文明トカゲ

ペン牛

文字の大きさ
9 / 266
二 縛鎖の男

しおりを挟む
 ――それは、痛みにも似た感覚だった。衝動のままに、僕は手を伸ばした。指先がショーウィンドウのガラスに触れる。その冷たさで、僕は我に返った。
(……僕は、どうしてこんなことを?)
 僕の通う大学と最寄り駅とを結ぶ道にある、ぬいぐるみの専門店。今まで全く意識していなかったその店に、僕は強烈に惹きつけられていた。ショーウィンドウに並ぶたくさんのぬいぐるみ。熊、兎、猫、犬、梟……気がつくと、僕は店の入り口のガラスの引き戸を開けて中に入っていた。
(どうして……どうして、こんなに胸が高鳴るんだろう)
 店内に所狭しと並べられたぬいぐるみを、片っ端からなでて、抱きしめて、頬ずりしたい――とても信じられないが、それは紛れもなく僕自身の欲求だった。その欲求から目を反らすように店内を見渡すと、一匹の梟のぬいぐるみと目が合った。
(――可愛い)
 大きさはおよそ四〇センチほどだろうか。丸々としたフォルム。使われている色は白と茶色だけとひどく地味で、顔の中心には植物の種を縦に置いたような嘴があり、その左右に笑っているかのように細められた目があった。
 梟のぬいぐるみの頭をなでる。一瞬、商品に勝手に手を触れてはまずいのではないか、という考えが脳裏をよぎったが、指先から伝わるぬいぐるみの毛の感触の、圧倒的な心地よさの前では無力だった。
 無心で頭をなでていると、今度は両手でこのぬいぐるみを抱き寄せたい、という衝動がふつふつと湧いてきた。だが、買ってもいないぬいぐるみをひたすらになで回しているだけでもほめられたものではないのに、更に抱き寄せるというのはいくらなんでもまずい――辛うじて僕の内に残っていた理性がそう警告してくる。
(……そうだ、買えばいいじゃないか) 
 値札を見る。梟のぬいぐるみの値段は、ビベリダエのバイト代二日分に相当した。ぬいぐるみの相場はわからないが、それなりに高級なものだろう、と僕は想像した。
(でもちょっと待て……本当に、どうして僕はこんなことを?)
 そもそも、僕はここまで強烈にぬいぐるみが欲しい、と思ったことは一度もない。動物の可愛らしさは理解できるが、決してそれに執着するようなことはなかった。だというのに、何故僕はこんなにも、この梟のぬいぐるみを求めているのだろう。
 半ば無意識に、両手で梟のぬいぐるみを抱え上げる。どこかとぼけた感じのあるその顔をじっと見つめていると、その顔がじりじりと迫ってきた。僕の両腕はまるで独自の意思を持っているかのように、抱え上げたぬいぐるみを僕の顔に近づけてくる。このままでは顔にぬいぐるみが触れる、というところで、
「――まぁ。その子をずいぶん気に入ってくださったようですね。お客様」
 やや低い、それでいて滑らかな女性の声を背後から投げかけられた。反射的に振り返ると、僕よりも若干背の低い中年の女性が立っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、どうぞお好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

いつまでもドアマットと思うなよ

あんど もあ
ファンタジー
二年前に母を亡くしたミレーネは、後妻と妹が家にやって来てからすっかり使用人以下の扱いをされている。王宮で舞踏会が開催されるが、用意されたのは妹のドレスだけ。そんなミレーネに手を差し伸べる人が……。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」 仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。

処理中です...