竪琴の乙女

ライヒェル

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三章

流星群の夜

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「流星群の流れる夜?」
夕食を片付けながら、サリーが今晩は特別な夜であると説明してくれた。
「毎年夏の終わりに現れる流星群が今夜なのです。神殿では祈りを捧げる儀式が始まっております」
「肉眼で見れるものなの?」
「もちろんです。流星群は、古代から、歴代王の魂がこの世に舞い戻る姿と崇められておりますので、国民は皆、流星群を見上げながら祈りを捧げ、王族や貴族の方々は神殿で歴代王の魂を讃える祭儀を行います」
「じゃぁ、国中お祭りみたいな騒ぎで、今晩はきっと遅くまで賑やかなのね」
月食や彗星で盛り上がる現代と似たようなものだなと思い、納得する。
「そうですね。大きな通りはどこも国民達で埋まり、馬も通れなくなります。騒ぎを避け、少し前に、ルシア王子が予定を早めてご出立されたそうです」
「え……」
思わずびっくりしてサリーの顔を見てしまった。
もう、王宮を後にしたということは。
やっぱりというか、あの金貨はなんの意図もなかったのだ。
逃げる手引きをしてくれるのかと勝手に解釈し、期待していた自分が悪い。
期待外れだったショックが心なしか意外と大きかったようで、私はすっかり無口になってしまった。
自分でも驚くけど、心の奥底では、もしかしたら今晩、どうにかして脱出出来るかもと思っていたらしい。
「セイラ様?どうされましたか?」
急に落ち込んだ私の様子に、違和感を持ったのか、サリーが怪訝な顔をして聞いてくる。
バレてはいけないと思い、慌てて平静を装う。
「ううん、なんか疲れたみたい。今日は朝からいろいろあったし……」
「それは、確かにそうですね」
サリーは納得したように頷いた。
「残念ですが、王子は祭儀で、真夜中までお戻りになられないのですよ」
目尻を下げて微笑むサリーに、顔が引きつる。
全然、残念じゃない!
ずっと戻ってこなくていい!
……と言いたいのをぐっと堪える。
「サリー、私、今日は早めに横になりたいんだけど……」
わざと眠そうに目をこすってみせると、サリーは頷いて、アリアンナとエリサに片付けを早く済ませるように指示し、私が寝る準備を整えてくれた。
もうまもなく、夜の8時頃になる。
ほんの少し前まで、もしかするとこの時間に何かが起きるのかも、と思っていたけれど……


