encore

夏目

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 一週間もすれば、大佐の暗殺の話も廃れてしまった。
 ジュディは緩く首を捻る。あれと驚いてさえ見せた。あの朝の動乱は何だったのだろう。
 自決したものは? 巻き込まれた人々は? 血塗られた門は?
 恐怖と、時代が動くぞという少しの興奮。それが今では惰性的な倦むに変わっている。
 小競り合いがあったのだと新聞は書き立てる。だが、王都は変わらず喧騒を撒き散らしている。活気は失われないまま、呼び込みの声が響く。王城の門を通ったとき、ジュディは自分が決定的な間違いをしていることに気が付いた。
 血の跡はなかった。綺麗に洗い流され、死んだ大佐も、自決した人間の痕跡も、見つけることが出来なかった。

 ああ、とジュディは嘆息をつく。

 どこか期待し、胸を躍らせていた自分にほとほと呆れてしまう。
 そうだ、ジュディ達が政治に参加出来ないように、大佐の死も人々の心に影響を与えることが出来ない。
 ジュディの一日は変わりなく過ぎていき、終わる。大勢の人間がきっとそうだろう。大佐の死で何も変わらない。日常が続く。
 何を期待していたのか。ジュディは浅慮な自分に呆れて、ため息を吐いた。

 ジュディとはうって変わり、カドックは忙しそうに父に付き合っている。苛々するぐらい懸命だ。ジュディは気分を害したような気持ちを味わい、部屋に閉じこもった。
 マリアナから手紙が届いたが、読む気にもならない。
 薄情だろうか。
 ジュディにとって、マリアナの優先順位は下がってしまった。すぐに読んで、その日のうちに返す気にならなかった。
 今はカドックのことが気になって仕方がない。
 父と話していることに聞き耳を立てたが、二人が何を話しているのかちんぷんかんぷんだった。
 やれ反戦派は慄いて、屋敷から出ず仕舞い。王族に阿る奴らは粛清をと声高に叫ぶと無骨な話ばかり。
 争いごとの気配がしたが、それだけ。
 他のことは全く分からなかった。
 カタログを開いて、ドレスの形と色を見る。
 この前まで可愛らしいと思ってずっと眺めていたものが、今見ると、ださくて色褪せて見える。
 こんなものを欲しいと思っていたのだったか。
 頬杖をつきながらページを捲る。

「お嬢、これなんか似合うんじゃないですか?」
「わっ! カドック!」
「やっぱりこの夏、白いワンピースがいいと思うんですよ。麦わら帽子被って下さいね!」
「な、なに!? どうしたの?!」

 カドックから、服について意見されるのは初めてだ。いつも着たものをなあなあに褒めるばかりだったのに。

「どうって、だからお嬢にはこれが似合うかなあって。白いワンピース嫌いですか?」
「嫌いではないけど。……カドックがそんなこと言うの初めてだから」
「いやあ、なんか見たいなって思いまして。駄目ですか? 旦那様にこき使われてるんですから、少しぐらいご褒美くれたっていいじゃないっすか」

 駄目ではないけどとこぼすとカドックはにっこりと笑った。
 頬が熱い。ただ、笑顔を浮かべただけだというのに、カドックが笑うと胸が弾む。
 この頃、ジュディは変だ。カドックのことばかり頭に浮かぶ。どうしているのかと気になって仕方がない。

「じゃあ早速買いに行きましょうよ。俺、お伴しますよ!」
「でもお父様に着いていなきゃいけないんでしょう?」
「大丈夫ですよ。旦那様にはもう指示をして来ましたから。ほら、ほらお嬢は準備して! 髪跳ねてますよ!」
「もう、カドックってば!」

 急かすカドックを外に出して身支度を整える。
 心臓の音がうるさい。大きく息を吸い込んで、ジュディは丁寧に髪をすいた。
 鏡で何度も姿を確認して、ばっちりと思ったところで部屋を出る。カドックが待っているものとばかり思っていたが、違った。どこにもいない。
 しかも、玄関が騒がしい。
 ちらつくのは、大臣が殺された朝のことだ。血の気が引くような思いで、階段を降りて顔を出し覗き込む。
 玄関には、セーラー服姿の青年が一人、家令と顔を付き合わせて話していた。カドックは家令の隣に立ち、神妙な顔をして頷いている。
 ジュディは顔を覗き込むように下から青年の顔を見上げた。
 まだ大人になりきれない少年と青年の間のような幼さが残る面。目元は甘いのに、どこか油断ならない酷薄さがある。

「シャーク兄様、お帰りなさい」

 掠れた声で話しかける。
 ちらりと一瞥された。
 言葉はない。ジュディだって、シャークから久しぶりと愛想よく言われるとは思っていなかった。
 だが、少しだけ寂しく感じてしまう。家族らしいやりとりを期待していた自分がいた。シャークはジュディの二番目の兄だ。ジュディには二人の兄がおり、二人とも幼い頃、親類であるルクセンブルク家に預けられた。

