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act.7
しおりを挟むどうにかカドックと向き合わなくてはならないと夕方ぐらいになると思えるようになった。
使用人に呼ばれ、下に降りると既に夕食が始まった。父達はすでに出来上がっていて、部屋の中は酒の臭いで満ちていた。大声で笑いながら、政治の話を言い合っている。
母はそんな二人を見遣って、呆れた様子で食事をしていた。
いつもならば、父の側に控えているはずなのだが、カドックの姿はなかった。
そわそわとしながら、母に倣い、口を閉じて黙々と口に運んだ。
その日一日、カドックは姿を見せなかった。
次の日、ロイドから手紙が届いた。
突然の訪問を謝罪するというものとマリアナとの婚約を正式に解消する旨が書かれていた。
慎重に返事を出そうとしたけれど、どうしてか言葉がまとまらなかった。ペンを投げ出し、机に顔をのせる。
マリアナがいたから知ったことが沢山ある。ブロマイドも、毎日のように洋服を取り替える贅沢も、旬のドレスを色違いで着て夜会に参加する高揚感も、マリアナが教えてくれた。
だというのに楽しかったそれらまで、無味な代物になってしまった。泥のような、不愉快な嫌悪が胸に残るのみだ。
ドレスで着飾るのも、小物との合わせに頭を悩ませるのも馬鹿らしく思えてくる。
「――なんだか、疲れちゃったな」
ファッションカタログを捨ててもらおうと部屋から出ると、使用人達が集まって空に向かって指をさしていた。
何事かと一番近くにいたメィリに尋ねる。
虹がでていたんですと目を輝かせている。皆の視線の先にはくっきりと六色の虹が出ていた。
綺麗と感嘆しようと思った。けれど、どうしてか湿った空気と雨の臭いがどうにも嫌になってしまった。
メィリにカタログを捨てておいてと渡す。彼女は目をまん丸にしながら受け取ると胸の前で抱きかかえた。
「お嬢様、よろしければ私がいただいてもよろしいですか?」
「うん、いいよ。……ちょっと汚れているかもしれないけれど」
「いいえ、いいえ」
夢見るように目を細めて笑ったメィリはすぐに虹を見上げていた侍女仲間にカタログを見せびらかした。
侍女達はそれを取り上げたり、破こうとしたがジュディに気がつくと腕を組んで、乞食のような真似をしないでと顔を背けた。
メィリはそれでも、嬉しそうにしている。きっと、彼女達のきつい言葉のなかに羨望と嫉妬を嗅ぎ取ったからだ。
カタログを返せと狭量にも言いたくなった。
ジュディが大切にしたものを、他人に大切にされている歯がみするような焦燥感。奪われて、羨ましがられているという優越感への嫉妬心。
返してくれと言いそうになる唇をしっかりと閉ざす。
そうではないと醜態を晒しそうだった。
「こんにちは、ジュディ」
「もうそろそろ会いに来てもいいかなーって思って来ちゃった」
お昼を過ぎた頃、双子がジュディの部屋にやって来た。宝石のようなお菓子の詰め合わせも一緒だ。
ラズベリーのマカロンが特に可愛くて、手を伸ばす。
「あれ、ダイエットはもういいの?」
「いいの! 私、ずっと綺麗になろうって思ってたけど、分かっちゃったから。甘いものを食べてる時の方が、我慢している時よりずっと幸せ」
「ふふ、その通りですよ。やっとお菓子好きのジュディに戻ってくれたんですね」
紅茶と共に食べるマカロンは甘酸っぱくて美味しい。
二人はジュディが食べているのをじっくり見つめながら、にこにこと笑っていた。
「そういえば、ジュディ。俺と取引しましたよね。悪いことをした証拠を見つけるってやつ。あれ、まだ継続しますか?」
「そ、そうね。もういいんじゃないかな。カインは教えてくれたんだし、私も二人のしたことを一概に悪いって思えなくなったから」
「じゃあ、破棄? ジュディを軟禁するの、夢だったんですけどね」
そんなことを夢にしないで欲しい。
カインの言葉を聞いたむうとアベルが口を尖らせる。
「カインだけ狡い! 俺だってジュディと約束したかったのに」
「じゃあ今からしたらいいんじゃないですか」
「たしかに。約束しよう、ジュディ。一週間、持ってきたお菓子を食べるっていうのは? 俺毎日買ってくるから」
「太らせる気なの!?」
食べるのを我慢したくないが、太るのも嫌だ。難しい乙女心に気付かず、アベルは深く頷いた。
「食べられなかったら延長する。どう?」
「だ、駄目! 食べきれない数買ってくるつもりでしょ」
「バレちゃったか」
くすくすと笑うアベルに、つられて笑ってしまう。蟠りはすっかりなくなって、元通りの関係になった。ただ、カインとアベルがジュディに向ける視線がねっとりとした甘さを持つぐらいだ。他は何も変わらない。
「そ、そうだ。二人に聞きたいんだけど」
おずおずと問いかける。二人はピスタチオのケーキを食べていた。カインの方が甘さ控えめなチョコレートケーキ。アベルは甘さが際立つクリームケーキだ。
「浮気ってどこまでからだと思う?」
浮気という言葉を出した時、失敗を悟った。部屋の温度が二度も三度も下がった気がしたからだ。
「浮気って……あの浮気?」
聞き返すカインの顔から表情が消える。
「浮気かあ、一般的には他の男と目を合わせたら、かな」
「え……そ、そうなの?」
「そうですね。他の男と目を合わせたら、誘惑しているも同じだ」