サリー達が衛兵の警備する扉から出ていったのを確認すると、私は急いで衣装部屋に入る。
隅に積んである衣装箱を動かして、カスピアンの部屋とつながる扉の前に重ね始めた。もしかするとカスピアンが今晩も侵入しようとするかもしれない。あの馬鹿力ならきっとこれでも呆気なく扉を開けてしまうだろうが、そしたら、ものすごい音を立てて箱が次々崩れ落ちる。当然、私の目も覚めるはずだ。
一人で箱を持ち上げるのは思ったより重労働で、ぎっくり腰になるんじゃないかと思いながら、よいしょ、よいしょと作業を進める。
一番重い衣装箱をなんとか持ち上げようと四苦八苦していると、ふいに扉をノックする音がした。慌てて衣装部屋から飛び出すと、丁度、女官二人が部屋に入ってくるところだった。
「夜分遅くに失礼いたします。女官長、マゼッタ様より、明日の講義に使われる書記をお届けに参りました」
二人とも見慣れない顔だなと思いながら、ドキドキしていると、後ろの扉が閉まった途端、一人の女官が突然、もう一人の女官の腹を殴りつけ、一瞬で気絶させた。
「!?」
驚いて逃げようと身構えたら、「セイラ様、お静かに」と小声で言われ、手招きされる。
女官と思ったのは、中性的な顔立ちをした15、6歳の少年だった。
少年はものすごい手早さで、気絶している女官の制服を脱がせ、猿轡をはめ、手足を縛る。細腕で軽々と女官を抱え上げると、ベッドの上に寝かせて上からシーツをかけ、女官の制服を私に手渡した。
呆然としている私に、小声で指示をする。
「ルシア王子の命でお助けに参りました。早く、女官の制服に着替え、これをかぶってください」
懐から出したのは、ダークブロンドのカツラ。
つまり、この少年はルシア王子の部下?!
今、脱出出来るんだ!
考えるより早く頷き、即、衣装部屋に駆け込んで女官の制服に着替え、カツラをかぶる。
その間に、少年は、運んできた書記をテーブルの上に重ね置き、部屋中の灯りを全て消した。
少年は私のライアーを布で包むと、書記が入っていた箱の中に入れる。
静かに、と、人差し指を口に当てた少年の合図を受け、こくりと頷く。
私の身代わりになるために気絶させられた気の毒な女官に、申し訳ない気持ちになり振り返るが、扉の開く音にハッとして、少年の影に隠れるようその後ろに立ち、顔を見られないように俯いた。
少年は、女性としか聞こえない柔らかな声で衛兵に告げた。
「セイラ様はもう、お休みになられております。どうぞお静かに……」
衛兵達が神妙に頷き、静かに扉を閉めるのを背後に聞きながら、私は俯いたまま少年の後ろを歩く。
破裂しそうなくらいドキドキと激しく鼓動している心臓の音が、衛兵達に聞こえるのではと心配でたまらず、今にも走り出したい焦燥感に駆られるのを必死で堪える。
無言のまま、ただ少年の後について静かに歩く。流星群の祭儀があるせいなのか、王宮内は人気がなく、中庭を挟む向こう側の回廊に、2、3人の人影が見えるくらいだ。
しかし、これからどうやってこの王宮を出るのだろう?
このだだっ広い王宮から、しかも厳重な警備の中をどうやって?
門の周りにもたくさんの兵士が居たはずだ、
脱出なんてどう考えても無理なんじゃないかと不安になってきたころ、少年が立ち止まった。
王宮は静まり返っているのに、この先は随分と騒がしいようだ。
たくさんの人の叫ぶ声や、走り回るような音が聞こえ、ついでにゴロゴロと地響きのような音もする。
「国民に与える酒を蔵から出しているんです。作業を手伝うふりをして、王宮から出ます」
少年はいつのまにか手のひらに乗せていた炭を私に見せた。
「これで顔や手を汚してください」
少年の真似をして、手のひらに炭を塗りつけ、頬や鼻、女官の制服にも擦り付けた。
「いいですか、絶対にばれませんから、堂々としていてください」
言われるがままに、少年についてその先の人混みのほうへ行くと、兵士達が、酒樽を転がしては、次々やってくる馬車の荷台に乗せている。
馬車の荷台に毎回、女官一人が乗り込んで、乗せたいくつもの酒樽が転がり落ちないよう押さえていた。馬車は王宮の裏門で酒樽を下し、空の荷台にその女官を乗せてこちらへ戻ってくる、という運搬作業を繰り返しているらしい。
私もあれをやるんだ、と理解する。
少年に促され、人混みに紛れてどんどん前へと進む。
「時間がありません、早く行ってください!門の外で酒樽を下ろしたら、左手にある茂みに隠れていて下さい」
小声で少年が叫ぶ。
肝を決め、薄暗い中、順番待ちをしていた女官を押しのけて、目の前に来た馬車の荷台に飛び乗る。女官の不満げな声があがるが振り返らず、酒樽を押さえ、見よう見まねで片手をあげると、御者が鞭を振り上げ馬車が動き出した。
うまくいった!
心臓がバクバクしている。
緊張と興奮で酒樽を抑える両手がぶるぶる震えていた。
ガタゴトゆれる荷台の上に立ち、夜空を見上げた。
もうすぐ、流星群の流れる時間なのだろうか。
たくさんの星が瞬く美しい夜だった。
15分ほど馬車に揺られると王宮の敷地と街を区切る巨大な裏門に着く。扉は解放されており、たくさんの国民が祝いの酒樽を受け取りに詰め寄せて、ものすごい騒ぎだった。
