どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「辛気臭い顔してるねぇ」
「……何しにきた?」

 イルが警戒して、懐に手を入れながら問いかけた。

「何、そんなにピリピリして」
「リュウ、もう一度きくけど、なにをしに来たんだ? 俺はあんまり、気が長い方じゃないんだけど」
「警戒しなくても、何もしないよぉ。近付かない」
「……カルディア姫を殺しかけた男は言うことが違うね」

 リュウは少しだけ眉根を上げた。挑発的で、少しだけ男っぽい仕草だった。

「イルだってさぁ、ギスラン・ロイスターをお姫様が選んでなかったら殺してたでしょ」
「そんなもしもに意味があるとでも? ここにいる姫様は、ギスラン様の婚約者なんだけど」
「……ただ、呼びに来ただけ。面白そうなことになっているから」

 そう言って、リュウは意地悪に笑った。

「面白そうなことって、何が?」
「第二王子と第一王子の奥方が出会っちゃったんだよ、王宮で」

 立ち上がり、馬車を用意するように呼びつける。
 間に合わないかもしれない。だが、フィリップ兄様と、マジョリカ義姉様が出会ってしまったと聞いて平然とはしていられない。だって、義姉様は、フィリップ兄様のことを恐れているのだ。
 心を壊した元凶。顔のあざの原因。そんな存在と会ってしまったら、どんなことになるか想像もしたくない。
 フィリップ兄様が王宮にいると聞いたときのあの狼狽を思い出すだけで胃が痛む。

「そんなちんたらしてたら間に合わないでしょお。ほら、行って来なよ」

 リュウが突然私の腕を掴んだ。イルの手が伸びてきたが、間に合わなかった。
 視界がぐるりとまわる。移動魔法だと思った時には既に王宮の中庭にいた。
 ダンのーー王宮魔術師の結界により、王宮への移動魔法での侵入は不可能なはずだ。どうしてリュウがこんな真似を出来る……?
 いや、考えている暇はない。フィリップ兄様はどこにいるだろう?


 走り出そうとして、イルがいないことに気がつく。一瞬、のまれるような恐怖に押し潰されそうになった。私を守ってくれる人間はここには誰もいないのだ。
 息を吐き出して覚悟を決める。
 すくむ足を無理やり動かして、前に進んだ。


 フィリップ兄様がいたのはレオン兄様の執務室だった。兄様のソファーに腰掛けて、マジョリカ義姉様を挑発するように見上げている。
 マジョリカ義姉様の方は、顔面蒼白でじりじりと後退しながらもキッと睨み付けていた。出会ったと言うよりも、マジョリカ義姉様が乗り込んだという方があっている気がした。

「僭越だとは、思わないのかい? レオン様の部屋だろう」
「いい加減にして欲しいですね、マジョリカ夫人。何度同じことでおれを責めるんです?」
「何度言っても君が出て行かない、からじゃ、ないか」

 ごくり、ごくりと唾を飲み込みながら、とぎれとぎれにマジョリカ義姉様は続けた。
 口調は男性的なものだった。けれど、姿はふわふわとしたドレスを着たお人形のような彼女だ。違和感にぞわっとした。何かが致命的に間違えている気がした。

「はあ……。埒が開かないな。ディア、図書館に行く。共をして」
「あ……」

 扉の前の私の存在を最初から気がついていたようにフィリップ兄様は目配せ一つなく、そう言った。

「待て! 話は終わっていない!」
「終わらせたくないだけでしょう。あなたはずっと、おれを責めたいだけだ」
「責められるようなことをしていないと!? 厚顔無恥にも程がある」
「では、直接言えばいいのでは? 自分の顔に焼き鏝をあてた人非人。鬼畜の権化。人の顔をした悪魔。死んでしまえ、と」
「う、」
「レオン兄上を引き合いに出す必要はありませんよ、夫人。はっきりおっしゃっては?」

 汗をダラダラとかいて、マジョリカ義姉様は目線を彷徨わせた。ドレスのフリル部分を皺が寄るほど握っている。

 何か助け舟を出そうと口を開いて、閉じる。
 マジョリカ義姉様の小さな声をかき消してしまいそうだった。

「……何か、いたしました?」
「なんですか? 声が小さくて聞こえません」
「何か、フィリップ様のお気に障ることを致しましたか? どうして、あのような」
「夫人、あなたって方はよくよく人の神経を逆撫でされるのがお上手ですね」

