魔術師のご主人様

夏目

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「どうしたら、いいかな」
「どうしたらと言われても、返答に困ってしまいますね」

 リジナが陰鬱な顔をして茶器を皿に置いた。
 リジナの住む屋敷の中庭にには、休憩できるように円卓が置かれている。あたりは鮮やかな花々が咲き乱れ、生い茂る草木は風で気持ちよさそうにそよいでいた。
 目の前に座ったファウストはセドから竪琴を受け取ると手慰みのように弾き始めた。
 ファウストも、魔術師の主の一人である。
 ミオール伯爵家の三男。伯爵家は裕福で知られており、ファウストの衣装も王族のように豪奢だ。
 セドはファウストの魔術師で、二メートルほどもある長身の男だ。顔立ちは他の魔術師と同じように計算されつくした芸術品のように美しい。銀縁の眼鏡をして、凛然とファウストの後ろに立っていた。
 ファウストの演奏を至上の音楽であるとばかりにうっとりと聴き惚れている。

「夜会以来だというのに、きちんとした挨拶もなし? だいたい、そんなこと、マリオときちんと話し合うべきでしょうに」

 琴を弾きながらファウストはゆっくりと口を開いた。
 セドがそれに瞬時に気がつき、恭しく口の中に宝石のような菓子を入れる。
 魔術師のなかでも、セドは従者タイプだ。
 ファウストのあとをまるで従僕のようについて回る。

 風呂の世話から食事の世話までされるのだと、ファウストと知り合った当初、ぼやいていたのを思い出す。

「まあ、そもそも、主同士の婚約が成立していただけで奇跡というべきなのですが」

 口をもごもご動かしながら、ファウストは言った。竪琴が幻想的な調べを創り出す。ファウストの即興曲らしい。

「それは、そうだけど」
「魔術師は、えてして嫉妬深い。自分以外が主人に近寄って欲しくない。一方がそうでも成立しにくのに、両方それを受ける立場ではね」
「でも、セドは違うよね?」
「さあ? これの心情など汲んだことがないから、知りません」

 セドは「さすが、我が主!」と言わんばかりに、ファウストにキラキラとした眼差しをくれている。セドは、ファウストに従順そうに見えるが、違うのだろうか。
 セドは、ファウストの貴族らしい傲慢なところが好きらしい。困った命令をされれば、されるほど嬉々としている。

「だいたい、セドの話をしても仕方ないのでは? 貴女の双子とマリオのカシスは魔術師のなかで一二を争うぐらい優秀だが、その分独占欲が強いではないですか」

 リジナの双子はいつもリジナを巡り、途方もない喧嘩をしている。ちなみに、二人は今、魔術師の仕事をしているため、席を外している。
 カシスも、選定が行われる前にマリオにつばをつける執着っぷりだ。
 主として選ばれたとき、このまま二人を婚約者にするのはよくないのではないかとまで議会で取り上げられたぐらいだった。
 マリオが問題ないと一蹴し、事なきを得たが、もしかしたら、婚約を解消させられていたかもしれない。

「今回のことは、魔術師達とは関係ないんだよ。私のことが、嫌いになったらしいの」
「ほう?」

 ファウストは、弦から手をはなしてリジナを興味深げな眼差しで見つめた。
 樹液のような琥珀色の瞳。燃えるような大地の髪が、あごの輪郭を隠し、ゆらゆらと毛先が揺れていた。

「マリオが、ねえ?」
「どうして、と尋ねると、言わなければ分からない? って訊き返された」
「おやおや。ご立腹ですね」

 からかうような声色にムッとしてしまう。
 ファウストはなにか知っているんじゃないだろうか。だから、意味ありげに微笑み、楽しんでいる。

「ファウスト、ちゃんときいて」
「僕には、貴女達が痴話喧嘩をしているようにしか思えないので」
「痴話喧嘩?! すごい勘違いだよ。婚約を破棄したいってマリオは言っていた」
「だから、素直に婚約を破棄する?」
「したくない」
「ならば、うだうだしている場合ではないのでは? 僕に縋らずとも、マリオに直接、直談判されるとよいと思います」
「マリオの屋敷に行ったよ。でも、門前払いされた」

 ファウストは目を見張った。

「マリオが貴女を拒絶したのですか?」

 こくりと頷く。
 今日の朝のことだ。嫌がる双子を引き連れて、マリオの屋敷を訪ねた。
 しかし、執事に「マリオ様がお会いになりたくないと言っていらっしゃいます」と言われ、立ち去るように告げられたのだ。

 その時の衝撃といったらなかった。
 帰りの馬車のなかで、泣くのをじっと我慢したぐらいだ。
 マリオに愛想を尽かされたのではないかと思うとまるで世界に一人っきりになったみたいに心細くなる。

「ファウスト、どうしよう。本当にマリオに愛想を尽かされちゃったら。もう、なにを言ってもだめかな? 嫌なところ全部、変えるっていっても?」
「貴女達が、悪いほう悪いほうへ進んでいっているのはわかりました」

