311 / 320
第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
296
しおりを挟む紅茶の匂いが充満している部屋にレオン兄様はいた。机に立てかけられた真鍮の杖がカタリと動く。
「殿下、カルディア姫をお連れしました」
「ああ。……どうぞ、カルディア。どうか座って」
「はい」
フィリップ兄様と違い、レオン兄様はイルのことを見もしなかった。
「すまない。突然呼びつけたりして」
「……いえ」
使用人が扉を開き、紅茶を運んできた。レオン兄様はすぐに私に飲むように勧めた。
イルが後ろから毒味をしようと手を伸ばして、初めて兄様が彼を見た。
「カルディア、お前が飲むべきだろう?」
紅茶の馥郁たる匂いを嗅ぎながら牽制するようにそう言われた。
イルが動きを止めて、信じられないものを見るようにレオン兄様を見た。眼鏡の奥の動揺がよく分かった。
小さく息を吐き出して、イルの手の上に自分の手を重ねて制する。
「いただきます」
カップを持つ手が震える。レオン兄様の視線がカップに注がれる。紅茶に映った自分の顔を見つめているように。
くい、と勢いよく飲むと、喉の奥が焼けるような思いがした。熱くないのに、心底熱く感じた。
全て飲み切ると、レオン兄様は喉を鳴らして喜んだ。
試されたのだと遅れながら気付く。微笑もうとした頬がひりつく。
「美味しい?」
「……はい。とても」
本当は味なんて感じなかった。
「それは良かった。フィリップのところで出されたものより気に入ってくれるといいのだが」
目が乾く。視線を彷徨わせる。レオン兄様は泰然自若としていて、穏やかな声で語りかけてくる。
もう私を監視していたことを隠さないのだ。
「フィリップ兄様はご自分だけ紅茶を飲まれていました」
「……あの子は気が利かない子だ。カルディアがいくら一人で紅茶が飲めないからと言っても義理でも勧めるべきだろう」
「……一人で飲めました」
「そうだね。偉いぞ。けれど、そんな青い顔をしては流石に罪悪感がわく。吐きたくなったらいいなさい。盆でも用意させよう」
喉の奥のムカつきを押し殺して首を振る。
「大丈夫です」
レオン兄様はそうかと呟いて、眉間を揉んだ。なんだか少しだけ困っているような仕草に呆気にとられた。
ここまでわかりやすく監視していたのだと示した理由はなんだろう。
さっきまであった悪意のようなものが緩んだ気がして瞠目する。
「……すまない。試した」
「レオン兄様が本気で毒を盛るとは思っていないんです。……ただ」
「事情は理解しているつもりだ。……クロードも同じだからな」
ヒュッと息を呑んでしまったのは失敗だった。
レオン兄様は冷淡な表情に変わり、睨め付けるように私を見つめた。
「どうした? カルディア」
声が低いものに変わっている。確かめるように私の顔を覗き込むレオン兄様は先ほどとは違い、全く情らしいものを感じない。
クロードに毒を盛ったのはレオン兄様だと暴いてしまっている。
動揺が顔に出たことを悟られたのだ。失敗を取り戻すことも出来ない。
気がついて、自分の中で納得してしまえばもう見なかったふりも出来ない。レオン兄様は残酷にも自分がやったことをあたかも知らないことのように振る舞った。その悪意すら見え隠れする行為に、無反応ではいられなかった。
「お前、クロードから何を聞いた?」
「クロードのせいではありません」
「ではフィリップか? ……いや違うね。お前自身が気がついた。なんて愚かな子だ。明らかにするべきではないことだと分からなかったか? すくなくとも確信に至るべきではなかった」
「……愚かな行為ですか? 王族同士で殺し合うことよりも?」
「お前はまだ幼く、子供で、それでいて女だ。何も分かるまい」
「分かるように話して欲しかった」
レオン兄様をまっすぐ見つめる。
「それは贅沢な望みですか? 兄様達が殺し合っているなんて、考えたくもなかった」
「なぜ?」
「……私の母は妹に殺されました。けれど、私はサガル兄様のことも、レオン兄様のことも、フィリップ兄様のことも、マイク兄様のことだって殺したいと思ったことはないです」
「お前自身、殺されかけているのに?」
「王妃を恨んだことならばあります。サガル兄様の目玉をくり抜く前に殺しておけば良かったと思ったことも」
「……ならば、気持ちだけは分かるのでは? 殺意を向けられたならば、反撃しなくては。ただ、殺されるのは嫌だ」
クロードは本当にレオン兄様を殺そうとしたのだろうか。あのクロードの言い方……。一方的に加害されたと言わんばりだった。
レオン兄様はありもしない殺意を感じ取って、反撃してしまったのではないか。
「レオン兄様は、フィリップ兄様もその原理で殺すおつもりなのですか?」
「フィリップから訊いたのか?」
「お話だけ。フィリップ兄様が先に手を出したので、やり返されるだろうと」
「……フィリップという男はひとかけらだって理解できるところがない。正直、兄弟であるというそれだけであの男から目をかけられているように感じる」
「目を……かけられている、ですか?」
「そうだ。カルディア。これほど不快なことがあるか? 弟に、まるで何もかも分かったように振る舞われる。目上のもののようにな。そのくせ、兄上、兄上と慕っているフリをされる」
「ふ、フリですか? フィリップ兄様がレオン兄様を慕っているのは間違いないように思いますが」
少なくとも、私の目にはとても好意を抱いているように思えた。
「ならばなぜ、あいつは幸せになろうとするところに現れて全てぶち壊しにする? おおよそ血の通っている人間の所業とは思えないことばかりを繰り返す?」
「そ、それは……」
レオン兄様の妻であるマジョリカ義姉様は初夜を邪魔された。それだけではなく、顔に焼き鏝をあてて痣まで作った。
「マジョリカの顔の痣のことを聞いたか? なにも、顔を狙わずとも。もしマジョリカと離縁しても、彼女自身の人生はこれからも続く。女性の顔をいたずらに傷付けた。彼女の叫び声がいまでも脳を揺らすことがある」
「……フィリップ兄様は残酷な方であることは否定しません。むしろ、とても恐ろしい方だと思っています。……何かの拍子にレオン兄様やマイク兄様を殺しかねないほど」
実際、フィリップ兄様がレオン兄様達を殺した世界にいたことがある。
「そうだ。カルディアのいう通り、フィリップはいつ殺してもおかしくはない。そういうのを、獣心というのだ。人間らしく振る舞っているだけの獣。家族愛だの兄弟愛だのという型にはめることでなんとか人になりすましているだけ」
「……獣」
同意できる部分もないわけではない。レオン兄様のいう通り、フィリップ兄様の思考は理解不能だ。レオン兄様から見て得体の知れない意味のわからない生き物に見えるのも無理もないように思う。
「カルディア、お前は私が幸せになることを邪魔する?」
「い、いえ。レオン兄様には幸せになって欲しいです」
「そうだろう? ……なあ、カルディア。私の幸せの為にフィリップを殺すのを手伝ってくれと言ったらどうする?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる