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第6話
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「使用人は足りてる」
「じゃあ、なにをすればここで雇ってもらえるの?」
尋ねれば、彼は首を横に振る。
「雇う気はないから、なにもやってもらうことはないよ。ただここで、好きなように生活してくれれば良い。外に出るのはオレの許可がないと無理ってことにはなるけど、それ以外は自由だ。安全に寝るところが確保された状況で、一日3回の食事も提供される。コレ、悪い話じゃないと思うけどなあ」
束宵はどこまでも笑顔だ。
「……わからない。なにもしないで良いなんて、気持ち悪い」
私はぐっと拳を握りしめる。
世の中は、一方的に与えられているだけでは駄目なのだ。ただここで生きていればいいなんて、そんなうまい話なんてあるはずがない。
あの町で親切な大人たちだって、働いて得たお金のほとんどを渡さなければ守ってはくれなかった。彼らの満足する金額を渡せなければ、殴られた。でも、女として手を出されなかっただけありがたいと思わなくてはいけない。尊厳を傷つけられはしなかったと思っている。
束宵は笑顔でジリジリと距離を詰めてくる。なにを求められているのかがわからずに警戒して後退れば、背後にあるのは寝台だった。
「じゃあさ」
束宵は金の瞳を細めて笑う。私は、蛇に睨まれたかのように動けなくなる。
「友達になってよ。友達を自分の家に泊めるのは変なことじゃないし、客人なら働かなくても気にならないだろ?」
「友達……」
「オレと友達っていうのは、嫌?」
嫌でもないが、歓迎できるわけでもない。
なにせ、束宵という男について、呪禁師で金持ちの男ということしか知らない。いや、あと妙に距離が近いことも知っている。
そう返すと、彼は「ふふっ」と含み笑いを漏らした。
「それを言うなら、オレは君の名前すら知らない。お礼がしたいって言うのなら、まずは名前、教えてよ」
「名前……あ」
そういえばまだ伝えていなかった。私の名前は――
「リンファ……玲花だよ」
生まれてすぐに捨てられたのか、それとも元々は別の名前があったのかは知らない。でも、あそこで私を表していたのはこの名前だった。
「玲花……ね。覚えたよ。オレは――さっきから呼んでくれているからわかってるだろうけど、改めて。名は束宵、仕事は呪禁師。一応、龍王級。こう見えてかなり優秀な部類」
にまぁっと笑う顔は、いわゆるお人好しの善人とは言い難いなんとも胡散臭いものだ。再び警戒心が膨らんでいく私に対して、束宵からの質問は続く。
「で、玲花はいくつ?」
「16、だと思う」
親はいないので、正式な誕生日はわからない。ただ、町の人たちの話を聞くと多分それくらいの年齢のはずだった。
「へえ、17」
束宵は更に目を細めて自分の顎を撫でた。にまにまと笑っているが、なにを考えているのだろう。
「……因みに血縁者はいる?」
「いない」
「あの町に未練は?」
「……ない、かな」
それからもあれこれ質問攻めにされる。
と言われても、私の今までの人生に人に話せるようなものはほとんどなくて、毎日をなんとか生きていただけだった。
これまでに経験した仕事についても尋ねられたが、あの環境下ではまともな食材を使って料理をするなんて経験は出来ず、調理が出来るとは言い難い。掃除は仕事でやっていたから多少はできるけど、それも汚れの目立つ場所や道具を磨くくらいで上流家庭の掃除など経験がない。洗濯なら高価な素材は傷めてしまう可能性があるが、できなくはない。それから農作業は問題なくやれる、としか答えられない。
それ以外は? と問われれば、文字も読めないし作法も知らないから、働ける場所が限られていた、としか言えない。
女という武器を使うこともしてきていないから、そっち方面もまったく磨かれていない。恋人だっていたことがない。良いな、と思った人もいなかった。
あまりにもなにも持っていなくて、自分が情けなくなってくる。
しかし、そんな私の話を、彼は楽しそうに聞いてくれた。
「じゃ、これが最後の質問」
「なに?」
「処女?」
「……………………」
じとっと見ればそれで納得したらしく、彼は屈むように覗き込んできていた身体を起こした。全部理解した、みたいな顔が恨めしい。
しかし、束宵の機嫌は良いようなので、小娘というのはお気に召したようだった。
「じゃ、この部屋は好きに使って良いから。おやすみ」
ひらひらと手を振った束宵は部屋を出ていこうとする。
「待って」
袖を引けば、彼は振り返りながら私のことを抱き寄せる。そのまま踊るようにくるくる回りながら寝台まで連れて行くと、一緒に倒れ込んでくる。
――やっぱりやるんじゃない。
怖くても不安でも、貰いっぱなしは嫌だ。怯えに気付かれないよう真っ直ぐに見返せば
「そんなにオレに抱かれたいの?」
その声に笑いが混じる。
「初めてなのに? いや、初めてだからか」
「だって」
「それでしか返せないから、身体で払うって? 返さなくて良いって言ってるのになあ。あんな雑魚退治、オレにとっては瞬きするようなもんだよ。君のやることで例えるなら、不快な害虫を踏み潰すほどの手間にもならない」
寝台に押し倒した私を見ながら、彼は後ろで一つに括っていた髪飾りを外した。暗くなってきた部屋の中で、深緑にも紺にも見える髪が私の顔の横に降ってくる。私の赤毛とは対照的な色。金の瞳は、私を捕らえて離さない。
「オレは、一目惚れした子を助けられて、その子が安心して眠れておなかいっぱい食べられる場所を提供できれば、それで満足。手を出すつもりはないよ」
「一目惚れ、ってそれ本気で言ってるの?」
「本気。興味ない相手には瞬き一つだってしてやらないのが、オレ」
束宵はそう言って、そっと顔を寄せてきた。
「一目惚れっていっても、オレのこの感情はかなり生々しいもんだから、あんまり隙を見せない方が良い。そういう駆け引き、慣れてないんだろ?」
生々しいとは? と思いながら「したことない」と正直に伝えれば
「ははっ、なら、もっと自分を大事にしなきゃだよ」
するりと下腹部を撫でてきた彼は「でも」と寝台に寝転ぶと、私を背後から抱きすくめた。
「どうしてもなにかお礼がしたいって言うなら、今日はこうやって一緒に寝てもらおうかな」
「……寝るだけ?」
「もちろん」
ぎゅうっと抱き締めてくる腕の力は、私が痛みを感じないぎりぎりの強さ。首筋にかかる息がくすぐったい。肩をすくめると、束宵がそこで笑うものだから余計にくすぐったくなる。
「そこで笑わないでよ」
「ゴメンて」
ああ、でも……と彼は少し湿っぽい声を出す。
「人肌、久し振りだ。この体温、安心する」
「モテそうなのにそんなこと言うの?」
「オレ、遊ぶのに丁度良い男に見える? あんまり得意じゃないんだよな、体温とか、人肌とか、あと、化粧のにおいとかも」
言っていることが矛盾しているのに気付いているのかいないのか、束宵は私の後ろ頭に軽く額を押し付けてきた。
「肌が合う相手ってのが、極端に少ないんだよ。苦手な人間の方が多くてさあ」
「そうなんだ」
「うん」
おやすみ、と耳元に優しく囁かれた私は、温かな体温と柔らかな布団に包まれて目を瞑りかけ――ハッとして身体を起こそうとした。
「あっ、だめ!」
「なにが?」
じたばたと起き上がろうとすれば、あっさり離される。
「って、会ったばっかりで添い寝なんてのも無理だよな。これも冗談だから、本気にしないで――」
「そっちじゃなくて」
少し拗ねたように寝そべっている束宵の背中をつつく。髪の隙間からちらりと見てくる彼に、両頬を押さえた私は眉を寄せる。
「この服で寝たらシワになっちゃう。あと化粧も落としたい。肌が苦しい気がする。痒くなってきた」
「……あー、そういうこと」
のそのそ起き上がった束宵は部屋の戸を開けるとどこからか取り出した鈴を鳴らす。誰かと話している様子を見せて、話が終わると私の手を引いて別の部屋へ向かった。
「じゃあ、なにをすればここで雇ってもらえるの?」
尋ねれば、彼は首を横に振る。
「雇う気はないから、なにもやってもらうことはないよ。ただここで、好きなように生活してくれれば良い。外に出るのはオレの許可がないと無理ってことにはなるけど、それ以外は自由だ。安全に寝るところが確保された状況で、一日3回の食事も提供される。コレ、悪い話じゃないと思うけどなあ」
束宵はどこまでも笑顔だ。
「……わからない。なにもしないで良いなんて、気持ち悪い」
私はぐっと拳を握りしめる。
世の中は、一方的に与えられているだけでは駄目なのだ。ただここで生きていればいいなんて、そんなうまい話なんてあるはずがない。
あの町で親切な大人たちだって、働いて得たお金のほとんどを渡さなければ守ってはくれなかった。彼らの満足する金額を渡せなければ、殴られた。でも、女として手を出されなかっただけありがたいと思わなくてはいけない。尊厳を傷つけられはしなかったと思っている。
束宵は笑顔でジリジリと距離を詰めてくる。なにを求められているのかがわからずに警戒して後退れば、背後にあるのは寝台だった。
「じゃあさ」
束宵は金の瞳を細めて笑う。私は、蛇に睨まれたかのように動けなくなる。
「友達になってよ。友達を自分の家に泊めるのは変なことじゃないし、客人なら働かなくても気にならないだろ?」
「友達……」
「オレと友達っていうのは、嫌?」
嫌でもないが、歓迎できるわけでもない。
なにせ、束宵という男について、呪禁師で金持ちの男ということしか知らない。いや、あと妙に距離が近いことも知っている。
そう返すと、彼は「ふふっ」と含み笑いを漏らした。
「それを言うなら、オレは君の名前すら知らない。お礼がしたいって言うのなら、まずは名前、教えてよ」
「名前……あ」
そういえばまだ伝えていなかった。私の名前は――
「リンファ……玲花だよ」
生まれてすぐに捨てられたのか、それとも元々は別の名前があったのかは知らない。でも、あそこで私を表していたのはこの名前だった。
「玲花……ね。覚えたよ。オレは――さっきから呼んでくれているからわかってるだろうけど、改めて。名は束宵、仕事は呪禁師。一応、龍王級。こう見えてかなり優秀な部類」
にまぁっと笑う顔は、いわゆるお人好しの善人とは言い難いなんとも胡散臭いものだ。再び警戒心が膨らんでいく私に対して、束宵からの質問は続く。
「で、玲花はいくつ?」
「16、だと思う」
親はいないので、正式な誕生日はわからない。ただ、町の人たちの話を聞くと多分それくらいの年齢のはずだった。
「へえ、17」
束宵は更に目を細めて自分の顎を撫でた。にまにまと笑っているが、なにを考えているのだろう。
「……因みに血縁者はいる?」
「いない」
「あの町に未練は?」
「……ない、かな」
それからもあれこれ質問攻めにされる。
と言われても、私の今までの人生に人に話せるようなものはほとんどなくて、毎日をなんとか生きていただけだった。
これまでに経験した仕事についても尋ねられたが、あの環境下ではまともな食材を使って料理をするなんて経験は出来ず、調理が出来るとは言い難い。掃除は仕事でやっていたから多少はできるけど、それも汚れの目立つ場所や道具を磨くくらいで上流家庭の掃除など経験がない。洗濯なら高価な素材は傷めてしまう可能性があるが、できなくはない。それから農作業は問題なくやれる、としか答えられない。
それ以外は? と問われれば、文字も読めないし作法も知らないから、働ける場所が限られていた、としか言えない。
女という武器を使うこともしてきていないから、そっち方面もまったく磨かれていない。恋人だっていたことがない。良いな、と思った人もいなかった。