 はあとため息を吐いて、フィリップ兄様は首を振った。

「おれはあなたが最初に挨拶してくださった日のことを屈辱で忘れることができません。でも、あなたは覚えてはいらっしゃらないのでしょうね」
「何を言っていらっしゃるの。何をしてしまったというの」
「こうおっしゃったんですよ。愛人と同じ血を持つたかが公爵家生まれの王妃と。こうもおっしゃった。レオン兄上にもその血が混じっているなんて幻滅してしまうわ、と」
「そ、そんなの、覚えていないわ」

 暗い顔をして、フィリップ兄様は頷いた。

「そうでしょうね。あなたにとっては数ある嘲りの一つだ。悪意なく吐き出した言葉。おれが悪いのでしょうね。あなたの無垢な言葉を、流せなかった。……なんて、言わなくてはならないのですか? あなたはそんな子供でもない。自分なら許されると思ったから口にした、それだけなのでしょう?」
「だっ、だってぇ……」

 ラズベリー色の髪を揺らしながら、マジョリカ義姉様左右に揺れる。

「ばあやが言っていたわ。妾の子を愛でるレオン様はおかしいって。頭を撫でて、まるでレオン様の愛人のよう。私のことを一番に愛するべきなのに。下賎な愛人の血も引いているから、このような女に惹かれるのよ」
「ハッ、はは……。妬心を隠さないのですか?」
「妬心? 私はこの子なんかに嫉妬しないわ。だって、可哀想な子なのだもの。こんな子に……」
「あなたは、とても醜い方だ」

 フィリップ兄様は軽蔑の一瞥を向けると、そのまま私の手を握り部屋の外に出た。

「フィリップ、兄様」
「ディアお前は愛人の子供だ」
「は、はい」

 マジョリカ義姉様の嘲りはもっとものような気がした。
 彼女はもとまと公女だった。
 アルジュナの大公の娘で、愛されて育ってきたのだろう。挨拶された時も、自分自身と喋れないことがとても不幸なことだと信じているように見えた。
 悋気が見え隠れしたのは驚いたが、どんなに複雑な事情があろうと、愛人の娘を可愛がるレオン兄様を受け入れるのには時間がかかっただろう。……いや、今だって本当に受け入れてはいないのかもしれない。
 それでも、血を批判することはこの国において屈辱的なことに他ならない。王妃を批判することも、フィリップ兄様にはこたえただろう。

「けれどそれを非難していいのは、ぼくやマイク兄様や、レオン兄様であるべきだ。違う?」
「ち、違わないと、思います」
「そうだ。だから、あの女のことを考える必要がお前にはない」

 慰められているのだと、遅れて気がつく。フィリップ兄様とマジョリカ義姉様の諍いを止めようとしていたのに、どうしてこうなったのだろう。
 思っていたほど逼迫した状況にはならなかったが、火の粉がこちらを向いた。
 ……何故……。

 ――急に、フィリップ兄様が倒れ込んできた。手を繋いだままだったので下敷きにされる形で転ぶ。にいさま、と言う声はすぐにかき消された。荒い息とともに、叫び声がした。

「この下賎な男が、わたくしの姫様を壊したんだ! これは報いなのよ!」
「……あ」

 それはマジョリカ義姉様の乳母だった。フィリップ兄様を狂気的な眼差しで見下ろし、口の端に泡を作って吐き出す。
 フィリップ兄様の背中にはナイフが突き刺さっているように見えた。

「に、兄様」
「ディア、見るな。いいな?」
「な、ナイフが、背中に」
「どうして剣奴がいない? あの男はお前の護衛だろう。どこにいる」
「兄様、ナイフが刺さって」

 ディアと初めて聞くような優しい声で呼びかけられる。

「お前は目を瞑って誰かがここに来るまで動くな。後ろの女がお前を狙わないとも限らない」
「私のことはいいから、清族を!」
「いいから。ぼくのやったことを、やり返されているだけのこと。そもそも、このようなことでぼくが、……ッ、死ぬとでも?」

