魔術師のご主人様

夏目

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 どうしてこうなったのだろう。
 リジナは深く苦悩した。
 縋りついてもいい?
 私を捨てるなと懇願すべき場面だ。
 けれど、体が凍ったように動かなかった。緊張か、憤りからか、リジナには分からなかった。

「リジナ。私は君に誠実であったはずだ。だが、君は私に報いず、そればかりか、致命的な打撃を与えた」

 マリオが、一語一語、体に刻み込むように言葉を発した。
 美しい顔には、深い怒りがあった。
 リジナはマリオに一歩、近づいた。心の距離を埋めたかった。埋められるはずだと信じたかった。

「君との婚約を破棄したい」
「マリオ!」

 悲痛なリジナの声を振り払うように、マリオは首を振ってぎこちなく笑った。銀の瞳が、水に浸かっているようにふやけていた。

「ナツミのことを好きになってしまった。だから、これは君のせいではない」
「違う!」

 リジナは叫ばずにはいられなかった。
 マリオが目の前の女ーーナツミのことをリジナ以上に想っていないことは分かっていた。
 マリオは器用な人間ではない。婚約者がいるのに、他の人間にうつつをぬかすような真似は出来ない、誠実な人だ。誰よりも、リジナがそれを分かっている。

「きちんと話そう、マリオ。あなたを、私から奪わないで」
「いい加減にして下さい。みっともない。マリオ様は私を選んだんです」

 ナツミは、マリオの肩に寄りかかった。
 ーー親密そうだ。とっても。
 マリオがナツミに恋情を抱いていないと分かっていても、胸がずきずき痛む。
 ナツミの方はまんざらでもなさそうに、頬を染めて、熱心にマリオを見つめていた。

「私はマリオ様のことが大好きなの。だから、さっさと破棄を認めて」

 うるさいと怒鳴りつけてやりたかった。
 マリオがどうして、婚約破棄をと言っているのか、リジナには見当がつかない。
 まずはお互いに会話をしなくてはいけない。なにもかも、それからのはずだ。
 なのに、すべての過程を飛ばして結果に着地するのはよくない。

「マリオ、話をしよう? 私達には対話が足りていないと思う」
「示談書をつくる。サインしてくれるならば」
「まずはどうしてそうなったかだよ。私には理由が分からない。私に嫌なところがあった? 言ってほしい。なおしたいよ」
「言わなければ分からない?」

 マリオの強張った顔に、リジナは怯んだ。
 マリオの言い分ならば、長年、それは行われてきたはずだ。しかし、マリオに注意された記憶はない。
 絵を描くことはマリオも好きなはずだし、お酒だってマリオも嗜む。
 ーー他は、あの双子のこと?
 しかし、それだって、マリオは仕方ないと笑って許したはずだ。リジナだって、マリオの残酷な魔術師の所業を許している。

「分からないよ、マリオ」

 マリオの瞳に、ありありと軽蔑の色が見えた。
 リジナは目を見開き、婚約者の厳しい視線に怯えた。
 マリオは一瞬だけ、悲しそうな表情を浮かべたが、すぐにそれを隠して、ナツミの手をひいた。

「後日、また機会を設ける。どうか、納得して欲しい」

 背中に駆け寄り、行かないでと言いたかった。
 しかし、リジナの足は相変わらず凍ったまま動かなかった。
 ナツミが振り返り、いやらしい顔をして笑った。リジナは、はじめて、女の顔面を殴ってやりたいと思った。



 マリオは出会った時から美しかった。白い肌、青く澄んだ瞳。銀髪がさらさら揺れる様子はまるで穂波のようだった。
 リジナは辺境伯の次女として生を受けた。リジナの父が管理するリックスヘレムは農業地帯では、とくに麦がよくとれた。どこの土地よりも、リックスヘレムのパンの美味しいと自負している。
 リジナは十三のときに王都にやってきた。選定が行われるからだ。
 伯爵位をいただいているといっても、辺境地帯の田舎者。
 王都に集う、絢爛豪華な貴族達からいじめられた。


 田舎者の臭いがする。ドレスは土で出来ているんじゃないの。知っている? 田舎ではネズミを焼いて食べるそうよ。

 悪意の塊をぶつけられ、傷心している娘に、父が紹介してくれたのが、妖精の子供のような美しさを持つマリオだった。
 マリオは、他の貴族の子供達と違った。リジナに決して悪意の塊をぶつけなかった。むしろ、言葉を一言も喋らなかった。

 マリオはファン公爵家の次男だ。ファン公爵家は、現国王を輩出した血筋であった。マリオはリジナと同じように選定の為に王都に滞在していた。

 リジナは、マリオにとても懐いた。彼の声が聞きたくて、褒められたくて、彼の前でなんでもした。
 歌もうたったし、絵も描いてみせた。自慢のパンをつくって食べさせたこともある。
 マリオはとても喜んでくれたが、やはり、声を出してはくれなかった。いや、出せなかったのだ。
 そのあと、リジナが彼の兄から教えてもらい、愉残酷な魔術師に声を奪われていたことを知ったのだ。



 ぼーっと立ち尽くしていたリジナの肩を乱暴に叩かれる。振り向くと、ご機嫌斜めの双子が腕組みしている。
 二人は獣人の魔術師だ。
 だから頭からぴょこんと猫耳が飛び出している。白のスーツに赤いタイをつけていた。足は長く、指の爪が鋭く尖っている。
 顔は恐ろしく整っており、人形のような無機質な美しさを湛えている。
 リジナがぎこちなく笑むと、途端に人形の顔に生気が宿った。拗ねた顔をした双子が、詰め寄ってくる。