あまりにもなにも持っていなくて、自分が情けなくなってくる。
しかし、そんな私の話を、彼は楽しそうに聞いてくれた。
「じゃ、これが最後の質問」
「なに?」
「処女?」
「……………………」
じとっと見ればそれで納得したらしく、彼は屈むように覗き込んできていた身体を起こした。全部理解した、みたいな顔が恨めしい。
しかし、束宵の機嫌は良いようなので、小娘というのはお気に召したようだった。
「じゃ、この部屋は好きに使って良いから。おやすみ」
ひらひらと手を振った束宵は部屋を出ていこうとする。
「待って」
袖を引けば、彼は振り返りながら私のことを抱き寄せる。そのまま踊るようにくるくる回りながら寝台まで連れて行くと、一緒に倒れ込んでくる。
――やっぱりやるんじゃない。
怖くても不安でも、貰いっぱなしは嫌だ。怯えに気付かれないよう真っ直ぐに見返せば
「そんなにオレに抱かれたいの?」
その声に笑いが混じる。
「初めてなのに? いや、初めてだからか」
「だって」
「それでしか返せないから、身体で払うって? 返さなくて良いって言ってるのになあ。あんな雑魚退治、オレにとっては瞬きするようなもんだよ。君のやることで例えるなら、不快な害虫を踏み潰すほどの手間にもならない」
寝台に押し倒した私を見ながら、彼は後ろで一つに括っていた髪飾りを外した。暗くなってきた部屋の中で、深緑にも紺にも見える髪が私の顔の横に降ってくる。私の赤毛とは対照的な色。金の瞳は、私を捕らえて離さない。
「オレは、一目惚れした子を助けられて、その子が安心して眠れておなかいっぱい食べられる場所を提供できれば、それで満足。手を出すつもりはないよ」
「一目惚れ、ってそれ本気で言ってるの?」
「本気。興味ない相手には瞬き一つだってしてやらないのが、オレ」
束宵はそう言って、そっと顔を寄せてきた。
「一目惚れっていっても、オレのこの感情はかなり生々しいもんだから、あんまり隙を見せない方が良い。そういう駆け引き、慣れてないんだろ?」
生々しいとは? と思いながら「したことない」と正直に伝えれば
「ははっ、なら、もっと自分を大事にしなきゃだよ」
するりと下腹部を撫でてきた彼は「でも」と寝台に寝転ぶと、私を背後から抱きすくめた。
「どうしてもなにかお礼がしたいって言うなら、今日はこうやって一緒に寝てもらおうかな」
「……寝るだけ?」
「もちろん」
ぎゅうっと抱き締めてくる腕の力は、私が痛みを感じないぎりぎりの強さ。首筋にかかる息がくすぐったい。肩をすくめると、束宵がそこで笑うものだから余計にくすぐったくなる。
「そこで笑わないでよ」
「ゴメンて」
ああ、でも……と彼は少し湿っぽい声を出す。
「人肌、久し振りだ。この体温、安心する」
「モテそうなのにそんなこと言うの?」
「オレ、遊ぶのに丁度良い男に見える? あんまり得意じゃないんだよな、体温とか、人肌とか、あと、化粧のにおいとかも」
言っていることが矛盾しているのに気付いているのかいないのか、束宵は私の後ろ頭に軽く額を押し付けてきた。
「肌が合う相手ってのが、極端に少ないんだよ。苦手な人間の方が多くてさあ」
「そうなんだ」
「うん」
おやすみ、と耳元に優しく囁かれた私は、温かな体温と柔らかな布団に包まれて目を瞑りかけ――ハッとして身体を起こそうとした。
「あっ、だめ!」
「なにが?」
じたばたと起き上がろうとすれば、あっさり離される。
「って、会ったばっかりで添い寝なんてのも無理だよな。これも冗談だから、本気にしないで――」
「そっちじゃなくて」
少し拗ねたように寝そべっている束宵の背中をつつく。髪の隙間からちらりと見てくる彼に、両頬を押さえた私は眉を寄せる。
「この服で寝たらシワになっちゃう。あと化粧も落としたい。肌が苦しい気がする。痒くなってきた」
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