 苦笑すると、ファウストは猫のように伸び上がった。
 椅子から立ち上がると、セドにもたれかかる。セドは、主との接触に喜んでいるらしい。顔がだらしなくとろけている。

「僕が頑ななマリオを説得してみせます。交渉の場を用意しましょう」
「ファウスト! ありがとう、大好き!」
「……はあ。軽々しい言動は控えられたほうが賢明では? 僕が惚れたらどうするのです?」
「ファウストが、私を? ありえないよ」

 ファウストは、贅沢好きで派手好きだ。
 主仲間だからリジナと対等に話してくれているが、田舎貴族と中央に近く広大な土地を持つ貴族では、釣り合わない。
 王都にいる貴族達はそう考えている。リジナがそれを知ったのは、王都についてからだった。

「まあ、ありえないのですが。そう自信満々に言われると、崩したくなる」

 ファウストはリジナに近付き、派手な顔を近付けた。高貴で、優雅な獣のような笑みだった。

「振られたら僕が婚約して差し上げましょうか?」
「私、マリオ以外の人と結婚はしないよ」

 笑いを噛み殺すように息を吐き出すと、ファウストは身をひいた。

「私が愛しているのはマリオだから」
「ーーはいはい。僕がみじめになるので、もうなにも言わないでもらえますか」
「でも、ファウストのこと、好きだよ」
「それは、嬉しいですね」

 荒んだ表情で目を細めると、ファウストは会釈をして去っていく。
 その後ろをセドが付き従った。
 去っていく背中は、どこか寂しそうだった。



 帰ってきた双子は、褒めて欲しそうにリジナを見上げてきた。
 双子が出かけていた理由は、王城の結界の強化のためだ。二日後に星見が大雨を予見した。国全体に結界を張ることはできないが、城一つにならば、雨風を防げる結界を持続することができる。
 魔術師は、現場に主を伴わない場合が多い。衆人環視に晒したくないからだ。
 だから、双子の不在を利用してファウストを呼び出した。
 双子は、リジナが他の男性と会うことをよしとしない。マリオに会いに行くのだって、双子のご機嫌をとり、やっともぎ取ったのだ。

「ご苦労様」
「うん、もっと褒めるべき」
「そうだよ、私を甘えさせるべき」

 テオドールとリチャードは、見た目が少し違う。テオドールは短髪で吊り目。リチャードは後ろで髪を結びたれ目だ。
 髪の長さは、リジナが一度、双子を混同したことが原因だった。どちらか分からないのならばと、目に見えてわかりやすくしたのだ。

 リジナは双子を引き寄せると、大型犬をなだめるように頭をかきまぜた。
 ぽっと、双子の頬が赤く灯る。
 幸せそうに破顔して、リジナの首筋や手首に唇を近づける。
 甘噛みされると、リジナは小さくのけぞった。
 こちょばゆい。

「あれ」

 テオドールが鼻をひくひくと動かした。
 リジナはびくりとした。双子は鼻がいい。
 まさか、ファウストが来たことが勘付かれたのか。

「ふふ」

 首筋に、柔らかな笑い声が吹きかけられる。こそばゆくて、身を離そうとしたリジナを甘く捕らえ、リチャードが首筋に鼻を押し付けてくる。

「他の男の匂いがするね?」
「リチャードも、そう思う?」
「もちろんだ。これは、あの傲慢ちきな赤髪男の匂いだ」
「ぼくたちが必死で魔術を編んでいるときに、リジナは不貞をしていたんだ?」
「どうする? でも、セドはうるさいよ。私達があの赤髪男に手を出したら怒り狂う」
「セドが世話しやすいように手足を捥いでやったって言えばいいのでは? あいつ、なにもかも世話したい下僕系だもの。喜ぶはず」

 ぞっと背筋が凍った。
 魔術師は、考えが極端だ。残虐性を隠そうとしない。
 マリオのカシスが典型的だ。自分の主となってくれるためならば、相手の声を奪ってもいい。
 手段を選ばない。なまじ力があるだけに、実行できる。
 よく躾けねば、主ごと破滅する。
 魔術師はそのほとんどが容貌に優れている。また、人知を越えた力も持ち合わせている。欲望の種は尽きない。

「そんなことしたら、二人を嫌いになる」

 楽しげにファウストを痛めつける計画を立てていた双子がぎょっと目を剥いた。
 ぽろっと眼窩から目玉が飛び出してきそうだなと、リジナは場違いにも思った。

「な、なぜ!」
「だって、間男だ。ぼくらの蜜月を阻む害虫!」
「そうだ、殺虫剤を噴霧しなきゃ」
「ファウストを呼んだのは私だよ。私が、相談したいことがあるって呼びつけたの」

 どうしてと責める視線に晒される。
 双子のなかでは、ファウストがリジナの近くにいるだけで不貞行為である。だが、そもそも双子とは、恋愛関係ではない。
 責められるほうがおかしいのだ。

「マリオと会う機会をつくってくれるって」
「え?」
「きいていない」

 慌てはじめた双子にじっとりとした目をくれる。
 焦り方がおかしい。なにか隠している?

