竪琴の乙女

ライヒェル

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五章

懐かしの王宮で

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終わりの来ない夢を見ているような、不思議な感覚が続く。
時折、人の話し声や物音が聞こえていたけれど、強い睡魔が私を捕らえて離さない。
底なしの暗闇の中に深く沈んでいた。
ようやく意識が戻ってきて目が覚めた時、一瞬自分がどこにいるのか分からなくて、呆然とする。
そして、豪華な天蓋付きのベッドに寝ていることに気がつく。
そうだ!
ラベロア王国に戻ってきたのだった!
がばっと身を起こし、冷静にあたりをぐるりと見渡し、これは夢ではないと確信した。
「セイラ様?」
聞き覚えのある声がして、レースカーテンの向こうの人影に気がついた。
「サリー!」
返事をすると、カーテンが開いて、ホッとした様子のサリーが顔をのぞかせた。
サリーはすでに身を起こしている私の顔を見て、にっこりと微笑んだ。
「お目覚めになられましたね。御気分はいかがですか?」
「うん、頭もすっきり!ずっと眠ってたのね」
「ええ、あの後高熱を出され、ずっと寝込まれてたんですよ」
安心したように微笑み頷いたサリーが、後ろのほうにいたエリサにお茶を作るように指示をした。
「どれくらいの間眠ってたの?」
「丸二日もお目覚めになりませんでした」
「丸二日?」
そんなに時間が経っていたとはびっくりだ。
風邪を引いたかと思ったが、実際はインフルエンザにでもかかってたのだろうか。
眠っている間も、時々起こしてもらって水分を取ったりしていたらしいが、意識がはっきりしていない状態だったらしく、全然覚えていなかった。
「さぁ、少しは食事をされてください。湯浴みの準備もいたしましょう」
テキパキとサリーが仕切り始めるのを見て、懐かしい光景に笑いをこぼした。