そうなのだろうか。ジュディには判断がつかない。だが、その法則で照らし合わせれば、カドックと口付けをした自分はとんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
「それで、ジュディは誰と浮気したの?」
「カドック? ロイド? それとも他の男ですか。きちんと話したら俺達も許すかもしれないな」
「ち、違う、違う!」
嘘をつく罪悪感をなんとか抑えつつ、首を振る。ここで正直にカドックと口付けをしましたなんて言った日には恐ろしい事態になりそうだった。
二人とも顔は笑っているのに、目が全く笑っていない。
「違うってどういうこと? もしかして、相手から無理矢理されたってことかな」
「ジュディが無理矢理されたのならば、本当に正直に言って下さいね。ジュディには何の非もないんですから」
「私に非があったら、私にも何かするって風に聞こえるけど」
にこと笑って誤魔化された。邪悪な笑みだった。深く聞いちゃ駄目な感じだった。
「……マリアナのことだよ」
話を自分から遠ざけたくて、つい口から溢れていた。こんなこと言っては駄目だと思ったのに、ぺらぺらと口が動いた。ロイドがガイに何を言われたのか。そんなことまで話をしてしまう。カドックとのことを誤魔化したくて、無理に言葉を重ねてしまっている。
あらかたのことを語り終えると、二人は納得したように頷いた。騙しているという罪悪感を胸に隠しながら、二人を見つめる。
「マリアナさん、いい話を聞かなかったからね」
「……そうなの?」
そんなことジュディは一言も聞いたことがなかった。
よく考えればマリアナ以外との交流がなかったからだと思い至る。マリアナのことを悪く言われても、きっと盲信していたときのジュディならば聞き入れなかったに違いない。
「ええ、ジュディを前にこう言うのも悪いとは思うんですが、素行に問題があるともっぱらの噂でしたよ。男遊びが激しいと」
「男遊びだなんて。私、一回もそんなところ見たことない」
「そりゃあ、クロイドの屋敷で行われることが多かったからじゃないかな。ジュディって彼女の夜会に誘われたことないんでしょ?」
うっと唸ってしまう。マリアナはジュディを自分の屋敷の夜会に誘ったことは一度もなかった。
今でこそ、それがどれほど異常なことなのか分かるが、マリアナに夢中な時はそれほど男爵家という身分を恥じているのだろうと思っていた。
そう思わせたのはマリアナだった。彼女はことある度に、恥ずかしいからと言ってジュディをかわしていた。けれどきっとそれはジュディを家に呼びたくなかったからなのだろう。
「ジュディが泣きそうになってる」
「アベルが虐めるからですよ。ジュディ、そう気を落とさないで。そいつは意図があってジュディに近付いて来たけれど、ロイドはジュディを本当に頼りになると思って信頼しているんですよ」
「そうそう、彼はジュディに親にも話せないことを話した。それだけ信頼しているってことだ。マリアナさんとは上手くいかなかったけれど、ロイドはジュディを頼って来てる。ジュディにとってもいい友達なんでしょう?」
「え、ええ」
二人は顔を見合わせて意味ありげに微笑んだ。
「そうだ、今度俺達の屋敷の夜会にロイドを招きましょうか」
「賛成! ジュディも来てよ。きっと楽しくなるよ」
「ま、待って。二人はロイドに会ったことがないよね?」
オペラ座の時、ロイドは体調を崩して早退してしまった。二人はロイドの顔もろくに知らないはず。
「知らなくても誘っていいでしょう? 大丈夫、ジェントリ階級も沢山呼びますから、寂しくないですよ」
「そうそう。何なら俺達の側に配置してあげるよ。母さんはどうせ席次は俺達に決めさせるんだから」
「今回はいつもの夜会よりも趣向を凝らしたものをする予定ですし、ちょうど良い」
まだ参加するとロイドが返事していないのに、決定事項のように二人は話を進めていく。
強引な二人に呆れながら、どこか安心した気持ちになる。カドックのことを考えていたジュディは余裕がなくていつも焦っていた。
どうにかしなくては、仲を元に戻さなくては。そんな焦燥感があった。
けれど、二人を前にすると、いつもの、カドックと変な関係になる前の自分でいられる。マリアナと会う前の閉じ切った箱庭のような世界で微睡んでいられる。
結局、招待状を送るからと言って二人は帰って行った。
数日して、双子は本当にジュディに夜会への招待状を送ってきた。両親にも送られていた。二人と、シャークも参加することになった。
夜会当日、馬車の中で、シャークはジュディの手をずっと握っていた。
両親は狭いからと別の馬車に乗っている。
何故、手を握るのと尋ねるのも怖かった。血が繋がっているとはいえ、シャークとは殆ど会話をしたことがない。知っているのは、長兄であるマーシャルよりもずる賢いということだけだ。
シャークの手は汗ばんでいた。ジュディが手を移動させてもついてくる。顔を窺うと、ふっくらとした肌は薔薇色に染まっていた。薄暗い馬車の中でも分かるほど目をギラつかせている。
声が擦れ、ジュディは俯いた。酷く恐ろしいものを見たような気がした。屋敷につくまで、ずっとシャークの指は離れなかった。彼の生温かい指の感触が、ジュディにはどうも受け入れられなかった。
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