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夏目

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act.8

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「ようこそ、ジュディ。シャークもね」

 驚いたことに、玄関口でアベルが出迎えてくれた。普通ならば、会場で、来客対応をしているはずなのに。
 目を丸くしているとくすりと笑われた。変な顔をしていたらしい。
 アベルはとてもベーシックな夜会の服を着こなしていた。後ろに流された髪がどこか色香を漂わせる。

「中はカインが対応中。カード勝負でカインが負けたからね」
「でも、お客様の相手はいいの?」
「勿論、俺はジュディの婚約者でしょう? 少しぐらい婚約者らしいことをしようと思って。お手をどうぞ、お姫様」

 差し出された手の上に手を重ねるとそのままエスコートされた。指には金色に輝く指輪がはめられていた。
 シャークが皮肉混じりに言葉を溢す。

「アベル、ジュディがお姫様という柄か?」
「俺にとってはお姫様だよ。俺達だけのお姫様。今日の真の主客はジュディだもん。趣向を凝らしたんだ。楽しんでくれたら嬉しいな」

 執事が名前を読み上げる。まず両親の名前。次にシャークとジュディの名前。シャークの後ろをアベルと共に歩く。ゆったりとまるでワルツでも踊っているような優雅さだった。
 羨望の眼差しが送られているのが分かる。二人の隣にいてよく感じた妬みの視線だ。

「俺のお姫様、ほら笑って」

 耳に吐息を吹きかけながら悪戯っぽくアベルが囁く。頬を引き攣らせながら笑う。上手く笑えなくなっている。前はきちんと出来たのに。
 おかしいなと思いながら広間に入る。
 どうしてかカドックのことが頭をちらついた。あの熱い唇が、どうしてか懐かしい。
 こんなことで今日の夜を無事に過ごせるのだろうか。
 何事も笑ってやり過ごさなくてはならないのに。
 不安を抱えながらも、用意された席に座る。
 カインとアベルの横だ。ノークシャーク伯爵には両親の方が近い。当たり前と言えば当たり前だ。婚姻を約束している家だ。無下には扱えない。席も主賓に近い。高待遇をしてもらっていると分かる。シャークは令嬢達に囲まれて、少し両親寄りの場所に座っていた。
 もうすでに客人達は揃っているようだ。一番主賓に近い場所には、ビジャス公爵が座っている。王族の血が混じっている彼は、この場の誰よりも高貴な血筋だ。
 彼を基準に、今の権力や役職などを順番にして席次が決まっているようだった。
 だが、そんな力関係を感じさせない気軽さがこの場にはあった。
 そもそも、主賓であるノーシャーク公爵と夫人がそれぞれ机の端に陣取っている。カインとアベルは真ん中におり、左右に座る場所が分けられている。四人を繋ぎ合わせればダイヤのような布陣だ。
 夫人は積極的に一番この中では位が低い俳優やジェントリ階級の人達ににこやかに話しかけているし、伯爵は伯爵で高貴な方々に阿ることなく、接している。よく見ると、ジェントリ階級のなかに、ロイドがいた。一瞬目が合うと手を振られた。あんまり緊張していないみたいだった。夫人がうまく話しかけてくれているみたいだ。
 カインと目が合った。にこりと優しく微笑まれた。

「こんばんは、ジュディ。来てくれてありがとうございます」
「ご招待ありがとう、カイン。アベルも。二人でカードゲームをしたの?」
「そう。負けてしまいました。アベルはカードは得意だから」
「カインも苦手じゃないでしょ。それに勝負は五分だった」
「それはジュディのエスコートをかけて争っていたのだから当然ですよ」
「二人でジュディ嬢を巡って争っていたのか?」

 軽口を交わしていた二人に、興味津々と言うように隣に腰かけていた貴族子息に話かける。見覚えのある顔だった。
 ユリアン・ソルシエロ。その隣にいるのはトレイ・グロリア。
 王子の学友に選ばれた家柄と性格が確かな青年達。特にユリアンは、国内一の名門校であるスクールに通い、現在他の生徒を指導する監督生と言う地位にいると聞いている。父親は男爵で、有名な社交クラブの副会長。政治家としても名が通っているし、ユリアンはいずれ男爵の跡を継ぐことが決まっている。優秀な人だ。

「二人は相変わらずジュディ嬢を溺愛しているんだねえ」
「そりゃあそうさ。こんなに可憐な方なのだからな。そういえばジュディ嬢、クロイド男爵令嬢とお知り合いではありませんでしたか?」

 クロイド男爵令嬢――マリアナのことだ。

「ええ、交流がありますけど」
「そうなのですか。ならば、これはもうご存知かもしれませんね。アラナーニ侯爵夫人の夜会で、自分の店を持つと宣言されたという話なのですが」
「お店ですか? どのような?」
「衣装だそうですよ。ドレスや紳士服などを売るんだとか。確かにクロイド男爵令嬢はお洒落な方ですからね。――ですが」