待ち構えていた兵士達が馬車の荷台から酒樽を下ろし、くるくる転がしながら国民達のほうへ運んで行く。
どさくさに紛れ荷台から下りると、騒がしい集団からこっそり離れて近くの茂みに身を隠す。次の荷馬車でやってきた少年が、片腕に布で巻いたライアーを忘れずに抱えたまま、こちらへと小走りでやってきた。
彼が女官の制服を脱ぎ捨てると、その下にエティグスの臣下らしい服が現れた。茂みに隠していた袋の中から焦げ茶色の上着を取り出し、それを手早く羽織りながら、私に、カツラを取るよう指示して、代わりに紺色の大判スカーフを渡してくれた。
無事、王宮の外に出られたことが奇跡のようでホッとするが、少年が厳しい顔つきで私の手を取り、先を急かす。
「いつ追っ手が来るかわかりません。急ぎましょう」
「でも、急ぐってどこへ……」
早足で歩きながから、少年はあたりに目を走らせている。
「山の方には行けません。カスピアン王子の指示で、山への入り口は常に兵士が監視しています」
「え……」
その言葉に呆然とする。すぐにアンリとヘレンのところに行くのは危険すぎるだろうとはわかっていたけれど、そこまで厳しく監視しているとは思わなかった。
「どうしよう……どこに行けば……」
突然実現した脱走で、王宮を出た後のことまで気が回らなかった。
街を一人でうろついて居たらまた捕まるのは目に見えている。
どんな酷い仕打ちをうけることか。
その時、ハッとして少年の手を引っ張った。
「待って!このままじゃ、貴方にも、迷惑がかかっちゃう!もう、別行動したほうがいいと思う!」
なんの罪もないこの少年があのカスピアンに捕まったらと思うと、想像しただけで怖くなる。
少年はちょっと驚いたように目を丸くして、その後にっこりと笑った。
「僕は、エリックです。僕の心配なんて必要ないですよ」
「でも……!」
「大丈夫ですから。セイラ様、あちらに馬車を用意しています。急ぎましょう」
エリックに手を引かれ、小走りで林道の奥へ駆けて行く。町中の人が大通りに集まり、酒を飲みながら流星群の流れる瞬間を待っているため、林道には全く人影がない。
走り続けて息切れが激しくなったところで、ようやくエリックが足を止めた。
呼吸を整えながら前を見ると、人目につかない茂みに、二頭の黒い馬が馬車につながれ佇んでいた。
エリックが馬車に飛び乗り、私の手を引っ張ってくれたので、同じく前に座る。
「しっかり手摺に掴まって」
「うん」
エリックが鞭を振り上げると、二頭が小さく嗎をあげて林道を駆け始める。
「どこへ行くの?」
「エティグス王国です」
「エティグス……?!」
ラベロア王国を出て、隣国エティグス王国へ?
想像もしていなかった大掛かりな逃走劇に度肝を抜かれる。
「ちょっと待って!私、エティグスへ行くつもりはないの!」
異世界に飛ばされてきた私としては、起点となるあの湖の近くにいないと、いつか戻るタイミングが来た時に、帰れなくなってしまう。
帰れるという瞬間が来るかもわからないけれど、ともかく、この国を離れることは全く考えていなかった。
「ですが、ラベロアに居る限り、当分は危険ですよ。すぐに捕まる恐れがあります」
「それは、そうだけど……」
確かに、この近くにいたらまた、カスピアンに捕まる可能性はかなり高い。
しかも、アンリとヘレンのところに行く事も出来ない。
実際の所、他に行く場所なんて当ては全く無かった。
どうしよう……
戸惑う私に、エリックがにっこりと笑顔を見せた。
「ルシア王子は慈悲深いお方ですから、きっとお力になってくださいます」
「……」
市場で見逃してくれた時、たった一瞬会っただけなのに、国交問題にもなりかねない危険をおかして、脱出の手助けをしてくれるような人だ。エリックの言う通り、確かに慈悲深い方なのだろう。
でも、行く当ての無い私を助けてもらうなど、そこまで甘えていいものだろうか。
これ以上、迷惑をかけるようなことになるのは避けたいのに。
でも、今の私は、選択の余地などない状況に陥っていた。
「国境で王子と落ち合いますので、それまで馬車を走らせます」
手際よく全てを一人でこなしたエリックは、若いながらも有能なスパイということだろう。
あれだけ巨大な王宮であれば、やはり、スパイの一人や二人は常時出入りしているものだろうか。
遠ざかっていく王宮の明かりを振り返った時、夜空に、流星群の光が続けざまに輝き流れ落ちるのが見えた。森のずっと向こうで人々の歓声があがるのが聞こえる。
次々と天から降り注ぐ星の描く光の糸が、交差しては消えていく。
夜空のキャンパスに光で絵を描くような、まさに、神の成せる奇跡と呼ぶに相応しい美しさだ。
もう、引き返す事は出来ない。
しばらくは、この国から離れるしかないのだと、自分に言い聞かせる。
ガタガタを激しく振動する馬車に揺られながら、後ろ髪引かれる思いを振り切るように、遠ざかる王宮に背を向けた。
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