「坊っちゃま、旦那様にお会いになりますか?」
「ええ、会いたいです。次期ルクセンブルク公爵として」

 家令は何かに勘付いたように深々とお辞儀をすると、客間へとシャークを案内して行った。
 どうして、家族であるシャークを客間に連れていくのだろう。
 それに、次期ルクセンブルク公爵と言っていた。
 順当に行けば、長兄であるマーシャルが継ぐはず。
 もしかして、ルクセンブルク公爵は後継を、シャークに決めてしまったのか。

「カドック、シャーク兄様は……」
「お嬢の思っている通り、後継者を公爵がお決めになったらしいです。シャーク様はそのご挨拶に来られたのだとか」
「シャーク兄様が次期ルクセンブルク公爵……」

 兄のどちらかがなるとは知っていたが、もっと時間がかかるものだと思っていたので現実感がない。
 マーシャルが領地に戻り、シャークがルクセンブルク公爵の跡を継ぐ。
 しばらくして、家令に客間に招かれた。
 カドックと共にだ。何だろうと思いつつ、部屋へ入る。
 部屋の中にはシャークと父がいた。二人とも紅茶を飲み、談笑していたようだ。先ほどまでシャークが纏っていた緊張感のようなものがなくなっている。

「よく来た、ジュディ。こちらに来なさい。カドックもだよ」
「は、はい」
「かしこまりました」

 恐る恐るカドックと一緒に、ソファーに腰を下ろす。
 父の客に挨拶するのは慣れているが、こういう場合は初めてだ。きちんと挨拶をした方がいいのだろうかと思いながらカドックを覗き込む。
 カドックはぼおっとした顔で父とシャークの顔を見つめていた。何が起こっているのかよく分からないと言わんばかりだ。

「お前達は本当に仲がいいねえ」
「そ、そうでしょうか?」

 シャークが猫撫で声で囁く。ジュディは緊張しながら首を傾げた。

「ジュディ、聞いた話によるとノーシャーク家の双子と仲違いをしたのだって?」
「え……」

 どうしてそんなことをシャークが知っているのだろう。
 ジュディが双子を避けていると噂になっているのだろうか。そんなに露骨に動いていたのかと思い羞恥の念が浮かぶ。二人が気分を害していないだろうかと今更ながら気になってきた。

「ノーシャーク公には悪いが、ジュディがどうしても嫌だと言うのならば婚約を解消したっていいんだよ」

 父が優しい声でジュディに告げた。解消と言われて口の中がもごつく。

「え、あの……」
「なあに、別に二人とは幼馴染に戻るだけさ。ジュディも気まずいまま婚約者で居続けるよりいいんじゃないのかい」
「いきなりどうして? もしかして、カインとアベルが解消したいって言っているのですか?」

 そうではないと首を振られる。
 お前の自由意志だよとシャークは呟いた。父と同じように猫なで声を出しているのに、瞳は冷たく、虫を見るようだった。

「ジュディ、君が決めていいんだ。どうするかを」
「わ、私が?」
「そうだ。ノーシャークの双子と解消したら、新しい婚約者を探さなくてはね」
「いっそのこと、ジュディがローズマリアの女領主になるというのもいいかもしれないよ。マーシャルは僕に出し抜かれるほど可哀想な男だから」

 父とシャークが何を話しているのか、ジュディには分からなくなっていた。
 どうして婚約を解消するという話になるのか。
 どうしてジュディが女領主になるという話になるのか。
 どうして自由意志だと言っていたのに、ジュディの意見を聞かれないのか。

「ローズマリア伯爵、それでよいでしょう? マーシャルは、サィーツ子爵のところに養子に出せばいい」
「ああ、いいだろう。サィーツ子爵は子がいないし、穏和な性格をしている。気が弱いマーシャルのことを可愛がって下さるだろうな」

 親子なのに、他人行儀な呼び方。マーシャルのことさえ、他人行儀で冷めている。
 マーシャルがいるのだ。マーシャルに領主を継がせればいい。なのに、どうして二人はジュディに跡を継がせたがるのだろう。マーシャルは駄目で、ジュディならいいのか。
 二人の考えていることが分からない。ジュディに何をして欲しいのだろう。
 額に脂汗が浮かぶ。手のひらで拭うのは下品だからできなかった。まつ毛の上に汗が落ちてくる。

「旦那様、そしてシャーク様。お嬢様はお加減が悪いようでして。少し席を外してもよろしいですか?」
「おや、そうだったか。部屋で静養するといい。カドックついていてやりなさい」
「かしこまりました。失礼致します、旦那様。シャーク様」

 二人に深々と頭を下げてカドックがジュディの手をひいた。
 顔を俯け、汗を拭う。手の温度が痛いほど熱かった。
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