文明トカゲ

ペン牛

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二 縛鎖の男

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「その子はベルギーの生まれなんですよ。まだ若い、無名のメーカーが作ったということで、品質の割に値段はずいぶんとお安くなっています。なで心地もいいですし、長く一緒にすごしていただけるとてもいい子だと思いますよ」
 淀みない説明に、僕はただ聞き入っていた――ふと我に返ると、自分のしていたことに対する猛烈な恥ずかしさが押し寄せてきた。
「あの、違うんです。僕は、こんなことをするつもりじゃなくて」
 店の女性は僕の発言を聞いて、きょとんとした表情を浮かべた。当然といえば当然だ。あれだけぬいぐるみをいじくり回した以上、どんな言葉も説得力を持たない。だが、僕はそんな無意味な言い訳を更に続けた。
「ぬいぐるみとか、僕は別に興味がないんです。でも、今日はなんだか変で、どうしてもその梟のぬいぐるみをなでたり抱きしめたりしたくなって、でもそれは本当の僕の気持ちじゃないんです、きっと別の原因があるはずで――」
 支離滅裂にも程がある。だが、僕はどうしても認めたくなかった。明らかに自分のものではない感情が自分の中にあるのを認めるのが怖かったのだ。店の女性は、そんなみっともなく狼狽える僕に穏やかに微笑んで、言った。
「――お客様。ぬいぐるみを愛しいと思うことはとても素晴らしいことです。決して恥ずかしいことでも、馬鹿にされるようなことでもありません」
 決して語気が強いわけではなかった。しかし店の女性の言葉にはそれを否定する者全てを許さない圧倒的な厳格さがあった。
「悲しいことですが、ぬいぐるみを馬鹿にする人間は確かに存在します。そういう人間はぬいぐるみを愛する方々のことも同時に馬鹿にします。ぬいぐるみなんかを愛して一体なんになるんだ――嘆かわしい限りです。ぬいぐるみは決してなんか、がつくものではありません。ぬいぐるみというものが生まれてから一体どれほどの数の子供が、大人が、その見た目に、その肌触りに、その抱き心地に心癒されてきたことでしょう。そして時には不幸に遭った子供の傍らでその痛みを慰め、時には暗い寝室で一人眠る子供の悪夢を打ち払い、時には孤独に苦しむ大人のかけがえのない友となる――そう、ぬいぐるみとは、動物の形をした救いそのものなのです。これを愛することが、間違っているわけがないではありませんか」
(……すごい)
 女性が話した内容もすごいが、何よりもすごいと思ったのは女性の態度だった。自分の話していることに間違いは何一つないという確信と自信に満ちた態度――一体どれほどのぬいぐるみに対する愛があれば、こんな風になれるのだろう。
 僕は店の女性に向き直ると、自分の気持ちをそのまま口に出した。
「――感動しました。あなたのおかげで、ぬいぐるみを可愛いと思うことが許されたような、そんな気がします」
 僕がそう言うと、店の女性の微笑みは、よりはっきりしたものへと変わった。
「そうおっしゃっていただけて何よりです。実のところ私自身ぬいぐるみに対する持論を話すのはあまりよくないことだとわかっているのですが……お客様があまりにも戸惑っておられる様子だったので、ついお節介を焼いてしまいました。どうかお許しください」
 店の女性はそう言って、僕に対し深々とお辞儀をした。
「いや、その、やめてください。僕は何も不快には思っていません。まぁ、多少びっくりしたことはびっくりしましたが……」
 女性は機械のような滑らかさで上体を元の位置に戻した。顔には一切変化のない微笑が浮かんでいる。
「――お客様、もしよろしければ、他の子達も紹介いたしますが、いかがでしょう?」
 店の女性の言葉に、一瞬悩む。これ以上手間を取らせてしまうのも申し訳ないし、それに僕は先程まで頭をなでていた梟のぬいぐるみがかなり気に入ってしまっていたからだ。
「……僕は、あの梟のぬいぐるみがいいです」
 口に出して初めて、僕は自分の発言の子供っぽさを自覚した。頬が紅潮しているのが自分でもわかる。しかし、店の女性は僕を馬鹿にする様子を一切見せず、それどころか満ち足りたような様子だった。
「――承知いたしました。そこまで思っていただけて、あの子は幸せ者ですね。すぐにお包み致しますので、少々お待ちください」
 そう言って店の女性は梟のぬいぐるみを抱き抱えると、そのまま店の奥へと入っていってしまった。僕はそれを何も言わず見送った。
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