「えっ、今はもう、カスピアンが国王なの?」
サリーの話に驚いて聞き返す。
「そうです。前国王様は正式に退位され、1年ほど前に、カスピアン様が24代国王として即位されています」
「そう……父上様はやはりお体の調子が優れないの?」
「最近は寝込まれることが多いと伺っています。もうかなりの間、カスピアン様が国王代理として政務をこなされていましたから、正式に即位されたほうが何かと都合が良いということになったんですよ」
「いろいろと大変だったのね」
「はい。セイラ様がお姿を消した後、エティグスとの戦もありました。決着がつく前に、エティグス国王からの申し入れで休戦となりましたが、依然として国交は断絶しており、表面上は冷戦状態となっています」
私が原因で戦まであったと知り、罪悪感に襲われて何と言えばいいのかもわからない。
「ですが、ご心配は要りません。カスピアン様、兄君のユリアス様のご尽力で、ラベロアの国力は更に上がっております。当分はエティグス王国が戦をしかけてくる恐れはないでしょう」
ここでは3年もの月日が流れていたわけだから、国の情勢が大きく変わっていても全く不思議ではない。
それでも、もうすでにカスピアンが国王になっていたという事実にはやはり、びっくりした。
彼の雰囲気が変わった気がしたのは、やはり理由があったのだ。以前から周りをピリピリさせる威圧感がある人だったが、更に迫力が増したのは、気のせいじゃなかった。
ふと、これから自分はどうなるのだろうと不安になる。
戻ってくるかわからない私のために、この部屋を空けていてくれたということは、ここに居場所があるということだろうが、カスピアンに聞くまでははっきりしたことはわからない。
「そうだ、アンリやヘレンのことは知らない?」
「お元気でいらっしゃいますよ。近いうちにきっとお会い出来るでしょう」
サリーが笑顔で答えたのでホッとする。
「それじゃ、詳しいことはカスピアンに聞いた方がいいね」
「そうですね。陛下からも、いろいろとお話があると思いますよ」
「今日は、会えるかな?」
「そうですね……今日も早朝から立込んでいて、夕刻は、明朝お帰りになる外国からの貴賓をおもてなしする最後の夜宴がございます。今晩もまた、かなり遅い時間にいらっしゃるかと」
「やっぱり、大変そうだね」
「セイラ様が寝込まれている間も、時間を見つけたら必ずご様子を見にいらしてたんですよ。医師がただの風邪だと申し上げたのですが、かなりの高熱で意識がない状態が続いていたので、陛下がとてもご心配されてました。ついさきほど、政務中の陛下にも、セイラ様がお目覚めになったことは報告させましたので、きっと安堵されているでしょう」
サリーがニコニコしながら、私の手を引いて衣装部屋へと連れて行く。
「ご覧ください。セイラ様がご不在の間も、陛下が様々なものを取り揃えられて、こんなにたくさんの御衣装や宝石が」
美しい衣装がずらりと並んでいるのに圧倒されていると、サリーがいくつか置かれていた宝石箱のひとつを手に取った。
サリーが開けて見せてくれた宝石箱の中を覗き、数々の装飾品のまばゆい光に思わず瞬きをした。
宝石箱の中は、キラキラと、たくさんの光が反射して直視出来ないほどの眩しさだ。
これがすべて、プラスチックやガラスで作ったイミテーションではなく、本物であるわけだから、金額にしたらとてつもない数字だろう。
「他に、宝物庫に保管されているものもあるそうです。いずれ、陛下がご自身でお見せになると思いますよ」
宝石箱の中をもう一度覗き込む。
まるで宇宙の銀河を見ているような煌めき。
濃紺のベルベットの上にキラキラと輝く金、銀細工に、美しい光沢を放つ様々な色合いの宝石の数々。どれも彫金が美しい模様や、手の込んだ骨組みで作られた芸術品だった。
このずっしりと重い、ひとつの宝石箱の中の価値を想像しただけで、卒倒しそうだ。
しかも、あといくつも似たような宝石箱が置いてある。
身に余る高価な品々に、どういう反応をすればいいのかも分からない。
庶民の感覚からすると、税金を無駄遣いされているような気分だが、それとも、ラベロア王国の王室はもともと桁違いの財力がある裕福な王家だということなんだろうか。
私の世界では、美術館に展示されていてもおかしくないほど豪華で美しい装身具の品々に、すっかり怖じ気ついてしまう。
手に取るのも憚られて、そっと箱の蓋をしめ、ため息をついた。
「本当に美しいけれど……私には分不相応すぎるものばかりで」
つい、本音がぽろりと出て呟くと、サリーが目を丸くして私を見た。
きっと、高貴な家庭に生まれた姫君なら、大喜びして手に取ってみたりしたのかもしれないが、庶民の私には、こんなものを手に取って壊したらどうしようと、怖くてとても触る気になれない。
「でも、ちゃんとお礼は言わないとね。戻ってくるかどうかもわからなかったのに、こんなに集めてくれていたなんて……」
素直な気持ちを言うと、サリーが安心したようににっこりと微笑んで頷く。
「そうですよ。お忙しい合間を縫って、ずっと、セイラ様の行方を探していらっしゃってたんですよ。陛下は昔から、大変頑固な方なので、そう簡単には諦めたりはされないとは思ってましたが、なんの手がかりもないまま3年が経ち、大変心配していました。本当にセイラ様がお戻りになられて、私も安堵しました」
「……ありがとう」
照れくさくなって、お礼の言葉も小さくなってしまった。
病み上がりという事もあり、午後はサリー達を相手に室内でゆっくり過ごす。普段ならライアーに費やす時間を、代わりにラベロア王国の歴史が綴られた書物を開いてみたり、近隣諸国が載っている地図などを見せてもらって、少しずつでもこの国のことを学ぶ心の準備をする。
夕方に医師が様子を見にやってきて、体力回復によい薬湯を出してもらったら、体がぽかぽかしてきて、サリーの勧めるままにベッドに入ってしまう。カスピアンに会いたいと思って起きて待っているつもりが、結局、睡魔に勝てずにそのまま眠ってしまった。