「ごみとの会話は終わった?」
「マリオだよ。私の婚約者の」
「先ほど婚約を破棄しようと言われていた。リジナの魅力がわからない男だ。婚約ならば、ぼくがしてあげる」
「テオドール。魔術師と主は結婚できないよ」
「法を変えればいい。私ならば、脅してでも変えてあげる」
「リチャード。私はマリオと結婚したいんだよ」

 双子は不機嫌になった。
 リジナの双子の魔術師。テオドールとリチャード。
 そもそも、魔術師とは、リジナ達の祖国であるメハド国に少数しか存在しない幻の存在だ。
 太古の昔、神と盟約を交わした異郷の存在。
 彼らは強大な力を持つかわりに、主との契約がなければ力を十分に発揮できない。
 主を得た魔術師は、莫大な富を産む。
 それ故、国が主導し、未契約の魔術師達を集め十年に一度の選定で主を決めさせ、契約を結ばせる。

 リジナもマリオも、魔術師に主として選ばれた存在だ。

 魔術師は、これと決めた主に絶対服従だ。恋人や妻のように尽くす。執着心が強く、主に対して独占欲が強いものが多かった。
 リジナの双子の魔術師も、リジナのことを溺愛し、所構わずキスをねだってくる。人目を気にせず口説くような台詞を言うものだから、リジナは恥ずかしがって、屋敷から出ないような生活を送っていた。
 今日は、久しぶりに愛おしいマリオに呼びつけられた。精いっぱいめかしこんだ。双子の機嫌を損ねるほど。
 けれど、マリオはリジナに三行半を突きつけ、颯爽と別の女を連れて去ってしまった。
 しくしくと胸が痛む。ナツミのことが憎かったし、マリオの言葉だって酷いと思った。

 ーー言わなければわからない? そんなの分からないよ!

 理由を聞きたい。言わないなんて理不尽だ。ああ、そうですかと諦められるようならば、すでに婚約破棄をしている。
 リジナにとって、マリオは運命の人だ。
 小さい頃から、ゆっくりと温めた恋慕の相手。幼いリジナの希望だった。彼といれば、辛いことも辛くなくなる。頑張ろうと、明日に希望が持てるのだ。

「やっぱり、マリオときちんと話さなくちゃ」
「……そんなことより、リジナ。ぼくとお茶を飲もう? いい茶葉を用意した」
「私のことを、撫でて構わないよ。ただし、今だけ」

 ぎゅっと目を瞑って擦り寄ってきたリチャードに、ついきゅんと心が疼く。
 双子は、獣人だ。魔術師達は獣人であることが多い。人型も多いが、魔術を行使するときに、人よりもけものの方がいいのだという。
 リジナは双子が擦り寄ってくるおかげで、もふもふにときめいてしまう性癖ができた。
 双子も、それをよくわかっていて、引き止める材料に使う。

「……飲まないし、撫でないよ」
「なぜ? 淑女のたしなみは紅茶だと、リジナが言っていた」
「私の毛艶がいいと、撫で回したくてたまらないと、言っていた癖に」
「やっている場合じゃあないの! 私とマリオの大切なことだもの」
「ならば、ぼくやリチャードは軽んじられて構わない?」
「あまりにひどい。ペットがなにかだと思っている?」

 完全に拗ねた双子は、リスみたいに頬を膨らませ、耳をぴくぴくと前後させる。

「リジナの魅力が分からない男なんて、気にする必要ある? 前から気に入らなかった」
「カシスの主だもの、節穴で仕方がない」

 カシスとは、マリオの魔術師だ。
 マリオを溺愛していて、契約を結ぶ前、他の魔術師と契約しないように声を取り上げた。
 けれど、契約を終えると、マリオはカシスを無視するようになった。それに堪えたカシスは、マリオに対しておびえながらと接している。

 双子はカシスと交流がある。魔術師は年頃になると、魔術学校で学ぶ。カシスとは同期らしい。

「カシスは、まだあのごみ二号をかえさないのかな」
「さっさと返せばいいのに。さっきも、私のリジナを睨みつけていた」
「ぼくのリジナだからね。カシスは馬鹿だから、極彩色の鸚鵡を呼びはずが、異界の女を召喚しちゃった」
「私のだよ。私のリジナ。カシスは馬鹿だから、いまだにあのごみ二号をかえす算段がついていないものね?」
「誰がお前なんかにやるもんか。ぼくのリジナだ」
「生意気。叩きのめしてあげようか?」

 獣の長細い瞳孔が、剣呑な光を帯びる。
 双子はにらみ合い、八重歯を剥き出しにして威嚇し始めた。
 双子はいつもこうだ。どちらがリジナから寵愛を受けているか、はたまたどちらがリジナを愛しているか、競い合う。
 死闘も辞さないので、リジナは二人を諌めるので手一杯になってしまう。

「喧嘩はだめだよ!」
「だって、リチャードが!」
「違う、テオドールだ」

 頭を抱えてしまう。こうなったら、リジナが宥めすかさないと、双子はあたりのものを壊して、優劣をつけようとする。
 しっかりと、マリオと話し合いたいのに。
 双子は、その日、いがみあってまったく言うことをきいてくれなかった。
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