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夏目

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 貴族達の視線が集中しているような錯覚に陥る。
 ボックスには、カインとアベル。そしてジュディとカドックがいた。きりりと胃が痛む。二人の前に立つのが怖い。
 カドックは一言も発さず静観している。お手並み拝見というようだった。

「ここからオペラは見辛い。なぜか、分かる?」
「……私達こそ、見世物だから」
「正解」

 この位置は観客席からよく見える。貴族達に顔が売れる最も高価な場所だ。そもそも皆、オペラを楽しみにして観に来ているのではない。
 愛人探し、伴侶探し、友人探し。ここは社交場だ。人を惹きつける物語も、貴族達にとっては人とつながる為の舞台装置でしかない。

「……どうして、二人がこんなところにいるの」
「ジュディときちんと話をしたかったんです」
「きちんと話をしてくれないのは、二人の方だよ」 

 対峙するように二人の前に立つ。腹筋に力を入れて、姿勢を真っ直ぐ伸ばした。怖がってばかりではいられない。毅然とした態度を取らなくてはいけなかった。

「そうだね。はぐらかすのはやめにする。だから、俺達二人で来たんだよ」
「本当は話すかどうか迷ったんですけどね。ですが、婚約者であるジュディにはいずれ話さなくてはならなかったでしょうし」

 二人の言葉の真意を理解するために、言葉を飲み込む。ジュディがおとなしく聞く体制を整えたからか、ゆっくりとアベルが口を開いた。

「サーシャの実家であるプッシャー家は王に謀反の疑いをかけられていたんだ。勿論、それは誤解だった。王が誰かに囁かれた流言だよ。でも彼はそれを本当だと信じてしまった」
「我らが王は猜疑心の塊ですからね。まあ、あの王子を産んでしまったのだから、分からなくもないですが」
「そんなわけで、俺達はプッシャー家に圧力をかけるために、ローザン家との結婚を打診した。あそこは穏健で、しかも王擁護派閥だからね」
「ま、待って!」

 頭の中がこんがらがってきた。
 そもそも、二人の言い方はおかしい。なぜ、王がプッシー家に疑いを持っていることを知っているのか。そして、二人が打診をするのか。確かに、二人は有名な伯爵家の跡取りだ。王族との繋がりも深い。
 王から目をかけられているのも知っている。だが、まだ跡も継いでいない。政治に関わるのは早すぎる。

「ノーシャーク伯爵の手伝いをしているの?」
「……そうだね。そういう風になっているみたい」
「父が関与していないということはありませんが、王が直々に俺達に命令を下して来るのです」
「使い勝手のいい駒だよ、俺達は」

 自虐的な笑顔にざわりと心が騒ぐ。いつもの余裕綽々とした二人ではない。貴族社会という海で懸命に泳ぐ力無い人間のようだ。

「王の密偵。王族の番犬。なんて言ったらかっこいいけれど、王族のどろどろとした陰謀や愛憎に巻き込まれているだけ」
「モンスキューの御令息は王子が目をつけた娼婦を横取りしたから」
「王子の自尊心を傷つけた。だから惨めな思いをさせてやれと陛下には言われました」
「そんなことで?」

 モンスキュー家は没落の憂き目にあった。
 色恋沙汰で揉めたというそれだけで?

「そもそも、素行が悪かったのもあるけどね。これがジュディが言っていた悪党の真実だよ」
「王家の気に入らない人間、派閥、そういったものを排除したり無力化させる」
「――信じられない」

 王が気に入らない貴族を排除している?
 二人が手を回して、排斥させている?
 今聞いて、はいそうですかと納得出来ない。
 確かに二人が気分で、サーシャを結婚させたり、モンテスキュー子爵を没落させたりしたのではないならば、気が楽になる。
 だが、それ以上に二人のやっていることの根深さに慄いていた。

「二人は、いつからそんなことを?」
「覚えてない。王子の遊び相手をしていた時だった、と思うけれど」
「俺達が数人の仲間達と狩りをしている時に王子の機嫌を損ねたものがいまして。その時に俺達で仲裁したんですよね」
「ああ、そういえばしたような。そのせいなの? 子供時代の俺らってどうしてそんな厄介なことしちゃったんだろ」

 絶句した。
 それが正しければ、すでに五年以上経過している。それまで、二人は何人の貴族達を陥れて来たのだろうか。

「この打ち明け話はくれぐれも内密にお願いね、ジュディ」
「そうでなければ次は俺達が首を斬られる番です」
「けれど、言えてよかった。これで本題に入れるから」

 カインとアベルはぼうっと立ったままのジュディを引っ張り、座らせた。左右をアベルとカインに挟まれるような形になる。

「ジュディが懇意にしているマリアナさんっているよね?」
「そのマリアナ嬢が王族に目をつけられていると言ったら、ジュディはどうします?」

 青天の霹靂だった。
 マリアナが王族に?
 生唾を飲み込む。ありえないと否定するには、二人の目はあまりにも真剣だった。

「ど、どうして!?」
「正しくは彼女が、というわけじゃないんだ。クロイド領の領主。彼女の父親が標的なんだ」
「クロイド卿は海賊と結託して積荷を強奪しているんです。あそこはジャーファル商会の縄張りで、ルクセンブルク公との付き合いも長いですから」