 貴族は働くべからず。
 あくせく汗をかいて働くのは庶民の仕事で、貴族は政治の舵取りや未来の子を産むことを何よりも重要視される。労働は毛嫌いされる傾向にあった。融資や援助しかしてはいけないと定めている家もあるほどだ。だから会社を起こすなんて下品なことだという刷り込みがある。
 言葉を濁したのもそれが原因だろう。
 ジュディにとって労働は身近なものだ。ローズマリアは広大な農地が広がる領地で、何をするにもその土地の農民達に話を通さなくてはならない。
 父だって、ここではすましているけれど、領地に戻れば農夫達のご機嫌取りに邁進する。
 ジュディは畑を耕したことはないが、カドックは土を弄る。労働を知る手が好きだ。それを嫌悪したことはない。

「知りませんでした。マリアナはお洒落ですが、一度もデザインの話はしてくれなかったので……」
「そうでしょうね。彼女と交流があるご令嬢もそう言っていらっしゃいましたよ。……ここだけの話」

 彼の囁き声に耳を澄ませる。カインとアベルも興味津々なようで黙って聞いていた。

「あまり良くない方達と夜会を興じているとお聞きしました。ストロイド社や共産党組織と繋がっていると」
「ストロイド社かあ。市民を扇動させるゴシップ誌だよね。過激な記述が多いし。王族関係の醜聞ごとは大体があそこがすっぱ抜いてる」
「本当にあまり良くはありませんね。下手をすれば国家転覆でも企んでいると邪推されかねない」
「ジュディ嬢もクロイド男爵令嬢と関わられる場合はお気をつけ下さいね。この頃きな臭いことも多い。大佐が殺されたこともーー」
「ユリアン、女性の前で政治の話はやめにしましょう。ジュディも、あまり楽しくありませんでしたよね?」

 言い含めるように首を振ったカインを見て、話していたユリアンは弱ったように苦笑いを浮かべた。

「申し訳ない、ジュディ嬢。不躾でしたね」
「いいえ、ユリアン様。教えて下さったのは私の友人の話ですから。むしろ教えていただいて嬉しいです。今後のためになりました」
「ならばよかったです」

 話をしているうちに、お酒が出てきて正式に夜会が始まった。
 前菜、スープ、サラダ、メイン料理。全部が凝った作りをしていた。前菜は春の祭りである愚者祭の飾り付けがされていたし、スープは夏を思わせる冷製のクリームスープだった。サラダは今の時期手に入らない銀杏や栗が沢山。メインの魚は、見たこともない魚料理だった。脂がのっていて、口に入れるだけでほろほろと溶けていく。冬の魚だと、ビジャス公爵が言っていた。彼は魚釣りがこの頃の趣味らしく、流石、よくご存知ですねとノークシャーク伯爵がにこやかに讃えた。

 毛蟹のゼリーで口直しをして、夏野菜と雄鳥のロースト。ふっくらとしたクルミパンと一緒に食べるとソースの味が口の中に広がる。癖になる味だ。
 とどめとばかりに宝石のように綺麗なお菓子が出てきた。ケーキはシャンデリアのように吊られている。シャンデリアケーキだとカインが教えてくれた。オレンジと紫の秋のカラーでとっても可愛い。脇に置かれたカップケーキやドーナッツ、マカロンも秋を想起させる飾り付けをされている。

「春夏秋冬を料理で現しているの?」
「その通り。食事にメッセージ性を持たせるのがこの頃のトレンドなんだよね」
「ただ、メッセージ性を重視するあまり味は二の次になるところが多くって。どうですか、ジュディ。口に合いそう?」
「とっても美味しい! でもどこかで食べたことがあるような……。特にこのパンケーキ」

 カインとアベルが二人揃って片目を瞑った。あと声をあげる。

「王都一番のパティシエの味!」
「大当たり! 覚えていてくれて嬉しい。ジュディのことだから、うんうん唸って終わるかと思ったよ」
「俺は気が付くと思っていましたよ? だって、ジュディは甘いものに目がないから」

 それはそうだけど、何もこんなところで言わなくてもいいのに。
 カインとアベルの言葉を聞いて、ユリアン達は微笑ましそうにジュディを見つめた。穴があったら入りたくなる。さっき食べた時、いつものように大口になっていなかっただろうか。
 フォークに刺したパンケーキをナイフで分ける。小さくして口に含む。
 カインがそれに目敏く気が付いて、口を隠して笑った。むっとした視線を向けると、肩を竦めて視線を逸らされた。


 食事が終わると、紳士の皆さまは一服するために遊戯室へ。婦人達は寄り集まって、紅茶を飲みながら噂話を。

「知っています? クロイド男爵令嬢のお話」
「ええ、ええ、聞きましたわよ。不貞を働いて婚約を破棄されたのだとか?」
「お相手はなんとあのカイ様らしいですわよ。この間、闘牛士の役をやられていた」
「ええ! 確か顔はよいですけれど、役者とだなんて」
「ノークシャークのお二人が、婚約者の方をお招きしたと聞きましたけど」
「ロイド様ですわね。夫人に特別目をかけられていた。なんでも、お父上は広大な土地をお持ちになるとか」
「そういえばこの間、その方とオペラをご一緒されていませんでした? ジュディ様」