「やばいよ、ばれちゃう」
「ばれる?」
「おい、リチャード!」

 リジナは、淡く笑んで、猫なで声で尋ねた。

「なにが、ばれるの?」


 ⚫︎⚫︎⚫︎

 双子が白状したのは、マリオの執事に暗示をかけて、門前払いさせたということだった。
 門前払いをされたのはマリオの意思ではなく、双子の企みだったのだ。マリオに拒絶されていなかったのだとしれて、胸を撫で下ろす。
 だが、双子への苛立ちは湧きあがってきた。
 独占欲が強いのは知っていたが、妨害までするなんて。
 しゅんとうなだれているが、双子は、リジナに怒られることに対して反応しているのだ。かたちだけのもの。やったことを後悔しているわけではないのだ。
 むかっ腹が立ったリジナは、双子に謹慎も申し渡し、屋敷のなかで鼠のようにこそこそと働く侍女を呼びつけた。
 普段は、双子からリジナの視界に入るなと言われている人間だ。

 頼み込んで、馬車を用意してもらう。
 行き先を告げて、馬車の中に乗り込む。

 ガタガタと揺れる室内で、リジナは手持ち無沙汰になる。いつもならば、双子が騒がしくしているからだ。

 ーーお灸をすえてやらなきゃ、いうことをきいてくれないもの。

 魔術師の躾は難しい。
 甘やかさなければ、拗ねていうことをきかなくなったり、強硬手段に出ようとする。だが、逆に遊ばせておくとつけ上がり、堕落させようとする。
 マリオの顔を頭の中で思い浮かべる。
 リジナにとって、唯一の人だ。
 彼はいま、なにをしている?
 もし、ナツミと仲睦まじく会話をしていたら、息が止まるだろう。

 マリオがナツミを連れて来たときのことを思い出す。あの時も、息が止まりそうになった。



 そもそも、ナツミは、マリオの魔術師カシスが召喚した異邦人だ。
 マリオに相手にされないカシスは、毎年、誕生日に鮮やかな動物を贈る。マリオが動物好きだからだ。

 今年は、極彩色の鸚鵡を呼び出そうとしてーー呪文を間違えて、ニホンという国の女性を連れて来てしまった。

 ニホンというのは、チキュウという球体の星らしい。緑と海が多く、豊かだが戦争が絶えぬ星だという。
 リジナ達の住むメハド国は、ミーミ大陸の中心に存在する。ミーミ大陸の外は植物が育たぬ痩せた大地が広がり、その先には地獄へと続く断崖絶壁が待ち構えている。
 ナツミの話は興味深かった。
 ナツミは、メハド国は遅れていると言った。
 スマホもデンシャもなく、ヒコウキやテレビもない。デンキもろくに通っていない。貴族なんて旧態依然の制度がまだあるなんて信じられないと言っていた。

 ナツミの世界では、民主主義が流行っているらしい。大衆迎合の恵まれた社会に住んでいた。
 異文化の知識にマリオは惹かれたらしい。
 カシスが召喚してしまったという負い目もあったのかもしれない。
 どこに行くにもナツミを連れ歩き、この国との差異を知ろうとした。
 リジナがナツミに会ったのも、マリオがナツミを連れ回しているときだった。
 マリオの姿に気が付いたリジナが近寄ると、マリオは宝物でも自慢するようにナツミを紹介した。
 ナツミは、ほっそりとした女性だった。骨格から細い。顔はどこか狐に似ていていた。
 挨拶を返したリジナは、二人が手をつないでいることにびっくりした。
 リジナとマリオがデートをするときだって、手をつないだことはなかった。マリオが羞恥を抱いて嫌がるからだ。真っ赤になるマリオを見ると、リジナもつられて真っ赤になるので、徐々にと二人で取り決めた。

 ーーなんで。

 私とはつないでくれないのに。
 悔しかったし、寂しかった。
 ナツミの方が優遇されているのではないか。そう思うと、胸を抉られたように痛んだ。

 そのあとからだ。だんだんと、マリオとズレはじめたのは。
 マリオは、会うと、とても素っ気ないが、手紙では人が変わったように情熱的で優しい。マリオは筆まめでもあった。
 けれど、今では手紙が送られないようになり、いまでは手紙の返事さえ書いてくれない。
 リジナのことが嫌いになったわけではないと思いたい。
 マリオは誠実で、浮気は死んでもしないと誓ってくれた。
 それこそ、魔術師と主の契約のように、厳粛な誓いで。だから、もし、マリオが言う通り、ナツミのことが好きになったのならば、マリオの体は高熱に浮かされて、立つこともままならなくなる。

 ーーマリオ。

 きちんと話がしたい。顔が見たい。
 駄目なところがあるならば、言って欲しい。
 リジナは祈るような気持ちで手を組み合わせて願いを込めた。
 どうか、マリオが会ってくれますように。
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