 ルクセンブルク公爵家。
 王国に属しながらも、自治権を持つ特殊な領地を束ねる公爵家だ。
 我が家、ルクセンブルク・ローズマリア伯爵家とは親戚同士。
 何代か前に婿として嫁いできたのが、ルクセンブルク公爵家の次男らしく、それが縁で、領地の開墾や治水整備などに尽力して貰った経緯がある。
 今のルクセンブルク公爵家には子供がおらず、私の兄達、どちらかがルクセンブルク公爵家の後を継ぐことになっていた。
 公爵家が関わっているとなれば話は大きくなる。
 王国でも、大きな権力と発言権を要する公爵家お気に入りの商人。
 国王に公爵が耳打ちをする姿が目に浮かぶようだった。

「海賊とマリアナのお父様が、繋がっているの?」
「珍しいことでもない。海に面している領主のほとんどは大なり小なりやっているよ」
「ですが、ルクセンブルク公爵に睨まれたとなれば話は別です」

 清廉潔白そうなマリアナと海賊が繋がらない。
 海賊が奪ったものが、マリアナの綺麗な衣装や装飾具になっていたのだろうか?
 そう考えると、綺麗だと思っていたマリアナの姿が色褪せていく。急激な幻滅に自分でも戸惑う。
 ジュディにとって、マリアナは聖女のように正しい人だった。
 けれど、聖女に瑕疵が出来てしまった。
 彼女は、地面に足のついた少女なのだ。父親は海賊を使って金を稼いでいる。生々しい現実と地続きに生きている。

「俺達は国王陛下の命令で証拠集めをしています。国王陛下直々に特派員も派遣しているとか」
「徹底的にやって見せしめにするつもりなんだと思うよー。懲罰を加えて威信を見せるのも王族として大切なことだろうからね」
「けれど、困ったことに俺達の動きがクロイド卿に伝わってしまったようでして。逆に俺達を探られているようなんですよ」
「え?」

 それはつまり、証拠集めがどれだけ進んでいるか探られているということだろうか。
 ジュディは記憶を呼び覚まし、マリアナとの会話を思い出す。
 マリアナは双子の悪評を教えてくれた。
 注意しろと何度も言われ、何かあったり、怪しい動きがあれば教えてと言われていた。

「もしかして」

 忠告はジュディに双子を見晴らせるための言葉だったのだろうか。
 だから、双子の悪行を告げてきた?
 顔が蒼ざめていく。手から、力が抜けていくのを感じる。
 踏みつけられた花のように無力だった。
 ここはオペラ座。社交場だ。
 貴族達はここで友人や愛人、伴侶を探す。
 家を繁栄させるために、自分にとって利がある相手を選ぶために、人と繋がる。
 マリアナはジュディを利用するために近付いた。友情を感じていたのはジュディだけで、マリアナはただの情報源としか思っていなかった?
 その証拠のように、ジュディはマリアナの屋敷に一度も招待されたことがない。

「その反応、やっぱりマリアナさんってジュディを通して俺達の情報を引き出そうとしていた?」
「…………」
「そうでしょうね。ジュディ、申し訳ありません。俺達のせいで」
「……本当にそうだとしても、カインとアベルのせいじゃないよ」
「いいえ。俺達のせいですよ」

 握り込んだ手の上に手を置かれた。
 優しい体温に絆されそうになる。

「ずっと気になっていたんだ。マリアナさんのこと。でも、ジュディには言いづらかった。でも、今回の一件があって、俺達もきちんと言わなくちゃって思って」
「……ここまで黙っていたこと、悪いと思っています。俺達のこと、幻滅しましたか?」

 ふるふると首を振る。

「幻滅はしてない……けど、混乱はしてる」
「だよね。俺達もはい今日受け入れろとは言わないよ」
「でも考えて欲しいんです。マリアナ嬢を含めて、俺達のことを」

 こくりと頷く。
 気がつけば、演目はエンドロールに移っていた。期待していた物語の終わりもわからないまま、拍手で演者達を迎える。
 男は娼婦と結ばれたのか、それとも悲劇で幕を閉じたのか。
 隣のアベルと肩が触れ合う。
 視線が合うと、どろりと溶けそうなほど甘く微笑まれた。
 艶を含んだ瞳にうろたえて、視線を逸らす。
 舞台上の挨拶が耳を通り抜けていく。
 指の先を握られる。驚いてちらりと視線を向ける。
 カインは目を細めて、唇を舌で舐めた。触れた指を軽く揺らして、機嫌をとるように擽られる。
 ジュディは思わず小さく唸ってしまった。
 カインもアベルも今までと何か違う。そんな変な予感がした。

 オペラ座で、二人と別れる。
 カインとアベルは一緒に帰りたがったが、頭の整理がしたいと言ったら引いてくれた。

「上手く騙しましたね?」

 すれ違い様、カドックがくすりと笑いながら囁いた。
 前を歩くジュディはそれに気が付かず、ちょこちょと小鳥のように歩いた。
 カドックの言葉に応じ、アベルは笑みをこぼした。

「人が悪いなあ、カドック君ってば。俺達は事実を言っただけだよ?」
「ジュディをきちんと送り届けて下さいね。傷物にしたら、承知しません」

 ジュディは三人の秘めやかな会話を聞くことなく、オペラ座から出た。

 深夜の風は夏の熱気を含みじんわりと暑い。汗が肌に浮かび、ぽたりとスカートに落ちる。
 カドックは従者のように恭しくジュディを馬車のなかにエスコートした。
 馬車に乗り込むなり、カドックが口を開く。

「少し遠回りして帰りましょうよ、お嬢」

 夏の夜はまだまだこれからですよと言いたげに、口の端が上がる。
 ジュディは困惑しながらも、カドックの笑みに促されるようにして、頷いた。

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