 紅茶を飲み干して、緩慢に頷く。

「ええ、少しご縁があって」
「ではそのときにノークシャークのお二人とお会いに? わたしくのこと、あとでロイド様にご紹介して下さらないかしら」
「あら、貴女、もう婚約者がいらっしゃったじゃない」
「もう、違うってば。ただ、どんな方なのかと好奇心が疼いただけです」
「本当かしら」

 紅茶をカップに注いでいると、話題は別のものに変わっていた。

「そうなの?」
「ええ、メアリー様の怪奇館にご一緒しましたの」
「怪奇館?」

 聞いたことがない単語だった。

「あら、ジュディ様はお知りではありませんこと。メアリー子爵夫人の催した怪奇館!」
「ええ、知らない。どんなもの?」

 令嬢のぷっくりとした唇が楽しそうに開く。

「まるで水槽のなかにいるような美しい館をお造りになったの。蛇男や角が生えた大男に双子の人魚。奇妙で不可思議な生き物がのびのびと生活しているの。そこで怪談噺を持ち寄って語るんですのよ。あんなに神秘的な体験、初めてでした」
「オペラ座の前に来ている見世物小屋みたいに?」
「あんなのとは比べ物になりませんわ。メアリー様の怪奇館を訪れたあとだと、あれは下卑た庶民の戯れだと分かりますもの」
「……見世物小屋って?」

 驚いたような瞳がジュディを見つめきて居心地が悪くなる。みんな観に行っているのだろうか。焦燥感が突然押し寄せてきた。行っていないのは私だけなのではないか。

「ジュディ様はまだ行かれていらっしゃらないのね。オペラ座の前にある見世物小屋です」
「あんなところ、行かない方が賢明だわ。血の気が引くような恐ろしい演目もあるもの」
「そうね。行かれない方がいいとわたしも思います。恐ろしい犯罪者のはなしだってあるのだし」

 そう言われれば言われるほど気になってくる。行きたいという欲求ばかりが膨らんでいく。でもそれは好奇心というよりも、ただ皆が知っているものを自分だけが知らないという焦燥感から生まれたものだった。
 仲間外れにされたような、除け者扱いされたような、そう言ったある種の疎外感があった。
 ジュディは社交的な方ではない。皆もジュディが目当てで話しかけているわけじゃない。ジュディの後ろにいる双子を見据えて話している。
 歯痒いなと思うと同時に、どうせジュディが努力してもどうしようもないと諦めている。
 二人の婚約者であるということは、この社交界においてとても価値があることだ。ジュディ本人よりもよっぽど。

「怖いのならばあまり行きたくはないですね……。でも、メアリー子爵夫人の怪奇館へは訪れてみたい」
「ノークシャークのお二人ならばご招待されるのではないかしら。メアリー子爵夫人はほら、お二人をお気に召していらっしゃるから」
「ジュディ様、行かれたらお話し聞かせて下さいまし!」
「わたしにも、どうか」

 うんうんと適当に頷いていると、見目が良い従者がジュディ達を呼びに来た。どうやら別室で何かがあるらしい。
 部屋を出ると、上機嫌な紳士達と合流した。皆、服に煙を纏っていた。あのビジャス公爵でさえもくもくとした煙ったい臭いを全身から漂わせていた。

「ジュディ、さあこっちだよ」

 アベルに手をひかれて部屋の中に入る。客間の一つに来賓者達が入り込む。
 中には、女性が先んじていた。ほっそりとした華奢な体が、ジュディ達の訪れに気がつくとすうっと立ち上がった。
 見覚えのある顔だったが、ジュディにはそれが誰だったか思い出すことが出来なかった。確かに見覚えがあるのだが、口の奥で言葉が詰まっているように出てこない。

「あら、あれって……」
「えぇ、間違い無いわ。ヒューストン陸軍大佐の……」
「奥方様ってご病気がおありだったんじゃ」
「それにあの装置はいったい?」

 部屋の真ん中にあるものに皆が目を向ける。ジュディもそれに習って視線を動かした。
 蓄音機があった。何本も茎を伸ばすように四方八方に管が広がり、蓄音機と繋がっている。たまにぱちりと恐ろしい音が鳴る。これは何なのだとカインとアベルに視線を向けると、二人は意味ありげに微笑んだ。

「あぁ、申し訳ありません。この管がありませんと冥界との通信が難しくてですな」

 部屋の奥の扉から、男が進み出てきた。丸々と太ったその体と調子のいい声にジュディは見覚えがあった。
 ――有名な商人だ。レオパルド・エスカルド。電球を売り、蓄音機のレコードを売る成金の一人。彼を科学者だという人もいるけれどとんでもない。彼は、正真正銘根っからの商売人だった。

「さて、ではでは、お揃いのようですね。では、さっそく始めましょうか。あの世との交信を!」
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