翌朝、サリーが起こしに来るより早く目が覚める。
処方された薬湯のおかげか、ぐっすり眠れたようで、体調も完全に元通りになったようだ。
勢い良くベッドから飛び出して、自分でカーテンを開け、窓を開いて新鮮な空気を部屋に入れていると、サリーがやってきた。
「お顔の色もよくなりましたね」
「本当にもう完璧よ。昨晩の薬湯の効き目はすごかったみたい!」
昨日はまだ全身がだるい感じがしていたけれど、今朝は体力的にも問題なさそうだ。
サリーに続いてエリサとアリアンナが入ってきて、朝の準備をしてくれる。
湯浴みを終えてサリーが準備していた衣装に着替え終わり、室内に戻ると、ちょうどエリサが大きな花束を花瓶に生けて、カウチの前のガラスのテーブルへ置くところだった。
「わぁ、奇麗……」
色とりどりの様々な種類の花が360度所狭しと束ねられた豪華なブーケ。まるで球体の花畑のよう。見ているだけで胸が弾むような明るさがいっぱいの花束だ。
近づいてゆっくりとその甘い香りを吸い込むと、幸せな気持ちになって、ふぅとため息をこぼした。
「陛下からいただいたお花です。セイラ様がお目覚めになられたと知って、大変お喜びでいらっしゃいます。これは本当に素晴らしいブーケですね」
エリサが頬を紅潮させ、花の香りにうっとりと目を細めた。
「今日のカスピアンの予定ってどうなってるの?」
あれからまだ一度も会っていないことが気になって、サリーに尋ねた。
「陛下は、今朝、神殿での祈祷の後、ご帰国される貴賓のお見送りをされます。午後には近々予定されている軍事パレードの訓練の指揮を取るために闘技場に行かれます。その後のご予定は、セイラ様のために空けられたと伺ってますので、夕刻前にはいらっしゃると思いますよ」
「そうなの。早朝からそんなに予定が入っていて忙しいね……」
「昨晩も遅くにこちらへいらっしゃいましたが、セイラ様はすでにお休みでしたから、がっかりされていました」
サリーが思い出したようにクスクスと笑いながらそう言った。
以前私が持っていた王室のイメージは、優雅に豪華な食事をして、暇があれば宴を開いて酔っぱらっているものだったが、実際は病気する暇もないくらい仕事に追われ、庶民より多忙なのだ。
私が寝込んでいる間にも、カスピアンは度々様子を見に来てくれてたらしいけれど、私自身は眠っているから、全く記憶にもなく、もう丸三日間、会っていないということになる。
早く会って声を聞きたい。
そんなことを思った自分に気がついて、カッと耳が熱くなった。
自分の気持ちに気がついたとはいえ、彼のことを考えてドキドキする自分にはまだ慣れていないせいだろう。
体力が戻ってきたこともあり、なんだかうずうずして、じっとしているのが苦痛になってきた。
朝食を終えて、昨日と同じように書物を開いてみたけれど、どうしても集中出来ない。アンリに教わったラベロアの文字を思い出そうと、しばらくは書物と格闘していたが、そう長続きはしなかった。
部屋に残って家具を磨いていたエリサに手伝いを申し出たけれど、とんでもないと拒否されてしまう。
手持ち無沙汰な上、じっと座っていることが出来なくて、意味もなくしばらく部屋の中をうろうろしていたけれど、ついに我慢が出来なくなる。
「エリサ、私、少し散歩に行きたい」
「お散歩ですか?」
「ずっとこの部屋に閉じこもっていたし、もう体は大丈夫だから、部屋の外を歩きたい」
「そうですね。でも、サリー様に聞いてみないと……」
エリサが困ったように黙り込む。
エリサやアリアンナにとってはサリーが上司で、サリーがかなり厳しいスパルタ女官だということは私もわかっている。
「でも、もともと、一人じゃなければ歩き回っていいって話だったでしょ?遠くには行かないから、少し歩くだけ。エリサも一緒に来てくれたら迷子にもならないし」
「でも……」
「大丈夫よ!サリーにはちゃんと、私がそうしたいって主張したからだって後で説明する」
「……」
「ね、いいでしょ?もう、じっとしてたら頭がおかしくなりそうなの。ライアー……竪琴もないし、ね?」
最後の言葉で、どうやらエリサも同情を覚えたらしく、しぶしぶ頷いた。
あまり乗り気でないエリサを従えて、意気揚々と大きな扉をあけてみると、直立不動で警備していた衛兵が二人、敬礼をする。
「あ……お、おつかれさまです……」
なんと言えばいいのか分からず、とっさにそう言うと、かしこまったように二人が剣を前に持ち、姿勢を正す。
扉の前で警備し続けるなんて、こんな退屈で疲れる仕事を、ずっとやっているのが気の毒だ。
「さ、エリサ、おすすめの場所に案内してくれる?」
「おすすめ、ですか」
困惑気味に歩くエリサの背中を押し、回廊を歩き出すと、衛兵の一人が、私達の後ろをついてきた。恐らく、護衛ということだろう。
「大きな王宮で、全然方向感覚も掴めないし、全体像が掴めて、一望出来るような、そんな場所はない?」
「うーん、そうですね……」
しばらく歩いていると、向かいから集団がやってくるのに気がつく。
「あっ、あれは」
困ったようにエリサが声を上げた。
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