてしまった……。
レオン兄様の脚を奪うことを、フィリップ兄様が決めていいはずがないのに。
「フィリップ兄様はそれで良いかも知れませんが、レオン兄様は望まれていないのでは」
「望んでいなくても叶える。自分の望みとはそういうものでは? お前は誰かにそれは間違っていると言われたからと言って自分が欲しいものを諦められるの?」
「フィリップ兄様の望みは狂っています。……レオン兄様が歩けなくなってもいいんですか」
「何がいけないんだ?」
金色の髪を梳きながらこともなげにフィリップ兄様はそう応えた。
「脚がなくてもレオン兄上はレオン兄上だろう。王になれないだけで、ぼくの兄であることに変わりはない。それともお前は目がないサガルに会って兄ではないと思った?」
「さ、サガル兄様は……」
忘れていたかったことをありありと思い出して、喉の奥が張り付くような感じがした。
頭の中で薄い碧瞳が私を見ていた。責めるように。
「サガル兄様の目は、関係ありません。それにレオン兄様の話と関係がない」
「そう思っているのはお前だけでは? 目を逸らしているとは思わないのか? お前のために行ったことをお前が否定するのか?」
「わ、私のため?」
「呆れた。王妃との契約で目玉を抜き取ったと聞いたが。王妃からお前を守るために。サガルはお前というもののためならばいくらでも、自分を切り売りできる」
「そんな……こと」
ないと言い切りたかった。
けれど、私はサガルの行いを全く知らない。彼が私のために何をしてきたのか、知らない。
「……王妃が私を殺したがっているのは知っています。でも、今の私にはあの剣奴のような強い護衛がいます。そうそう害されるとは思えません。サガルが私のために目をくり抜いたと本当におっしゃっているのですか?」
「愚かだ。暗殺ばかりが人を殺すわけじゃない。人を殺す方法はいくらでもある」
ん? と眉を顰める。フィリップ兄様は何が言いたいのだろうか。
まるで、王妃が暗殺以外で私を殺せると言っているようだった。
「暗殺以外で王妃様は私を害するということですか」
「――お前は陛下が秘密裏に進めている研究を知っているか」
「研究ですか?」
「死者を甦らせるという眉唾物の奴だ。清族どもに唆されて、お前の母親を蘇らせようとしているらしい」
ヴィクターの声が蘇る。
この人形の中には、お母様の魂が入っていらっしゃいますのよ。
水槽の中にいた女の口が動く。何かが宿っていると確信した。けれど、決して蘇ったとは思えなかった。別の何かが入っているとだけ。
トーマ達も違和感があるようだったが、蘇ったとしか思えないと口にしていた。
兄様は、そのことを言っているのか?
あれは極秘で父王様が清族達に命令していたのではないのか。フィリップ兄様は清族のなかに手駒がいる?
「……お前。それも知っていたの? 存外、お勉強しているんだな?」
「私の従者が少しだけ話をしてくれました。……ヴィクター達が父王様に命じられて人を蘇らせる研究をしている、と」
「それだけか? じゃあぼくが教えることはありそうだ。お前はあの人形と愛しあえると思うか」
「ど、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味だ」
つんと突き放すようにフィリップ兄様は言い切った。
「陛下のお考えは母上に殺される前の愛人と会うこと。――愛を交わし合うことだ。子供とてまだ作りたいのだろう。だが、人形を孕ませることが出来ると思うか? 人形ではなく、生身の体を探している。魂が定着する生前に似通った姿を」
「――私の体をということですか」
「まずは一番の近親者である母上だ。次にお前」
「……王妃が亡くなったら私が候補者の先頭になるということですか」
「そうだ」
……胸の中の感情をどう表せばいいか分からない。納得と絶望と、サガルへの申し訳なさ。サガルは王妃に脅されたのか?
自分が自死したら私が次は研究の対象だ、と?
サガルの瞳は私のために取り出された?
視界がじわりと歪んだ。今更知ったことが情けなくてたまらなかった。サガルの献身を、私は踏み躙っていた。リュウが怒るのも当たり前だ。あいつはむしろ、よく私を殺さなかった。
唇を噛み締めて、声を殺す。
大丈夫。大丈夫。
何度か唱えて、口を開く。
「サガル兄様の瞳を取り出して、王妃は満足したのですか? 結局、自分が候補者の先頭なのは変わらないのでは。自分だって、危ういはずです」
「……まあ、そうだね。何も変わらない。けれど、まだ幸福になれる機会があるかもしれない。それに賭けてるんだろ」
「幸福なれる?」
幸福になろうとする人間が自分の息子の目玉を欲しがるものか。
歯を食いしばり言葉を待つ。まだ嫌がらせのために生きていると言われた方がまだ納得ができた。
「魂が定着せず、自分が姉の演技を完璧に出来たら、母上は愛人のふりをして愛される」
「……は?」
「陛下に愛されるためならば、なんでもする。自分の幸せのために姉を殺した女だよ。なんでも、出来る」
「そんな、夢みたいなこと、本当に出来ると思っているんですか」
「確率は低くとも願わずにはいられないことがある。生きるために、支えとなる希望が必要な時もある」
――わたしは姉を食った!甥を食べた!だから、この恋は叶うべきなのよ。肉親を犠牲にしたのよ。
あの人に好かれるためだけに、そこまでしたのよ。
わたしは愛されるべきなの。愛されてしかるべきなの。だって、そうでなければこの激情はいったいなんだというの? 姉さまを殺したあの瞬間の意味は? 姉さまの死は、わたしの恋の成就のために必要不可欠のはずよ。そうでなければならないのよ。
女の声を思い出す。恋を叶えるために姉を殺した王妃はとても幼い子供のようにすら思えた。子供が夢を見るときの熱っぽい無謀さ。
唇を噛み締める。血の味がした。
侍女が撃たれた女の手を握りながら永遠と言っていた。死ぬのは恋が成就したとき。
「狂っている……」
「狂っていることの何が悪いの。結局、正常な人間などほとんどいない。普通なんて、この国で見たことがない。普通の人間、ありふれた生。平凡な日常。そんなもの、どこにもない。母上がサガルに瞳を所望したように、ぼくもレオン兄上の脚が欲しい」
「……兄様は、レオン兄上の脚だけではないのでしょう?」
碧い瞳が私を見透かすように向けられた。にやりと薄く唇が動く。
「レオン兄様の脚を奪って、マイク兄様がお戻りになった時に何も起こらないはずがない。マイク兄様はレオン兄様に忠誠を誓う騎士なのですから」
「騎士、騎士、ね」
吐き捨てるようにフィリップ兄様は騎士という言葉を口にした。
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