 強がりだ! 
 吐く息が熱病にかかったようにあつい。それになにより、血が腹部まで濡らし始めて、真っ赤に染まりつつあった。

「死にます。死んでしまう」
「ばあや? ばあや、そこで何をしているの」
「ああ、姫様。ただ、ええ。虫を潰しておりましたの。汚くて臭いものだから、姫様は部屋の中から出てはなりませんよ」
「虫が……。私、虫は嫌いなの」
「ええ、分かっておりますよ。ばあやにお任せ下さいね」

 乳母が近付いて、フィリップ兄様からナイフを抜き取った。血が一気に溢れ出す。

「マジョリカ義姉様! マジョリカ様! どうか部屋から出てきて! 助けて!」
「あら、その声。使用人の声なの? だめよ、私に話しかけては。ばあやに叱られるわよ」
「マジョリカ様、カルディアです! フィリップ兄様が刺されて」
「だめだってば。聞き分けがないと鞭で打たなくてはならないわ」

 ……ああ、この人は助けるつもりなんてひとかけらもないんだ。
 狂っているフリなのかもしれないとすら苛立ちまじりに思う。
 部屋の外で、乳母がフィリップ兄様を殺してくれればいい。
 そう願っているのでは。

「姫様申し訳ございません。躾がなっておらず」
「ばあや、あまり酷くしては嫌よ」
「慈悲深い姫様ぁ。わたくしの自慢でございますぅ……う、うぅう」

 フィリップ兄様が私の腕をぎゅうっと強く握る。

「カルディア、いい子だから」
「誰か、助けて。誰でもいいの! 兄様が死んでしまう」
「もういい。お前は、声をあげるな」
「兄様」

 誰かが通りかかってくれることを祈った。
 お願い。誰でもいい。助けて。
 フィリップ兄様は悪いことをした。マジョリカ義姉様にとんでもないことをしでかした。やり返されても仕方ないこと。けれど、死んでほしくない。フィリップ兄様を殺さないで。
 背中に手を回して、傷口をおさえる。フィリップ兄様は呻いて、歯を食いしばった。

「……何を、している?」

 廊下の遠くで声がした。乳母が声に振り返る。
 カツン、カツンと、杖の音が聞こえた。

「何をしている。貴様、誰に、何を」
「……レオン殿下」
「私の弟と妹に何をした? 申してみろ、この気狂いめ!」

 杖を強くぶつけながら、レオン兄様は駆け寄ってきた。途中で転び、這うようにしてそれでも私達の前にたどり着いてくれた。

「フィリップ、フィリップ、お前」
「……あはは、兄上、無理されては駄目ですよ」
「馬鹿なことを。弟が刺されて自分を気にする兄がいるとでも?」

 私の手の上からぐっと力強く傷をおさえながら、レオン兄様は強くフィリップ兄様に言い切る。

「死ぬな」
「死ぬなとまで言って下さるのですか? このフィリップに」
「死ぬな。死んでしまっては二度と許せない」
「……はい」

 レオン兄様の護衛であるヒースが清族を連れてやってきた。すぐにフィリップ兄様は運ばれていく。
 たちまちのうちに乳母は捕らえられ、部屋の中にいるマジョリカ義姉様も連れて行かれた。
 彼女はずうっとうわごとのようにこう呟いていた。

「私が一番愛されるべきだったのに……。どうして血が繋がっているというだけでここまで贔屓されるの。私がされたことを、どうして恨みもして下さらないの。私のことを思いやって下さらないの。どうして……」

 それをレオン兄様は冷たい表情で見送った。私にフィリップ兄様を殺せと言った時よりも残忍に見える。
 そういえば。フィリップ兄様はマジョリカ義姉様をマジョリカ夫人と呼んでいた。義姉ではなく。

「兄様」

 フィリップ兄様の血で濡れた手で、レオン兄様が私を抱き締める。

「声をあげてくれてありがとう。お前のおかげだよ、カルディア。……さすがは私の妹だ」

 レオン兄様の髪が頬にあたる。自分の手をみる。フィリップ兄様の血で真っ赤だった。

 ーーフィリップ兄様は、ダンの懸命な治療により、一日後完全に傷口が塞がった。




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